無我夢中で走り続けた。頭の中に幼き頃から見ていた父の姿がよく映る。悠人から見る父の姿はかっこいいヒーローだった。現実ではジワジワ魔獣に侵食され続けている哀れな人間だったわけである。追いかけていた父の背中は今苦しむ仲間の背中だったようなものだ。今は悠人自身に目立った変化はないが魔石は悠人の体を侵食し始めているのだろう。それも意固地にふるい続けた楓の刀も今は悠人の腰にある。
嫌な想像だけが目まぐるしく動くので悠人は程よい日陰を見つけて座り込んだ。大きな木が生えていたのだ。田んぼ道の四つ角のような場所に生えていた大きな木。悠人は子供の頃に楓とよく遊んだ公園を思い出した。春と夏は茂った葉が日差しから守ってくれたし、秋は真っ赤に染まって拾って遊んだ。自分にもそんな楽しい思い出存在し、これからこの先いい未来がやってくるという根拠のない希望を持っていたのだ。
若い。あまりにも若すぎる。今の悠人からは考えられない若さゆえの楽観的な希望があったのである。会議の時に堀田玲司に言い放った言葉、「もしもの時は自分が責任を取る」今更ながらにどうすればいいのか分からなくて悠人は震えた。大きな木の下は慌ただしい空間ではない。だからこそ考えもしないような有り得ない最悪の未来が見えてしまったようで、悠人の心根は案外暇を持て余しているのかもしれない。
「うっわ、縮こまっちゃって。いつぶりだ?」
「……蓮」
木の後ろからひょっこり顔を出しているのは蓮だった。最近は髪が伸びきっているようでうまい具合に櫛で整えた長い襟足と後ろ髪を束ねて短い尾のような形ができている。パッと見ただけでは蓮の線の細い顔が相まって女性にしか見えなかった。
「新島さんだけが入ってきてお前が入ってこなかった。みんなは察しているのかマルスの方が心配なのかよく分からんけど放ってる。でも、俺は気になってここまで探した。それだけ」
「よくここが分かったな」
「バッカ言え、何年お前についてきたと思ってる。支部にいた頃だって壁際の木のところでお前泣いてただろうが」
「……あぁ」
やっていることは昔も今も一緒だったらしい。
「話、聞いてたのか?」
「ちょっとだけ。お前が走り出してしまったから」
「……、その癖やめろ」
ギンと睨んだ悠人を見て蓮は両手を軽く上げて降参のポーズを取ってからクイっと下唇を上げて可愛げのない笑みを浮かべた。正直、蓮がここまで追いかけてきたのも理由が分からなかった。無意識のうちに助けるべきだという心が生まれていたのかもしれない。楓が死んだ時からすぐに助けるように動けた隼人と違って蓮は遠くから見守るしかできなかったから。
悠人の隣に座った蓮はそのまま木の空を枕にして寝転んだ。生い茂った葉っぱが屋根のようになっており、陽の光を遮ってくれている。蓮にとっては心地よい空間だった。
「俺たちは『戦闘員』なんて名前で呼ばれてるけど民間の雇われ兵みたいなもんだ。世間もゲリラのような扱いで俺たちを見てくる。まぁそこはいい。でも……魔装なんて作ったやつは俺たちに土下座するレベルだぜ? こんな危ないものを使わせていたのかって」
「いや……悲しかったろうよ」
「なぜ?」
「魔獣に対抗できうる装備を作る目的の上で設計するんだ。性能は良くなければならない。その対価を知っていたとしてもだ。魔装は……人間の俺たちをも部品にする装備なのだから」
悠人は今だに寝転がろうとはしなかった。ただ虚な目で遠くを見ている。一面田んぼだらけなこの田舎道の木の下でやるべきことか。痺れを切らした蓮は後ろから悠人に掴みかかって無理やり寝転ばせて見た。当然反抗する悠人。ジタバタと暴れる悠人を抑えながら蓮は口を開いた。
「ほらやってみろよ! ここで寝転ぶと気持ちいいって! 悠人、親父のことは同情するよ。一個人の人間として辛いだろうよ。でもな、班長のお前がグッタリしてたらマルスどんな顔すればいいんだよ? お前が東島班の主力なんだからさ」
「そうやって責任押し付けられるのが嫌なんだ……! 班長であるからと言って人間らしさを捨てろとでも言いたいのかよ!」
「違うわ、アホ! 察しが悪い! 辛いだとかなんでも言ってもいいからよ。そういうのはお前、俺の前で言え」
