Not Found、マルスは書類に書かれた文字を見ていた。これは英語、日本語に略すと……「見つかりません」。ん……? 適合魔獣が見つからなかった? マルスは戸惑うに戸惑ってレイシェルに尋ねる。
「おい、適合魔獣は誰でもあるんじゃあないのか?」
「こんな事態は私も初めてだ……。信じられないかもしれないがお前は適合がゼロ。こんなハズレくじをお前が引くなんて……」
それは俺が言いたい、マルスは真先にそのセリフが思い浮かんだ。しかし、あの裁判以来マルスは空気感に敏感になりすぎていたので今は黙っておいた方がいいという判断になる。
「レイシェル様、マルス君はどうするのですか?」
「悪いことは言わないから帰れ、と言いたいのだがそうもいかないな」
「な……! 魔装がないのに魔獣の巣に放り込むというのですか!」
「落ち着け、これを見ろ」
レイシェルは先ほどのマルスの全問正解の記述試験の解答を佐藤に見せる。佐藤は冷や汗を垂らしながら「こ、これは……」とたじろいでいた。答案の出来に対してではなく、あまりにアンバランスなマルスに向けての驚愕である。
「こいつは、実績はないが数多くの戦略が頭脳に蓄積されている。それに潜在能力も今までで一番高かった。今は適合生物がなくても、後で見つかるかもしれない」
「そ、そうでありますか。ためしがあまりないことなので何とも言えませんが現段階は保留ということですか?」
「その通りだ、私は班の編成について決めないといけない。少しの間、マルスの相手をしていてくれ」
レイシェルは足早にその場を去った。
〜ーーーーーーー〜
「大変な事になったねぇ」
呑気な表情で佐藤は話しかけてきた。その一方でマルスはここまできて恵まれていない境遇である事に恨みを隠せないでいる。あの時のレイシェルの顔、書類を投げつけられた時は正直言って泣きそうになったほどだ。これじゃあ神の時と変わらないじゃあないか! 捨てられると思ったがレイシェルはそんな自分でもどうにかして活動できる場はないか、と思考を張り巡らせてくれた。
「きつく言われちゃったようだけど、ああ見えてレイシェル様は優しいんだよ」
「そうなのか?」
頷く佐藤。
「ああやってきつい態度をとってしまうのも君に死なれたくないからさ。この戦闘員の世界では死とは隣り合わせの存在さ、いつ死んでもおかしくないし文句も言えない」
あの八つ目の獅子との戦いも運が良かっただけだ。用心してボウトラップを準備していなければあそこで自分は食われて死んで世界のバランスはさらに崩れていただろう。戦闘員の中だけの話ではなかった。
「それはそうだが……、死ぬことを前提にお前はここに入ったのではないのか?」
マルスが質問すると佐藤は苦笑いをしながら書類の束を紐で閉じた。
「そんなこと言われたら困っちゃうなぁ。それはそうだけどできれば死なずに活躍したい思いがあるじゃん? だって僕たちはここで生きているんだから。美味しいご飯を食べてゆっくり寝る、そしてまた明日がやってくる。そういうサイクルを送るっていう使命があるんだよ」
マルスは目の前の人間が発した言葉を頭の中で反芻していた。所詮、死んだ亜人も今牙を向いてる魔獣も、そしてここで生きている人間も、みんな神が作った遊びの道具でしかない。そんな道具のような存在がどうして神よりも前向きに生きることができているんだろうか?
