感情の起伏を見せずに弾丸を回避された優吾は今までのハエよりも何かが違うことを察していた。弾丸をかわされた優吾はその反動のまま足を振り上げてハエの腕と交差させ、攻撃を受け止めることができた。
そのまま一旦距離を取って周囲を確認する。優吾はよくて拮抗、相手のハエの動きが想像以上に滑らかで高速思考の中でもヌルヌル動く様に圧倒されていた。咲は優勢、十分相手のハエを押しており、チェーンソーの刃と腕との鍔迫り合い状態。問題が慎也であった。
『クソッ、慎也のカバーに入ってやりたいが一対一だと思いの外強い。行かせないつもりか……、こっちの動きを読んでるな?』
『まずいわね……。押しているけど致命打を与えられない。というか、こいつさっきのやつと戦い方が違う。流されてるみたいで気分悪いわ』
優吾も咲も少し余裕がない心境でハエと向かっていた。素早い身のこなしと羽根を用いた牽制や高跳びを利用しているが心根は虫なのだろう。そこに恐怖は見えず、死にたくないと思う個体が一匹もいない。それだけでも気味が悪かった。
もう一つの問題は慎也である。優吾から言われた通りに針を無駄にしないように確実に打てる時に打ってはいるが刺さっても外殻が邪魔をして通ることがない。そもそも今まで見た魔獣のツボのどれにも当てはまらないような気もするし、パワーもなければスピードも追いつくことはできそうになかった。ただ、相手の攻撃を回避するだけの余裕はあるらしく、タイミングを伺いながら袖の隠しナイフで喉元を狙っての一撃を加える。
だがしかし、慎也の腕を捻るように受け流したハエはそのまま捻るようにして折ろうとしてきたが突き出された腕にしがみつくように飛び上がった慎也の機転によって体勢を崩すこととなり、なんとか免れる。
「優吾さん、霧島さん! 僕はいいので、先にベルゼブブを!!」
そうは言っても優吾は放っておくことができなかった。このまま放っておくと慎也は間違いなく無理をする。幼い頃からの経験か、慎也はすぐに命を投げ出すような無茶なことを率先してしようとする癖があるのでこのまま放っておくと自滅する恐れもあるのだ。
優吾とは逆の方向で戦っていた咲は鍔迫り合いから引いて抜け出し、一方的なハエの腕を受け止めながら背中合わせで慎也と合流した。トンと背中が慎也と合わさった時にチェーンソーで牽制する咲。
「関原君、一二の三で交代よ。できる?」
「できますけど、なぜ?」
「理由はあとで」
隠しナイフをもう隠さずに構えながら、口に咥えた針が淡く色づいて能力の全てを身体強化に変える。体が軽くなった気がした慎也はググッと腰を下げた。
「じゃあいくわよ、一二の……」
「三!」
転がるように離脱できた慎也は一瞬だけホッとした顔で優吾の方を見る。優吾は咲と慎也を交互に見ながら深く頷いた。どうやら、咲の方も同じことを考えていたようである。さっき突進してきたハエよりも護衛を勤めているハエの方が強いことを察していたのは優吾だけではなかった。慎也のことは咲に任せようと優吾はベルゼブブを見る。
護衛の者が一匹、周りをゆっくり回りながらその中央で飛んでいるベルゼブブ。すぐに引き金を引こうと高速思考に突入した優吾は銃を構えた先に見えたものに思わずアッと叫ばずにはいられなかった。
高速飛行の中でベルゼブブはたしかに笑った。
「……!? 慎也、警戒しろ!!」
「え!?」
優吾が振り返ったのと、護衛のハエが丸腰の慎也に腕を振るったのはほぼ同時だった。ゆっくりになった世界の中でハエの擦り合わせたような声が響く。優吾は手を伸ばすが間に合いそうにはなかった。
「ウゥ……!!」
「霧島さん!」
強襲された慎也に対し、立ち塞がった咲が盾となる形で防がれていた。左の肩先を斬られて血が流れ落ちている。チェーンソーを構え直す咲であったが流れる血は止まることを知らず、そのままの体勢でいるのも辛そうであった。負傷した咲をカバーするが如く慎也が背中で構えているが危機的状況であることには変わりない。
「霧島さん!! ウッ!?」
ようやく声を上げることができた優吾であるが薙ぎ払われたハエの一撃によって顔に横並びの傷をつけられながら吹っ飛ばされてしまい、二人と距離が大きく離れてしまったのだ。頬から垂れる血を拭ったがそれでも垂れるのでもう諦め、ゆっくりと立ち上がりながら優吾はない頭で必死に考えた。
『まずいこのままじゃあ全滅だ……! 後詰めに見鏡がいるが慎也がやられてしまう!! せっかく目標を見つけれたのにこの有様じゃあ……いや、考えろ、考えるんだ。どうにかして落ち着くんだ。大原優吾、落ち着け! 何か策は……』
加速した思考の中で優吾の頭にはつなぎ合わされたフィルムのように過去の記憶が流されていた。所々ブチっと消えながら再生される思い出。未珠と戦った時、慎也を守ると誓った時、アンドレアからの想いを無駄にしなかった時。
『いつだって俺は冷静だ。落ち着けれたからこそ、あの時俺は引き金が引けたはずだ。俺は本気で戦えたはずなんだ。落ち着いたから……落ち着いたから……! でも、今回落ち着いてどうにかなるんだろうか……』
