時は少しだけ遡る。
鳥の亜人、ベイルの急襲から数週間がたった戦闘員事務局。どこか雰囲気そのものが暗いものへとなっており、活気というものが少しなくなったような気がしていたのだ。魔獣の活性化の要因、亜人の生存、それらを確認したのだから無理もないことだが一番重要だと思われていたのが大切な情報源、エリスが敵の手に渡ってしまったこと。
全戦闘員が心の内の思いを押し殺しながら日々を送っている。もし、逃してしまったら一見しょうもないことでも戦闘員の情報を掴まれているかもしれない。それが影響でもっと凄まじい方法で攻め込んで来るかもしれない。それは居住区の自分の部屋でテレビを眺めているマルスも一緒であった。
人間が作ったこの変わった情報発信源をボォッと眺めている。テレビに流れるニュースの内容はどれもマルスからしたら面白いものではない。上層部の人間の綺麗事を聞いていても面白いわけがないし、天界の神をどこか思い出すような容貌や言動をとっているのでマルスは舌打ちしてテレビを消した。
プッツンと音が鳴って消えたテレビにマルスの影が映る。どこか気難しい顔をする自分と対面して舌打ち。時計が10時を指したのを見てマルスは剣を背中にかけた。10時が新人殺しの集合時間、彼は少し急ぎ目で班の集合部屋に向かって行った。
ドアをガチャリと開けると班員はすでに集まっている。マルスは自分の指定の席に座った。全員の顔を見るが皆暗い表情、あの襲撃にあってから任務に集中することができておらず、最近は辺境調査しか受けていなかった。
マルスはあの亜人、ベイルの言葉を思い出す。
「やっとだ……やっと復讐できるんだ……」
あの時のベイルの目は正直言って正常な目ではなかった。奢り高ぶった人間が生んだ悲劇に飲み込まれて大切な何かを失った目、言葉の通りドス黒い感情。日が経つにつれて悠人達の心にもなんらかの思うところがあったのだ。
「今日は……任務はないよ」
俯きながら白紙の書類を出す悠人。亜人と直接戦闘をしたのはこの班だけ、他の班は街へ行ってあの毒怪鳥を屠っていた。それなのに任務なし。
「また、何か言われたのか?」
隼人が悠人に聞くと彼は小さく頷いた。他の班からしたらこの班は若造だけが集まったチョロい班と言った印象らしい。それなりに陰口を叩かれることも多かったそうだが全員無視で貫いていた。だが今回は違う、
「どうして……辛い立場の俺達には労いの言葉一つないんだよ……」
そう、給与も労いの言葉もなかった。毒怪鳥を屠った他の班はそれなりの臨時収入を貰えたのに亜人と戦い心に傷を負った自分達には何にもなかった。むしろ、大事な情報源を失った出来損ないのレッテルを貼られたのだ。
「あの時は俺も幼稚な反応をしたけど……、あんな敵なんかと戦えねぇよ……」
握り拳をギュッと握って歯を食いしばる悠人に全員が考えさせられる表情をする。
「まぁ、ここは極端な結果主義だからな。俺達の方が学ぶことが多かったって思ったら少しはいいんじゃね?」
「グスタフさんや田村さんは俺達のこと褒めてくれたし。悠人、気にすんな」
蓮と隼人が悠人にフォローを入れたが依然として俯いたような仕草を見せる悠人。マルスはここまでションボリとした悠人を見るのは初めてだった。いつもは変に強がっているのに今回だけは違う。あの時にかける言葉を間違えていたか? マルスは少しだけ心配になる。ここの班員は普通じゃない理由で戦闘員になっている者達ばかりだ。いずれは悠人の闇も知ることになるんだろうか。
「連絡事項は後一つあるんだが……、香織がいない」
悠人は蓮と隼人の言葉に押されて割り切った表情をする。こういう切り替えの早さは一流だな、マルスは感心した。そして、この部屋にいない一人の班員、香織の名が上がる。
香織のダメージは特に深く、最近は体調を崩しそうになることから相当なストレスが溜まっていると見えた。そのせいか、武器も手に取らなくなり、任務を休みがちになっていたのだ。武器の能力を見るに今、手にとってしまうと大変なことになりかねないと本人は言っているそうだが本当のところ、動く気になれないそう。
そのことを知っている悠人は困った表情で腕を組んだ。
「香織がいないと連絡ができないんだが……」
「呼びに行こう」
マルスは席をガタッと立つ。全員の視線がマルスにささる。悠人は少しだけ考えた後に、
「勝手にしろよ」
と顎をシャクって指図した。マルスは特に反応することなく集合部屋を後にした。
彼女は一人の亜人の少女と絆を紡ごうとした。それも叶わぬ夢となったがあの襲撃以降、ずっと自分を責めていた。亜人の想いと自分の行いを天秤にかけているはずだ。それじゃあ自分が一番話に乗れるだろうと思ったからである。それと、あの買い物の時もあり香織となら話せるかもという根拠のない自信があった。
