「ハァ……ハァ……ガッ……うぅ……」
荒い呼吸の中に苦しげな呻きも混じっている。マルスは肩で大きく息をしながら剣を構えていた。血が沸騰したのでマズいと思ったマルスは腕を切り落とした。そしてマントを破いてそれで縛り、止血している。マルスからすればそれだけなのだが周りの人間は驚愕の一言で埋め尽くされている。どれだけ痛みに鈍痛なんだよ……とコメントを残すもの、そんな行動をすぐに割り切って行うことができるものなのか? と黙り込むもの。急に切り落とした腕を見て少しだけ気分を悪くするもの、モニターに映る片腕の新人を見て観客として見ている戦闘員は新人殺しにこんな新人がいるという事実を知らされた。
自分たちの知らないところでこんなことをできる新人が存在したことに恐れをなしていたのだ。今まで舐めきって東島班を見ていたのだがここまで急激に成長したのもうなづけるほどに。そんな反応なんてつゆ知らず、マルスは肩で大きく息をしながら一旦、数歩下がって距離を取る。片腕だけで剣を持っているが少し違和感がするだけで構えに関してはなんの問題もなかった。
「痛い……、ハァ……結構ヤバいな……」
依然として激痛はマルスの脳味噌をついてくる。血の流れは思いっきり縛ったマントのおかげで漏れ出すことはないが周期的に鬱血したような気持ちの悪い感触になるのはマルスもゴメンだった。そんな気持ちを振り払うためにマルスは今だに驚いた表情をしている八剣に対して、へへへと笑いながら魔装を起動させて対峙する。マルスが降参する様子を見せないことに戦う意思ありを察した八剣は「鬼螽斯」と魔装を起動させた。
ブゥウウルゥウルル……といった振動音が辺りに響き渡る。ずっと聴いていると頭がおかしくなりそうな音だ。マルスは剣を振りかざして構え直した。そして八剣に斬りかかる。金属質な音がその場に響いてマルスの剣は迎撃された。そうはわかっている。マルスは一旦、片手だけでもいつも通りに斬りかかれるかを確かめてみたかった。それができた今、マルスはすぐに剣を自分の元へと引き付けてもう一度斬りかかる。
八剣の剣は確かに異常な強さを持つ。振動によって光り輝く彼女の剣は高温を宿しており万物を斬り裂く。ツバ競合いなんかしていたら自分の剣が溶けるように斬られて最悪のエンドを迎えてしまう。それだけは避けたかった。受け止められたらすぐに戻してもう一度斬りかかるといった斬撃をマルスは繰り返していくが相手の八剣は淡々と受け止めるのみ。そこから八剣からも剣がくるようになったマルスは押しと引きをよく考えながら剣を打ち合った。
熱い、苦しい、痛い……、マルスの頭にはその三つの単語が目まぐるしく動き回っていた。魔装の身体強化に頼っても片手で勢いよく剣を振るうのはどこか苦しい。それも痛みに少し慣れてきて脳がおかしくなったからか、まだマルスの技量がそこまでなのか、あるいはその両方か。一歩間違えれば肩から斬り裂かれてしまうこの打ち合いのなか、マルスは頭ではなく体で動くようにイメージする。マルスの勘はよく当たる。それに頼るしかないのだ。
時に火花のようなものも散らしながらの剣の打ち合いに観客席の戦闘員は見入るように観察する。ここまで惹かれる試合は初めてかもしれない……といった戦闘員がほとんど。八剣班長の剣撃を受け止めてすぐに反撃するマルスにも焦点が当たる。
「これは……勝てるかもしれないぞ?」
観客席にいるパイセンはボソリと呟いた。八剣玲華と凄まじい攻防を繰り広げるマルスを見て希望が湧いてくる東島班の班員たち。仮に負けたとしてもマルスを責めるわけはないがマルスの攻撃には迷いなんてものは見えなかった。今まで機械のように任務をこなし、どこか人間離れした言動や行動をとる新人ではない。新人殺しの大事な仲間、マルスがそこで戦っている。今必死に戦ってくれているマルスがスクリーンの奥にいる。
「マルス、頑張って!」
冷や汗を垂らしながらスカートの裾をギュッと握りしめて香織は声を上げた。
その頃、マルスは八剣との攻撃と防御を一旦終えて距離を大きく取って深呼吸をしていた。気がつけば息をしていなかった。息をする暇もないほど攻撃ど防御を繰り返していたの方が正しい。剣撃分の空気を貪るように吸い込んだマルスはキッと八剣を睨みつけた。これだけ斬り込んでも相手は全て受け流して反撃してくる。剣筋を見切られているかもしれないと危惧したのである。所詮、剣撃というものは一種のパターンによって構成されたプログラムのようなものである。そのプログラムを読み取られてしまうと流れるように迎撃ができる、当然だ。
