「ハッ!? え……?」
救護室に勢いよく響く声。その人物はシーツを同じような勢いで蹴飛ばし、困惑したかのような声を発する。当然だ。赤髪の騎士、ルイス・ラッセルはどうして自分がミイラのように包帯で身体中を巻かれているのか分からなくなっていた。記憶を蘇らせる。脳裏の奥にぼんやりと浮かぶのはフルルと喉を鳴らすトカゲの亜人だった。薄れゆく意識の中でその亜人は仲間の顔を掴んで引きずり回す。
「俺は……ッツ!? 副班長は!? エリーは!? 大渕さんは!?」
「良かった! 目が覚めたのね」
「あ……田村さん?」
ルイスはベッドの周りのカーテンをジャッと開けて安心した表情で微笑みかけた一人の看護師を見た。相手はホッとした表情で側の壁にもたれこむ。三十路の看護師、田村由依だ。怪我が付き物の前衛で戦っていたルイスはこの救護室の常連のような人間であった。怪我をしているルイスはもう見慣れているはずだ。そんなルイスを見る田村の目は哀しみと喜びが混じった神妙な顔つきであった。
「目が覚めて良かった……。これで稲……いや、みんなも安心するわ」
最後の記憶はトカゲの亜人に嬲られた後に東島班に助けてもらったところ。あの東島悠人に患部を冷却されて稲田班長達を助けに向かったところで自分は心の底から安心しきって気を失ったことを思い出す。全身に包帯が巻かれているとなるとよほど自分の怪我は酷かったようだ。少しだけ表面を剥がしてみると怪我は治っているがひび割れのような異様なアザだけが残っていた。
「……そうか。ちょっと待て、田村さん」
「どうかしたの?」
「班長はどこだ」
ルイスはさっき「稲田班長も安心するわ」と言わなかった田村への違和感を募らせている。声色を低くしてキッと睨み「どういうことだ?」と詰め寄ろうとしたが自分の手首に繋がった点滴チューブが引きつって嫌な痛みを走らせたため、ルイスが動くことはなかった。そうだとしてもルイスの目は鋭くなっており、そこに看護師と患者の関係はもう崩れている。ある意味で脅迫じみたこの状況、田村は田村でこのことを伝えるべきかどうかを迷うことになる。現実は教えたほうがいい。そうだとしてもルイスの依存性をみるに掴みかかりにくる恐れもあった。この男は自分から動くことは少ないが誰かが動かそうとすると一直線に動く鉄砲玉のような人間なのだ。
そんなルイスに対して声をどもらせていると田村の背後にうっすらと包み込むような影が。ハッとして振り返るとそこには大柄な体格の戦闘員、大渕泰雅の姿がある。先程目を覚ました大渕は田村に渡してもらったシャツとズボンを着こなしていた。大渕の顔は哀愁漂うなんとも言えない顔である。
「大渕さん……!?」
「やぁ、ルイス君。おじさんも危なかったよ」
ニッコリ笑って田村の肩をポンポンと叩いて「ここは任せて」と小声で伝える大渕。察した田村はコクコクとうなづいて一礼してからベッドから離れていった。伝える役は田村でなく、自分でいい。大渕は仕事に戻った田村を見送ってフッと笑う。マイペースな大渕に我慢ができなくなったルイスは食い込む針に対して気にも留めず、大渕に掴みかかった。
「班長は……! 稲田班長はどこですか!」
「……死んだよ」
大渕の口から吐き出された真実。ルイスはたったの四文字であるのに耳が拒絶してしまい、「……は?」と言った返事しかできなかった。そもそもルイスにとっては信じられないことである。あの強さを持った班長が死ぬということは信じがたいことでもあった。
「おじさんと君は東島君が応急処置をしてくれたからこうやってミイラになって生きてた。でも光輝君や円ちゃん……エリーや小次郎君達は……死んだよ」
「は……? ちょっと待ってくださいよ! そんな嘘つかないでください! そうだろう!? アンタ嘘下手くそじゃないか!! えぇ、嘘って言えよ!!!」
ルイスは点滴のチューブを無理やり引っ剥がして大渕に詰め寄り胸グラを精一杯掴んで声を上げる。大渕はため息をついてからグッとルイスの腕を掴んだ。病み上がりとは考えられない凄まじい腕力にルイスは現実へと帰還される。今自分が行ったことにハッとしながら腕を離した。
