「ひでぇ1日だった……」
マルスは部屋のベッドに寝転びながらため息をつく。銭湯に行ったのは昨日のこと。何故か蓮と慎也に連行されて慎也から本気の「アホですか?」という一言をもらった後に食事を再開しようとするとみんな無言で周りの視線を気にしながらすごいスピードで食べていた。結局よく味わうことが出来ずに食事は終わり、ロッカーから魔装を取り出してマルス達は逃げるように事務局へ帰って行ったのだった。カツ丼、美味しかったので味わって食べたかったのだが……とマルスが口に出そうとしたが香織の顔が少し曇っていたので本気でやらかしたか……? とマルスは心配になり気まずい夜を迎えたのだ。
そして今は朝の10時半。今日は珍しく非番の日だったのでマルスは二度寝をし、今起きたという経緯だった。そろそろ起きないとダメかとマルスはゆっくり半身を起こして大きなあくびをした。
「あぁ……あ……、今日は何をしようか……」
彼の独り言は香織が買ってくれた雑貨が全て受け止める。白いカーテンが外からの風を受けてユラユラとたなびいていた。とりあえず、飯を……とマルスはベッドから立つとコンコンとノックの音が。ドアをガチャリと開けるとそこには香織がいた。カーディガンを下に白っぽいシャツ。そして黒のスカートを履いた香織だった。足は黒タイツで覆われており、露出は控えている。顔は少しモジモジしたような顔。
「……何か用か?」
マルスがあくびをして寝癖で跳ねた髪を手ぐしで整えていると香織は口を開く。
「ね、マルス。二人でお買い物行こ?」
「……面倒だ。行きたくはない」
「んもぉ! マルスの買い物に付き合ったのは誰?」
「俺は頼んでなかった」
「そこは私のこと言ってよ! ほら、準備して準備して」
香織から提案されたのはまた街へ行って一緒に買い物に行こうという誘いである。非番の日ぐらいゆっくりさせろとマルスは言ったのだが過去に手伝ってもらったマルスの買い物を引っ張り出されて彼女は強引にマルスを着替えさせた。緩い寝巻きだったマルスは黒い羽織り物も下に赤色の半袖シャツ、ジーンズのコーデを着させられ、香織に選んでもらった寝癖直しスプレーと櫛で髪を整えてもらった。
「お前、優しく髪をいじってくれるんだな」
「元々は美容師になりたかったからねぇ。ほら、魔装持って! 行くよ!」
「……ハァ」
ここまで準備をしたのはいいがマルスにとってものすごく苦痛であった。街はマルスの興味を引くものでいっぱいだが人が多い。それがマルスは苦手だったのだ。しかし、香織の誘いは中々断ることができないマルスがそこにいた。
剣を背負って起動させる。身体強化が施されたマルスと香織は事務局の門から一気に街まで疾走した。香織の服は戦闘服じゃあなく完全にお出かけ用なのだがこんなに疾走して大丈夫なのか? とマルスは心配したが香織は満更でもない様子で走る。
「おい……服大丈夫かよ?」
「大丈夫、スカートの下はタイツだし」
「そういう問題か……?」
街に着くまでの疾走の間、かなり際どいラインまで浮くスカートを見てマルスはサッと目を逸らしたのだった。そんな調子で街へとつく。スピードを少し緩めて走ったので到着時間は11時前だった。
そこからマルスは剣をどうしようか? と悩む。このまま目的地まで行くのもいいが変に目立ってしまうのは勘弁。そう思ったマルスは剣の鞘ごとナイフ程度の大きさに縮小させることを思いついた。できるかどうか不安だったが剣は鞘と共に縮小していく。ちょうどズボンのポケットに入ったことにマルスはニッと笑う。
「本当にそれ万能だね」
「自分でも驚いてる。香織、お前の魔装はどうした?」
「腰に下げてるよ。色合い的にそんなに目立たないと思う。持ってきてるのは通信機とこれだけだし」
シャツのポケットにうまい具合に入れ込んだ通信機を指差しながら腰に下げた太鼓のバチ形態の彼女の大槌。ある程度都合がよくても「魔装だから」といえば説明はつくことにマルスは驚いた。
大通りを歩いていると視界の奥に巨大な建物が姿を表す。広大な土地の真ん中にドスンと構えた建物。そこに多くの人が入っていくのが見えた。近くに連れて大きくなる建物を見てマルスは「おぉ……」と声を出す。
「これが目的地のショッピングモールだよ〜。マルスは初めてかもね」
いわゆる駐車場の中をマルスと香織は歩いている。車が大量に置かれた駐車場を見てマルスは「えぇ……」と声を上げた。
「民間人はこんなにゆとりのある生活をしてるのか?」
