車両から降りて急いで街に向かう悠人達。街へと近づくにつれて鉄を擦り合わせたような血生臭い臭いが辺りに充満していることを知る。火事が起きているなど分かりやすい破壊の目印はなく、まだ爛々と明かりが付いているビルでいっぱいだった。ただ、不快な臭いと悲鳴だけが悠人の感覚を襲う。刀の鍔に手をかけながら悠人は周囲を見渡した。
「蓮、どう思う? マルス達は無事か……それと民間人の避難はできているのか……」
「今は嘘でもいいから出来ていると言って欲しかったな……。ここに民間人の気配はない。もう避難できたか、もう喰われたかのどっちかだ。だって……」
蓮が指さした先には道路標識に突き刺さった民間人の腕らしきものが見えた。ボタボタと血が垂れていたり、近くのドブに口から吐き出されたのかもしれないメガネやカバンがあったのだから。鳥型魔獣や一部の腐食性魔獣が好むとされる獲物の保存方法。木などの尖ったものに突き刺していい頃合いが来た頃に食べるという方法だ。ここら一帯はもう手遅れか……それとも一部の民間人が犠牲になったものと思われる。それに合わせて一帯を襲撃した魔獣がもうじきここにやってくることも悠人達は察していた。
「ご丁寧に保存食扱い……ヴ……オェ……」
「慎也……! しっかり!」
「ご、ごめん……」
いくら戦闘員を生業としていてもまだ幼い慎也には刺激的だったようだ。香織に背中を摩られながら吐き戻す様子を見て剣の柄を撫でながら不満気に鼻息を漏らす者が一人、沙耶だった。先ほどからこの沙耶と呼ばれた女、悠人達を興味深げに観察していたわけだか慎也に至っては呆れを通り越して哀れみすら感じていそうなほど冷めた目で見ているのだ。ため息までついていたのを慎也は聞き逃さなかった。
「すみません……」
「足手まといは嫌いですわ」
「おい、俺たちはお前なんかよりも確実に修羅を歩んでるんだ。お前如きに偉そうに言われる筋合いはねぇぞ」
特に返しもしないで沙耶が放った独り言に蓮が気分を悪くしたのか食ってかかるわけだがこんな時に喧嘩などをしても意味がないので悠人が間に入って止める羽目になった。どちらが悪いかなんて悠人は決して思わない。ただ、今は無用な喧嘩だけはやめたかったのだ。それは昔の新人殺しと思われたくない何かがあったのかもしれない。
「沙耶、それくらいにしておきなさい。私たちの役割はあくまでも補助よ」
「すみません、姉様」
人間的な感情がどこか欠如したような沙耶に慎也は気味の悪さを感じざるを得なかった。そのまま少しだけ移動して周囲に民間人が隠れていないかを散策するが誰もいなかった。段々血が見えなくなってきているので避難が済んでいるのだろう。そう考えるしかなかった。
「とりあえず、俺たちは研究所にいるはずのマルス達と合流するが吉だ。他の戦闘班は各々の区間を守りにバラけているはず……いや、その話は後にしよう」
聞き覚えのある音だった。空を切り裂くような音に合わせて飛んできたのは小石だった。が、その小石は突如としてそこにあったかのような動きで悠人達を襲う。いち早く気がついた悠人が夜叉を覗かせて空気を凍らせ、ある程度の壁を作ったために大惨事にならずに済む。もし悠人の対応が遅れていれば右半分の顔から足までが切り裂かれていたかもしれないのだ。悠人の視線の先には因縁とも言える存在が翼を羽ばたかせていたのだ。
「そのシケ面は忘れない。ベイル・ホルル」
「ほぉ、名を覚えておったか。それに我の弾を避けた……。見ない間に腕を上げたものだ」
下弦の月をバックに青白い朧月夜の空を駆けているのは空の勇者、ベイル・ホルルだった。マルスによって斬り落とされた左腕は緑と紫が混じったような石が埋め込まれた義手へと変わっていた。それ以外はあの時、エリスを極東支部に連れて行ったときの夜と何ら変わりがなかった。強いて言うなら前にまであった狂気さは消えており、シトシトと降り積もるかのような怨みの念を感じるようになっている。
