戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

端っこの付き合い

公開日時: 2021年4月18日(日) 19:10
文字数:5,102

「ハッ! ヤァ……! ……うぅ……、ハァア!」


 居住区からかなり離れた事務局の端、対空砲付近。この事務局は巨大な壁で囲まれた構造をしておりその壁には魔獣を追い返すための対空砲などの兵器が内蔵されている。緊急の事態にはこの付近に非戦闘員が集合して対空砲を操縦して魔獣を追い返すのだ。しかし、こんな状況になったのは鳥人族のベイルが襲いかかって来た時だけである。


 槍を素晴らしい速度で振り回す少女、サーシャ・エルフィーは滅諦に人がやってこないところをいいことに訓練場所として使っていた。思う存分、大きく動いて槍を振り回しても誰も怪我させることなく訓練をすることが出来る。今日はいつも以上に素早く槍を振っていた。この生活は決勝戦が終わってからずっとだ。目の前に敵はいないがサーシャの頭の中にはあのニコッと笑いかけてくる黒髪、右目に傷を持った青年、弘瀬駿来が映し出されている。頭の中の情報だけで弘瀬駿来と戦っている生活をずっと続けているのだがいつになってもサーシャは彼に勝てる気がしなかった。


 あの決勝戦。班長である悠人は自分のことは一番実力があるという理由で先鋒戦に出場させてくれた。それなのに、敵に一切の攻撃を当てることなくサーシャは敗退。本気すら出してくれない状況でサーシャはすれ違いざまにハルバードで胸を切り裂かれて光となって消えていった。


「情けない……、情けない……!! もっと速く、もっと強く!!」


 サーシャはあの時の屈辱を思い出して奥歯をガリリと音を立てて噛み締める。非番の時はこうやって訓練を続けるサーシャに対してパイセンがわざわざ自分の部屋まで着てジュースを渡してくれた時があった。あの時のパイセンは心配した表情で「俺でよかったら話を聞くぞ?」と言ってくれたのだがサーシャは「自分の問題だから」と言ってパイセンを追い返してしまったことがある。


 心配してくれることは嬉しかったのに……何かが違った気がした。あの時のパイセンの顔はどこか曇っていたことを思い出して奥歯をさらに食いしばる。悠人は上を目指すことができているのに自分は……、と思うと怖くて仕方がなかった。自分だけが置いてかれると思うと……。ここでサーシャはグルン! と横なぎに回転して水を放射状に思いっきり飛ばす。槍から発せられた水流は放射状に辺りに飛んでいった。


 そして呼吸を忘れて槍を振り回していたことを知って近くの壁に手をついて肩を大きく動かしながら息をする。コンクリートのようなザラザラした壁に手をつきながら汗と槍から発せられた水でビショビショになった服を見てため息をついた。水色のシャツにショートパンツを着用、下に水着を着ていたので透けてても大事なところを見えてないので大丈夫かと思いながら空を見上げる。


「……ちょっと」


 空を見上げていたサーシャは急に声をかけられてハッとしながら振り返った。誰!? と人が来ると思わなかったサーシャは驚く。その先には灰色のフード、黒いショートパンツを履いたショートの銀髪、少しキツイ目をした女性がいた。サーシャは初対面の女性だったが相手はサーシャを知っているという状況。でも彼女の服を見ると灰色であるフードを中心にびしょ濡れになっていたのですぐにサーシャは頭を下げた。


「あ、ごめんなさい!」


「きゅ、急に謝らないでよ。別に大事なものは濡れてないから。アンタ、東島班の副班長でしょ?」


「そうですけど……」


「班長がアンタと戦ったって言っていたわ。私は稲田班副班長の月輪円つきのわまどか。新人さんとあなたの班長と戦ったのよ」


 銀髪の女性こと円は頭をゆっくりと上げるサーシャの真横までゆっくりと歩きながら移動して壁に背を突きながらゆっくりとその場に蹲み込んだ。上から先輩を見ることは気が引けるのでサーシャもゆっくりとしゃがみ込む。彼女自身、あまりしたことがない姿勢で少し下品じゃない? という感想を抱いたが円は満更でもない様子。