再生されるフィルムの中、サブリミナルのように叩き込まれた光景は血みどろの森で頭を叩きつけながら泣き叫ぶ悠人の姿だった。その少し前に巻き戻すと冷静にトドメを刺した優吾、そして発狂の様子を冷静に見つめる優吾が再生される。
『……あぁ、そうか、そうだよな。“冷静なだけ“じゃ、どうにもならないよな』
こんなサブリミナルを感じ取ることができる自分の能力に優吾は感謝した。この景色が見えたのも、自分が生きてこれたのも、その先にあるのも、全て握ってきた銃のおかげなのだ。きっと、思考加速があったからだ。
「行こう、幻弾鷲」
加速が終了して元の世界に戻った時には三体のハエが慎也と咲を取り囲みながら攻撃を開始。ゆっくりと歩き始めた優吾に気がついたハエの一匹はトドメを刺しにやってくる。
「おい、窓際ババア!! 俺にお前の魔装の力、全部向けろ!!」
咲は一瞬困惑した様子を見せたが優吾はすでに思考加速を開始している。優吾の首目掛けてハエは大きく腕を振るった。いつもの優吾なら受け流すのも難しい、いつもなら。そこにチェーンソーの音が響き渡った。鎌のような腕が迫る中、優吾の思考に数々の絶望が、トラウマが再生されていく。
しかし、優吾は全く怯えなかった。
『本当、色々ありすぎなんだよな……。他の連中もだけど。でも恐る必要はない、そんなものじゃない。俺が乗り越えてきたものだから。本当に全部越えれたかは分からないけど、これらの先にいるのはいつだって今の俺だ』
咲への感謝を忘れず、そしてあとで謝るつもりで優吾は目を閉じる。昔から、色々理由をつけては逃げていたのが優吾だった。学校が思った通りじゃない。だから変化を求めた。それはたしかに空っぽだ。何もない。けど、満たされる何かはあったのだ。
『それに……何かと理由をつけて尻込みするなんてもうやめだ……!! ここでまた尻込みしたら……俺はもう後には戻れなくなる!!』
たしかな自信を得た優吾は魔獣を目視せずに精神弾を発射した。今はそれの方がいいと思った。獲物を見てもいないのに、弾丸はハエの頭を捉えて見事命中し、崩れ落ちるように息絶える。
優吾はゆっくりと歩いて慎也達の元へと向かう。今の優吾には全てのものが止まって見えた。速さを出す為に的もろくに見ずに弾丸を発射したが空中に静止したハエ達に弾丸が向かうように軌道を変えて撃ち殺していく。精神弾はもはや、拳銃の威力を越えていた。しかし、優吾はそれが当然だと言わんばかりに歩き進める。
「……意味が分からないわ。チェーンソーを起動したと思ったらアイツが消えた。そして今までいたはずのハエが一瞬で絶命してる。何をしたの? いや、“何があった”の?」
隣の慎也は絶句していた。優吾は気にも止めずに歩くのをやめなかった。
ベルゼブブの元へと歩くとほんのわずかだが動いているのを優吾は確認する。だとしても、今の優吾の敵ではない。実際は目で追うのもやっとな速さで動くが、優吾には歩いているのよりも遅く見える。優吾はとことん冷静に、そしてありったけの自信を持って、
「これが、答えさ」
ベルゼブブの眉間を狙って発砲。その瞬間、ベルゼブブの頭は割れたスイカのように弾け、踊るように筋肉が痙攣してから灰のようにその姿を消していった。
「優吾さん……?」
慎也の目にはベルゼブブが突然動き出したと思ったら、頭が弾けて死んでいるようにしか見えなかった。
「あぁ、慎也。大丈夫だったか?」
「え? あっ、はい……」
「そうか……。あ、霧島さん」
優吾は咲を見た。
「さっきはすみませんでした」
「……? 別にいいわ。助かったし、許してあげる」
咲は何のことか分からなかったが流れとしての許しを与えることにした。フンと鼻息をとっていると咲の背後の茂みからガサガサと音がした。
警戒して離れる咲だったがなんと出てきたのは直樹ではないか。喉の奥から黄色い声を発して咲は息も荒い直樹を抱きしめた。
「直樹君!!」
咲の腕と胸の中で抱かれる直樹は十年ほど老けた上に大事な何かを吸い取られたような、何かを失ったかのような顔をしている。その奥からイソイソと出てきた人物に優吾は顔を明るくして声をかけた。
「未珠さん、無事でしたか」
「当たり前じゃろう。最終的にここには一匹も来んかったじゃろう?」
「大きいのが何匹かいましたが」
「それは知らん。妾の担当は雑魚だけじゃ」
咲の胸元で抱かれる直樹は虚な目で「ハエが百匹、あぁ、二百匹……」と震えながら声を上げていた。
「それよりおぬし、目覚めたの」
「……?」
「じゃが、今はまだ”目覚めた“だけじゃ。もう休め」
優吾は急に体の力が一気に抜かれるのを感じた。足元から崩れるように倒れた優吾の意識は途絶え、そのまま動かなくなる。
意識を失った優吾を見て慎也は心配し、すぐに駆け寄るが未珠は頗る冷静だった。彼の顔を覗きながらホッと息を吐く。
「そろそろ、妾の時代も終わりかのう。しかし、いい“眼”をするようになったの」
主はその鳥に目を与えた。どこまでも遠くを見通し、武器にも防具にもなりうる目を。瞬くもの全てを見て動く体をお与えになさった。それ故に、この鳥は空を飛ぶ時にこれ以上もなく堂々と翼を広げるのだ。
「魔獣記」より抜粋 “意思と眼“
読み終わったら、ポイントを付けましょう!