戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

空白の紡ぎ方

公開日時: 2021年4月11日(日) 19:02
文字数:5,225

分厚い書物のページをめくる音だけが部屋に響き渡っていた。辺りは無機質な本棚だけが並んでいる空間でその本はどれをとっても分厚く、小難しい内容ばかり。人は奥に設置された数少ないテーブルとイスに座っている人物ただ一人である。ドスンと新しい本を机に置いて目次を開く人物、マルスは改めてこの空間のありがたみを知った。ここは極東支部事務局の中にある資料部屋である。一般的には「図書館」と呼ばれる空間であるのだが看板には資料部屋と書かれているこの空間は文芸などの本を置く場所ではない。魔獣や亜人などの歴史が記された書物や人魔大戦が起きる以前の世界情勢などが記された歴史書物はもちろん、魔獣の詳細や極東支部戦闘員の名簿も存在する。


 狐と戦ったのはつい先日。食べ物とジュースを買ってもらってその場で平らげたマルスはウキウキした気分で事務局へ帰っていった。香織が何故か遅かったので待っているとまずゲンコツをくらって「失礼なことしないの!」と長々説教をくらってしまったのだ。マルス自身、何が悪かったのかよくわからない所があったが香織に怒られたことでかなりしょぼくれた夜を過ごしていたのだった。臨時で任務が入ったために悠人達からは「災難だったなぁ……」と声をかけられた。何故か隼人は「リア充◯ね!」と叫んでいたが蓮の羽交い締めによって黙らせていた。


 今日も特に任務はない日、つまりは非番なのでマルスはある調べ物をするためにこの資料部屋に来ていたのだ。ネット検索も考えたがそれなら履歴が残ってしまう。だから手間はかかるが書物で調べてノートに書き写して考察していこうと考えたのである。調べる内容は幽閉されていた空白の期間に何が起こっていたのか? ということ。幽閉されているこの空白の期間を調べ上げないと亜人の事は考察できない。マルスは早速本を開いてみた。


 人魔大戦が起きる数年前の世界情勢を見てみる。ここはマルスが天界で見た通り、今までバランスのとれていた人間、亜人、魔獣の三種族のバランスが徐々に崩壊を始めていた。わかりやすい円グラフがあったのでそれを参考にすると均等な三等分だったグラフは年を重ねるごとに人間の割合が多くなっている。ここは自分が知っていることであった。


 次に経済事情。元々人間は魔獣とどう向き合っていたのかというと人間が亜人に依頼して討伐してくれていたということ。陸海空それぞれの亜人に給与を授けて発展の手伝いをしてもらう。魔獣の討伐だけじゃなく、荷物の運搬や土木作業の手伝い、食糧生産などに回る亜人もいたそうだ。亜人は人間が制定した「亜人区」と呼ばれる地域で生活を続けており、物資や食料はその地区内で作ったものや人間が支給する分で生活をしていた。


「人間が制定……か。そしてここから人間の人口が増えて亜人を養えなくなった……。おそらくは金もそうだが土地の問題だろうな……」


 自分以外誰もいない部屋なので一人言は垂れ流しである。このように亜人にとっても人間にとってもいい関係で過ごしていた。魔獣は魔獣の本能で食物連鎖を気づいており、その連鎖から逸れようとして人間や亜人を襲う魔獣を討伐していたのである意味で魔獣のバランスも取れていたということになる。


 ページを進めると人口爆発が起きてしまい、一気にバランスが崩れ始める。違う本を開いて確認すると人口爆発の年で大幅な技術的成長に成功したことによる寿命の促進が起きたことを把握。医療設備がさらに整ったことで救えるはずの命を救えるようになったと書かれているが皮肉なものである。この発展のせいで人魔大戦が起きたのだから。ここまでをノートに書いたマルスはペンを額に押しつけて残った記憶を探っていた。あの頃は争い事をいくら起こしても人口が減るどころかさらに増えていたような気がした。年表を見ると自分が起こしたであろう戦争の表記がズラリと並んでいる。


 人間の発展によって亜人にもその恩恵がくるようになったことで人間ほどではないが亜人も増え気味になっていたのだ。人間同士の争いも多々起こした後に亜人同士の争いも起きるようになった。一部の亜人には手厚くさせて一部の亜人は少し蔑ろ目にして両者の反乱を起こす。いわゆる分割統治である。この頃は人間も亜人もなんらかの争い事をおこなっていたが完全に敵対すると言ったものではなく人間は人間と、亜人は亜人と争い事をしていた。ここまで調べ上げた時にマルスは自分の誤算を知ってしまう。マルス自身、天界の神は仕事をしていないから人口爆発起きたと思ってはいたが実際は仕事を行った上、人間の発展故のバランスの崩壊だったのである。