 そして「これが濡れてたら怒ってたけど」と言いながら円はポケットから見た目とは想像のつかない代物を取り出してサーシャの口角をピクピクと動かさせる。


「吸ってもいい?」


 タバコを口に加えながらサーシャを見る円。身長150センチで落ち着いた印象を与える顔つきからは想像できなかったタバコというアイテム。断る理由などないのでうなづいたサーシャを見て円はライターをカチッとつけてタバコに火をつけた。その場にスゥ〜と煙を吸う音が響き渡って円は満足そうな顔つきで煙を吐き出した。そんな円の姿が意外すぎてサーシャは彼女に聞いてしまう。


「あの……どうしてタバコを吸ってるんですか?」


「私があなたぐらいの頃はチビな体をみんなからバカにされたのよ。『ちっこい体型なんだから一番向いてない仕事は戦闘員』って言われたから戦闘員になっちゃってた。タバコは……吸ってたらカッコいいって思ってた私がいたの。アンタは吸っちゃダメよ?」


 たしかに円の体つきは小ちゃい。背が高くて華奢な体格のサーシャから見れば円は年下なんじゃ? と思ってしまうような体型だった。「あー……」と返事をしたサーシャに対して円は「班長には言わないでね」と一言。


「今のところ、私が吸ってるのを知ってるのは大渕さんとアンタだけになるわね。実は……ずっとあなたの槍を見てたのよ?」


 またタバコを吸って煙を吐き出しながら円は目線だけをサーシャに向けて少しだけ微笑んだ。サーシャは見られてたのかぁ……と少しだけ恥ずかしいような感情になる。


「見てたんですか? それなら声をかけて欲しかったですよ。月輪先輩の服をびしょ濡れにしないですんだし……」


「月輪先輩だなんて……円でいいわよ。そういえばアンタいくつ?」


「えっと……18です」


「そう……。スポーツには精通してたから知ってるんだけど……水泳選手よね? 元々」


 体が大きく震え、濡れたシャツから冷たさが一気に襲いかかる。サーシャは一番知られたくない黒歴史に近い過去を知られていたことに恥ずかしすぎて顔を隠したくなった。そうではあるが円の顔は嘲笑うような笑い方には見えなかった。どこか優しくてどこか哀しい、神妙な顔つきである。


「よほどのことがあったんでしょ? 本来なら戦闘員をしなくてもいいほど成績は良かったじゃない」


 サーシャはアメリカ人の親を持ち、生まれもアメリカであったが親戚が日本人でその人物を頼って日本へやってきた帰国子女とも言い切れないような人物である。何故、日本に住む親戚を頼ることになったかというと大好きだった水泳を極めるためだった。アメリカで始めた水泳にサーシャは嵌まり込んでいき小学生の頃から記録会で好成績を残すサーシャを見て当時インストラクターをしていた日本に住む親戚がサーシャを選手へと成長させたいと手紙を送ってきたのだ。遠い親戚だったので最初は悩んだがサーシャは自分で親戚を頼って日本へとやってきた。


 水泳の推薦で日本の強豪校に入学したサーシャは元々日本が好きだったので日本語を覚えることは別に苦労はしなかったが毎日の厳しい水泳の練習には根を上げそうになった。それでも応援してくれる親や親戚のインストラクターのためにサーシャは練習を頑張って全国大会で優勝を果たすという輝かしい経歴を持つ。そこから更に世界へ目指すための練習が始まったわけだが周りの期待が大きくなるにつれてサーシャは仲良しだった水泳仲間からも距離を置かれるようになる。


「有名人税っていうのかしら……。みんな私が怖くなったらしくて……気がついたら一人で泳ぐだけになってました。私から話しかけようとしても冷たい視線で見られるし……そんな私に気がつかないで大人は『もっと速く!!』って焦らせるし……気がついたら引きこもりで学校を退学したんですよ……」


 過剰な期待をかけられたあまり、友人を失い、希望を失ったサーシャは水泳を捨てることになった。親は急に空っぽになったサーシャを見て「何のために移住させたんだ!」と彼女を叱責する毎日。将来のことについてぼんやりとした不安を抱えていると家に一通の手紙が届く。その手紙に書かれた場所へ行くと一人の女性が自分に声をかけてきた。眼鏡の奥にギラリと輝く鋭い目を持ち、スーツで身を固めた硬派な女性。レイシェル所長だった。偶然、サーシャのことを知ったレイシェルは戦闘員になることを提案。他に行き場所がなかったサーシャは少ない荷物をまとめて家族に別れを告げて事務局に入っていったのだ。


