ボロボロな蛍光灯が弱々しく灯るシェルター内は珍しく大きな声が響き渡っていた。声が聞こえるのはいつも亜人がいる集合部屋である。ベラベラと垂れ流すかのように話す1人の亜人の声にウンザリしたのか、虎柄の髪をワシャワシャと掻いてルルグが声を上げる。
「なぁ〜、それ何回目だよケラム? もう何百回と聞いたよ?」
「え……そうですたか?」
「あぁ……、もういいよ。そこからご主人様に助けてもらって強力な能力を得てここにいる。ほら、覚えてるじゃないか」
「へぇ……、すんませんね。ルルグの旦那」
ルルグの向かいの椅子に座る亜人、ケラム・シェイパーは長い口吻をフルルと鳴らした。蜥蜴人族特有の青緑色の鱗、鋭い牙が覗く長い口吻、ナイフのような爪、菱形のような形をした爛々と赤色に輝く目を見せて申し訳なさそうにする。人型トカゲの見た目をしたリザードマンの生き残りであった。
「どうやらあっしは物事を覚えることが苦手なようなんでさぁ。なるべくボロは出さんようにしますので勘弁してくれや」
「ハイハイ」
ルルグはいつまで聴いても慣れないケラムの癖言葉にウンザリしつつもしっかりと返事をする。さっき聞かされていたのはケラムの過去。湿地帯に住居を構えて農地の開拓を行っていたリザードマンの故郷が人間によって滅ぼされたという亜人にとってはベタな過去話だった。人間のエゴで家族を、友人を殺された亜人しか分かり合えない思い出。そんなことを話していると「まいった……」と声を漏らしながら集合部屋に入ってくる人物が……。
「おー、ビャクヤぁ。狐はどうだった?」
「それが……我も予想外の事態へ陥った」
集合部屋に入ってきた狐色の髪をした亜人、ビャクヤは椅子に座ってこの前の説明をする。1匹の狐がビャクヤに報告を入れたのが発端である。戦闘員の人間2人が街へ向かう、この報告を聞いた時ビャクヤは街の付近まで狐を尾行させたところ大型施設に入っていくのが見えたという結果を知りある計画を企てたのだ。
自分の部下である魔獣にはある細工が施されている。それはこの前新たな仲間として迎え入れたエリスという少女の種である。本来は大人しすぎて使い物にならなかったこの狐をエリスの種で戦闘力を強化し、ビャクヤの言うことに忠実な魔獣へとご主人様が改造してくれていたのだ。その二人の戦闘員がどんな戦闘員かは知らないが改造された狐の強さを知るのにはちょうどいいと思い、大型施設に狐を出兵させた。
本来なら光に溶け込んで姿を隠す狐の奇襲で人間たちを混乱に招き入れてそのうちに自分が施設へ侵入して殲滅する予定だったのだがここでまさかの事態が発生。なんと狐が密集を始めて一体の巨大な狐へと大変身。これはビャクヤの想定外の強化であった。このせいで自分が出る意味が完全になくなってしまい、ビャクヤはこっそりとシェルターに戻っていったのだ。
そのことを一通り聞いたルルグは「えぇ〜……」と少し驚きと呆れを含んだ声を漏らす。
「ご主人様とエリスちゃんの計画は無事進行してるってことだけど予想外の強化か……。そういえば、この前に種を埋め込んで進化させようとした空撃大猿も暴走して手に負えなくなったからご主人様が森に逃したっけ?」
「そうであるな。計画は無事進行している。それと素の狐の強さがわかったので我はそれで良い」
「でもよぉ〜、施設に送った狐は全滅だろ?」
「在庫はまだある。我は1匹だけ残っていればそれでいい。故に施設に送ったことへの後悔はない。ただ、我の想像を超えることが起きて混乱してるだけだ」
ビャクヤの話を聞いて今まで黙っていたケラムが「へぇ……」と声を漏らす。こう見えて野心家で勘は鋭いケラムは考える時にこう言った声を漏らすのだ。それに気がついたビャクヤがスッと椅子から立ち上がった。
「それを見込んでケラム殿。話がある、少し付き合ってもらってもよいか?」
「へぇ……あっしに協力できることならなんでも」
ケラムはゆっくりと椅子から立ち上がって前屈姿勢で二足で立っている。リザードマンの体の構造上、この立ち方か四足歩行が一番安定する姿勢なんだそう。ビャクヤとケラムは共に部屋を出て行った。その場に残されたのはルルグ一人である。
「やれやれ……ビャクヤもケラムも攻め込む気だな? あぁ……僕はいつ人間のところに行けばいいかなぁ?」
ビャクヤの言葉でこれから何をするのか全てを察したルルグは二人の計画が成功するのを祈りながら机の上に置かれたリンゴを乱暴にかじった。甘い果汁が口に広がりモシャモシャとリンゴを噛みながら考える。現在、最初に攻め込んだベイルは義手になれるためにひたすら鍛錬を積んでる状態。この前手合わせをしたら面白い攻撃をするようになっており、自分もそろそろ体を動かさないとなぁと考えているとトコトコと集合部屋に誰かが入ってきた。
