戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

原初の残骸

公開日時: 2022年7月16日(土) 20:42
文字数:5,180

 向かうべき調査場所まではほぼ長い一本道だった。一面が田んぼか畑、その奥に気高い山脈が見える。年中雪が積もっている山肌には雪解けが作った様々な模様があり、現地の人々はこの模様で物語を作ったりするようだ。マルスは膨らんだザックをもう一度ゆっくり、背負ってから周りの山々を見ていた。

 この近くにエリーニュスはいるのだろうか。今まで自分達を苦しめた亜人はこの近辺にいる。それも人間の街の近くにだ。何を考えているのか全く分からなかった。それ故の緊迫感というのか、不穏な空気がその場に流れている。


「北欧にいた頃にはこんな景色、多かったんじゃあないか?」


「え? あぁ……そうだな。どこもかしこも森ばっかりだ」


 自分が見ていた時代はコンクリートの建造物が地上を支配していなかったので何とも言えない気持ちがあった。自分が拷問されていた間、何があったのか。何故自分は拷問されるべき人間だったのか。エリーニュスはどうやって逃げ出したのか。そんなことが頭の中でずっと渦巻いている。出来ることならエリーニュスにあって全てを話して真意を知りたい。が、そんなことをすれば疑いの目を向けられるであろう。

 戦闘員は前回の襲撃で空気がピリついている。悠人を見れば一目瞭然だった。自分が下手にエリーニュスとの接触をすれば完全に疑われる。外堀を埋める方法もマルスにはない今、そうなれば完全に詰みだ。


 さっきよりもバックパックが重くなった気がした。一体自分はいつまで戦闘員という身分で生きることができるのだろう。マルスが長生きすればするほど戦争は終わらない。そうなればいつ、香織や悠人達が犠牲になるのかも分からない。が、こんなことを話すとなれば自分は二度と人間を名乗って戦うことはできないだろう。今更孤独になれる勇気などマルスにあるのだろうか。

 気がつけば調査場所の入り口が見えてくる。かなり分厚く、そして高い壁。長い年月と経費をかけて制作した人間の抵抗物。事前に知らされた壁の箇所を悠人が何回かノックする。振動に反応して数字を打ち込むパネルが浮き上がってきた。悠人は顔色一つ変えずに冷静に、素早くパスワードを打ち込み、顔をパネルのカメラに寄せるようにして待っている。解除音がしてゆっくりと隙間ができて行った。一人分の隙間で悠人の頷きと共に皆、魔獣の棲家へと入っていく。


 扉が閉まればそこは別世界だった。元は人間の街だった山間部の地域だったが魔獣による侵攻が度重なり、人間は街を放棄。そして研究所が手配した強音波発生装置によって魔獣を山に追いやった状態で壁を作り上げたようだ。マルス達は入って早々、廃墟のように崩れた住居や店をジッと見ている。

 自分達が歩いてきた道路から不自然に途切れた部分に山間部とその周辺の廃墟を取り囲む大きな壁が存在し、時代に取り残された街がまだそこに眠っている。


「……静かだな」


「うぅ、なんか怖くなりません? ほら、お化けとか出てきそうな静かさですよ」


「今までずっとこの街も眠ってたんだ。俺たちがきたことで急に起こされたようなもんだろう。ここの魔獣は俺たちが攻撃してこない限り何も危害は加えない。取り乱すな、慎也」


「は、はい……」


 人間が来るべき場所ではないのかもしれない。この街はまだ人魔大戦の時代を引きずっている。所有権があるのならば魔獣のものだろう。足音さえも不気味に響き、変に苔が生した看板や車を見るたびにおかしな感覚になっていた。


「にしても良く壁作れたよな。新島さんとことは完全に分けられてるぜ? ここには鳥型魔獣もいるんだろ?」


「らしいな。この壁自体が巨大な魔装のようなものらしい。普通は外に飛び出すようなことはない」


「ここに亜人が本当に潜んでいるとして、鳥型魔獣がやってこれたりしたのはベイル・ホルルの瞬間移動の賜物だろうな」


 キョロキョロと周りを見渡しながらいつもよりも声を抑える隼人と空を見上げながら解説した蓮。ベイル・ホルルの役割は非常に大きなもので彼を失った亜人はかなり痛手に違いない。だからこそ住処に入るこの調査任務はかなり危険なものなのだ。この中で全面戦争になれば逃げることは不可能。外で暮らす何も関係がない民間人を巻き込んで戦闘員の地位は確実に終わる。

