戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

慰霊碑の前で

公開日時: 2021年8月1日(日) 19:00
文字数:3,708

 マルスが東島班の屋敷に帰還してから数日が経過。いつも通りの時間に起きてきてみんなで朝食を取ったり、昼は隼人と蓮と一緒にテレビゲームをしたり、夜は調べ物をしたりするマルスの生活は続いている。マルス自身、分からないことが多すぎるので割り切るところは割り切り、普段の日常を取り戻すしかないと考えたのだ。


 そんなある日、マルスはふと外出として居住区を越えた先にある亜人による悲劇の犠牲者の慰霊碑までいこうという気になった。特にどうという理由はなかったが人恋しさなのか、稲田達に会いに行こうと思ったのである。神としてではなく、彼らは人間として接すべき相手だ。リビングで作業をしていた慎也に適当に挨拶してからマルスは屋敷を出た。


 花壇には花の手入れをする香織が水やりをしている。


「マルス、どこ行くの?」


「ちょっと慰霊碑の方まで。あ、一つだけ摘んで行ってもいいか?」


「……これはどう? 色合いも黄色。でもマルス、急にどうしたのよ?」


「いやぁ……せめて死ぬ前に綺麗なものを見せてやりたかった思いが込み上げてきてな。香織、お前も一緒に行くか?」


「水やり、もうすぐ終わるから一緒に行こ」


 ごく自然な口調で香織を誘ったマルス。ふて寝をした夜は目が冴えており、調べ物をしながら夜を過ごしたのだがその時にどうも心残りだったのが香織のことだったのだ。1週間以上も寝ていた自分のことを心配しないでいることなんて香織はあり得ない。それなのに彼女には辛い反応をしてしまったなと感じたマルスは今一度、ゆっくり話せる時間が欲しかった。


 水やりを終えて通信機をポケットに入れた香織はいそいそと支度をしてマルスのところまで小走りでやってきた。彼女を隣に歩き始める。マルスはなるべく香織の歩幅に合わせ、香織はマルスについていこうと少し早歩きで居住区の中を進んでいく。


「やぁやぁ、そこにいるのは東島班のマルス君じゃないか!」


 不意に声をかけられたマルスは振り返ってハッとする。久しぶりに見た。安藤班の安藤清志だ。会ったのは狐との戦闘を終えて資料室で調べ物をしていた時だからまるまる数ヶ月も会っていなかったことになる。あの時とは変わらない甚平服で迎えてくれた糸目の陰陽師は再会を嬉しがって近づいてきた。


「ご無沙汰だな。安藤」


「本当に久しぶり。隣は一瀬さんだね?」


「私は初めましてですね。安藤さん」


「うん、よろしくね。それにしてもマルス君。聞いたよ? もう体の具合は悪くないのかい?」


「あぁ、すこぶる元気だ。お前にまで心配をかけてしまっていたとは。申し訳がない」


「あぁ、君が死んだら寧々が発狂して眠れない夜を過ごすことになりそうだ」


 ハハッと笑うマルスと安藤。香織は心から笑うマルスを久しぶりに見た気がした。マルスと安藤の中には序列は存在しない。一種の友人のような分け隔てりは感じるぐらい。少しお互いの話をしたところでマルスと香織はお暇を頂くことにした。


「怪我だけには気をつけてね? 僕たちの班はやっと君たちの序列だった9位になったところだ。この付近の魔獣は僕たちに任せて。君たちの活躍期待してるよ」


「安藤も気をつけるんだな。失礼する」


 手を振って安藤に別れを告げる。彼はマルスの中で人間の在り方を教えてくれたような人物だ。彼のおかげでマルスは気遣いの意味を知った。稲田の時に流した人間としての涙はこうやって接してくれる人間に囲まれたからこその心なのだ。


「いい人そうじゃない。安藤さん」


「少なくとも……戦火の中で生きる人間は逞しいものさ」


 微笑みながら歩き始める。風が暖かい。今日は生きるのに適した日のようだ。居住区を抜けて少し歩いた先にはこじんまりとしたベンチとテーブルが置いてあるスペースがある。木陰の中にベンチとテーブル。本当にそれだけだ。そのそばに立ってあるのが悲劇による犠牲者の慰霊碑である。マルスはその慰霊碑の正面に立って目を閉じた。


「来るのが遅くなってすまない。なんせ生きるのに必死だったもんでな」


 まるでそこに人がいるかのようにマルスは慰霊碑に話しかけるのだ。香織からすれば初めて見るマルスの顔だ。マルスだって……死者を弔いはするのだ。


「ねぇ、マルス」


「どうした?」


「変な質問かもだけど……天国ってあるのかな?」


 香織の言葉を聞いたマルスは一呼吸を入れた後に「あるさ」とだけ呟く。


「あるさ。心配しなくても……アイツらは空の上で立派に生きてる。今頃、死んだ仲間達と一緒にうまい酒でも飲みながら向こうで生きてるはずさ。俺にはわかるんだ」


「なにそれ? 神様みたい」


「神様……。フッ、そうかもな」


 いかん、語りすぎた。マルスは一瞬の冷や汗を拭いながら香織をチラッと見る。隣の香織は黙祷をしていたのかマルスの顔を見ていなかったようだ。彼女が黙祷をしている間にマルスは積んできた花をゆっくりと慰霊碑の側に置いた。