「……蓮」
バンバンと悠人の背中を叩きながら可愛げのない笑みを浮かべる蓮。それは可愛げがないというべきか分からない。ただ、友人の立場で見ると嫌いになれない蓮の笑みだった。
「親から逃げて右も左も分かんなかった俺を助けてくれたのはアンタだ。訓練生の俺を見て『お前が必要』って言ってくれたのもアンタだ。楓さんが死んだ時はアレだったけどな。マルスとギクシャクしてた時も。でもそれからのお前はいいやつだったよ。なんか入ったばかりの時を思い出した。それはお前が班長だからってことじゃあなくて人間として余裕があったからじゃんか」
「まぁ……いや……うぅん」
「照れんな! まぁ……あれだ。だぁれもいないところだ、ここは。聞いてやる」
「何を偉そうに……」
それでもいいやつには変わりない。悠人は力を抜いて寝転んだ後に深い息をついた。今は落ち着くべきだ。父のことを聞いて心が暴れて右も左も分からなくなっていたものだが案外自分は恵まれているらしい。そう思えた悠人は今まで思っていたことを蓮に吐露するのであった。軽い反応が返ってくるだけの会話だったが悠人にとっては落ち着ける空間である。
「……全然大丈夫そうね」
遠く離れたところから蓮達の様子を見る人物、福井柔美は通信機を起動させる。
「もしもし新島さん? えぇ、様子ですよね。……全然、大丈夫そうですよ」
通信機の奥の声は驚いていた。当然だ。新島は新人殺しのメンバー同士の絆を知らないのだから。死期を悟りながらも困難を突破してきた悠人達の絆は脆くない。それに柔美としては不器用ながらも人のために動く蓮を見れただけでも満足だった。通信機を切りながら柔美はいつかの勢いで抱きしめてしまった夜を思い出す。
「無駄じゃなかったね。応えてくれてありがとう、蓮くん」
大きな木の下で転がりながら話をする蓮と悠人を見た柔美は何がなんでもこの若者達を守るべきだと先輩としてのボルテージも上がっていく。新島荘に残っているマルスが心配だったがそれも大丈夫だろうという気になったが急いで帰ることにした。この土地、日が暮れると絵の具を塗りつぶしたかのような暗闇が包み込み、帰れなくなってしまうのだ。
案の定、日が暮れてから柔美が迎えに行くことになるのだがそれはまた別のお話。
ーーーーーーー
その頃だった、マルスが目を覚ましたのは。勢いよく起き上がって頭を押さえ、状況を整理するマルス。自分はとある建物の中の部屋でずっと眠っていた。一体いつまで眠っていた、いつまでうなされていたのか。何故うなされていたのか。それらを全て整理した時、もう日は暮れていた。
エリーニュスとの約束が脳裏を横切る。夜、またあの場所に行けばエリーニュスは迎えてくれる。が、そんなことをしてもマルスの未来は明るくならない。かと言ってここにずっといればマルスのせいで愛する仲間が犠牲になるのかもしれない。どうにかして自分だけが犠牲になる道を進みたいものだが進めそうにもない。自分はテゥポンの支配者としての面を継ぎ、戦ノ神としての使命を受けているのだから。
何故神の掟が出来上がったのかと言われれば原初の戦争があったからに他ならない。エデンがテゥポンを最初に産み、神の世界とその他種族が生きる世界を分業で作っていたことが全ての始まりだ。一体なんの使命をもってエデンが生まれ、世界を作ったのかはマルスにはわからない。エデンの指示の元、世界を統治していたテゥポンは真綿で首を絞められた状態であり、窮屈な世界で生きる下界の民を見て何か思うところがあったのだろう。
その結果、エデン含む神の勢力とテゥポン率いる下界の勢力が激突。一度世界が滅ぶほどの大戦争になりテゥポンは敗北。体は消滅したが意志と魔石は消えなかった。エデンはその中でも害のある部分を取り除いてマルスとエリーニュスを作ったに違いない。それもまた今回の戦争のきっかけになったわけだ。
ここまでを考えた時にマルスは気がついた。この部屋は自分以外にも人がいたことを。ふと横を見ると椅子に座りながら眠る香織の姿が。手には何か本のようなものがあったのだがマルスは特に興味がなかった。壁には自分の剣が立てかけてある。自分はどうするべきか、そう考えていると眠っている香織の目がソッと開く。マルスは一瞬だけバチが悪そうな顔になった。
