「こら〜、悠人くん起きて。ほら……!」
体を揺すられて起きた悠人は不恰好な体型で寝ていたことで肩や首がゴリゴリと音を立てている。錆びた蝶番のような音を所々から発する体をほぐしている時に時計を見ていた。昼の3時を回ったところである。そのまま声をかけてくれた人物を探そうとした時、悠人は恐ろしい事実に気がついてすぐに飛び上がった。
「か、会議をすっぽかした!?」
「その会議は私が変わりに出ておいたわ。はい、資料」
タイツを履いた上でのショートパンツ、完全に外で誰かと会う時の服装をしているサーシャは悠人に分厚い資料を手渡して通信機を起動させていた。
「珍しいのね。悠人くんが会議を忘れちゃうなんて。なんかあった?」
「いや、何も。すまんな、サーシャ。お前も何かの用事があったろうに。会議の内容はこの資料……魔獣の生息地データ。亜人の作戦予想……そして魔石侵食、特に変わったようなものは……」
「用事といっても魔装の点検を研究班に出しただけ。それと私の中にある魔石のチェックも。最近、ビックリするくらい長い間息を止められたり……色々あるから。あぁ、いけない。所長さんが連絡あるから来いって、伝言よ」
「サボったことを怒られるんだろうな……。わかった、言ってくる」
上着を着て刀を二本、腰にかけた悠人はそのまま部屋を後にした。片付けもせずに急いで部屋を出たものだから涙の跡も、床に散らばった写真ケースもそのままだ。家族愛は班の中で1位2位を争う悠人、もう夢の中の存在となった妹や親父を想うその姿、家族を捨てる選択をしたサーシャには分からないものだった。
「行ったか?」
副班長としての仕事を全うし終えたサーシャに話しかけるのはパイセンだ。サーシャが手に持つ写真を見てパイセンもアッと息を呑む。いい意味でも悪い意味でも東島班が変わるきっかけになったあの事件、銀髪の名で呼ばれていたパイセンもよく覚えている。彼が背負う罪や悲しみ全てを理解知りことはできない。それ故にパイセンも悠人の悲しみを受け入れがたい部分があるのだ。
「うん、最近……悠人くんも辛そうね」
「戦闘員家系で世間は戦闘員をバッシング、アイツもフラッシュバックが最近多いんだろう。アイツの力になってやりたい気持ちはあるが瓦礫の中で誰かに拾われただけの俺が家族愛なんか語ってもシラケるからなぁ……。こういうのは隼人に任せておけばいい」
「何もできないって……寂しいね」
班長を助けるべき立場にいる副班長としての仕事を全うできていないサーシャも思うところがある。そんな彼女の背中をバンと叩いて喝を入れるパイセン。
「だから悠人の変わりに会議にでたんだろう? わざわざ会場に呼ばずに。 専門分野以外に首突っ込むと碌な目に合わない。俺たちはそっとしておくんだ」
「……わかった」
ただ、それで本当にいいのかと考える力はパイセンだって忘れてはいない。どうして養子縁組にして施設に入れるような真似をせず、自分をこの事務局で育てることで戸籍を作ったのか、今になって腹が立つような思いを湧き上がらせていた。
〜ーーーーーーー〜
居住区から走って事務局の裏口から入り、エレベーターのボタンを連打しながらエレベーターを待っている悠人。そのまま一階に降りてきたエレベーターのドアが開いた瞬間に中に入ろうとしたが中にいた人物と危うくぶつかりそうになり、避けながらエレベーターに入る。
「申し訳ない!」
そう言いながら閉めるボタンを押して上がった悠人。エレベーターの中にいた八剣班、新入り枠、水喰昇はぶつかりそうになったことにヒヤヒヤしたが対して気にも止めずに新人殺しの班長が去っていたのを見て少しだけ目頭を歪めた。
「……危ねぇ。アイツからかってんのか?」
昇にとって戦闘演習決勝戦で悠人に負けたことや、覚醒魔獣騒動の際に新人殺しに助けられた経験は記憶に新しい。あの副班長の強さは認めているが悠人の強さは今だに認めていなかった。あれだけ急いでいるのには何か理由があるのか気になり、昇はついて行くことにする。
そんな昇なんかいざ知らず、エレベーターで指定の階に上がった悠人はエレベーターが全開するよりも前に潜り抜けて支部局長部屋のドアと対面していた。ノックをしてから部屋に入り、開幕早々どんな言葉で謝ろうか、むしろ気にしないほうがいいのか、うんうん考えながら軽くノックをしていた。
「入れ」
「失礼します……」
重い音を響かせながら部屋に入った悠人。レイシェルは端末を操作しながら何かの確認をしており、グスタフが椅子に案内してくれた。座る前に悠人は深く頭を下げる。
「大事な会議を欠席してしまい、申し訳ありませんでした……!」
深々と頭を下げて声を出す悠人を見ながらレイシェルは少し驚いたような表情をとっていた。その驚きは今までの悠人を知っているレイシェルから見れば考えられないものであり、捻くれたガキからある意味で大人になったのを初めて見た瞬間だからかもしれない。レイシェルは少しだけ表情を柔らかくして頭を上げさせた。そんな彼女の表情を見て悠人は唇をピクピクと動かしている。
「悪いことをしたなら謝る……か。東島、少しばかり大人になったな」
「いえ……班長なのに無責任なことをしたなぁ……と。サーシャからの伝言があってきたんですが……」