香織の部屋のドアをノックする。勿論、反応はない。どうしようかと思うとマルスは背中にかけてある剣を見て「そうだ」と声を上げる。
「黒戦剣」
剣を抜いて魔装を起動させる。そして、剣の先端を鍵穴に少しだけ差し込んで形を変形させていった。合鍵の複製に成功。剣の先端が精密な鍵の形をとっているのを見て本当に都合のいい武器だと感心する。
「香織ー、入るぞー」
鍵が刺さったのを見てマルスは声を開けながらドアをちょっとだけ開いた。その瞬間、ドアにガッと手が阻まれて「ウワッ!?」と声を漏らす。
「勝手に鍵開けるってどういうこと?」
「集合時間に遅れるってどういうことだよ?」
少し不機嫌な顔でドアから姿を現した香織。マルスは「お前がノックに応じないからだよ」と内心でツッコムが香織の顔を見て……、
「ダメか?」
「ダメでしょ!」
ダメだったらしい。マルスの脳内に、「合鍵は勝手に作らない」と新たなメモが開設される。ハァ〜……、とため息をする香織はマルスを部屋に入れる。
「部屋に入らなくてもいいだろ?」
「また、悪いんだけどさ。話にのってよ」
「あぁ……」
マルスは香織の部屋に入る。さすがは香織、と言った装飾が施された落ち着くアンティーク部屋だった。焦茶色のような木で作られた家具が白い壁とマッチしている。今の香織にはアンティーク風の落ち着きは得れない装飾であることには変わりないが。
「夜は眠れてるか?」
「最近はね」
香織の服装を見るにまだ寝巻きだ。半袖シャツにショートパンツ。サーシャの足のように引き締まってはないがほっそりとした色白な足。サーシャのハリのある足ではなくどこかフニフニしてそうな生足をチラリとだけ見てマルスは目を逸らす。
「心配してた?」
「お前のダメージが一番大きいと思ってな」
香織が椅子を差し出してきたのでマルスは座る。香織はベッドに座った。
「マルスは私に『強くなれ』って言ったけど……正直言ってよく分からなくて。強くなってエリスちゃんに謝りたい。けど……強くなって謝れるんだろうか? って思うと」
「なるほどな」
ある程度は予想が当たっていた。エリスを失ってしまった責任で自分を責めている。それと強くなるとは決めたが具体的にどうするかは分かってない。
「お前は亜人の痛みを知った人間だろ?」
「う、まぁね」
「他の班員は街に溢れた毒怪鳥を適当に屠っていたら臨時収入を貰えて、エリスを失った俺達を貶しているらしい。そいつらと比べたらどっちの方がいい?」
「うーん……、何とも言えないや」
「俺は……亜人の痛みを知れて良かったと思う。戦う理由もできた。復讐の精神に染まった亜人と立ち向かえるのは痛みを知った俺たちだけだ。そうだろう?」
香織は頷く。そして伸ばしていた姿勢を三角座りのように縮こませ膝で顔を隠して涙を流す。マルスはその光景を見て「隠す必要なんかないんだが……」と反応に困ってしまった。
「可哀想なのよ……、生まれてきてもいいからこの世に産まれたのに……。親を殺されたり、友達を殺された亜人が……」
「じゃあ自分の命はどうでもいいのか?」
「……いや……」
「お前が死ねば同じように悲しむ人が増えるだけだぞ。こんな環境じゃあ特に」
「そうだけど……」
「自分を責めるのはやめろ、お前のためにも、そして東島達のためにも。何かあれば……俺に言えよ……。話を聞くだけならいくらでものってやる」
どうして自分がこんなことを言ってしまったかは分からなかったがマルスは香織を必死に説得していた。意識は「コイツは人間だ。苦しませろ」と冷たい言葉をかけるのに無意識がマルスを動かしていく。これをした方がいいかもしれないという気持ちにさせる。香織はそんな必死に自分を説得しようとするマルスにデコピンを決めた。マルスは「イヅッ!?」と額を抑える。
「女の子の部屋に勝手に入ろうとした罰。それと寝巻き姿を公開したからその分も」
「寝巻きは関係ないだろ?」
「いいの、早く出てって。着替えないと」
マルスは流石に女性の着替えシーンは見てはいけないと部屋をそそくさに出る。一応……説得はできたのか? マルスはガチャンと扉を閉めた後に考えた。
「相変わらず強いのか何なのか分からないな……」
部屋の中の香織は香織でデコピンをした指をジッと眺めていた。そしてフフッと微笑む。
「そういうところが好きなんだけどね」
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