「……マルス?」
「あ……あぁ、香織……」
刹那、マルスの頬に鋭い痛みが。香織の右手がマルスの頬を叩いた。音はよく響いた。不思議と暴力を受けたのにそれが当然だと思ってしまった。
「叩かれた意味、分かってる?」
「……迷惑をかけた」
「それもそうだけど……違う」
椅子から立ち上がった香織がマルスの元まで行って服の襟を掴みながら乱暴に降り始めたのだ。頭が勢いよく揺れるのはマルスもごめんだったのでそれなりの抵抗をしたが香織に効くはずもなかった。
「あなたは……! 全部自分で背追い込もうとしすぎなの! 少しは人を頼ることを覚えなさい!」
「そんなこと言われても……」
「そんなに私たちのことが信用できないの? そんなに怖いの? ねぇ、教えてよ!」
「それならもう俺はここにはいられなくなる。この先、お前達の命もなくなるぞ? いいのか?」
「そんなこと言って、一番それを怖がっているのはマルスじゃない。寝ている間も色々言っていたのに」
「待て、何を聞いた。何を言っていた」
香織はようやく襟を離してマルスを自由にした。香織も呼吸を落ち着かせて座り込み、先ほどの乱暴を謝った。
「エリーさんと何か深い関係があるのはわかったわ。それ以外は意味不明……。なんて言っているのか分からなかった」
「エリーニュス……いや、エリーとは確かに深い関係があるな。今まで隠していた」
「知り合いなの?」
「いや……生き別れた妹……といえばいいのかな」
「……もしかしてエリーさんを探してここまでやってきたの?」
「違う。……香織、よく聞いてくれ。今から大事な話をする。お前から聞いてほしい話だ」
「マルス?」
「俺とエリーニュスは人間じゃあない。かと言って亜人でもない。……研究所で俺が俺でなくなった時、覚えているな? 本当の俺はあれだ。今の俺は……偽物なんだ」
「ちょっとよく分からないんだけど。人間じゃないって……亜人でもないって……本当におかしくなっちゃったの?」
香織は信じようとしていない。それもそうだ。マルスはこの先を言おうか迷ったものだが少し思いとどまった。今いう必要があるかどうかだ。
「これだけは覚えておいてくれ。俺はここにいてはならない存在でもある。おかしな俺の力はお前がよく知っているはずだ。俺があまりにも世間知らずなところも、全部。香織、俺を……俺を信じてくれるかい?」
「……無理よ。分からないわ」
その言葉はマルスの心臓に深く刺さった。やはり分かり合えないものなのか。何かが吹っ切れたマルスは壁に立てかけてあった剣を手に取ってどこか慌てた様子の香織をジッと見た。
「ちょっと、どこに行くの?」
「こうすることが正しかった……か。一人で行ってくる。帰ってくることはない。さようなら、人間!」
鞘から剣を覗かせたマルスは灰を出現させて自分の周囲を覆い込んだ。咄嗟に魔装を手に取った香織だったがいつものように起動しない。慌てふためく香織を背に窓を開けたマルスは暗闇の中に身を隠していった。
灰が晴れたと思えばそこにマルスの姿はなく、魔装と戦闘服が綺麗さっぱり消えていた。マルスの心境がどこで変わってしまったのかは香織もハッキリ分かった。かと言ってあの言葉をかけて正解だとも思ってしまう。なによりもショックを受けたことは自分のことを人間と言われたことか。
「嘘……本気だったの?」
何か大変なことをしてしまったのかもしれない。そう思った香織は急いで階段を下っていく。ちょうど、外から帰ってきた悠人と蓮、そして柔美とバッタリ出くわした。
「おう、香織。いやー、最後道に迷っちゃって。柔美さんに送ってきてもらっちゃ……」
「ねぇ! マルス見てない? さっきまで外にいたんでしょ!?」
「ど、どうした。見てないぞ。マルス寝てるんじゃないのか?」
「マルスが……出ていっちゃった……」
「はぁ!?」
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