 それが分かっているからこそ悠人は顔色一つ変えず、緊張感も消さずに写真に収める作業を黙々と続けているのだ。昔と違って自分のミスで大惨事が起きた際の覚悟はできている、だからこそなのだ。


「調査は小一時間で終わる予定だ。ここはずっと人間の世界とは封鎖された場所だからな。下手に魔獣を刺激しないほうがいい。なるべく固まって、ゆっくりと音を立てずに進もう」


 記録を終えた悠人の声に全員が頷いてからまた歩き始めた。壁の中は匂いが違う。ずっと緑に囲まれた空間なので空気が少し澄んでいる気がするのだ。それ故に鼻の奥までスンとたどり着く空気は人間の世界とは違う印象を得る。バックパックから水筒を取り出して水を飲んだマルスは崩れたマンションを抜けていく。

 今まで発展していた人間の世界を見てきたマルスだからこそ、この荒廃した人間の世界を見るとくるものがある。こうなる世界を望んでいる者達がいると言うことも。


「魔獣の姿は見えないな。もっと奥にいるのか?」


「んー、それは分からない。建物の中を巣にしてる可能性もあるし、今はどこかで眠っているんだろうなぁ」


「そうか」


 マルスは自分の周りにノッソリと建っているビルや一軒家の亡骸を見る。ここに人間達がいたのはずっと昔のことだ。ずっと昔、ここは賑やかな人間の街だった。が、突如としての魔獣の襲撃によって街中の人間が犠牲になってしまう。まだ戦闘員支部も未熟なもので救えない命も多かったそうだ。できたことは魔獣の耳に有害な音波で動きを止め、襲撃した魔獣達を閉じ込めることしかできなかったらしい。

 未来のための犠牲といえば聞こえは良いがそれが最適解だとは思えない人間でいっぱいだった。極東における戦闘員支部設置のきっかけとなった大災害、マルスはその死骸の上に立っている。マルスが起こしてきた戦争とはまた違うが己の仕事の弊害であることは間違いない。存在するだけで悲劇を起こす己の運命をマルスは呪った。


「マルス……」


 途端に後ろから話しかけられてマルスはギョッとした。肩を大きく振るわせて振り返る。差し出した手を引っ込める香織。二人の視線に気まずい何かが生まれた。


「どうした?」


「顔色……悪いよ? ……最近」


 何故か最後だけ目を逸らしながら心配の声を上げる香織にマルスは眉間を一瞬だけど歪める。何が目的かが全く分からない。新人殺しの仲間達は話しかけた香織とマルスを交互に見るようにしているがマルスにしてみれば気まずいものだ。


「疲労が溜まってるんだ。気にするな」


「溜まってたらダメでしょ。何かあるの?」


「お前に言ったって分かりやしないよ」


 進行方向に顔を戻して歩き始める。いっそのこと香織から嫌われた方が荷が軽いのかもしれない。これからの生き方を考えるとそうなのかもしれない。変に割り切ろうと子供のような考えになっているその時だった。


『私を探しているの?』


 マルスの耳に聞き覚えのある声が聞こえたのだ。振り返って剣を抜こうとするマルス。が、その先にいるのは香織で何の意味もないことを知ったマルスは平謝りで剣を戻した。


「マルスお前どうしたマジで?」


「アイツがいる……」


「え?」


「隼人、結界の準備を頼む。アイツ……エリーニュスが近くにいるんだ」


 急に何をしだすのかと思えばあのベイルを殺した女がいると言われて戸惑うのは間違いない。全員が魔装の準備をしたが起動はさせなかった。無理に起動すると魔石に反応して魔獣がやってきてしまう。マルスだけが剣を抜いて周囲に気を配っていたのだ。その時に全員が気がついたのだが、マルスの黒い剣は血が流れているかのように一部が赤黒く染まっていた。


 根拠なんてなかった。背中を押されるようにマルスは走り出す。止める仲間なんかをマルスは気にしなかった。何故かこの先にエリーニュスがいるという確信があったのだ。後ろで驚き、声を上げる仲間達。彼らを無視して走るマルス。マルスは倒れた電柱を乗り越え、苔生す車や残骸の横を通り過ぎて走ったのだ。

 いるに違いない。この直感が狂気だとしてもマルスは走った。ビルの路地を潜り抜けたその時、奴がいた。


「エリーニュス……」


「戦ノ神……いや、マルスと呼べば良いかしら?」


 エリーニュスはそこにいた。戦闘員の時代に来ていた白い戦闘服ではなく、ヴェールのような薄い何層もの生地が重なって出来上がった服を着ている。まだマルスが神だった頃に女性の神が来ていた服だ。重ね着のようなローブを着ている女神の一端、それがエリーニュスなのだ。


