こちらは悠人の指示で研究所内部に侵入したマルスと香織。彼は一通り、香織に何故自分たちが内部に入ったかを説明し終えたばかりであった。
「所長さん?」
「あぁ、ここの通信機にも文章だが送られてる。悠人、あらかじめ送る文章を用意してたそうだな。『先に研究者の保護をしろ』って」
マルスに送られた通信の文章はそれだった。先に研究者の無事を確認し、裏道から共に避難させろとの命令だ。これは亜人と戦う任務なのではなく救済任務なのだから優先すべきはそれである。亜人がわざわざ研究所に襲いかかるのも疑問として残っているがマルスは小谷松達に会えればそれでいいとずっと思っていた。
小谷松、どこかいけ好かない人間だ。マルスはそう思う。今まで神のボードの上に数多の人間を見てきたが彼はその中でも何か裏がある人間の顔をしていた。彼のことは信用はしきれないと思うがこれも救出任務。仕方ない。
「とりあえず……うまくいったことを通信する。……ちょっと待て」
「どうしたの?」
「ッチ……俺の通信機が使えない。香織、お前のはどうだ?」
「えっと……あれ? 私も……」
マルスと香織の通信機は常時「error」と言った文字が画面に出ており、これは通信の電波が行き届いていないということだ。戦闘員の通信機独特のネットワーク回線を使って通信をする。その回線が切れるというのは明らかにおかしい。マルスは立ち止まって元きた道を見返した。
電灯はもう消えており、一種の停電状態。辺りには目が慣れているからか朧気ながらの明かりが見える気がするが混沌とした闇が広がるばかり。これは進むべきかどうするべきか、マルスは迷ってしまった。
東島は大丈夫だろうか? 必死に進むことに必死でこまめに連絡を取らなかったことをマルスは悔やむ。また思考が人間よりになっていることに嫌気がさした。とりあえず今の状況を整理してじっくりと考える。現在は香織とマルスが二手に分かれて行動中。研究所の内部に進んで避難している研究員の救助が目的。
悠人は悠人でおそらく亜人の相手をして時間を稼いでいる筈だ。もしくはもうすでに決着がついてなんなりしているか……それとも負けて悲惨な目に遭っているか……。ここで合流しようと思うと内部に入っているのはパイセングループだ。彼らと合流すべきなのは分かるが居場所が分からない。遠隔で通信する手段を失ったマルス達、誰がどこにいるのか、今何をしているのか全く分からない中で自分たちは何をすればいいのか……考えたいのに考えるべき材料がないことは逆説的な恐怖を生む。マルスの頰から冷や汗が垂れ落ちた。
「マルス、どうしたの? 息、荒いよ?」
「あぁ……すまない。どうも暗いのは落ち着かないな……」
ギュッとマルスの手に何かを感じたので見てみると香織が無言で手を繋いでくれていた。暗い廊下なので表情はよくわからない。それでもマルスは彼女に心配をかけているということを自覚した。グッと押し黙って決断する。
「この通信機の異常を分かるのはこれを作った研究員だけだ。香織、俺たちは一旦研究員と合流しよう。そこで直すなり代わりの通信機を貰えばいい。通信は出来なくても内部の地図は見れるはずだ」
マルスが通信機を起動させて研究所内部の地図を表示する。現在の居場所は表示されないがマルスはメインエントランスから一直線に走ってきた廊下、研究室の近くにいることを想定した。
「俺たちがココにいると仮定すると……研究室がここだ。案外近いな。まずはそこから行こう。何人か避難しているかもだ」
「分かった。でも……もしいなかったら? 候補は何個か作っておこうよ」
「それもそうか……研究室の次は……地下の格納庫か。ここは丈夫だけど逃げる時間があったか疑問だな。まぁ、ここも候補。他に近くの個室も確認していくぞ」
「うん」
香織はコクリと頷いた。マルスはそのまま進もうとしたのだがふと香織がまだ手をギュッと握っていることに気がつく。それに気が付かないほど自分も必死になっていることも自覚された。なんとかして香織を安心させるべきだ。
「香織、ハグれたらダメだ。離すなよ」
「……え!? あぁ……ん」
香織はどこか伏せ目でコクコクと頷く。マルス達は移動を開始した。廊下をなるべく足音を立てないで移動しながら目につくドアを開けて研究員がいるかどうかを確認していく。不思議なことにいくつもの個室を見たが研究員の姿は全く見えなかった。不思議な光景である。研究所なのに研究員の姿がコロリと消えた。