とても小さな身長で少し黄ばんだ白色ワンピースを着ている黄緑色の髪をロングに流した少女、エリスだった。エリスは今日の実験が終わったばかりなのか、とても疲れ切った表情である。
「おじちゃん、お水……」
エリスは床に座り込んでルルグからポリタンクに入った水を受け取った。タンクの蛇口を捻ってジュルジュルと音を立てて凄い勢いで水を飲んでいく。トレントとは聞いてたけどこんなチビでポリタンク一個分の水を飲むのだからルルグも驚きである。一通りの水を飲み終わったエリスはヒヨコ電灯をつけてその光を体に当てる。本来なら日の光を受ける日光浴がエリスには必要なのだがこんなご時世、トレントが外で日光浴なんかできないのでシェルターの倉庫で見つけたヒヨコ電灯で我慢してる状態だった。
しばらく、ルルグはリンゴを食べてエリスは電灯を体に当てる時間が続く。ルルグがちょうどリンゴを食べ終わった時にエリスは辿々しく口を開く。
「あの、おじちゃん……」
「なんだい?」
「今日も……魔獣さんが死んじゃった」
「仕方ないよ」
「何にも悪いことしてない魔獣さんを……エリスが殺しちゃった……」
「仕方ないって、彼らには復讐するための矛になってもらわないと」
淡々と反論するルルグにエリスはビクッと肩を強張らせながら会話を続けようとする。エリスはこの亜人の空間に来てからずっと思っていたあることをゆっくりと声に出した。
「エリスね……思うんだけど……」
「うん」
「人間さんすべてが悪い人じゃないんじゃないかな? って……。ほら、人間のお姉ちゃんはエリスに焼き鳥を買ってくれたんだよ? だから……全ての人間を殺すなんてことはエリスには……」
「エリスちゃん……」
その瞬間、ドガン!! というエリスにとっては大きな音が集合部屋に響き渡った。エリスは「ひぐぅ!」と声を漏らして頭を小さな両手で押さえてその場に蹲る。おもむろに立ち上がったルルグがエリスが座り込む壁に対して思いっきり足を蹴り込んだ音だった。エリスの顔のスレスレのところにルルグの足がある。ルルグは愚かなことを言ったこの少女が怯えて涙を流す姿を見てニタァッと笑う。
「人間と仲良くしたいの? 君の親は人間に殺されたんだよ? 火が弱いのに焚き火の中に放り込んで苦しみながら死んでいく様子を見て笑ってたんだよ?」
ルルグはグリグリと足を捻るようにしてエリスの顔へと徐々に近づけていく。エリスの綺麗な髪をルルグの足が踏みつけている状態となった。エリスは視線の先で不気味に笑うルルグに対しての恐怖が止まらなかった。
「でも……エリスは……」
「人間は君の親を殺した」
「あのお姉ちゃんは……」
「君も殺されてたよ?」
「でもエリスの味方だって……」
「味方? 誰だよ、そんなこと言ったの」
エリスの最後の言葉を聞いたルルグは急に腹を抑えて笑い始めた。甲高い声を漏らして腹を抑えながら笑うルルグを見てエリスは恐怖心がさらに強くなりとうとう泣き出してしまう。
「あらあら、泣いちゃって。だからチビは嫌いなんだ。いつの時代も口だけは達者なもんだよ。僕らは君みたいにぬるま湯に浸かって育ったんじゃあない。お星様になるべき存在はそこらにいる」
口角を上げて目も吊り上げながら声を上げて笑うルルグはエリスに顔を近づけて「ね、わかるよね?」という言葉を繰り返す。エリスはルルグに完全に負けてうなづいた。ルルグは足をパッと離してエリスを自由にする。
「いい? 君のお母さんや君の友達のような亜人じゃあダメなんだ。君じゃないとご主人様を喜ばせることができないんだ。それだけは忘れないでね。じゃ、お話はここでおしまい」
ルルグはビクビクとしているエリスの服の襟を掴んで集合部屋からほっぽりだした。ドサッと暗い廊下に投げ出されたエリスはポロポロと涙を流す。どうしてこんなことしてまでご主人様のために身を滅ぼさないといけないのか……そう思っていると自分の目の前にご主人様が現れた。
エリスは何か文句を言ってやろうと思ってご主人様の顔を見る。そして声をあげようとしたところでご主人様の目が緑色に輝くのが見えた。その瞬間、エリスの心に埋まっていた余計な感情、怒りや憎しみが嘘のように消えてエリスはその場に茫然と突っ立っている状態となる。
「なにかあったのか? エリス」
白々しく用事を聞くご主人様。しかし、エリスは何事もなかったかのように立ち上がってご主人様に深々と礼をした。
「なにもありません。ご主人様」
礼をしたエリスの目は緑色に輝いてるのを見てご主人様は「よろしい」とだけ言い残してその場から消える。そしてエリスも緑色になった目を輝かせながら自分の部屋に戻っていくのだった。
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