「あぁ、その話だな。まぁ、そこに座れ」
「失礼します……」
今度こそグスタフの案内に従って椅子に座る悠人。向かいのテーブルには茶菓子が置かれてあり、悠人の前に置かれたカップに紅茶が注がれた。
「紅茶は苦手か?」
「いえ、いただきます」
紅茶を啜ってみる。ほのかに甘い。砂糖の量はちょうどよかった。飲み込んでからレイシェルは端末とサーシャに手渡した資料よりもより詳しいものを机に広げた。
「お前に来てもらったのは新しい任務についての打ち合わせだ。前回、研究所付近の街を亜人が襲い、民間人に亜人の存在が明るみになった今……早急に彼らを叩くべき作戦を決めている。彼らの拠点を直接叩く作戦をな」
「拠点を……!? 場所はわかっているんですか?」
グスタフが数ある資料のいくつかをピックアップして悠人に見せた。魔獣の分布図に見えるが出現頻度が明らかに違う地点がある。ちょうど日本の中心、日本アルプス付近の山々だ。高山地帯に近く、人の住処は少ないが自然環境は大いに整っている。
「ここは……」
「どうもこの国の魔獣はそこから移動を開始しているようでな。警備班や翔太達の目撃証言的にも覚醒魔獣もこの付近から移動を開始している。頒布図では他にも魔獣の出現頻度が多い地点がいくつかあるがコロニーができているのは確認済みだ。調査できていないのはこの付近となる」
「となると……俺たちはここの調査……亜人の拠点につながる何かがあれば叩くってことですか?」
レイシェルは頷いた。悠人の顔は段々と塩らしくなっていき、ついには完全に俯いてしまった。様子がおかしいと思い、レイシェルは声をかけたのだがそんな悠人の口から漏れ出た言葉をレイシェルは聞き逃さなかった。
「レイシェルさんは……あの時の会見どうでした? レイシェルさんが記者に返答していましたが何一つ……受け止めてくれなかったあの記者会見」
レイシェルはあの時の光景を思い出すがいい思い出とは言えなかった。少しだけ苦い顔をした後に悠人の心境が少し見えたようで資料を束ねた後に顔を少しだけ近づける。
「父親のことを思い出したか?」
「……! ……まぁ、はい」
「……残念ながら社会が想う戦闘員は昔も今も変わっていない。それは私も、グスタフも承知している。この国に配属されてお前達を守る責任を背負った時から……こうなることは見えていたのかもしれないな」
「俺たちが……必死になって戦っても……誰も感謝してくれない。俺は……三年前の俺はこんなこと望んでなかった……。親父の活躍が無駄じゃなかったことを……もっとみんなに知って欲しかった……。ハァ……でも平和な人たちは俺らを攻撃するんですね。亜人が俺らを憎む気持ちが一瞬だけ分かります」
レイシェルとグスタフは顔を見合わせて意思疎通で考えた後に資料をしまって悠人の名を呼ぶ。いつのまにかグスタフは悠人の隣に座っていた。
「東島君、君の気持ちは痛いほど分かる。私とレイシェル様は戦闘員発足の時代を知っていますが……残念ながら市民が我々に向ける思いは今も昔も変わりません。異国の地で職務を続ける今も同じ。ただ、魔獣を屠って市民を守る、それ以外にも戦闘員には責任があります。全ての市民を守るという責任です」
「責任……」
「えぇ、責任です。東島君、君は『弱い人には優しくしましょう』と今まで教えられてきたでしょう? この国の道徳です。それは正しいことですが、異国の我々から見ると『自分は立場が強い、相手は弱い』と位を決めつけているように見えてしまいます。上から人を見て言っているような……偉そうなイメージですね。戦闘員にはその位が通用しません」
「東島、我々は弱者であっても強者であっても救わなければいけない。この国は……いや、我々人間は弱者を受け入れることを皆で認めた。受け入れたのなら……彼らをも認めないといけない。それはどんな相手も受け入れる覚悟だ。魔獣によって被害を受ける人々にその位はない。相手がいくら罵声を浴びせる心のない者でも……それは私たちが守るべき大事な市民だ。それは万国共通、永遠にだ。その罵声を受け入れるのも戦闘員の職務。力を持つ者が受け入れるべき職務、責任だ」
「そんな平和……誰かを踏みつけて成り立つ平和なんて……俺は認めたくない……!!」
「時間はまだある。ゆっくりと考えてみるといい。これは仕事だ。お前達新人殺しに遠征任務を任せようとしている。市民と接する機会は多いだろう。その時はこの時の言葉を思い出してくれ。市民に降りかかるはずの血を浴びるのは我々の仕事だからな」
「……わかりました。失礼します」
椅子から立ち上がり、礼をしてから去っていった悠人。静かになった部屋の中でレイシェルは紅茶を飲み干してため息をついた。口の中が寂しくなったのでガムを噛み始めたレイシェルは応接用の椅子から元の自分の椅子に座り直す。
「羨みたくもなる若さですが……この業界は若さは敵になるのかもしれない……。レイシェル様……?」
「あぁ、すまない。ただ……私にもっと早く子供が居れば……こういう思いをしていたのだろうかと考えていただけだ」
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