戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

余計な話

公開日時: 2022年8月14日(日) 19:20
文字数:5,811

 新島荘の扉を叩く音が響く。そろそろ帰ってくる時間なのだと察していた新島はどんな顔をして出迎えればいいのかよく分からないまま扉を開けた。


「新島さん! なんか……なんか温かいものを用意してください! マルスが、マルスが危ないんだ!!」


 背負われているマルスは顔が真っ青で表情筋一つ動かしておらず、薄ら笑った状態で背負われている。まだ会ったばかりの新島も本能で危機を察知したのかすぐに布団を手配してマルスを横に寝かし、汗を拭うタオルと温かい飲み物を持って来させた。バタバタと動いたものだから大広間に人が集まってくる。マルスの容態を見た福井班の驚きようは凄まじかった。

 当然である。全く見たことのない表情をしたマルスがいたのだから。


「マルス君!? 何があったんだい!?」


「それが……俺たちを置いて走っていったら姿が消えてて……。探して見つけたらこうなってたんです」


「魔獣の外傷は……ない。精神に侵入する魔獣の報告はない筈だ……。どうして……」


「本人の口から聞けたらいいんでしょうけど……こんな状態だと……」


 何も説明できない悠人も歯痒かった。班長としての務めを果たせとレイシェルから言葉をもらった矢先に大事な班員が壊れてしまったのだから。そんなことも考えているヒマではない。すぐにマルスを布団の上に寝かせて服を脱がせた。その時に気が付いたのだがマルスの程よく筋肉がのった体は変に震えている。まるで体全体が一つの心臓かのように揺れていたのだ。そのたびに本来心臓があるであろう胸から赤黒い筋が現れたり消えたりしているのだ。

 こんな人間を見たことがなかったので悠人は動揺したがその動揺をグッと抑えて緩い服を着せた後、寝かせて心配する皆の元へと戻っていった。


「息はあります。それに……体に外傷はありません。本人はぐっすり眠ってます……」


「今、相楽に連絡した。遠野班もなるべく早くにくるようにするから安静にさせておけとのことだ」


「そうか優吾、ありがとう。病的なものでもないんだが……マルスの心臓の辺りから黒い筋が消えたり現れたりしている。今までマルスは魔石の副作用らしき症状を訴えたことはなかった。それが今来てしまったのだと思いたい……」


「アイツ……来たら来たで、体の具合が悪かったら悪いってなんで言わないんだよ」


 頭をかきながら気分の悪そうな表情をするパイセンと遠い目でどこかを見る優吾。そして少しづつ情報を飲み込めて来た福井班と新島は悠人に近づいた。


「当分の任務は福井班が受け持つね。東島君たちはマルス君を見てあげて」


「そんな……! 俺たちが来た意味がなくな……」


「今の彼にもしものことがあった時、君は絶対に後悔するよ」


 柔美から放たれたその言葉にぐうの音も出なかった。柔美は大事な班長である稲田やその仲間たちを失っている。仲間を失う悲しみが分かっているからこそ離れて欲しくないのだろう。が、その言葉が悠人たちを傷つけることもちゃんと理解している。まだ若い新人殺しの苦痛を和らげるための精一杯の言葉だった。


「東島悠人くん、ちょっと話をしよう」


 新島はそんな悠人を呼んだ。何を話されるのかは分かっている。分かっているからこそ悠人は気が引けた。招く新島について行くようにして歩き出す悠人。不意に何かを思い出すようにして振り返った。


「香織」


「えっ? はい」


「マルスを頼んだ」


 それだけ言い残して悠人は新島の元へと向かっていった。託された香織は萎れたように眠るマルスの顔を見る。夢を見ているのだろうか。どこか苦しそうな表情だった。湧き出る汗を拭ってやりながら香織は今までのマルスとの会話を思い出していた。どこからやって来たのか、どういう経緯で戦闘員になったのか、そして信じてくれているのかという問いかけ。全てがマルスへの地雷だった可能性がある。

 自分の発言でマルスを壊してしまったという気持ちがあるからこそ、マルスの現状を見て何も声に出せないでいるのだ。頭を振りながら汗を拭った香織はマルスの手を握ってそっと胸に押し当てた。自分の心臓の音が耳で聞こえる程、香織は動揺している。それでもどこか、マルスには見捨てることができない魅力を感じていたのだ。


「お願い、風邪……引かないで」


 そっとマルスの手を抱いた香織を見たパイセンは少々長いため息を吐いてから同じようにしゃがむ。


「マルス、こうやってお前を心配してる人もいるんだ。居場所がどうとかなんだ。お前の家はここだろ? お前が帰るべき場所はここだろう? な?」


 マルスの返事はなかったがそれも仕方がない。パイセンは立ち上がってから皆を連れて部屋から出ることにした。今は香織とマルスの二人きりにしたほうがいいだろう。扉を閉める時、ふと中の様子を見たのだが香織はまだマルスの手を抱いていた。