「今宵は満月、全てが整う。風が吹けば全てが変わる……。これで帰るのだ」
「……この残状を作ったのはお前か」
「この都全体が、我らの魔獣の晩餐になったと言うわけだ。それだけのことよ」
「狂っていやがる……」
ベイルの足元の影が少し揺らめいたと思えば近くの鏡からヌッと姿を表したものが一人。ヒュンと細い尻尾を振りながら両手をパシパシと合わせ、せせら笑う亜人、ルルグだ。先ほどの会話を全て聞いていたのか面白可笑しい様子で悠人達と対峙している。
「君達が狂気を口にする? 笑わせるよ。僕らは何度も君らに裏切られてきた。もう疲れたんだよ。僕の一族だけじゃない、ベイルだってそうさ。僕ら亜人は君らのために働いた。それは対等な僕らに対する返還があったからさ。でも……その輪を勝手に壊した君らに狂気がどうのは言われたくない……。何を今さら」
蓮は一度、研究所でこのルルグと戦っている。隼人に対してあまりの空気感の違いを醸し出しながら対話をした様子を。今日はどこか他の亜人と同じような空気であるが彼が生み出す独特な空気に押されそうになっていた。フッとルルグの姿が消えたかと思うと悠人達の背後に姿を表している。ハッとして振り返ろうとしたが各々が戦うべき相手を面を合わせて対峙していた。相手はここから更に分断をするつもりだ。それは悠人も分かっているが人が少なすぎた。
「何年僕らは待ったことか……。さぁ、始めようか!」
ルルグがパチンと指を鳴らしたのとベイルの義手が淡く光ったのは同じだった。月をバックにしていたことにより浮かんでいたベイルの影が、空を撫でるように爪を滑らせたルルグからそれぞれ攻撃の合図が出されたのだ。ベイルの影が周囲を取り囲むように広がっていき、それは建物も例外ではなかったのだ。高層ビルに巨大な鳥の影が映る。その影の鳥がゆっくりと羽ばたいて蓮達の周りを旋回するのだ。
「ッチ! こけおどしかよ!」
蓮のナイフは影の鳥を貫くことはなかった。ビル群の間を影絵のように蠢きながら旋回している。青白い月が夜空で光っているはずなのに蓮達の周りだけは絵の具をぶちまけたかのように暗かった。影の鳥が嘴をゆっくりと開いたかと思えばその口から大量の鳥型魔獣が飛んでくるではないか。ギョッとした面持ちで蓮と悠人は背中合わせにぶつかり合う。
「訳がわかんねぇ……。オカルトすぎるだろ……!」
「あの耳のある亜人はどこに行った……? それと慎也に香織や木原班長達は!?」
暗闇の中では香織の魔装が精一杯の発光を出して明かりを作りながら襲撃をしてくる鳥型魔獣と戦っている。蓮の適合でもある軍隊鳥に似たような魔獣だった。おそらくそれの活性化個体であろう。足が異様に発達して掴みかかるように急降下してくるのだ。悠人達が近くにいることは香織も分かってはいたが今は目の前の敵の処理で精一杯だった。目の前に煌めく鳥の爪を大槌を突き出して防いだ後に振り上げるようにして鳥を墜落させた。墜落先には木原が靴の刃を出して待ち構えており、急所に突き刺して息の根を止めている。木原の手には小太刀のような刃物が出ており、それで相手と対処しているようであった。
「数が多すぎるわ……。あの亜人……エリスちゃんを連れ去った……。まさかここにもエリスちゃんが来るのかもしれない……」
「言ってる場合ではありません。戦線を死守しなくては。決して下がらないように」