「まぁね、でも魔獣が来たらここの地下がシェルターになるらしいから。緊迫感はあるんじゃない?」
昨日香織から教えてもらった警備班、彼らが街や魔獣を監視しているとはいえ想像以上に民間人がのんびりと暮らしているこの現状。これは亜人も怒ることだ……とマルスはため息を漏らした。施設内に入ったマルス達はまず香織が目についた服屋を見ることに。見本とも言えるコーデを決めているマネキンをマルスは眺めていた。こんなに精密な模型をも作ることができるのか……とマルスは人間の発展を改めて思い知らされる。
自分が幽閉されている空白の期間にこれだけの発展を……。ここまで考えていると後ろからチョンチョンと背中を突かれる。ハッとして振り返ると香織が何着かの服を持ってきていた。
「これ、似合うと思うかな? 試着してみていい?」
健気にニッコリ笑って服を見せる香織をみてマルスはフッと笑った。自分の知らない空白の期間のことを考えても仕方がない。今は彼女との時間を楽しもうと思える。試着室に連れて行かれて近くの椅子に座らされて待つことになったマルス。戦闘服の香織しか印象のなかったマルスは少しだけ楽しみだった。そのままの姿の香織も十分に綺麗だと思うがおめかしをするか……、と考えているとマルスの目の前の試着室のカーテンが開かれる。
「ジャーン! どう?」
カジュアルなコーデを決めた香織。肩が出ていたりと露出は多い方だったがとても似合っていた。マルスは事細かく言ったほうがいいのかと迷ったがすぐに口を開く。
「綺麗だよ……すごく」
その言葉を聞いた香織は口元を手で隠して顔を真っ赤にした後、「買っても……いい……?」と聞いてくる。どうして聞くのか、マルスには分からなかったが「給与のことを考えとけよ」とだけ言い残した。
そして何回か、香織のファッションショーが開かれることになるがマルスの感想は「綺麗だよ」しか出ない。それ以上の言葉を紡ぐことが出来ないくらい、彼女の健気さにマルスは惹かれていた。
「ありがとうございましたー!」
袋の中に何着かの服を入れてもらって通信機で会計した香織は満足そうな顔をして袋を「ジャジャーン!」と掲げる。その行動が少し面白くてマルスはフフッと笑ってしまった。
「何笑ってるの?」
「いや、お前……健気だよな。見てて微笑ましいよ」
「そ……、ありがと」
モジモジする体を隠すかのようにギュッと袋を抱きしめる香織。香織自身、演習の最後に抱きついたあの日からマルスの言葉や態度が緩くなったことが感じ取れていた。元々は班員としての肩書だけで自分を見ていたのに抱きついたあの日から異性としての一瀬香織を見られてるような気がして、香織の心に春がやってきたのだ。
そんな香織の思いなんてつゆ知らず、人混みに溢れてきた店内を見てマルスはため息をつく。香織の身長は175センチほどのマルスの肩ほどなので小さい。このままだったらはぐれてしまう……と思ったマルスは袋を抱く香織の左手をギュッと握った。
「……え?」
「はぐれてしまったら面倒だ。何か食事を見つけるまでの辛抱さ」
そう言って香織の手を引いて歩き出すマルス。そういえば寝起きで朝ごはんを食べてなかったマルスはお腹がペコペコなんだと香織はきずく。ここのフードコートまでの道を教えてやりたいが彼の「食事を見つけるまで」という台詞が引っかかっていた。銭湯の時とは違ってギュッと握るマルスの温かみを感じる。彼女の左手をマルスの右手が包み込んでいる。香織はクスッと笑ってマルスの右手と自分の左手を絡ませて恋人つなぎを作ってみた。少し違和感がしたのか、マルスは「ん?」と声を上げる。
「……なんだ、これ?」
「こうやって絡めた方がはぐれないですむよ?」
「それもそうか」
香織の逆転の発想が叶った瞬間である。マルスの社会常識のなさを利用して恋人つなぎを実現させた香織は「計画通り!」と言ったいやらしい顔をする。そんな香織に気がつかなくてギュッと恋人つなぎで手を包み込んでくれるマルスを見ると「可愛い……」といった感想が漏れ出てしまった。
「ん? なんか言ったか?」
「え? あぁ、違うよ! 何もない」
「そうか、荷物大丈夫か? よければ持つぞ?」
マルスは驚く香織を放っておいて荷物を手に取ろうとした。その時である。
「キャアアアアアアア!?」
どこかで絶叫が響き渡った。なんだ!? とざわめく施設内の人々。マルスと香織はうなづいて人混みをかき分けて進んで行った。どんどん声の主の悲鳴が近くなっていく。なんとか逃げる人をかき分けて進んだ先にはうずくまる女性が一人。
