深い眠りから目覚めた時のような妙な心地よさを感じる。マルスが目覚めて勢いで半身を起こした時、周りには機械しかいなかった。自分の腕にチューブのようなものが繋がれており、絶えず音を一定の周期で出す心電図など。彼からすれば見たこともないような機械に囲まれた中での目覚めだった。
「香織……! アッ、そうか……」
起き上がったマルスはすぐに香織の安否を確認しようとしたが戦ノ神がなんとかしてくれたのを思い出す。自分と戦ノ神の意識が入れ替わるようにして消えたマルスは剣の中から覗いてるようなぼんやりとした景色だけが記憶として再生された。あれからまた倒れたとなればこの力を使うのも考えものである。
見渡していると腕が引き攣ったような感覚が起き、見てみると田村が剥がしてくれたチューブのようなものがまた腕に刺さっている。マルスはクッと力を抜きながらそれを抜いてベッド脇に立てかけられた杖のようなものを掴んで立ち上がってみた。少しだけ足がふらつく気がしたが問題ない。演習の時の出血に比べれば大分マシであった。マルスがいた部屋には機械と自分のベッドしかなく、一人用の病室に見えた。青白いような壁や床に手と足を任せながらゆっくりと扉へ向かう。そのまま扉を開けようとした瞬間、勢いよく開かれた扉の先にいた研究員に驚いてしまった。
「ッア!?」
「あぁ、何事かと思いましたよ! マルスさん、まだあなたは体が落ち着いていないんですって!」
「あ、あぁ……。何事だ。それならまだ刺すから説明してくれないか?」
マルスは今更であるがチューブを外した瞬間にチューブ元の機械からアラーム音のようなものが発生していることに気がついた。そのまま渋々とベッドに戻って腕を突き出す。研究員の作法はうまく、大した痛みを感じずにチューブが繋がれた。
「あぁ……急に反応がなくなったからどうなることかと……。モニター確認していてよかった……ほんとに」
「すまなかったな。……お前、研究員か?」
研究員が着ていた白衣には名札がかけられており、「早川」と名字だけが記載されていた。端の方が汚れた白衣を着ている研究員であった。
「うん、この新しく生まれ変わった大和田さんリーダーの魔研で勤務する立派な研究員さ」
「やはりここは研究所か……。となると……お前はクーデターの時……」
「ハハ、ドラム缶生活さ。目覚めた時には小谷松所長と佐藤さん達はもう消えてた」
新しい研究所に残った研究員はクーデターの被害側に当たるというわけである。少しだけ複雑な心境で早川の顔をジッと見ていたマルスであったが早川は病室の中にあったポッドでインスタントコーヒーを入れており、カップの一つをマルスに差し出した。
「せっかくだし、お茶しながら話そう。実は僕、君に憧れているんだ」
「憧れだって? そんなことを見せた覚えはない」
「そうかな。ここのクーデターを止めさせた中心的人物であり、君が入ったことで東島班も今や序列は3位。覚醒魔獣も主力で倒したとなったら憧れるのも無理ないよ」
「序列は俺だけの結果じゃない。憧れるなら他にしろ。それより、聞きたい話があるんだが……」
「あ、すまない。脱線してしまったね。もう結論から言うけど、今君の心臓付近、ちょうど右寄りだね。そこに魔石が眠っている」
もう言われなくても分かることであった。マルスの体に魔石、戦ノ神が眠っていることなんて。そのせいで研究所では香織に恐怖を与えてしまい、自分が何者かさえも分からなくなってしまったのだから。俯いているマルスを不安に思っていると判断したのか、コーヒーを啜った後に早川は他のある事実も続けて伝えることにした。
「今回の覚醒魔獣襲撃において、魔石が侵食したのは君だけじゃないんだ」
「なに?」
「宮村隼人、パイセン、サーシャ・エルフィー、大原優吾、彼ら4人にも魔石が侵食した。そして、君の時のような奇妙な肉体変化も確認されている」
自分だけじゃなかったことに喜ぶべきなのか、マルスはわけが分からなくなってしまった。まだマルスが魔石に侵食されるのは理解ができる。もう一人の自分が動き出しただけなのだから。だが隼人やパイセン達の魔石が動き出す意味が全く分からなかった。それと同時に、何かとんでもないようなことに巻き込んでしまったと言った考えも同時に生まれてくる。
「おい、どういうことだ。何故魔石が彼らを侵食したんだ。そもそも魔装とはなんだ、俺たちは一体何を使って戦っていたんだ!」
「魔装はね、生きているんだ。正確には中にある核、魔石が生きているといった方がいい。魔獣からくり抜いたとしても魔石が死ぬことはない。でも機能としては何かの核にならないとその力を発揮できない。力を発揮することは本能が命令している。その本能を発揮させることができるのが魔装なんだ。新しい、魔石の依代にする」
「じゃ、じゃあ演習の時だって亜人襲撃や改造魔獣の時だって……でもその時は何も変化などなかったはずだ」
「詳しいことはまだ分からない。けど、魔石としての本能が働いたと僕らは考えている。あの覚醒魔獣の時に本気で死にかけたり、本能が警戒するほどの脅威と出くわした。その時に魔石が依代を生かすために動いた。そう考えた方がいいのかもしれないね。それの解明と覚醒魔獣のルーツ。これらを解き明かすのが今の僕らの使命さ」
「そんな呑気なこと!」
「それでも解明にまで動くのが僕ら研究員だよ」