「エリーニュス……お前が戦争を起こしたのか? お前が……人魔大戦を……」


「まず聞きたいのはそれでしょうね。……えぇ、私が起こしたわ。私が、人魔大戦を起こしたのよ」


「……その後に逃げて……俺が一体どれだけの間、屈辱を浴びたと思っている……!」


「貴方に疑いがかかるのは確信だったもの。そのおかげで私は現世で今の戦争を起こす準備ができたわ」

 マルスは抜いた剣を乱暴にエリーニュスに向けて斬りかかった。肩から切り裂くように狙って振り下ろされた剣。狙いは正確、そして力を絞った一撃はエリーニュスの肩を斬るはずだったがヴェールのような薄い青色の壁に阻まれて刃が通らないのだ。どれだけ力を込めても壁の先へと行くことはできない。


「まだ神の心を取り戻していないのね」


 ヴェールは一気に破裂するように広がり、マルスは盛大に吹き飛ばされた。空中で一回転して体勢を整え、着地した。マルスの一撃はエリーニュスに届くことはない。それはマルスが神としての存在になれていないからだ。神の力は下界の民に通用することは絶対にない。だからあの時、改造魔獣を、アジ・ダハーカを一撃で倒すことができたのだ。今それができないのはマルスの心が人間になっているからである。


「貴方の一撃は私に届くことはない。マルス、神にとって一番恐ろしいのは下界の民が滅ぶことでもない。一番恐ろしいのは精神の摩耗よ。神の摩耗がこの戦争を引き起こしたの、私の戦いが始まったのよ」


「エリーニュス、それは違う。神は摩耗なんかしていない。それに……下界の民は神々の道具なんかじゃない。彼らは彼らで立派に生きている。それも……神の手を加えなくても彼らは立派に発展しているんだ……!」


「それも人間様の考え? 傲慢ね」


 言葉の戦いも通じない。マルスは奥歯をガリリと噛んだ。エリーニュスの覇気は今のマルスに通用するかは分からないほど出来上がっており、マルスの空白の期間に何があったのかが見て取れた。エリーとして戦闘員支部にいた頃からどこか肝が据わっていると思っていたのだが当然だ。エリーニュスは自分の判断で神の世界を離れ、この複雑な下界で生きていたのだから。

 マルスは人間の世界に甘えている。それを突きつけられた気がして焦りのような感情に襲われていたのだ。


「そうだとしても……こんなことは間違っている。お前の一存でどうこうしていい戦争じゃない。俺は戦ノ神だ。人間じゃない。これ以上勝手な殺戮は俺が許さない……!」


「いいえ、それは違うわ」


 エリーニュスはゆっくりとマルスの元に近づいてくる。マルスはすぐさま後ろへ下がろうとしたが体が動かなかった。いや。動けなかったの間違いか。近づいたエリーニュスはマルスの目を見てからフッと笑う。


「貴方は覚えていないでしょうね。神の頃の貴方はもうこの剣になっている。今の貴方は器に過ぎない」


「な……何を……」


「私は言った。『貴方と私は同じはずよ』と。その意味が分かる?」


 マルスは分からなかった。ゆっくりと首を横に振る。時折、マルスの記憶を横切るものが急に明確になってきたのだ。覚醒魔獣の時に見た燃え盛る大地での怪物、ペリュトンの存在、そして牢獄で屈辱を受けたあの時の狂った神々の様子。


「分からない貴方に教えてあげる。私と貴方は元は同じ存在……、それもずっと昔、まだ神が世界を創造したばかりの頃に私たちは生まれた……」


「まさか……!」


 何故マルスに記憶がないはずなのにペリュトン伝説について誰よりも詳しかったのか。何故戦ノ神の魔石によって全てをかき消す灰を出現させるのか、そして引き付けられるようにエリーニュスと同じ運命を辿っているのか。その全てが繋がった気がしたのだ。滴る冷や汗がマルスの服を濡らしていく。細かく震えた唇を見てフッと笑ったエリーニュスはその先を口にした。


「それは……神として下界を支配する立場の貴方と、神の言うことを聞いて従う立場の私だからよ。もっというなら……私たちは神龍テゥポンの心が生み出した残骸、それが私たちだからよ」




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