案内人の指示に従って移動しているサーシャ。歩きながら深く息を吸い込んで精神を統一させる。心臓の音が自分の耳の中に響くほど緊張しているが彼女は彼女なりの緊張のほぐし方があるのでそれを必死に意識した。先鋒は自分であり、これで勝つか負けるかで他の班員のメンタルにも影響する。セッティングを開始する彼女は右手に槍を出現させて肩慣らしにブンブンと振った。
いつものように動いてくれる槍をみてサーシャはフーッと深呼吸。今回の決勝戦は臨場感を出すためか、外の観覧室で見ている戦闘員の声も全てが聞こえるような仕組みになっており、戦いを今か今かと待ちわびているのだ。応援の声もあるがサーシャ自体、期待の歓声は苦手だ。不特定多数の人物がくれる声援は彼女のトラウマを掘り起こす。こんな過剰な期待をかけられるから私の人生は戦闘員に染まったんだと思い反吐が出そうな思いになってしまうのだ。
アスリートを目指していた頃の光景なんか思い出したくもなかったのに今になってそのビジョンは脳裏を横切る。過剰な期待に押しつぶされて体を震わせながら部屋に篭っていた自分を思い出してサーシャは「あぁ〜……」と声を漏らしながら頭をゴツいた。痛みがある。夢じゃない。
一瞬、逃げ出したい気持ちでいっぱいになるが寝る間も惜しんで自分の魔装を点検してくれたパイセンや真っ直ぐに自分を見て放った悠人の言葉を思い出してサーシャは自分の頰を叩いて気合を入れる。自分が出せるベストを尽くせばそれでいい。それがいい。
「頑張るのよー、サーシャ・エルフィー。ここは水泳場じゃなくてただの闘技場。そう、闘技場……」
精神統一を終えたあたりに入場の声がかかった。アナウンスがかかってサーシャはゆっくりと闘技場へと上がっていく。アナウンスの声は今までの機械の電子音声と違って本当に人が実況をしている物なのでサーシャは一層気分が悪くなるそうだった。胸をギュッと抑えながら壇上に上がる。
「新人殺し東島班副班長、サーシャ・エルフィー!!」
ワー!っと言った歓声が会場中を包み込むが全くいい気もしなかった。サーシャにとって大事なのは歓声に照れることではなく対戦相手が誰かを知ることである。サーシャの向かいからコツコツと音を立てて対戦相手が上がってくる。堅い靴の音だ。ブーツだろうか?
「続きまして、天下無双八剣班から弘瀬駿来!!」
再び歓声が湧き上がって相手は画面に手を振る素振りを見せた。弘瀬と呼ばれた人物は日本人特有の黒色の髪を持ち、漆黒のロングコートに身を包んだ高身長の男性。体も引き締まっており、目の辺りに傷がある。この戦闘員は昨日のデータになかった人物だ。だとすると3年以内に入ってきた強者ということがわかる。ツーっとサーシャの首を冷や汗が垂れていく。
そんなサーシャにニコッと笑いかけてくる弘瀬。急な出来事だったのでサーシャは片目を釣り上げて一歩後ずさるという行動をとってしまった。初対面の人物に行うべきではない失礼な行為だとは自覚しているが精神のブレが激しいサーシャはそこまで考える気力がなかった。相手の年齢は見た目で見れば二十代前半でコートに隠れているからか魔装が見当たらない。
「それでは、一回戦始め!!」
アナウンスが響いてサーシャは自分のジャケットを脱ぎ捨てて槍を構える。脱ぎ捨てられたことで肩や腕がむき出しになり、幾分か涼しくなった。槍を振り回して相手に向けるサーシャ。当の本人である弘瀬は特に何をすると言ったわけもなくその場に立っているだけ。
「あなた、魔装は?」
「心配いらない、すでに展開している」
