周囲のガスが混ざり合い、だんだん濃くなってきたのか黄色に染まってきている。いくつもの路地裏が集まって出来上がったこのアジ・ダハーカの巣の中、マルスは敵の攻撃を予想していた。
吐いてきたブレスは腐食液と毒ガス、それに全身から放たれる硫黄ガスだ。剣の柄を撫でながらマルスはタイミングを待った。アジ・ダハーカは長い首をもたげて頭を捻るようにしながらマルス達の動きを観察している。
「ここで怖気付いていると相手も本気で殺しにくるな……。ラッセル……」
「分かっている。無駄にはしない」
亜人との襲撃でルイスは大事な人を失った。あの演習が終わった時、稲田班の屋敷でルイスは悔しがりながらもどこか懐かしいものを見るような稲田の表情が忘れられなかったのだ。今までその顔のわけを知らなかったものだがこうやって一緒に戦ってみると分かる何かがある。
必死に頭を回すマルスの横から肩を少し叩いてルイスは先行した。左の首へと駆け足で向かう。大きな弧を描くように大回りで移動するルイスにお目当ての左の首が鎌首をもたげて反応する。走るルイス目掛けてブレスを発射。それをどこかワルツのようなステップで避けたルイス。彼の足元には泡が立って地面が溶けており、これで全ての謎が解明された。
「酸性……。そういえば大事なことを忘れていたな」
「これでみんなの街を……」
マルスの剣が紅く輝き、香織の大槌が琥珀色の線を浮かべて光を上げる。左側から突撃するマルスと香織。同じ速度で進む彼らを見たアジ・ダハーカは迎撃のために残りの首を振るいながら交差させ、頑強な壁を作った。滅多なことでは開かない壁であるが瞳孔が開き、琥珀のような輝きを見せる目を向けた香織の敵ではなかった。
「行くよ、巨獣!!」
香織の掛け声に合わせて身体強化は発動し、香織の全身に発生した亀裂のような輝きが一斉に唸りを上げる。横から平行に振り回された大槌によって砕くように首を弾いた香織に目伏せをしながら突撃するマルス。残りの首を誘導しているルイスもマルスに頷きながら安否を伝え、抜群のタイミングで踏み込んだマルスは勢いよく腹部を斬り裂きにかかった。
が……、マルスの想像以上にアジ・ダハーカの鱗は硬くなっており、他より明らかに頑丈であった。刃こぼれはなかったが手応えが一切なく、金切声のような音を上げた剣を引いてマルスは撤退を余儀なくされる。
「一旦下がれ!!」
マルスの声を聞いたルイスは口を開けて襲いかかる首の中にレイピアを差し込み、そのまま爆散させるように粉々に破壊した。その勢いで後方に移動してマルス達と合流する。
「大丈夫かい?」
「もう鱗も通らなくなってるわ……」
「あぁ、怪我はない。ラッセルが引きつけた時に少し思ってたんだが……相手はなんらかの理由で同時に別々のブレスを吹くことが出来なさそうだな」
ずっと疑問に思っていた。ブレスを吐くパターンと何故、一気にブレスを吐いて牽制するようなことをしないのかという純粋な疑問。完全には分かったわけではないが相手は一斉にブレスを吐くことができないと断定すると……色々と繋がる節はあるのだ。
「一斉に吐けないのなら、最初に接近した相手の一番近い首からブレスを吐くということになる。ラッセルを左へ寄せた時に左の首が率先してブレスを吐いた」
「ここでマルス君達にもブレスを吐かずに首を交差させたってことはそういうことになるね」
「あぁ、それでいい。いいか、アイツとて魔獣だ。核を壊せば撃破できる。そして、一番硬かった腹部が怪しいな」
ここでマルスはある作戦を提案する。一番近い相手に首が相手するなら、全員射程距離ギリギリに三方向から攻撃すれば牽制はできるはず。最初に撃破すべきは腐食液の首ということになった。直撃しても死亡率は低く、すでに一度見切っているからである。