ここからは不規則な攻撃を行った方がいいと判断したマルスは剣を蛇腹剣へと変形させた。剣に亀裂が入り、マルスは縦に振りかざすと鞭のようにしなる剣が出来上がる。
それを見た八剣が一言。
「やはり……、あなたの魔装は特殊な代物ですね。何の魔獣と適合したのかは分かりませんがこれだけの身体能力を得ることができるのですから」
八剣から見てもマルスの剣は異常なのだそうだ。マルスからすれば「当然だ」の一言に尽きる。なんせ、もう一人の自分が宿った剣なのだから。2体の魔獣と適合し、その身体能力は最強を誇る八剣玲華。彼女の動きについていけるマルスの身体強化もまた異常と見れる。八剣自身もマルスの魔装のような力を持つ魔獣を見たことがなかったので少し眉をひそめる案件でもあるのだ。実力と経験がまるで噛み合わない。
マルスはマルスで彼女のコメントに許す時間もない。鬱血のような感覚は次第に強くなり、マントで縛っている腕の断面は青黒く疼いてきているのだ。自分の腕の断面であるのだが気色が悪い膿み方だ。舌打ちの後にマルスは横ナギに蛇腹剣を振るった。ウネリを加えながら不規則に襲い掛かる蛇腹剣。扇状に襲い掛かる剣を見て八剣は剣を構えたのだが急に剣は進行方向を変えて下からうねるように襲い掛かった。しかし、八剣は何ということもないように剣を迎撃する。
「この動き……嬢ヶ崎さんの……ですね」
マルスは一回戦で戦った嬢ヶ崎寧々の鞭の攻撃を思い出しながら右腕を巧みに操って剣を振るう。彼女の鞭はマルスの予想を遥かに超える機動性を誇り、動きを制限しながら攻撃を開始する。自分にだってそれはできる。八剣の動きを牽制しながらマルスは猛攻を開始した。八剣は片足を少しあげたり左に少し外れたりと紙一重の回避を繰り返しながらマルスの剣を回避。その後に自身の剣をする合わせるようにして迎撃しながらマルスの元に近づいてきたのだ。
そんな八剣を見てマルスはシメタ! とニヤリと笑い、相手の遥か後方にある剣先を相手の背後から接近させた。しかし、相手は初めからそれがわかっていたかのように剣を変形させて弾丸を放ち、その爆風で遮られてしまう。とてつもない風圧と共に辺りに煙が散漫したのを見てマルスは仕方なく空中に飛び上がった。ちょうど見晴らしのいいところまで飛び上がって八剣の居場所を確認しているとマルスの死角から光の刃が飛んでくる。
「何ッ!?」
一瞬光ったと思えば……凄まじい激痛がマルスの腕に走る。今度は反応できなかったのだ。骨が砕ける音と深く肉を切り込んだうような音を響かせて剣を握るマルスの右腕は飛び上がった。支える腕をなくしたマルスは地上に墜落して頭から強打する。そんなマルスの少し前の位置に剣は突き刺さった。頭を強打したことと右腕を失った痛みが同時に襲いかかって流石のマルスも苦悶に悶える表情をする。
今度ばかりは拷問を受けてきたマルスも耐えることができない激痛だ。あまりの痛みに汗や涙、頭を強打したことゆえの出血が混じって顔がドロドロになりながら血の水溜りの上でマルスはもがき苦しむ。声という声は出ない。喉元からガラガラとして嗚咽が漏れるだけだ。非常に痛々しいがこれも戦闘員の定めであろうか? 是非を問えるものはいない。
それにマルスは幾度となく激戦を踏み、苦痛を経験したことから己が今まで起こしてきた戦争の痛みを十二分に感じているというのもある。チェス駒の中で人間や亜人達はこのような苦痛を経験していたのかと白目を剥きそうになったのだ。
煙は晴れてコツコツと八剣玲華は登場した。特に攻撃するまでもなくマルスをジッと見ている。頭と右腕から血が垂れるマルスを見てもう終わりと思っていた八剣は次の瞬間驚愕の二文字で頭が埋め尽くされる。
支える腕が両方無くなったというのに……マルスは体をうねらせて立ち上がろうとしていた。何回か失敗して血の水たまりに顔をぶつけながら、マルスは片膝をつくことに成功している。足は震え、口からはヨダレ、顔からは血と涙と汗がかき乱されて髪もこびりついた血のせいでバサバサになっている。非常に泥臭い。見てて痛々しいもさながらの光景だ。
そんなマルスの様子を見て観客の戦闘員も「あいつ……マジかよ……」といった声で埋め尽くされていった。左腕を斬り落とした時以上のどよめきが会場に走る。これが戦いというもの。マルスを見てかっこいいと思う人もいなかったし、哀れだと思う人もいなかった。ただひたすらに泥臭かった。カッコよさも頼もしさも微塵のカケラもないただ血と汗と涙に埋もれて蠢く屍のよう。それほどにマルスの行動は圧倒的であったのだ。