「なぁ、教えてくれ。どうしてそんなに前向きに生きていることができるんだ? この絶望感あふれる世界で」
「簡単だよ」
佐藤は先ほどの苦笑いではなく優しい笑顔となってマルスに向き直った。その笑顔を見ているだけでもマルスは少しだけ前向きになれる気がした。
「僕たちは兵器じゃあない、人間だからさ」
マルスはドクンと自分の中で生まれたことのない感情が産声を上げた気がした。それは前向きに生きる力。身に降りかかる不幸さえも受け入れて、それを希望に変える力。マルスはこの佐藤という男が天界の神以上の存在であることを悟った。
「そうか……」
マルスがそれだけ返事すると佐藤は仕事に戻っていった。
〜ーーーーーーー〜
「これは……予想外ですね」
歴戦の秘書、グスタフはマルスの結果を見て驚きを隠せない様子でいた。適合生物が見つからないという事態はグスタフも初めてであり、下位魔獣の適合だったレイシェルが所長に就任した時よりも驚いていた。
「そうだな、グスタフ。これからこの新人をどうするかなのだが……」
レイシェルとグスタフはただ今所長室で話をしている。こういうあまり聞かれたくない内容は自分の部屋で行うのが一番。葉巻の煙を吸って気分を落ち着かせようとするレイシェルを見ながらグスタフは「フム……」と声を漏らす。
「非戦闘員に配属はしないのですか?」
「それも考えたが、潜在能力が高いことを知るとそれももったいない気がするのだよ。いずれ何らかの魔獣と適合すると仮定してどの班に入れるか……だな」
レイシェルはタブレット型端末を起動させて班一覧を開いた。通常戦闘員は10人から20人に分けられて魔獣討伐を行う。個人で向かっても制圧できる実力者もいるがリスクも高い。全ての戦闘員は班を形成することがDBCより義務付けられている。
「レイシェル様、今は様子見というわけですな?」
「そうだ。落ち着くまではお前に監視を任せることもあると思うが、よろしく頼むぞ」
「主人のご命令なら」
快く自分の指示を受け入れてくれるグスタフにレイシェルは感謝でいっぱいになった。DBCに勤務するようになってからの付き合いで元々は自分の上司だった。その時は良き師として、立場が変わった今では良き部下として仕事を全うしてくれる。今は少し老いぼれたがかつては本部も認める戦闘員であった事という経歴がある。
昔の思い出を回想しながらタブレットを見ていたレイシェルはある一つの班に指を止めた。目敏くその動作に反応するグスタフ。レイシェルの背後に周り、タブレットの画面を見るとグスタフはビクッと体を震わせた。
「本気でその班に入れようと?」
「彼の実力を知るにはこれがいいだろう」
「しかし、その班は実力こそは確かですが……」
レイシェルが人差し指を立ててグスタフを黙らせた。これはレイシェルの合図で「黙れ」を意味する。シュンと黙るグスタフ。
「これは実験的にもなるが彼にはこの班がお似合いだ」
「そうは思いませんが……」
「確かにグスタフが言った通りこの班には欠点しかない。個人の実力は素晴らしいがな。戦略家のマルスが入れば少しはまとまりのある班になるだろう」
「そ、そうですかね……」
「それに、もしマルスに適合生物が見つかればこの班の評価はグンと上がる。この班全員のメリットになるとは思わないか?」
「今宵は新種の魔獣が溢れかえると言われてますが……。ですが我が主人のお言葉です。すぐに呼びに行って参ります」
ブツブツ何かを呟きながらもグスタフは部屋を出て行った。レイシェルは少し無理を言ったことを申し訳なく思ったがもう一度この班の詳細を見てみる。この班は全員が二十代を超えていないという年少班でありながら実力は確かという部隊だ。その分、班全員のまとまりがないので失敗も起こしやすい困った部隊でもある。
タブレットを閉じて葉巻を吸っているとコンコンとノックの音が。「入れ」とだけ言うと一人の人物が入ってきた。腰に二本の刀を吊り下げたまだ若い青年。髪の色は美しい金髪で理性に溢れている。しかしその目は負の感情に犯されたのか、少し濁っていた。
「来たか、東島」
「何です、急に呼び出して」
マルスほど、とは言わないが舐め腐った態度。彼こそがマルスが所属する事になる問題班、東島班の班長、東島悠人。実力は確かだが、事務所の中では忌み嫌われる存在、東島班。
またの名を「新人殺し」
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