「なら、そこは私が相手をしよう」
「……できるな?」
危険な役目だけをさせるのもマルスは億劫になっていたがルイスは構わないと大きく頷き、その後に表情を緩めてマルスを真っ直ぐと見据えた。
「君には恩があるんだ。稲田班長のために危険を冒して戦ってくれた。今度は私の番さ」
こんなところで動かされる何かがあるとは思わなかったマルスは頭を軽く下げて謝辞をした後に香織に向き直った。彼女も決して逃げないとでもいうような強い目をしてマルスを見る。初めて見た時よりも逞しい。
「香織、腹部の鱗はお前にしか壊すことができない。真っ正面から突っ込むことになるが……、それにこの作戦でいくとアジ・ダハーカの攻撃を誰もカバーすることができない」
「気にしないよ。私が鱗を破壊して、そのあとはマルスがトドメを刺すってことだよね?」
「そう、それでいい。……いい子だ」
あの時の涙は無駄ではなかったかもしれない。これが信頼だ。人間としての強さだ。まだ未来は明るくなる希望があるのかもしれない。その可能性を守ると決めて日が経ったがマルスの心がこうも落ち着いていられるのも人間達にある種の希望を見出していたからこそであった。
アジ・ダハーカの首が割れるように蠢き中から体液を垂らしながら立派な龍の首を出して咆哮を上げる。ちょうど再生が終わったようだ。マルスを中心に三人は龍と向き合った。もう一度、マルスの剣が紅く、香織の大槌が琥珀色に、そしてルイスのレイピアが金色に輝いて臨戦態勢に入った。
「出るぞ」
「えぇ!」
「あぁ、任された!」
それぞれが役目を全うするために動き出す。先ほどよりも小さな弧で接近したルイスはレイピアを掲げて狙いを定めた。左の首がブレスを発射したことをマルスと香織は確認して作戦通りであることにホッと息をつけるがブレスの矛先はルイスではなかったのだ。その向き先はアジ・ダハーカの残された首であった。
「自滅!?」
「いや、まさか!? こっちの動きを逆手に取ったのか!?」
腐食液によって切り落とされたアジ・ダハーカの二つの首は一斉に硫黄ガスを発射して再生を始める。まさか相手には知性があるというのか、完全にマルスの作戦の裏をかかれたことに畏怖のような何かを感じた。圧倒する何か、マルスの背中が寒くなる。やはりただの魔獣ではない。これは……どこかで見た記憶のある魔獣だ。
「古代の魔獣か……? ハッ、香織!!」
マルスよりも先に突撃していた香織は腹部の近くまできている状態であり、もう撤退できないほどに接近しきっていたのだ。マルスの作戦を信じてくれていたが故に……。全身の穴という穴から汗を吹き出したマルスは持っている鎌をいつもの剣状にして勢いよく伸ばした。腹部に刺さった剣をまた一気に短くすることで柄を掴んでいたマルスも一気に腹部に近づける。腹部に向かって走っていた香織の腕を力強く掴み、安全な場所へと放り投げた。
「マルス!?」
「お前は下がれ!! それと……ごめんな」
止めどなく溢れる硫黄ガスの中でマルスの意識は徐々に遠ざかっていった……。
ハッとしてマルスが目を覚ました頃には見覚えのある謎の空間が広がっていた。砂嵐のような音、いくつものカーテンがかかったようなモヤの空間。そして……、
「戦ノ神……!」
『汝も仕方のないことだ。自己犠牲を容易く行うでない』
目の前にいたのはあの魔石に眠っているはずだった神である魔石のマルスだった。魔石もとい、戦ノ神の表情は心底ウンザリとしており、鎧が擦れてギシギシと音を立てる。そのまま一歩二歩とマルスに近づいて「それより……」と口を開けた。
『変わらず、余は汝の動きを目にしていた。率直に聞こう。汝はどうしたい? 神であるか、人間になるのか?』