感情的に動きすぎたと反省したマルスは深くベッドに腰掛けて今後の動きを考えてみる。自分に宿った魔石、今のところ体に変化などはないが素の人間である隼人達が心配であった。自分と同じように気絶してここに運ばれたというのなら、彼らは今ここにいるということになる。頭の中に響くような戦ノ神の重圧に押されながらもマルスは必死に考えた。今は何をするべきか、自分はどうあるべきか。
「隼人達はこのことについて知っているのか」
「彼らはまだ眠りに入っている。一番最初に目覚めたのが君さ。全員の目が覚めて体調も良くなった頃に大和田さんが説明をする。マルス君、信じてくれ。僕たちは君たちの助けがしたい。君たちに助けられたように、君たちが戦っているように。僕達は僕達のやり方で戦おうと思う。これ以上、君たちが苦しまないように」
圧倒される何かを人間相手に感じたのはいつぶりだろう。早川の目に燃える何かをジッと見た時、不思議とマルスは反論などの余地をなくしてしまった。ここで反論をするのは些か幼稚だと思ってしまう。委ねる時は委ねる方が良さそうだ。専門家はそのためにいる。全身の力を抜いてコーヒーを啜るマルス。カップから口を離した時にはマルスの表情はさっきよりも落ち着いていた。
「お前の言葉を信じる。隼人達が目覚めるまでに、少しだけ外をみたい。それはできるか?」
「車椅子かつ研究所の敷地内なら、どこに行ってもいいよ」
折り畳まれた車椅子を出してくれた早川は安心したような顔でマルスが車椅子に乗るのを手伝ってくれた。そのことに素直にお礼を述べたマルスは車輪を回しながら部屋を出て行き、エレベーターに乗って出口まで向かう。初めて乗るような人間の道具だが中々乗り心地は良かった。腕の疲れは気にしない。
外に出た瞬間に気持ちのいい風がマルスの髪を撫でていく。研究所の庭のようなところに心地良さそうな日陰を見つけたマルスはそこで車椅子を止めて落ち着き、大きな息を吐いた。外に出たのは寛ぐためではない。話をするためである。
「戦ノ神、聞こえるか。聞こえたのなら返事をしろ」
『……汝も目覚めたか。何用』
瞳を閉じるとボンヤリと黒い空間が写り、その真ん中に戦ノ神がいる。魔石が体に侵食したのならこうやって会話できると踏んだマルスが正解であった。
「魔石としてお前が侵食した。あれから何があった」
『汝と精神を入れ替え、余がこの体を使い、あの龍を斬り落とした。余が姿を出す際は肉体も変化するようだ。余の鎧まで着ることができたのは中々だな。だが、まだ長い間は余として動くことはできないらしい』
「なるほど。だから俺の視界は一瞬、ぼやけてばかりの剣視線だったというわけか……。さっきの話を聞いていたとは思うが、魔石の侵食についてはどう思う?」
唱えるように口を動かすだけで会話ができるのはありがたいものであった。戦ノ神は少しだけ何かを思い出すような仕草で指を動かし、また話し始めた。
『この時代で侵食は滅多にないことだな。あったとしても下界で言われていたのはまだ人間も創造されていない頃だ。それに、汝らが覚醒魔獣と宣ったものどもはかつて古代に生息した魔獣とよく似ている。この世界にもその古代を知る存在がいる可能性が高まったな。人間が創造されていない頃に起きた出来事である魔石の侵食、そして蘇った古代の魔獣。余の憶測であるが、これから古代の魔獣が同じように出現した場合、危惧すべき奴らも復活する可能性がある。もうすると言った方が良いな』
「そんな奴らがこの現代にいるとでもいうのか? 亜人のようなものか?」
『いや、違う。今の世だと古い書にしか記されていないような存在だ。汝も見たであろう、燃え盛る大地に佇むある存在を』
アジ・ダハーカと対峙した時に急に再生されたある記憶、燃え盛る炎、突き落とされる稲妻、その中にいた巨大で恐ろしいある存在。どこか引っかかるようなもどかしい気持ちになりながらマルスは必死に思い出そうとしたが中々に思い出せない。それは戦ノ神も同じらしい。
「その存在を知るものがこの世にいるとしたら……それは亜人側の神ということだな。神の世界にはもう亜人の神はいなかった」
『そうなる。汝の世界にそれらの記録があるかは分からない。だが何か手がかりはあるはずだ。近いうちにまた大きな何かが動き出す予感がする』
「手がかりか……。少し探してみようと思う」
ハッとした頃にはマルスは現実に帰還していた。周りには誰もおらず、何も会話も聞かれてはいない。マルスに目論み通りで少しだけホッとした。そのまま辺りを散策しようと車椅子を動かそうと思ったがふとマルスは空を眺めてしまう。空には何もなかったがどうもマルスの中に引っかかる何かが空に求めている気がするのだ。
「空……」
羽を広げるベイル・ホルルの姿を思い出したがそれでもなかった。空を舞うようななにか……もっと巨大で……何かを纏っている。そんなぼんやりとした何かをマルスは空に感じたのだ。その記憶の中に決まって写っているのは青白く、大きな満月なのであった。
亜人の出現とは? これは我々人間達、亜人達においても謎の多い出来事であった。種族によって言い伝えが違うものもあり、遡り続けても見つからないことで知られている。何か、何かこの世界に亜人が生まれる必要のある出来事があったのか。
「亜人伝」より抜粋
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