仄暗い屋敷を後にした優吾は一瞬だけ戻って仲間と時間を過ごそうか迷ったが振り切って歩みを再開させた。何故だかはよく分からない散歩意欲の増加によって優吾は午前の世界へ飛び出したのだ。特に用事と言う用事はない。屋敷の庭を抜けて居住区の中央に位置する広場に自然と出向いていた。
自販機でジュースでも買うかとポケットの小銭を漁っていると優吾はその自販機に見たことのある人物を見て一瞬だけ顔を輝かせ、少し小走りでその人物の元に向かった。
「おはようございます。アンドレアさん」
「……!? お、大原君!?」
今日は任務があるのか、演習の時に見たモスグリーンのジャケットを羽織りヘッドホン型の通信機を首にかけているアンドレアは急に現れた大原優吾を見てとても驚いたらしく。ずっと「あわわ」と声を漏らしている。研究所の任務前、弾丸をくれた時とは真逆のアンドレアで優吾はアレはなんなんだったのかと少し不思議に思った。
隣の自販機で強炭酸の飲料を買った優吾はキャップを勢いよく開けてグビグビと飲む。前とは違って大胆な行動をする優吾を見てアンドレアは目を見開き、微笑んだ。
「お悩み……解決した?」
「あぁ……おかげさまで。アンドレアさんのおかげで俺はあの研究所から生き残ることができたし……。それに……視えたんです」
「何が?」
「俺の守りたいもの。俺の……引き金の理由」
アンドレアはポワッと顔を明るくした。彼女は初めて優吾の余裕があるような姿を見たのだ。今までの優吾はどこか余裕がないところに加え、考えることがないから故の冷たい表情だったのだが今は違う。考えに余裕があるからこその優吾の少し優しい顔だ。他人にも気を回せるようになった証であろうか? アンドレアはふと考えた。
「俺は……学生の頃は友達がいなかった。それは俺の人付き合いの悪さもあると思うんですけど……ここでは違う。みんな俺を必要としてくれるし、ほら……悠人みたいな上司にも会えたんだ。年は俺の方が上だけど……学べることはアイツからの方が多い。そんな友達を守りたい。それに俺はただの後方支援じゃあない。そういうことを見鏡さんや咲さん、ギーナさんや……アンドレアさんが教えてくれてたのかなって」
死地へと出向いた人間は強い。修羅を歩んだ人間も強い。亜人による悲劇に合わせて研究所のクーデターに巻き込まれた優吾の眼は以前とは違う。メラメラと燃える炎は見えなくともジワジワと心根で燃え続ける静かな青の炎をアンドレアは見た気がした。
「俺が思うほど難しくなかった……。俺がやらないと慎也は……大事な弟はもう死んでたんです。一度でも『兄さん』って呼んでくれる男がいるのなら俺は兄貴にならなきゃいけない気がしましてね。大事な弟くらい、俺が守ってやりますよ」
「弟……えっと……関原君だっけ?」
「えぇ。血は繋がってないしまだ出会って一年ほどですが……大事な弟です」
あの時、初めて慎也と出会った時に優吾は何を思っていたのだろうか。涙の味も知らないような渇いた眼を見開いて目の前の蜘蛛の魔獣を見てうすら笑っている慎也。靴は履いておらず、枝が刺さって出血している。服もボロボロで身体中には何かで切られたような傷がいっぱいだ。正直、優吾は慎也に対して恐怖を抱いてしまっていた。ここまで痛々しい姿を彼は見たことがなかったから。恵まれた環境で私学に通っていた優吾からすれば慎也の存在はまさに対局そのもの。
反射的に蜘蛛の魔獣を撃ち殺した優吾は倒れる慎也を担いで急いで悠人の元へと移動して報告し、単身で事務局へ向かい救護班に慎也を任せたのだ。まだ名前も知らない。どこからやってきたのか、何者なのかも知らない少年を優吾は必死で助けることに成功した。治療が終わってから当時の救護班で同期だった相楽乃絵に話を聞こうとしたのだが個人情報は教えれないとだけ言われて少し残念に思ったのを覚えている。
「それからだ……。レイシェル局長が慎也を連れて俺の元までやってきた。どうにもお礼がしたい……らしくてね。自分も戦闘員として戦いたいと言い出した」
「大原君はそれに賛成だったの?」
「賛成? そんな馬鹿な。もちろん反対ですよ。その時に名前と年齢を知りましたが彼はまだ16歳。本当なら高校入学の予定だった奴ですから。でもアイツは意地が強くて本当に戦闘員の登録をしてしっかりと俺に適合検査の結果を見せてきたんです。そこから俺の反対を押し切るように東島班への加盟も済ませてしまって……。俺の元にもう一回だけ来たと言うわけ」
「す、すごい意地だなぁ……。あの針ツボは大原君が教えたの? 安藤班の中にはツボによって戦闘不能になった班員がいっぱいいたから」
「いや……それはアイツの独学なんですよ」