「お前、恵まれてんだかんな」


 そのまま戸を閉めた。


〜ーーーーーーー〜


 新島に連れられた所はさっきの駐車場だった。もう車が止まっているだけで人もいない。少し広い道路が目の前にあるが横切る車もいない。異様な光景だった。そばにあるベンチに座った新島はすぐに悠人の方を見る。


「君にも恐れていたことが起きたんじゃないか?」


「……っ! まぁ……はい。大事な班員を……壊してしまいました……」


「遅かれ早かれそうなると思っていたよ。いい意味でも悪い意味でも悠さんと君はそっくりさ。それ以前に、君たちはまだ若い。兵士には向かないほど普通だから」


「若い若いって言われるのもなんだか……っていうか。もうそろそろそれを言い訳にはできないって思うんですけどね……」


 困ったような顔で答えるその様子を見て新島はかつての班長、東島悠介の姿を思い出した。普段はいい笑顔と勇敢な姿で班員を引っ張る凄腕班長だが新島と晩酌をするときはナイーブで脆い姿を見せていた。それくらい自分を信用してくれていたということであるが反面、そんな姿は見たくないという気持ちもあったのを覚えている。それも全て新島が若かったからだ。


「ずっと壁の中の施設で暮らしてきたんだ。外に出るとこんなものだよ。実際、私が戦闘員を辞めた理由もそれだ。壁の中で必死に命をかけることに疑問を持ってしまった。それまで分からなかった疑問さ。今の君には分からないだろうがね。まぁ、それでいい」


「それもそうですけど……教えてくださいよ。どうして俺たちをここに呼んだんですか。どうして……そんなに嫌で嫌で仕方のなかった戦闘員をここに呼んだんですか? 俺にはそっちの方が分からない。親父の存在さえ、嫌な思い出みたいになってるのに」


「別に何かしてほしいからここに呼んだんじゃない。その逆だ」


「逆って……何かしてあげたいとでも?」


「君たちに伝えたいことがあったんだ。それも少々手遅れだがな……」


 新島は頭に巻いたタオルを取って顔を乱暴に拭いた。跳ねた髪と皺がれた顔を見ると変な気持ちになってくる。この人は一体今まで何を見てきたのかという気持ちだ。


「かつてDBC本部は魔獣に対し、火薬を使った近代兵器を使っていたことは有名だろう。それは君も知っているはずだ。そしてその先、魔装の原点、誰にも奪われず、そして二次被害も出さずに魔獣を屠れる兵器が生み出されたということも」


「それが魔装ですよね」


「そう、対魔獣装備、魔装だ。君が腰にかけている刀もそうだ。君の魔装は改良に改良を重ねた極東支部独自の魔装。安全性と汎用性に優れた使用者次第が特徴。それも知っているな?」


 悠人は頷いた。最初は本部からの配給によって成り立っていた魔装だったが戦闘員の組織が大きくなるにつれて配給が間に合わなくなった。それぞれの支部は現在の研究所の前身を作り、各支部独特の個性を持った魔装を作り出したのである。


「私が戦闘員をやっていた頃は本部製の配給魔装だった。当然、私もだ。私の適合と本部製の魔装は相性が良かった。初代本部製の魔装は極東支部製よりも性能は良かったし、何より使用者に関係なく魔石の補正がかなり強かったんだ。この国でいう上位適合者以上の補正と言えば分かりやすいね」


「親父も……?」


「そう、君の父も私もそうだった。……でも本部は知らなかった、重大な欠点に。魔装……いや、魔石を兵器にするという重大な欠点にね」


 不意に新島は腕をまくったと思えばグッと右腕に力を込める。その瞬間、悠人はハッとして口を大きく開けて後ろにのけぞったではないか。壁にもたれて衝撃を受ける様子の悠人を見て新島は頷いた。


「君もよく知っているはずさ。この現象を」


「侵食……!?」


 新島の腕から亀裂のような光が溢れているではないか。右腕の関節部位に怪しく光る何かが見える。長年戦闘員をやっていると誰でもわかる。魔石の光だ。関節部位の魔石から血管を辿るように亀裂の光が溢れている。この現象、悠人は知っている。覚醒魔獣の際にコロッサスを撃ち落としたパイセンの右腕だ。彼の右腕も同じように光っていた。そう、光っていた。


「欠点が……侵食……?」


「ハァ……。そう、魔石の適合が強すぎるあまり、魔石に支配されていることに気が付かなかった。それが本部製の魔装の欠点さ。魔装は魔獣の死骸を武器にするんじゃない。人間の体をも部品にしてしまう」


「……待ってください。親父は魔獣のとの事故で死んだと聞いてます。親父は……親父はどうだったんですか!? 親父は……」


「君の父も同じく魔石に侵食された。それに……私が伝えたかったのはここからだ。魔石に侵食された君の父親は幻覚のような症状に苦しみながらも日々民間人のために戦った。私たちにそれを隠しながらも。だがそれも侵食が判明してから長くはもたなかった……。悠さんは……完全に……魔石に完全に乗っ取られたんだ」