「こんなものしか渡せないが許せ。せめて……死ぬ前までは酒をいっぱい飲ませてやりたかった」


「マルス……」


 人間が勝手に作り、勝手に亜人を滅ぼし、勝手に発展を遂げた勝手な大地にマルスは立っている。神は知らない。人間の業の深さやその可能性に。彼らは一つの文明を長い期間をかけて作り上げることもできれば一瞬で破壊をすることができる。その可能性をいい方向に向けることはできれば神も人間も豊かな暮らしをすることができるのだ。資源は豊かではなく、心が豊かな暮らし。他者を許し、己を高みあげる理想の世界だ。


 俯くマルスに香織は心配したような目線で口を開いた。言葉が途切れるとしんみりしてしまうのが嫌なのか。今日の香織は喋りたがる。マルスはそれを許した。


「私……最近思うのがさ。亜人は先代の私たちの行動を恨んでああやって動いてるよね? よく親から仏様が見てるとかそういうことばっかり言われてきたけど……亜人はまた違う考えなのかな? あれが正しいって思ってるのかな? 亜人がやってることなんて……その亜人が語る思い出の人間と一緒だよ?」


「お天道様や神様なんてものは偽物みたいなもんさ。上から地上を覗くことはあっても彼らに動かせない人間や亜人、魔獣の可能性を恐れて手を出さない。何もしない支配者みたいなもんだ。神がやらねば人がやる。過去に起きた亜人と人間の人魔大戦。人間同士の戦争、核防止の代理戦争や経済制圧。幾多の戦争の成れの果てがこの現代だ。お互い正しいって思ってるからそんな行動ができるのさ。正義の敵は別の正義。その競争で三つの種族は発展を成功させた。その瓦礫の上に俺たちは今立ってるんだ」


「マルス……。そうかもしれないよ? ねぇ、マルスは何をしたいの? 亜人には滅んで欲しいの? それとも……人間のことが嫌いなの? どっち?」


「俺は……人間の可能性を信じている。その一方で……亜人の考えも分かる。俺は……この戦争を終わらせることが目的だ。それが悪だと言われても……変えられない俺の生き様なんだ」


 人間相手に何を話しているんだか、マルスは少し自分の素性を話しすぎたような気がしてチラッと香織を見る。そんな香織は深く考えるような顔つきで慰霊碑を見ているのだ。無理もない。人間からすれば誰目線で話しているのかよく分からない内容なんだから。


「私は……話せば分かるなんて甘いことは考えてない。でも……殺してしまうと……今度こそ私たちは言い逃れできない罪を犯してしまうことになる気がするの」


「香織、心配するな。俺がついてる。それに……守りたい者のために戦うことは罪ではない。お前は弟が見る世界を守るために戦闘員になったはずだ。そうだろう? お前は人間を殺した。それは事実だ。でも……それはお前で終わりにすればそれでいいんだ。もし弟も戦わないといけない世界になってみろ。そうなれば悲惨そのものだぞ」


「う……そうかも」


「すまない。言いすぎてしまったな。香織、俺はお前の味方だ。お前がいたから今の俺がいると言っても過言じゃない。絶対にお前は死なせやしないさ」


 腰から香織を抱くマルス。マルスから彼女の体に触れたのは初めてであろう。自分の心に神ではない何かが生まれている気がした。今こうやって抱きしめている自分は神でも人間でもない何かだが……人間とは何かを知らしめることはできる。この不条理で腐った平和の中でマルスが守りたいものは可能性だった。彼らなら素晴らしい世界を作ってくれるに違いない。そんな可能性を失いたくない。間違った発展をすれば戦争は起きてしまう。踏み外さない発展を踏むことで共存することだって出来るのだ。


 香織をゆっくりと離したマルスは笑った。香織は香織で急に抱かれたことに今だに衝撃を覚えている。


「なんか……抱き方上手くない?」


「そうか? お前が初めてだぞ?」


「ん……ならいいけど。頑張らないとね、一瀬香織。もうマルスの足手まといにはならないよ」


 香織は自分の頬をペチペチと叩いて気合いを入れていた。香織の優しさとその心の強さは偉大だ。その微笑みや心を守るのはマルスの仕事だ。言いすぎてしまった分、今日は香織の好きにしてやろうと思うマルスであった。視線に映るのは研究所で見たマルスではない。少し天然で笑顔が優しい人間のマルスだ。

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