「生き残ったのはおじさんとルイス君、咲ちゃん、直樹君、柔美ちゃんに張だけだ。他は死んだ。あの亜人が殺したんだ」
大渕だって信じたくはなかった。それにルイスはまだ22歳。ずっと尊敬していた班長や仲間の死を真正面から受け入れるのは難しいと感じている。本人にも嬲られたトラウマがあるだろうがそれよりも死の事実が衝撃的であることは分かっていた。それでも伝えなくてはならないことも。
「嘘だ……、そんな……班長が……」
「嘘じゃない。この話はこれでおしまい。おじさん達はこれからどうすべきかを考えないといけない。ほら、着替えは用意してあるし包帯も取れるはずだ。着替えてくるのを待ってるよ」
大渕はルイスの肩を叩いてカーテンをかけ直す。少し離れたベンチに座ると短い間にたまった疲労感が一気に押し寄せてきて呼吸を荒くした。そんな様子を見ていた田村が急いでコップに水を入れてやってくる。大渕はありがたく頂戴し、一気飲みをし終わった後に盛大にため息を吐いた。
「大丈夫ですか……?」
「大丈夫だ。心配かけたね」
大渕はコップを返してゆっくりと立ち上がった。大柄な体格で180センチ近い体を持つ大渕のそばにいる田村は本当に小さく見えた。気さくに笑ってはいるがその心のうちはどんな心境なのか、田村には量り知ることができない。
「久々に……疲れたよ」
不意に大渕が喋り出した。
「いい子だったんだ、エリーね。初めはツンツンしたような面倒くさい女の子だって思ってたけど……素直に話は聞いてくれるし、意見だって言ってくれる」
大渕が目を覚ました時、まず初めに聞いたことはエリーのことだった。彼女を庇って刺されてからは意識がなかったため田村に聞けば死体すら見つかれなかったと言われ、一瞬だけ絶望した。代わりに送られたのは返り血がついたエリーの盾である。その盾を見た時に大渕は不意に声をかけてしまったのだ。
「エリーは……今まで守る立場だったんだ。入隊してくれた時からずっと。前でみんなを守る女の子。でもね……でも……おじさんは守れなかった。守れなかったんだ……」
彼女には希望を感じていたのだ、若さ故の希望。何か強い決心を見せる瞳、揺るぎない精神など。だから大渕はエリーに興味が湧いて彼女が班にやってきてくれた時に酒に酔った勢いで色々聞き出してしまった。所在や戦闘員になった理由、趣味などを。エリーは詰め寄ってきた大渕を無視せずに一つ一つ答えてくれた。全て「あなたには関係ありません」だったが。慣れないはずの屋敷での生活だったはずだがエリーは色々なものを観察しては「これは何でしょうか?」と大渕に質問する。実際、彼女の質問ごとはとても細かく一日相手するだけでも本当に大変だった。それにも大渕は丁寧に教えてあげたという。
「娘……みたいになってたのかな。おじさんにもよく分からないけど……エリーに希望を感じていたのは確かだね。でも……こんな簡単に人が死ぬってことを見せつけられておじさんは困惑してる」
そこまで話したところでジャッとズボンに着替えたルイスがやってきた。ずっと包帯に巻かれていたのでぺったんこになりつつある赤髪、そして今だに納得がつかないような目をしたルイスが。
「田村さん、ルイスに伝える役はおじさんでよかったよ。彼も頭を冷やす練習をしたほうがいい」
「いえ……そんな……」
大渕は独り言を聴いてくれた田村にお礼を言ってからルイスを連れて救護室を出た。ルイスはルイスで「大渕さんだって悲しんでるじゃないか」と思いながらも共に部屋を出る。
一人残された田村は大渕から受け取ったコップをジッと眺めて彼らが去っていったドアを眺めていた。そしてコップを近くのデスクに置いて短いため息をつく。その様子を部下の一人が心配そうな目で見てきた。
「主任……大丈夫ですか?」
「ええ……少し疲れただけよ」
田村はもう一度コップを手に取ってルイスと大渕が取った包帯を手に取る。救護班の自分ができることは何かしら……と一人物思いに沈むのだった。
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