弘瀬は笑顔でロングコートの裾をまくった。そこには立派な黒いガントレットが装着されており「安心したかい?」とでも言わんばかりに笑いかけてきた。「本当に何なの?」と思いながらサーシャは腰を低くして構えをとる。そして、先手必勝と魔装を起動させてリーチを利用した突進攻撃を行う。幾度となく強敵と戦ったサーシャはもう躊躇しない戦闘スタイルを身につけていた。自分が苦手としていた電気の使い手も倒すことができたのだから今回だってやってやる! という思いで水の螺旋が渦巻く槍を構えながら弘瀬に接近して勢いよく打ちだす。刹那、弘瀬の魔装は黒色の光を放った。
「弁慶烏」
その瞬間弘瀬の左腕にバックラーが出現し、サーシャの一撃を受け止められる。あまりにも一瞬のことでサーシャは訳が分からなくなってしまった。どこからバックラーが出現した!? と驚いていると弘瀬の重い蹴りが腹に決まってサーシャの動きを鈍らせる。弘瀬は大して何もしていないような顔でサーシャの動きに反応して蹴りを加えた。その速さは異常である。動きが鈍ってしまいハッとしたサーシャであったが隙が生まれた彼女を弘瀬は攻撃することなくバックステップの要領で距離を取る。
疑問に思っていると観客席の方から「サーシャ、避けろ!!」という大声が響いた。観覧室から見ているパイセンが言ったということに気がつくと弘瀬のバックラーが消えており、その代わりに自分の周囲に大量の手榴弾が転がっていることに気がつく。一斉に起爆。かなりの威力の爆破であり、反対方向に避けた弘瀬のいた方以外を一斉に爆破したので回避は困難に思われた。弘瀬が煙の方角を見ているとそこからうっすらとシルエットが浮かぶ。
「また、爆発? もう嫌なんだけど」
少々うんざりした表情でドラゴンボディを装着したサーシャが立っていた。煙の中で流れる水を纏い、槍を構えるサーシャ。それをみたパイセンが「良かった」と呟く。しかし、余裕そうに槍を構えるサーシャの手からは僅かに力が篭っておらず、自然と槍を手放してしまう。
「さすがの実力だな。水流で鎧を作って爆発を防ぐ……。二回戦で君が披露した代物だった。でも完全には防げてなかったようだね」
弘瀬のその言葉を聞いて観客席の班員が見てみるとサーシャの槍を持つ右腕は鎧が展開しておらず腕全体に火傷のような傷が出来上がっていた。槍を落としたことによって制御が出来なくなり自動的に鎧は消えていった。鎧が剥がれるように消えていったのをみて舌打ちをするサーシャ。もう利腕は使い物になりそうにもないのでサーシャは左手で槍を構える。いつもと全く違う感覚に襲われてなんだか気持ちが悪くなりそうなサーシャだったが今は精一杯戦うべきなので左手の慣れない感覚を押し殺して槍を構えた。
その時に弘瀬が口を開く。
「俺達は一応、全ての試合を一通り見させてもらっている。もちろん、君の戦い方もある程度は理解しているよ。今の君では勝てる可能性は低い。ここらでリタイアすることをオススメするよ。正直言って……女の子を必要以上に傷つけることは好きじゃあないんだ」
今のサーシャの心情とは見当違いな言葉をかけられ、周りの観客の視線が一斉にサーシャに集まる。この無言の視線が嫌いなのよ! と腹立たしさを込めがならサーシャは奥歯を噛んでキッと弘瀬を睨んだ。
「キザなセリフを吐いて私がリタイアするとでも思って? ごめんなさいね、こういうネットリ声の男は私嫌いなの。それにまだ左腕があるでしょ? あなたが序列一位の八剣班の班員だったとしても……簡単に負けるわけにはいかないの……!」
確かにこれまで通りに戦うことは出来なさそうだったが彼女には彼女のプライドが存在する。そんなリタイアという決断を下すようなぬるいものではない。副班長の意地を見せつけるためにサーシャは慣れない左腕を振るって槍を構え直した。感覚を覚えたサーシャは「仕方ないか」とガントレットを構える弘瀬を睨みながら戦闘態勢に入っていく。
「行くよ、海龍!!」
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