その剣がベイルの体から抜き取られた時にはもう、ベイル自身の命は燃え尽きかけていた。振り絞っていた最後の力は寸前で尽きてしまい、勇者はそのまま一つの言葉だけを叫んで幕を閉じる種族の歴史に必死に争っていた。
「姫君……!!」
呆気ない勇者の死、マルスは夜明けまでの戦いが一体、何だったのだろうか。呆けた顔で崩れ落ちるベイルの死体を見た後にその後ろにいた人物に気がついて震えている。差し込む朝日に照らされているのは乳のような白い肌、色一つない透き通り、腰まで伸びた長い白髪、宝石のように見る角度によって違う輝きを見せる青色の目。中々帰ってこないマルス達を心配して駆けつけた福井班は崩れ落ちるベイルの死体を見て驚いたがそれよりも朝日に照らされて立っている姫君を見て震え上がっていたのだ。
「どうして……」
「君……!!」
「そんな……生きていたの?」
大剣を手放した大渕はその場で前のめりに倒れそうになりながらもヨロヨロと頼りなくその女の元に近づいていく。大渕の目に浮かぶのは蜥蜴の亜人、ケラムと初めて戦った時に自分が庇った女、エリーだった。そのエリーと何から何まで似ている。いや、まさに本人だ。
「エリー……? エリーなのかい?」
「……お久しぶりです。大渕さん」
姫君改め、白子改め、エリーニュス改め、稲田班所属戦闘員エリーは一歩だけ近づいて大渕の手に触れた。象のように堅い大渕の手に触れたエリーは軽く指で払うような仕草を取ると大渕の体に青白いモヤのようなものを瞬時に出現させて吹き飛ばした。凄まじい音だけを残してビルの壁に激突した大渕は魔装がなかったこともあって衝撃で頭が掻き回されているように揺れている状態だ。なんとかして壁に手をつきながら立った大渕は冗談めかしたように笑うのと戸惑うことを繰り返しながらエリーを見ていた。
「ど、どうしたんだエリー……。おじさんだよ……、覚えてるでしょ? 生きていたと……はね。おじさん、ビックリだ」
ここまで言ったところで大渕は前のめりに倒れようとしたために近くにいたルイスが必死になって抱き起こした。大渕はボソボソと何かを呟いている。ルイスの耳には聞こえない。口元に耳を近づけて見るとうっすらとだけ、ルイスの鼓膜を震えさせた。
「こうみえて……人見知りだから……。ハハッ、何かの間違いさ……間違い……」
「エリー、君は……!!」
「死んでません。ルイス、突撃癖がなくなったのは結構なこと。ですが……もう気安くエリーとは呼ばないで」
震える咲と柔美。こんなことをエリーは言う人間ではなかった。いや、そもそも人間だったのだろうか。先ほど大渕を包み込んだモヤは魔装に頼ることなく出したものだし、あの剣は稲田班として一緒にいたからこそ知っている。ただの一般装備の剣だ。エリー用にサイズを合わせたオーダーメイド製なので咲はしっかりと覚えていた。
驚きと戸惑いによって完全に動けなくなった福井班の戦闘員。好都合と見たのか砕け散ったペリュトンの魔石を嫌そうな顔でかき集めたあと、右腕からまた光を発して魔石を包み込んだ。卵の殻が割れるように光が消えていくと中からマルスが破壊した時よりも濃く光る傷ひとつないペリュトンの魔石が出てくるではないか。全てをかき消すマルスの灰とはまるで逆。マルスは記憶の中でチェス駒を一緒に動かした女神を、急に始まった追いかけっこや戦争についての話し相手になってくれたあの女神のことをずっと思い出していた。
今まで腕や服など一部のことしか思い出せなかったその姿、突如として現れたエリーを見たその時に顔を思い出した。その女神の顔こそがエリーだったのだ。ビャクヤとケラムの襲撃によって死んだとされたエリー。今思えばおかしい。死体は不明、あったのは破られた服と血潮のついた盾だけ。これでどう死んだと証明すればいいのか。
「エリー……いや、エリーニュス……!」
「ようやっと思い出しましたね。マルス」
「どうして生きているんだ。何故お前がベイルを殺した。姫君とはどういうことなんだ」
「……第一に。私はちゃんと言いました。『貴方と私は同じはずよ』と」
マルスに電流走る。脳髄に記憶されたこの世界でのマルスとエリーの初対面は戦闘演習の二回戦。意味深そうに訳も分からないことを口達者に話しているような気がしていた。あのエリーと話すと決まって剣が思いもよらない動きをしたり、過去の記憶が不意に蘇ったりするのはこのせいだ。エリーこそが鍵となる存在だったのだから。剣の中の戦ノ神が警告を出してくれていたに違いないのだ。