「そんなの知らない……。どういうことだよ、新島さん! 俺そんなふうに聞いてない……!!」


 服で腕を隠した新島にすがりつくようにする悠人は新島の顔を見る。どこか諦めたような顔をした新島の顔を見て悠人は悟った。父がなぜ死んだのかを、そしてこれを伝えることで悠人に何を求めているのかを。今の現状やベイルとの、覚醒魔獣との戦いを思い出しながら悠人は項垂れた。


「親父は……魔獣になんか殺されてない……。親父は……親父は……」


「護送されたんだ、本部に。悠さんの魔石はとても純度が高い状態で錬成されてた。その後は……察してくれ」


 想像してた以上の暴露をされた悠人は衝動的に腰の自分の刀を放り投げようとしたがほんの少し残っていた理性がそれを引き止める。父はミスによって死んでいなかった。ミスだと信じていたかった。魔石に乗っ取られた父は戦闘員達から魔獣との判定を受けたに違いない。魔獣扱いで討伐されたに違いなかった。

 それを護送して魔装にしたとなれば悠人の理性は吹き飛びそうになるのも無理ない。そんな行為、人魔大戦の頃の人間となんら変わりはないではないか。蛮族も甚だしい。本当のキチガイを見た気分になった。


「君の反応は最もだ。私がこの界隈を去ったのもキチガイに耐えられなかったから。……東島君、まだ遅くない。君のためにも……そして君の仲間達のためにも戦闘員から去った方がいい。君たちは十分なくらいに戦った。戦果はもう十分じゃないか」


「……俺たち以外はどうなる。福井班長や遠野班長達、八剣班長達はどうなるんだ……」


「まずは君自身の心配をしたほうがいい。このまま行くと悠さんと同じ悲劇が起きてしまう。彼が浮かばれない」


「そんなことを伝えにここまで呼んだのか……? 敵の基地の目の前で!? 放棄してのうのうと死ねばいいのかよ!?」


「いつか死ぬのが早まるものだよ。分かるだろう? いつ死んでもおかしくない世界にいたのなら。生きてることは当たり前じゃない。どこかで必ず朽ちる。それが……」


「そんな風に死ぬのは誰も望んじゃいない……。亜人の好き勝手に死んでいい命なんかない……。それこそ親父は悲しむ。親父は嫌いだ。アンタこそ命を馬鹿にしてるじゃないか……!」


 そのまま悠人は走り出してしまった。呼び止める気持ちもなく、新島はただそこに突っ立っていた。こうなることは目に見えていたが、仕方がない。大事で尊敬している悠介の二度舞を防ぐためには必要なことだった。


「全部暴露しちゃったんですね」


「……! 泰雅……」


「聞いてましたよ。彼、声大きいから」


「中の様子は……?」


「あぁいや、みんなは今ご飯作ってますよ。楽しそうに。聞いてたのは僕だけです」


 ここで安心してしまうのは保身のためか。年をとってすっかり新島も変わってしまったようだ。


「遅かれ早かれいつかは知る。私が嫌われ者になっただけだよ」


「そうですかね? 僕には少々、大人気ないように思えましたよ? 今、伝えるべきかどうか……ね?」


 ポケットに手を突っ込みながら近寄ってくる大渕の姿は若い頃とは何も変わりはなかった。が、眉間に皺が寄っている今の様子は昔と違う。


「今の話は全部余計なことだ。東島君の心を壊しただけだ」


「それが私の目的だ。彼には退いてもらわないと、悲劇は終わらないからね」


「本当に? ……東島君がどうして今戦っているのか、まだ知らないんでしょう?」


 これには新島は何も答えれない。新島が知っている東島悠人は新人殺しという汚名が生まれるまでのことなのだから。大渕はポケットの手を頭に乗せて乱暴に掻きながら悠人が走っていった方角へと目を向ける。


「マルス君がきてから彼は変わった。自分の危険を顧みずに亜人に立ち向かっていく東島君を見た時はなんだか懐かしかった。悠さんを思い出したんですよ。悠さんが帰ってきたのかと思ってしまったくらいだ。班員が魔石に侵食されたのが公になった際も彼は動じずに責任を持って発言をしている。ここまで苦しんで戦っている理由は悠さんを越えたいとかじゃあないですよ」


「……」


「せっかくここに呼んだんだ。東島君の凄さ、いや……新人殺しの凄さを思い知った方がいい。彼らは必ず立ち上がる。ちょっとのサポートはおじさんがしますがね。先輩が思ってるほど、新人殺しは柔じゃないし、若くない」


 ここまで熱意を持って話す大渕泰雅を見たことがなかった新島は「本当にそうなのか」と信じてみたくもなる。一人の若人の心を壊しかけたという罪は消えない。悠人がかけて行った方角を見ながら新島は悠介の影を思い出していた。


『苦しいのは今だけさ、豊! この力があればもっと沢山の人を守れる。守れる力をくれたんだ!』

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