流石のマルスと香織も薄気味悪くなっていくものだ。戦闘演習で研究所に通い詰めていた時はどこもかしこも研究員だらけで忙しそうに廊下を移動していたというものなのに。
「もしかして……案外避難してるって可能性もある?」
「それもあるかもしれない。よし、もうすぐ研究室だ。ここの部屋は頑丈で広いからゴッソリ隠れてるかもしれないぞ?」
「だといいけど……」
不安を隠せなさそうな香織。マルスはそろそろ彼女の精神も限界であることを察して急足で研究室へ向かった。マルスがこの部屋を見たのは演習の時であり、2回の吹き抜け窓から中身を見ただけだ。何やら魔装なり兵器のようなものの製造をしていたなと思い出を再生していた。
そして「一般人の立ち入り禁ず」という注意書きがされた重厚なドアの目の前に着くことに成功する。ここが研究室への扉だ。マルスは試しにノックをしてみた。ゴンゴンと重く響くノック。何秒か待ったが反応はない。あまりの不安でせっかちになっていることがあるのか、あるいは中に誰もいないのか……。
「おかしい……反応がない。少しの息遣いも聞こえないんだ。強行突破でもするか……?」
「鍵穴が……私たちは鍵がないから入れないよ」
「そこは心配するな。これで入れる。今はマナーも関係ないよな?」
マルスは背中の剣を抜いて起動させた。その剣先を鍵穴に差し込んで起動させる。バチバチと音を立てながら剣が変形していき、そのまま合鍵と同じような性能になった。そしてガチャリと鍵を開けることに成功する。香織はこれをみていつかの時に部屋に侵入されそうになったのはこれかと複雑そうな表情をした。鍵が外されたドアをゆっくりと開いて行ってマルスと香織は研究室の中に入る。中はぼんやりとだけ蛍光電灯が付いており、消えたりついたりを繰り返していた。
「誰かいないか? 俺達は戦闘員の者だ。亜人じゃない」
マルスは声を上げる。その声は広い吹き抜けの窓まで響き渡った。初めて入った研究室だ。様々な機材や書類が至る所にあるテーブルに置かれており、奥の方には何やら数多のロボットアームと手術台のような台があり、その台には何とかして洗浄したが拭い取れなかったような血がついてるという奇妙な空間だった。
「おおい! 誰かいないか?」
マルスは更に声を上げる。返事はない。自分の声が響くだけであった。おかしい……と頭をポリポリ書いて辺りを観察する。積み上げられた書類やDVD、なんらかの工具、どれもマルスにとっては新鮮な人間の英知の塊である。一体ここで何の研究をしている時に亜人が襲撃に来たか……マルスはまったくもって分からなかった。
「ちょっとマルス。これ見て」
香織はデスク近くを通り過ぎようとしたマルスの腕を引っ張って止める。彼女が指差す場所にはファインダーにて保存された何らかの書類があった。もうデータの保存は機械で行っているはずだがこうやって予備用に書類を集めているんだろうなと示唆する。誰もいない空間の中で自然と書類を閲覧していた。
邪虎、魔猿、斬撃蛇、放浪蝙蝠。飛行型は兵器によって飛行不可。成功は魔猿をメインの二足歩行型。準成功は四足歩行。四足歩行型は感情の抑制が困難。脳髄の組織を一部破壊案(脊髄の配線を入れ変える)。プラズマキャノン、サーベル標準装備。
命名「改造魔獣」Cyborg soldier
「なんだ……これ?」
パラパラとめくりながらマルスは書類を閲覧したが何の確信も得られないものであった。この研究所には何かあるのではないか? もしかすると最初に見た小谷松のデロリとした顔はこれらと関係があるのではないか? そう思って書類をゆっくりとデスクに置いた。マルスが書類を追っている間に香織は研究室を探索していたらしく、肩を突いて奥のドアを指差す。
「あ、マルス。あそこに地下の格納庫行きの階段があるよ? もしかしてここにいた人達も地下に逃げたんじゃない? その書類のことも何かわかるかも」
「本当だ……。それにしても香織、この研究室にいる奴が逃げるのは分かる。だが……それ以外の部屋にいた研究員が一斉に消えたように逃げれるのは不可能に近いぞ? それに……この書類……ただの研究にしてはその度合いが何か違う。嫌な予感がするんだ」
「それは……」
途方に暮れたマルスと香織。これは悠人達と合流を目指した方がよかったであろうか? 一瞬だけ後悔していたその時だ。
ガコン!