「どうしたんですか!?」
香織がすぐに近づいて女性を落ち着かせる。聞くと紫色の狐が急に現れて驚いたと。
「狐……?」
「そ、そう……狐よ……。フッと現れて唸っている狐……」
その時であった。ショッピングモール内にサイレンが鳴り響く。けたたましい音を響かせて鳴り響くサイレンを聞いて香織が「そんな……」と声に出した。
「おい、香織! これって……」
「避難警報……ってことはここに魔獣が……!」
たちまちショッピングモールは阿鼻叫喚の場と化す。多くの人が逃げ惑う狂気の空間となってしまったのだ。通路は大勢の人を通らせるほどの広さはあるが入り口出口に人が密集しているので更にパニックを引き起こす。
その時、通信機から通信が入る。すぐに応答するマルスと香織。
「聞こえるか? 東島班の二人。私は警備班の者だ」
これが警備班……、とマルスが考えているとすぐさま説明が入った。このショッピングモールに|幻狐《イリュージョンフォックス》の群れが突如出現。怪我人は複数いるが死者は出ていない。現在、駆けつけた警備班が避難誘導を行っているので自分たちはショッピングモール内の狐の討伐を依頼。
幻狐パイセンが謎の足跡と言っていた魔獣だ。生態や能力は今だにわからないがどうして魔獣がこんなところにいるのかが分からない。普通なら生息地の森林から出た時点で警備班に引っかかるだろうに。そう考えながらマルスは通信を聞いた。
シェルターの入り口は駐車場にあるので誘導できれば民間人の安全は確保できるということだった。マルスはすぐに女性を起こして歩けるかどうかを聞く。女性はうなづいたのでマルスはここから近い出口へ向かって駐車場へ出ていけばいい、そのために俺達があんたを出口まで送る、と。
「出口には警備班がいてくれているあんたをシェルターに送ってくれるはずだ」
「わかりました……でもあなた達は逃げなくていいの?」
心配した表情でマルスと香織を見る女性。マルスは無言でポケットからナイフ状の黒戦剣を取り出して素の形状に戻す。鞘からジャリィイン! と剣を抜いてマルスは一言。
「俺達は戦闘員、東島班の者だ。分かったなら行くぞ、いいな?」
女性はコクコクと頷いた。起動させている通信機からまた警備班からの通信が届く。
「偶然、ショッピングモールの近くにいた戦闘員にも招集をかけた。彼らと合流して共に討伐してくれ。それと、逃げ遅れた人はいないか?」
「あぁ、今出口まで二人で送っている。女性だ。彼女を渡した後は自由にやっていいんだな?」
「そうだ、でも壊しすぎるなよ?」
「わかってる」
マルス達が女性を発見したのは一回の真ん中よりも少し奥程度なので比較的近道を通って出口まで誘導できる。その時であった。マルスの目の前に狐が現れたのは……。
「グルル……」
大きさは1メートルもない大きさだが鋭い牙を見せながら唸る紫色の狐。フッと瞬間移動をしたかのように現れた狐を見てマルスは舌打ちする。
「怖かったら目をつぶれ、いいな?」
女性はうなづいて目を瞑った。女性を囲むようにマルスと香織は立つ。マルスめがけて飛びかかってきた狐を彼は剣を伸ばして串刺しにすることで回避。あっけなく狐は死んだ。
「なんだ、呆気ないな」
マルスがそう言って吐き捨てると次々にフッフと狐が姿を表して逆にマルスと香織を囲い始めた。その数は計り知れない。二階、三階と吹き抜けになっている構造なのだがその上にも自分たちを見下ろす狐の影が……。
「何匹いるんだよ……!」
「群れで生活するとは聞いていたけどこれじゃあ……」
これだけの数を相手するとなれば女性を守りながらは困難である。それにマルスと香織は戦闘服を着ていない。軽い一撃でもこれでは致命傷につながるものだってあるのだ。
「キュゥウウウウワァアアアア!!」
狐が一斉に吠えてマルスと香織に飛びかかった。覚悟を決めて女性の壁になろうと両手を広げると……パキャァアアン! と聞き覚えのある音が聞こえる。自然と目を瞑っていたマルスは目の前にいた人物を見てハッと息を呑んだ。
「大丈夫? 東島班の二人」
「エリー……」
そういいながら振り返ったのは純白の大楯を掲げる謎めいた戦闘員、エリー。その人だったのだ。
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