そうであってもなお立ち上がろうとするマルスのどよめきをかき消すかのように声が響いた。
「もういいよ……! もういいから……!」
マルスは「香織……?」とモニターを探しながら呟いた。どこかに泣いた香織がいる。マルスはそれしかわからなかった。なんせ、頭はもうクラクラで目眩のように視界の一部がなくなっているのだから。
「もう……頑張らなくてもいいよ……。もう……動かなくてもいいよ……。マルス……!! リタイアしてよ!! ねぇ!!」
どよめきさえも切り裂く香織の言葉。マルスは自分のために言ってくれてるのか? と一瞬とても嬉しく思った。しかし、マルスはやめない。こんなことを言われたなら尚更やめない。やめられない。立ち上がって血で汚れた髪と顔を向けながら見えないモニターに対して声を上げた。
「はは……ありがとな……香織。でも……負けられないし……負けたくもないんだ……」
今になってわかる。負けると知ってもなおどうして人間は戦の中で立ち上がることができたのか? 無謀とも言えるような行動をして立ち向かうことをしたのか? 今になってわかる。チェスをしながらどうしても諦めない人間を見て「このイカレ脳味噌が」暴言を吐いていた自分が恥ずかしくなったほどだ。
太古から人間は今の自分のような精神の元に戦を行っていたことがわかった。自分の正しさ、プライド、魂をぶつけにいっていたのだ。必ず勝って自分のプライドを見せつける。こうすることで運命を切り開く力を人間は持っていたのだ。運命に抗い、己が身のプライドを忘れない。これが立ち上がれる理由である。人間や亜人や魔獣の歴史はそうやって血塗られた戦争の積み重ねでできている。それは今のマルスだって同じだ。新人殺しの意思を貫くにはこの血塗られた戦いに勝つしかない。ここで新人殺しの強さを相手に見せつけるしかないのだ。
あまりの相手の力量に絶望しかけたが最後まで自分のプライドをぶつけたサーシャ、姉を殺してしまった自分を責めながらも必死に乗り越えれるように奮闘して答えを見せた悠人、一度は立ち止まってしまったがそれでもなお立ち上がって真っ正面から拳をぶつけた隼人、次元の違いに慄きながらも引き金を引いた優吾。
右腕が斬られたからリタイアしました。で済ませれる問題ではない。これは戦闘員としてのマルスのプライドだ。ここまで新人の自分にまで繋げてくれた悠人達への恩返しでもあるのだ。マルスの心に初めて生まれたもの。空っぽだったマルスの心に生まれた生きようとする想い。それを繋げるためには今この戦いを乗り越えるしかないのだ。一太刀でも入れてやると思いながらマルスは八剣に宣言する。
「八剣玲華……俺は……痛いだなんて……思わないさ。怖いだなんても……。リタイアなんて……思わない……! これは……俺が戦闘員として見せつけるプライドだ……! 新人殺しの……魂だ!!」
力強く言い放ったマルスは地面に刺さった剣を浮かせて自分の元まで引き寄せる。
「頼むぞ……黒戦剣!!」
魔装を起動させてマルスは無理やり口で咥えて構える。柄をこれでもかという力で噛みながらマルスはギンと八剣を睨む。そこには恐怖も苦痛の色も見えなかった。燃えるマルスの闘志を見た気がした。体の服には血がへばりついており、顔も殆どが乾きかけの血で覆われながらも剣を咥えて構えをとるマルスを見て八剣は止めようとしたが剣を構え直した。マルスはそんな八剣を見て雄叫びをあげながら突撃していく。するとマルスの剣に赤黒い亀裂が入ってモヤモヤとしたあのオーラが剣を纏った。
その瞬間、八剣のガンブレードから光が消える。だがしかし、そんなことなどどうでもよかった二人は激突を開始した。
「ウォオオオオオオアアアアアアアア!!」
雄叫びを上げてマルスは首を振るって八剣に一閃。その一閃の末、八剣の頬からピシィッと一筋の切り傷が通った。そのことに彼女は驚きながらも大きな隙を残したマルスに剣を振るう。
また斬り落とされる音を響かせて上半身と下半身が真っ二つになったマルスは剣を口から離して絶望する。崩れ去る一瞬、大歓声と共にアナウンスが聞こえて「勝てなかった……みんな……ゴメ……」とだけ言い残してマルスは消えていった。
「大将戦勝者、八剣玲華!!!」
会場は大歓声で覆われた。開始以上の大歓声である。消えゆくマルスの光にその言葉はグサリと響いた。
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