どっちとも付かずはマルスは嫌だった。むしろそのことで今は葛藤を続けているのだから当然だ。マルスはさっきの会話を思い出す、みんな自分を信じてくれていた。そう、信じてくれていた。そこに人間だろうが神だろうがと言えば簡単であろうがそんなわけにはいかないのは知っている。俯いたマルスの唇から血が滴った。
神であるとマルスの中にはある心残りができるが今の彼らにならなんら問題もないような気がした。あるならあるでマルスの覚悟次第なのだ。神であるならば神としての生き様を貫く。人間なら人間を、簡単なことだった。ただ、選ぶとなると難しい。
「戦ノ神、この戦争を終わらせる。終わらせるためなら……なんだって構わない」
『……神であるとしても?』
「あぁ……! 俺が守りたいのは可能性だ。俺がどうなろうと、失ってはいけないものなんだ」
マルスの答えに戦ノ神は少し考えるような素振りを見せた後に向き直った。思えばこれほど真剣にこの相手と話したことはなかった。
『心得た。今死なれてはお互いに困る』
戦ノ神がマルスの頭に手をかざす。そのままマルスの意識は途絶えてしまった。
「あれ……なんなの?」
マルスに掴まれたと思った瞬間、香織は後方の出発点辺りに着地した。目の前に発生しているガスや近づいてきたルイスを見て全てを察した香織は急いで向かおうとしたが異変を感じて止まってしまう。
今まで首の再生を続けていたアジ・ダハーカだったが突然、再生をやめて苦しみ始めたのだ。鱗の隙間から更に硫黄ガスを吹き出して苦しむ様は異様だった。ルイスも異変を感じたようで静かに見守っている。吹き荒れる硫黄ガスの狭間、ジッとたつマルスを発見した香織は喜んで声を上げようとしたがアッと息を飲むように止めてしまう。
「まただ……まただわ……」
「え?」
「一体……誰なの?」
香織が見る先にいたのはあのしわがれた霞が見えるマルスとよく似た何かであった。ちょうど研究所で見たマルスと同じである。香織から見れば別人も同じ、そのマルスは腹部から何かを囁いて剣を地面に差し込むような動きをする。
次の瞬間、剣から発生した赤黒い灰が硫黄ガスを吹き払うように発生してマルスの体に纏われていくではないか。小さな灰が凄まじい速度でマルスの体にまとわりつき、赤黒い鎧を生成する。黒いマントを背中に広げるその姿は今までに見たことがなかったマルスの姿であった。
苦しみながらもマルスに刃向かおうとするアジ・ダハーカであったが剣を振り上げるマルスの方が早かった。振り上げたマルスの剣は赤黒い光で覆われてアジ・ダハーカを最も簡単に一刀両断をする。その場から動かずに光が伸びる形で切り裂かれたアジ・ダハーカは核も綺麗に破壊され、そのまま風に吹き払われて粉として消えていった。
「なんだ……、なんなんだ……」
「マ……マルス……?」
唖然とするルイスに恐る恐ると声をかける香織。振り返ったマルスは兜が邪魔で顔が良く見えなかった。
「汝がその人間か。綺麗な目をしている」
「え……?」
「力を使いすぎた。もう時間切れだ、あとは任せる」
声色や口調も全てマルスと違うが香織は聞き覚えがあった。そう、これも全て研究所で見たマルスと同じである。ということは……、香織の考えを邪魔するかのようにマルスの鎧は消え去り、いつものマルスが姿を表したのだ。そのまま倒れたマルスに駆け寄って抱くようにして起こす。
マルスの頬には枯れたような涙の跡があった。
実りの季節が来るまでに幾つもの危機を迎えることとなる。凶作か、豊作か、それら全てを委ねるは貴方ではない。実りの季節を運ぶは春の存在。困難を耐えれば貴方の畑に春が来よう
読み人知らず “畑の勇姿”
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