鞘から片手剣を引き抜いている沙耶は香織に向き直りながら鳥の足を切り落とした。鋭い爪が降ってくるようで一旦香織も避ける。沙耶の剣からは蠢く触手のようなものが出現しており、死体に絡みつくようにして紅く染まっている。この周辺にはいないが高山地帯にあることに特化した魔獣がいるのを香織は聞いたことがあった。獲物自体も少なく、空気も薄い高山でなるべく動かずして確実に獲物を仕留めることに特化した魔獣だ。足は持たない、持つのは鰭のような粘液で覆われた皮膚のみ。が、己の牙は喉から一気に獲物に食らいつく。人それを口円錐と呼ぶ。狙われたら最後、高地の待ち伏せ狩人、その魔獣の名は、
「土葬蛭」
剣の鍔から生えてくるのは茶色の触手。六本ものの触手は獲物を切った瞬間に傷口にのめり込んで色を紅に染めていく。フーッと沙耶が息を吐いているのがわかった。その間に次の魔獣が襲ってくる訳だが沙耶は先程よりも素早く、そしてより強力な斬撃をお見舞いしたのだ。木原が薔薇なら沙耶は蛭の化身である。どっちも何かに寄生して生きながらえるもののみ。武士憑きの異名はそこから取られた。序列が低いのも彼女達を扱える人間が他にいないからであり、寄生型の魔獣による適合は一般的に見ると珍しい。彼らは本能と共に理性をも得た魔獣でもあるから。序列が低いのは班としての実績がないからだ。他の班に寄生して活動していると必然なことだ。
襲いかかる爪を剣で弾いたり切りながら沙耶は対応していた。その上では嘴に飛びかかるように跳ねて針を撃つ慎也がいる。身軽な体と鳥のワンパターンの攻撃を活かして隙を得た後に針を突き刺して毒を注入する。目が黄色に染まっていく鳥は泡を吹きながら墜落した。仲間同士では攻撃をしあうことはないらしく、慎也の戦法が今ハマっているようだ。
「香織ちゃん、沙耶さん、針は温存しないとだから出来るだけ僕は陽動をします。お願いだから、死なないで」
「言ってる慎也もね。優吾が悲しむわ」
「……頼みます」
頷いた慎也は袖から隠しナイフを突き出して鳥の注意を引いている。その間に沙耶と香織で鳥を一気に叩いていた。影の霧が薄くなってきて敵の数もまばらになってきたことで全員の希望も蘇ってくる。木原は悠人と蓮と共にベイルと対峙していた。香織達は暗闇の中で鳥達と戦っている。そして悠人達は元凶のベイルとだ。
「もう夜も更けているのに鳥型魔獣が意気揚々と空を飛んでいるのは違和感でしかない……。何か仕掛けているのかもな」
「それはわからない……。でもこれ以上は時間を稼げないぞ。マルス達もこんなことになっているのか……」
空には影を揺らめかせながら佇むベイルの姿があった。これでいい、ベイルの嘴はスッと開く。相手が強者でも軍隊の数で言えば亜人は勝っていた。まだまだ魔獣は背後に控えている。それに魔獣だけではない、あの試作だった奴らも配属しているのだ。ゆっくりと地面に降りながら爪を覗かせてベイルは悠人と向き直った。
「前に見た時よりも面が変わっているな。だが残念だ。俺から見ても何ら変わっていないところが一つ……、己の正義を疑わない心はそのままのようだな」
「人間が悪いとしても……関係ない人をここまで巻き込んでおいて何が正義だ。お前達のやり方は間違っている。それに……俺たちの祖先のやり方も……。殺すべきではないんだ」
「そうやって命乞いをした者を貴様らの種族は何人殺した? ハッ……半世紀以上もいうのが遅いわ」
極端な正義であることは悠人も正気だった。己の正気は亜人にとっての狂気、亜人にとっての狂気は人間が保障するとして一体誰が自分たちの正気を保障してくれるだろうか。悠人はそれには答えれなかった。ここで止めない限り犠牲を出し続ける筈だ。そうなれば自分の故郷も仲間の帰る場所も全て壊されるかもしれない。人間としての文化も何もかもが消え去るかもしれないのだ。遠い昔の亜人達も同じことを思っていたのだと思うと心苦しかった。