 仕事をしている人間の神に「仕事しろ」と言っても「お前がサボってるだけだろ?」って言われるに決まってるよなぁ……。とマルスは自分の若さ故の過ちに気がついて歯痒い思いになった。だがしかし、ここである疑問が起きる。その時、亜人の神は何をしていた? ということ。亜人の成長は人間の技術力に依存するので比較的発展はゆっくりだ。しかし、人間よりかは遥かに安定していた。


 そしてあるページを見てマルスは確信する。どうして亜人を口減らしにする決断になったかを。増えに増えた人口は技術力の影響で歯止めが効かなくなっていた。通りでマルスが戦争を起こしても死なない人間がいるものでそれを繰り返していただけということを知る。そして世界中で人間の代表が「亜人の口減らしを行う」と宣言する。マルスはここで「は?」とページを進める指が止まってしまった。明らかにおかしすぎる。たしかに亜人と人間のバランスは崩れたが技術力を駆使して危機を乗り越えるということをしなかったことに対しての違和感である。


 本来、人間は協力することでどんな困難にも乗り越える強さを持った種族だ。個体値のスペックは皆無に等しくても技術を磨いて道具を作り歴史を紡ぐことで進化していく。そんな人間の発想ではないと思えるほどこの発言には無茶があった。これでは亜人との戦争を初めから望んでいたかのような展開である。自分たちには全く利益のないこの戦争を。その時、自分は神殿を留守にしていたのでチェスを見ることができなかった。となれば……。


「誰かが強引にこの戦争を引き起こした……か。一体誰だ……? それによって利益のある神はいるのか?」


 マルスの一人言は資料部屋に静かに響いていく。その時にマルスは思い出す。泣きながら自分の神殿から出てきた一人の神を。白い髪と柔らかくてほっそりした白い手。よく自分が戦争を起こす時に見学と言ってみにきた一人の神。


「あいつがやったのか……? あいつが……」


 思い出せるところはそこまでである。ここからは元から埋め込まれていない記憶なのか、どうあがいても顔や名前、どこ所属の神か、役割はなにかを思い出すことは出来なかった。この人魔大戦は全て出来レースだったとして、何故自分が留守の時にわざわざ神殿へ入ってチェス駒を弄ったのかはわからなかった。そして彼女がどこにいるのか……。彼女が目指す先にはなにがあるのか……。


 ここまで考えていると急にバタン! と力強くドアが開かれてマルスはビクッと肩を動かす。乱暴な客が入ってきたな……と思ってマルスはノートに考察した情報をまとめていた。結局謎しか生まれなかったがとりあえずここまでを記しておく。今はそれが一番だった。コツコツと足音が聞こえる。ノートに視線を移しているので誰かはわからない。別に知る必要もないのでペンを動かしてグラフを模写したり大事な情報を書き出していくと急にマルスのペンの動きは止まった。


 匂いを感じる、かなり濃い甘ったるい匂いが。マルスは初めて嗅ぐ匂いだったが心地いいとは思えなかった。どちらかといえば吐きそうになるほど甘ったるい匂い。その匂いが自分の目の前で止まっている。足を見ると膝まであるブーツを履いている女性?だった。ゆっくり顔を上げて見ると……。


「ゲェ……」


「ちょっと、アンタ。アタシが来てあげたのよ。何そっぽ向いてんのさ」


 マルスは知っている、この女性を。決勝戦で自分が八剣玲華に牽制させるための参考となり、一回戦でなぜかドラマの真似事をしたら発狂して固まった人物、嬢ヶ崎寧々だった。寧々は一回戦で見た時のようなボンデージではなく、可愛らしいフリルの付いたワンピースを着ていた。スカートの丈は異常に短く、見せパンでもないのに見えそうな際どいラインである。マルスは昨日の香織の方が綺麗だったぞ……。とげっそり。


「ところで……探したよ?」


「どうしてだ? 俺はお前に用はない」


 マルスはそう言い張ったが寧々は「ンフフ」と笑ってマルスの隣に椅子を持ってきて座る。寧々は自分の豊満な胸をマルスに押し付けるように無理やり密着させた。香織以外の女性に密着されたことはなく、いやマルスとって背筋が凍るほど体が拒絶反応を起こしそうになっていた。