「そこから上位適合だと判明して……戦死した東島班の副班長の代わりとして私が入隊することになりました。あの頃は無理に元気を作ってたけど……反応してくれたのは一人だけでしたね」


 無理やり元気を作って自己紹介した時に唯一目を合わせてくれた人物。当時は銀髪という名前で呼ばれた戦闘員によって育てられた少年、パイセンだった。彼だけがサーシャの自己紹介をジッと黙って聞いてくれたのだ。そこから彼に話しかけてみると必要最低限の話はしてくれるのでもっと仲良くなりたいと思って絡み始めて今に至る。


「……そのパイセン君のことは好きなの?」


 サーシャの話を聞き終わった円はもう一本、おかわりのタバコを取り出して吸い始める。サーシャは「えぇ……っと」と顔を赤くしながらポリポリと頭を掻いた。


「好きっていうか……なんていうか……一緒にいると落ち着くんです。ポカポカしてくるっていうか……。眠たくなってくるぐらいに安心できる存在が彼です」


 円は「それが好きってことだけどなぁ」と少しだけ面白く思ってフフッと笑った。


「そ、じゃあ頑張りなさい。ポカポカする彼のことを大事に思うことね」


 円は立ち上がってフフッと笑った。その嘘偽りのない笑顔を見てサーシャはやっぱり落ち着いた人だなぁと円についての印象を固める。


「班長はアンタことをまっすぐな女性って言ってたわ。今の話を聞いてわかった」


「え?」


「アンタの素直さは好きよ。でもそれが自分に突き刺さってるようじゃあ……いつかパンクする。決勝でアンタは屈辱的な敗北を味わったのかもしれない。それでも、それでもアンタのことを応援してくれる男は側にいたんでしょ? 過剰な期待じゃあなくて包み込むような……ポカポカするような男がさ」


 ハッとしてしまう。決勝以降は恥ずかしくてどこかパイセンを拒絶、心配してくれた悠人をも振り切ってしまうような大人気ない行動をしていたサーシャだが、彼らは自分の気持ちを考えずに引き抜こうとするインストラクターとは違うことを思い知ったのだ。それに円は悠人によって演習で倒されている。彼女にとっても屈辱的な敗北になっていたのかもしれない。それでも2位の副班長としての気品を失わないその姿勢、サーシャは心からカッコいいと思えた。


「円先輩……わたし……!」


「アンタになら分かるはず。話の続きはまたにしましょう。ポカポカする彼のことを大事になさい」


 円は肩越しに手を振ってその場から走っていった。「あ……」と声を上げて手を伸ばした頃にはもう彼女の姿は見えない。もっと話がしたかったのが本音だが……と思っていると聞き覚えのある男の声がする。


「サーシャぁ、ここにいたのかよ〜」


 比較的呑気な声で腕を組みながら歩いてくるパイセン。彼はなぜか顔を真っ赤にしながらサーシャに近づいて一瞬、周りを見渡すように首を動かす。


「……どうしたの?」


「いやぁ! 何もない。それよりもさ……」


 パイセンは懐から缶ジュースを取り出してニッと笑う。サーシャが大好きなぶどうジュースだった。100%の濃い味のぶどうジュース。パイセンは苦手で飲めないと言っていた代物なのに缶は二つある。


「ジャーン! お前が好きなぶどうジュース。今日も訓練してたんだろ? そんなサーシャにご褒美だぜ」


 ほらよ、と缶をサーシャに投げ渡すパイセン。サーシャが受け取るとパイセンは彼女の隣で壁に背中を預けながら缶をプシュッと開ける。


「キンキンに冷えてるんだ、今のうちに飲めよ」


 グビッと飲み始めるパイセン。しかし、いつものように途中でむせる様子を見てやっぱり苦手なんだ……ということが感じられる。そんなパイセンに笑顔を向けながら缶を開けてジュースを飲むサーシャ。彼女が飲むタイミングで「どうだった?」と顔を向けてくれるパイセンを見てサーシャは笑顔である言葉を答えようとしてしまったがグッと喉元で止める。


 その時にサーシャもむせてしまい、それを見たパイセンは大きな声を上げて笑い出した。「お前もかよ!」と笑うパイセン。今はまだこの関係を楽しもうとサーシャは決心する。これ以上ないくらい……パイセンを好きになりたいと思うサーシャなのだった。

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