研究室に何かが大きく動いたような音が響き渡った。「きゃ!?」と声をあげてマルスはすぐさま音が聞こえた方向に向き直り、香織を背中に移す。その先にあったのは研究室の隅っこに寄せられたドラム缶だった。ドラム缶、一つだけではない。何個も何個も置かれている。数えるだけで20個はありそうだ。それらがうまい具合に横一列に寄せられていたのだ。
「ただのドラム缶じゃないか……」
「で、でもマルス、動いたんだよ!?」
「香織、お前相当参ってるなぁ……。動くわけ……」
ガコン!
「動いたな……」
これはマルスも頷きざるを得ない。一番左端のドラム缶が大きく動いたのだ。中に何があるんだ? とマルスは不思議に思い、恐る恐ると近づく。ドラム缶はマルスが近くに連れて動きが大きくなっていく。不気味に思いながら一刀両断しようと剣を振りかざすと何やらブツブツと呟くような声がドラム缶から聞こえたのだ。
「コイツ……!? もしかして!」
マルスは一刀両断をやめてドラム缶の栓を剥がし取るように剣を使ってフックのようにし、思いっきり引き剥がした。魔装の身体強化はこういう時に役に立つ。そして中から転げるように出てきたのはなんと研究員だったのだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
それをみた香織は急いでその研究員に近づいて肩を大きく振った。研究員は「あぁ……うぅ……」と唸り声を上げるだけである。ドラム缶の中に研究員。もしかしてとマルスはここらにある残り19個のドラム缶全てに研究員が入っているのか!? と寒気を感じたところでマルスは足をガシッと掴まれた。
「き、君たちは……?」
「任務でやってきた。新人殺し所属、マルスだ。コイツは一瀬香織」
「戦闘員……?」
研究員は男であることが判断できる。しかし全体的に体は痩せ衰えており、ドラム缶からは排泄物の匂いで充満していたので服の汚れもひどい。マルスと香織は一旦研究員の男の汚れた白衣を脱がせて椅子に座らせた。
「すまない、俺達は亜人からの研究員救出任務でココにやってきたんだ。これらは亜人の仕業か?」
「……亜人? いや違う。これらは……私の同僚達の仕業なんだ……」
「はぁ? 研究員同士がこんなことして何のメリットがあるんだよ? どういうことだ?」
マルスは詳しい話を聞くために次の質問を用意していたのだがそれも失敗に終わる。足音がした。研究室の奥からこちらに近づいてくる足音。それに反応したのはドラム缶から救出した研究員だった。叫び声をあげようと口を大きく開けたのを見てマルスは反射的にその男の口を後ろから塞いで声をなるべく小さくする。そして近くのデスクノ空きスペースに隠れ込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「すまない……私のせいで」
香織が心配そうに声をかけるが研究員の男は項垂れるばかり。彼は早めに救出したほうがよさそうだ。このドラム缶達も……。足音は不気味に響いていた。マルスは顔をヒョコりと出して辺りを見渡す。影が見えた。ライトに照らされてマルスの目をつく。一旦隠れているとその足音が近づいてくるのだ。さっき顔を覗かせたのは不味かったか……? マルスの体から冷や汗が漏れ出る。
スチャ、スチャ、スチャ、という金属の重みを感じさせる足音と共に「ヒ、ヒ、フー。ヒ、ヒ、フー」と言った息遣いのような物も聞こえるのだ。
「研究員の一部は……極一部の奴らは……極秘にこんなものを作りやがった……」
「こんなもの?」
香織が疑問の声を口にするとマルスは角度として見えてしまったのだ。足音の正体を、息遣いの正体を。やや前屈姿勢の上半身と猿のような顔にギョロリとした義眼のような無機質な目を向ける今まで見たこともない魔獣に。マルスは「コイツは……」としか呟くことができない。
「ルルルピンポーン、ピポポポポ」
人間界に降りて魔獣でここまで恐怖するのはこれが最初で最後だと信じたかった。
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