「何をする」


「えぇ……? 何ってぇ……寧々はねぇ……、ずぅっとマルスの返事を考えていたんだけど……」


 寒い、この感想に尽きた。寧々の顔は濃い化粧に包まれておりマルスはどれだけ原型に自信がないんだこのクソ野郎と言い返そうと思ったがこの要因を作ったのは間違いなく自分なので言い返せなかった。そもそも寧々への恐怖が強すぎて口がパクパクするだけで言い返せない。


「寧々は……その……マルスのことが……」


「いいか、その先は絶対に言うな。俺のため、そう、俺のためにも絶対に言うな? いいな?」


「すぅ……」


「あぁ!! 黙れよ! 言うな! いいな?」


 腕を振り落とそうとすると足も絡めてきてガッチリとマルスをつかもうとする。まるで彼女の適合、伸縮樹ラバーウッドさまさまだった。寧々の少し太い足をダイレクトに感じたマルスは本気で失神しそうになる。そんなマルスの反応を見て寧々はドキドキしていると勘違い。


「すぅ……きゲバァ!!」


 耳元で急に野太い声を発した寧々はグッタリと地面に倒れ込んだ。マルスが乱れた長袖シャツの肩の裾を整える。なにがあった? と荒い息を整えていると「ごめんね」と優しい男性の声が聞こえた。視線の先にいたのは甚平と足袋を身につけた糸目、長めの黒髪を後ろで括った好青年。安藤清志だった。数珠繋ぎ班長とだけしか知らなかったマルスは初対面の清志に「え……?」と言葉を残す。


「あー、君は東島班のマルス君……だよね? この前は寧々がお世話になったのかな? 一回戦の対戦班、安藤班の安藤清志だ。自由に呼んでくれて構わないよ」


 フフッとニッコリ笑う清志。今の時代で甚平をきている人物がいるんだな……とマルスは感慨深く思う。薄い甚平と動きやすさを追求して履いているであろう足袋。古典世界のキャラが目の前にいるかのような空間となった資料部屋にマルスは戸惑っていた。清志は「うぅ……」と声を上げて意識を取り戻した寧々を見る。寧々はすぐに立ち上がって声を上げた。


「ちょっと、何するのさ! いい感じだったのに!」


「ほぉ……いい感じ……?」


 スゥッと開かれる彼の糸目。マルスはそれを見た瞬間に「うわぁ……」と声を上げた。細い線の中に鋭い瞳孔が妖しく光っている。マルスにはニッコリ笑顔だったのに寧々には真顔なのでかなり恐怖を感じる風貌になっていた。


「あのねぇ。一方的に詰められたら誰でもマルス君みたいな反応になるでしょうに。彼はまだ17歳と聞く。29歳の君がどんなにベタベタしてもいい子じゃないよ。怖がってたんだし」


「……わかったよ……、すみませんでした」


「僕じゃなくてマルス君に謝る!」


「す、すみませんでした!」


 バッと寧々はマルスに対して頭を下げた。マルスはさっきとは空気感がまるで違う安藤に恐れをなしてコクコクとだけ頷く。完全に凍りついた空気の資料部屋の中で寧々はそそくさと出て行った。それを見送った安藤は「ビックリしたね」と振り返る。元の糸目に戻っていたことにマルスは安心した。


「ごめんね、うちの副班長が。色仕掛けって分かってても君と話がしたかったんだって。でもこんなんだから29歳になっても結婚ができないんだよなぁ。あ、いやいや失敬。ま、年齢的にアウトなことしちゃってたよ」


 笑いながら頭を掻いて寧々が去った方向を見る安藤。さっきの怒り方を見たときにも思ったのだが本気でその人のことを思っているからこそ言えるような叱り方。いい人間になってほしいと言う思いがマルスにも伝わってきたのだった。


「いや……いい。気にするな」


「ハハハ、君ならそう言ってくれると思ったよ。ま、僕がいて寧々がいてフランメ、凛奈、アンドレアやみんながいてこその安藤班だ。これからも注意は行った方が良さそう。じゃ、調べ物頑張ってね」


 安藤は手を振りながらニッコリ笑って部屋を出て行った。椅子を元の場所に戻してからマルスはフフッと笑う。昨日の敵は今日の友ってこう言うことを指すのかと思えばなんだか嬉しい。今ここにマルスの辞書に新たな言葉が刻まれた瞬間であった。

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