その時、ベイルの姿が音を立てながら揺らいだかと思えば今まで話に入ってこなかった木原の背後に姿を表したではないか。ハッとして木原が振り返ったのとベイルが爪を突きたてること、悠人が刀の鍔に手をかけたことは同じだった。それに合わせて、瞬間移動から出現したベイルの頬を1発の弾丸が擦っていくのも。ハッとして飛び上がったベイル目掛けて空間を震わせるほどの音を発しながら青白い光の球が飛んでくるではないか。ベイルは翼を傾けて自在に飛び、避けた。
「艦隊の主砲か?」
ベイルが目を凝らして見渡した先にいたのは援護の艦隊ではなかった。ベイルの先には光の反射で光る眼鏡とその眼から覗く青白い眼を見た。力強く、遠くからでも射殺すようなその眼は強い意志を感じさせる眼であった。
「まさか……あれだけの主砲を人間が撃ったとでもいうのか……?」
背後の鳥型魔獣達の相手をする香織達は必死に抵抗していた訳だが雨のようなポツポツと水滴が頬に当たる感触に違和感を感じ始める。雨雲などは出ていない。空は少し曇ってはいるが月も覗く空である。雨は上から降っているのではなかった。血溜まりが雫となったポツポツと空に上がっていく様子だったのだ。その雫の先にいる人物を見て香織は顔を明るくする。ずっと会いたかった人だった。香織が研究所に行った時はまだ目覚めていなかった同性の仲間、サーシャである。
「お待たせ、香織ちゃん」
拳をギュッと握りしめて突き出すようにすると雫となった血が一気に集まっていき、尋常じゃないほどの圧力をかけられて飛んでいき、縦一列にいた鳥型魔獣の腹を貫いていった。血で出来た水溜りを両手に吸い込むように集めて発射する水の弾丸は中々の威力である。サーシャの太ももから腕にかけてが淡い青色に輝いていた。その隣には腕に巻きついた電子のマップを仕舞い込んで元のバットの形にしながら汗を拭うパイセンの姿があったのだ。
「間に合ってよかった……。サーシャ、相変わらず無理しすぎだ。あと趣味も悪い」
「水源は血しかなかったからいいでしょ? 全く」
なけなしの鳥が最後の力を振り絞って慎也に襲いかかるがベイルに射撃をしてから加速で一気に疾走した優吾が頭を蹴ることでトドメを刺していった。慎也がハッとした頃には魔獣の頭を踏みながら弾の入れ替えをする優吾が肩越しに振り向いていた。
「いっぱい……倒してくれてたんだな。慎也」
「優吾さん……!! はい!!」
「いい子だ」
戸惑いながらも拾って置いた石を瞬間移動で写し、攻撃をしようとしたベイルだが飛んでいく石を悠人達の前に出現した緑色の結界に、香織達の前に展開された赤黒い刃の衛星によって阻止される。もう破れかけてボロボロになった安藤のお札を大事にジャケットにしまいながら香織に振り返ったのはマルスだった。珍しい笑顔を向けながら振り返ったマルスに香織は飛びつきたい衝動に駆られたがグッと堪える。
「やっぱりお前は無理をする。無事でよかった。心配をかけたな」
「マルス……!」
「おーいおい! 俺も忘れんなよ! 俺の結界がなけりゃお前らパーだったぜ」
「なぁに言ってんだか、童貞野郎。生きてやがったか……」
「へへっ、蓮。久しぶり」
これで全員が揃ったまず第一の目標は達成である。これで思う存分戦えることを察した悠人は通信機を起動してレイシェルに通信を入れるのであった。
「新人殺し、全員集合……!」
沙耶
適合:土葬蛭
使用武器種:片手剣
性能:鍔から六本の触手を出現させて血を啜る。吸血した量によって身体強化の補正が変わり、時には上位魔獣にも匹敵するほどの動きを見せるほど
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