「ケラムに襲われたことにして、私は血を盾に塗り、服を破って亜人の元に帰って行きました。その少し前にビャクヤに獲物についてを話したのもこの私。彼は計画通りの人間の血を啜ってくれましたわ。この後の計画に狂いが起きる懸念があった人間は処理。その話をした後で偶然私が幻狐の処理をすることになったのは驚きましたが……。とにかく、貴方たちのおかげで私の中でケジメというものがついたのです。ですから亜人の方へと戻っていきました。彼らと私の復讐を達成させるのが……私の目的です」
裏切りという言葉では表現できないほどの事実。マルス以上に狼狽していたのは福井班だ。それもそうであろう。今まで仲間だと思っていた少女が内密者であり、稲田や円、小次郎達を失ったあの襲撃を裏で動かしていた人間だった事実、到底受け入れれるわけがない。ルイスは今にでもレイピアで突き刺そうとする勢いを見せるが仲間だったということを含めて突撃ができないようである。
「エリーニュス、ここまでして追い詰め、お前は何がしたいんだ……!? 亜人の肩を持ち、長い歴史を狂わせて何がしたいんだ! 俺がここにやってきたのも……お前が……!」
「マルス」
エリーは今まで動かすことのなかった表情筋を一斉に動かし、戦闘員でいた頃には見せたことのなかった歪んだ笑みをマルスに向ける。釣り上がった目と唇にマルスはハッと何かを思い出しながら呆然としていた。
「本当のことを言った方が楽だと思って? そのお腰につけた剣は一体何の剣なのかしら?」
マルスは剣を抜いて灰を一斉に出現させ、エリーに対して振り上げた。赤黒いマルスの灰とついになるように青白いヴェールのような層を出現させ、マルスの剣を最も簡単にねじ伏せる。マルスを締め上げるように圧縮されたヴェールはそのまま大渕のように吹き飛ばし、マルスの体は地面と激突して体の内側に激痛が走る。
「地上のものを一切受け付けない貴方の覇気があろうと……私には関係ないことです。敵を知るために私はここに入った。短い間でしたね。その間に人間を理解しようと思いました。文化も、考えも、動きも、……そして歴史を」
ゆっくりと起きあがろうとするマルスを一瞥した後にエリーは指を上に向けてクイっと引く。マルスの体は青白い糸のようなものに繋がれて操り人形のように引っ張られてエリーの顔元にまで移動した。
「それでも私は分からなかった……。亜人だけではない。何かの歴史を終わらせてきた責任を感じることもなく、人間は過去の歴史を侮辱する。己こそが一番賢いと……誰かの中で位置をつけたがる。真面目に生きている者から全てを奪う。……エデンの神と同じ。例外なく、貴方も!! マルスッ!!」
突き出された右手をマルスに押し付け、青白いモヤと共に彼の溝に風穴を開ける勢いで一撃をお見舞いする。マルスの口からはためられた唾が噴き出してそのまま悠人達の足元に不時着。朦朧とする意識の中でもマルスは決して倒れなかった。剣を杖にしながらマルスは立ち上がり、それでも対話をしようと声を荒げる。
「エリーニュス、お前は一方の視点からしか見たことがないからそう言えるんだ……! お前は酷い人間の歴史を見たのかもしれない。あの戦争を起こしたのは誰なんだ? お前は見限るのが早すぎる!! あの戦争で亜人がほとんど全滅したのも……人間や魔獣の歴史が狂ったのもお前が起こした戦争によってだぞ!? それを知っていてお前は人間だけが悪いと吐かすのか!?」
「違う……! エデンが神龍をこの地上に創ったあの日から……この復讐は始まっています。身勝手に生み出された貴方と私……、そして身勝手に利用されてきたのは同じでしょう……!! ずっと支配されてきた……エデンに……! 神々に……! そして私の運命に……! 掟によって消えるくらいなら……私は全てへの復讐を達成させる……! マルス、また私たちは再会するでしょう。今は貴方には分からない。ゆっくりと蘇る記憶に苦しみ、待ちなさい」
エリーの背後に青白いモヤが密集して穴のような形になったかと思えばエリーはその中に半分だけ入った。何かを思い出したかのように振り返ったエリーはマルスに、そしてただ眺めることしかできない戦闘員達を一瞥する。もうエリーの顔に表情はなく、感情のないものに見えたが今となっては周りのものを見下していたのだろう。見限ったが故の無表情に見えた。
「私はエリーニュス。讐ノ神、エリーニュス」
エリーの姿は消えた。魔獣達もいない、エリーもいない、残るのは戦闘員と勇者の亡骸だけ。呆然とした表情で空を見上げるマルスは無表情で声も上げずにただ、滝のような涙を流し続けるのだった。
生きる代わりに拭いきれない罪を背負い続ける。それが戦ノ神。
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