慎也の適合がデスストーカーだと判明した次の日に優吾は体術で彼と組み手を行った。優吾自身、一人でストイックに鍛錬を積んだ成果があってか動きには自信がある。対する慎也は非力で型もあったものではなく、優吾に一方的に投げられる結果になってしまったが腕は器用であった。一瞬だけ、彼を無我の境地に立たせる何かがあれば慎也は無類の強さを発揮する。いつもは余計なことを考えてしまうから故の非力さであるが彼のポテンシャルは決して悪いものではなかった。それ以降慎也は優吾に追いつくと約束して一人トレーニングを積んだり何やら本を読んで勉強したりと篭りきりになり、気がつけば魔装である針を新調して持ってきたというわけだ。
「試したのはその日の任務とかなり危なっかしいものでしたが適合の毒と彼の身体強化、そしてツボのおかげで魔獣の動きを止めてしまいましてね。あの時はビックリした。アイツは針だけで1匹の魔獣を討伐したんです。その後に針を切らしてまぁ大変でしたが」
アンドレアは一通り話を聞きながら次第にフフッと笑っていることに気がついた。無骨そうな優吾であるがしっかりと兄貴を全うしているようである。初めて会ったときは無機質でマシーンのような行動に驚いてしまったがそれは勘違い。戦闘員にはあまり似つかわしくない穏やかな心を持ちながらその心根には激しい青の炎が渦巻いているのだ。決して燃え尽きることのない青い炎。演習の時、アンドレア自身が絞められて飛び降りた時に見た雄吾の目は嘘じゃあなかった。彼は本当に戦闘員であったことがわかってどこかホッとする。
「アンドレアさん……、何がおかしいんですか?」
「え? うぅん……思った通りだなって」
「はい?」
「大原君……ちゃーんと戦闘員だね。ほら、私……勘だけはいいのよ? その勘が当たったって嬉しく思っただけ」
「は、はぁ……」
「また弾丸が必要ならいつでも連絡して。一緒に飛んでくわ。それじゃあね」
アンドレアは短く手を振りながら帰っていった。アンドレアは視えていたのであろうか。境地を。優吾が求めている生き様を。それは分からないが彼は一瞬だけ見鏡未珠のことが気になった。今の優吾を見るとあの副班長は何を思うであろうか。レグノス班のギーナは何を思うか。そして今度会ったときは必ず眉間に弾丸を当ててやりたいと思う。
「おんやー、大原優吾君。一人で笑顔で何してるの?」
近くの木の影からヌッと顔を出した相楽乃絵を見て優吾はギョッとしてしまった。
「おま、いつからいたんだ?」
「ん〜、さっきですかね」
「今までの話聞いてたんじゃあないだろうな?」
「いいじゃんいいじゃん。ウチの口は堅いから心配しなくてもいいですよ〜」
面白がるように優吾を下目で見る乃絵。優吾からすれば彼女ほど面倒な女性はいないと思える。あえて目線を合わせない優吾をさらにからかってやろうと思ったのか乃絵は彼の周りをクルクル回って何とかして目を合わせようとする。優吾が声をあげるのは想像よりもすぐだった。
「何がしたいんだよ」
「いやぁ、君って結構感情表現豊かだよね〜って。頬がピクついてるぞ?」
「別にいいだろ。無機質よりかはマシだ。それより、少し聞いていいか?」
「なに?」
「研究所への援軍はお前らだったが……。本当は何をするためにこの付近にいた?」
優吾からその問いを投げかけられた乃絵はホーと口を窄めて人差し指で髪をいじる。何かやましいことでもあるのだろうか? 優吾はそう警戒する前に乃絵の口が開く。どうやらお互い口を開くスピードが少し早い方らしい。
「ウチらはある調査任務をしているものでしてね。その報告のためにこの支部へ戻る予定だったんですよ」
「調査?」
「えぇ。今、翔ちゃんがレイシェルおばちゃんに出してると思いますが魔獣の調査報告です。大原君達はツタのついた魔石を研究班に送ったらしいですがそのような事例が数多く最近は起きてますわ。そろそろ……この支部も大きく動くのかもしれません」
「またあのツタの魔石か?」
「いいえ、今度は魔獣への変化ですよ。これ以上はウチも言えないんで退散退散。気になるニュースは待て! 次会うときは会議かなぁ。では私はそろそろ」
一体何がどうなってるのかよく分からない状態で帰っていった乃絵。遠野班は一体何を見てきたのか。あくまでも支部付近でしか戦っていない新人殺し以上のものを見ている気がした。
『殺しではない。準備さ』
頭の中にあの亜人、クレアの声が響く。またいつか……あの悲劇と同じ、それ以上の戦いが待っている。優吾は唇を噛み締めるのであった。昔の自分には決して戻らないためにも。青の炎は静かに燃える。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!