放たれた優吾の弾丸は空中で弧を描いて兵士蝿のコメカミから撃ち抜いていった。知らない間に多少の軌道修正機能が付いた銃を見ながら必死に射撃を続ける。ハエは脆い。念を込めていない状態での精神弾でも行動不能状態にさせれるほどの脆さだ。ただ、それを上回るほどの数で襲い掛かられて対処が難しくなっているのも事実。背中にいる慎也に優吾は声を上げる。
「慎也! お前の針は有限だ。温存しておけ」
「で、でも……」
「どこから来るか教えてくれればいいわ!!」
「わ、わかりました! ……あぁ、ハエの数が多すぎて空が青く見えないですよ!!」
直樹を未珠に奪われて心底機嫌が悪そうな咲は普段は見せないような息の荒さを出して慎也の顔を引き攣らせる。正直言うと慎也は直樹の件とは何も関係がない。ただ、この咲という女が面倒な女性であることがなんとなく分かった気がした。
慎也は針を咥えて身体強化を温存しながらハエの攻撃を回避、その要領で優吾と咲に場所を教えて撃破していく形を作る。無駄な会話はなるべく伏せて各々の攻撃と迎撃を行いながら空に蠢くハエの大軍を相手していった。
「しかし、思ったより少ない気がするな……」
「あの女、直樹くんのことちゃんと守ってるんでしょうね!!」
慎也はゲッソリと背中を丸めながらため息混じりにハエの触腕を避ける。前周り受け身の要領で腕を避けた慎也は袖の隠しナイフをハエの喉元に突き刺して息の根を止めた。
「今は信じるしかないでしょうに」
慎也の本音も、咲には届かないようである。冷静に分析しながらハエを撃ち殺す優吾とダミ声で「直樹くん!」と連呼する先の図は気まずくて仕方がない。ただ慎也の目には咲の目が少し歪んでいるように見えた。チェーンソーの刃は回転しておらず、装備による身体強化だけで無理やりハエの腹を突き破っている状況だったのだ。
「それはそうと……霧島さん。大丈夫ですか?」
「あなたに心配されるほどではないわ。このくらいの雑魚、魔装の能力を使えればもっと楽なんだけどね」
一瞬だけ射線が揺らぎそうになった優吾は咲の方へ振り返る。
「使ってくれて構わないぞ」
「嫌よ。アンタが使い物にならなくなったらどうするのよ。後ろの子は大丈夫そうだけど」
咲はハエを突き破って体液を振り払ってから慎也を指さした。目を細めた優吾とポカンとする慎也を咲は交互に見る。
「なんで僕なんです?」
「だってあなた、恐怖には強そうだもの。明確なトラウマもないでしょう?」
明確なトラウマがない優吾は弱いということか、自問自答に嫌気がさして引き金を引いた。軸足を基準に一周回るように体勢を整えた優吾は引き金を引いた状態で素早く回った。銃口から発射された精神弾は弦のように辺りに発射され、周りのハエ達を貫いて行った。
「行くぞ」
直樹が示してくれた目的地へしばらく走りながらハエを撃ち倒す優吾。今ここで咲がチェーンソーを起動させるとどうなるだろうか。空を覆い尽くす黒い影はゲシュタルト生命体という言葉が似合うような挙動を見せている。ハエの群れ全体が一つの化け物のような気がしてならない。不安を煽る羽音は咲のチェーンソーと同じか。優吾は引き金を力強く引いた。
「急に雑魚の密度が高くなったな」
「その雑魚のリーダー、アレじゃないですか!?」
慎也が指を指した先には渦を巻くように舞うハエの真ん中に奇妙な姿をした魔獣がいたのだ。燻んだ黒は兵士のハエと同じ。顔は碧色の煌めいた大きな複眼、ブラシのような長く伸びた口吻に合わせて人間のような黒光の体についた6本の触腕。鋭い爪が蠢く腕をブラシの口に擦り付けて金切声を上げる様子は不気味そのもの。見たところ背の低い人間ほどの大きさのあるその『ハエ』は直樹が言っていた本体だと思えた。
「あれが目標ね、切り込むわ」
先行する咲の後ろで優吾は二丁銃を交互に援護射撃。進む咲を通せまいと襲いかかるハエの喉元を正確に貫いていった。咲の周りで踊る優吾の弾丸。初めて会った時よりも圧倒的に技量も、威力も違う。
「おい、勝手に先に行くんじゃない!! 慎也、針の出番だ」
「了解です」
ベルトのケースから素早く針を取り出してそれを一本、口に咥えながらもう2、3本を指に挟んでジッとタイミングを伺う。
そんな優吾達を無視しながら先行した咲は首を傾げるような仕草を取る『ハエ』に向かってチェーンソーを突き立てた。適合による身体強化によって生み出される咲の腕力は凄まじい。一撃喰らえば一溜まりもないのだがここで負けないのが魔獣を越えた存在故であろうか。何食わぬ様子で触腕を巧みに振り、咲の斬撃を受け止めたのだ。その爪は反射による光を浴びて輝いており、よほどの硬度を誇ることが推測される。
「硬いわね」
蝿、畏怖の対象として見られるスカベンジャーな彼らだが虫の世界に於いては無駄という無駄を省いた進化をした種族。その複眼、羽、そして触腕は効率重視であり、小刻みに飛ぶことを得意をする。そんな進化の頂点に立ったようなハエが更に進化しているのが覚醒魔獣。これがベルゼブブ、これが覚醒魔獣。咲はそれを思い知った。
「ダメです。咲さんが押されてる。優吾さんは援護を! 周りの雑魚は僕が相手します!」
「わかった。任せたぞ」
ひと昔前だと慎也はこんなことを言わなかったはずだ。彼の成長を感じながら優吾は知覚速度を上昇させてゆっくりになった世界の中、一気に『ハエ』に近づいて蹴りを炸裂させる。腕を十字に構えて受け流した『ハエ』は一旦地上に着地してからもう一度飛び上がって空から優吾を興味深げに観察した。
「あら、来たの?」
「助けに来たんだ。感謝しろ」
「頼んでないわ」
「だろうな」
少し前まではこの女の前で吠え面をかいたのだが今は頼るべき仲間となっているこの状況が不思議に思えて仕方がなかった。クッと奥歯を噛んで精神弾を発射する。揺れる残像も優吾にとってはお芝居のようなものでしかない。その速度に合わせながら引き金を引いて少しづつ牽制していった。
弾幕のように連射される優吾の弾丸を横目に咲は襲いかかってくる兵士を踏み台に切り裂きながら『ハエ』目掛けてチェーンソーを振るう。爪で受け止めた『ハエ』はそのまま咲目掛けて切りにかかったが優吾が背中に移動する方が早かった。
「この距離じゃあ、避けはできないな?」
ゼロ距離で弾丸を発射するが驚いたことにハエは無理矢理にも触腕を背中へと回して優吾の射撃を無力化させたのだ。少しだけ表面が凹んだ爪を見せながら長い腕を振るって咲と優吾の首を切ろうとしたが落下する勢いに任せて腕を掴み、振り落とすようなイメージで受け流す。あらぬ方向に傾いた爪を見てホッとしながら振り離すように着地した。
「危なかったわ。相手が虫であることを忘れていたわね」
「痛みは一切感じない。狙うとしたら神経が集中してる喉元か……。奴は俺の弾丸を見切り始めている。早く決着をつけないとまずいぞ」
頷くこうとする咲だったが余裕のなさを察した『ハエ』が触腕を優吾目掛けて振り落とし、顔面を潰しにかかる。転がるようにして避けた優吾はちょうど地上にハエが着地したタイミングで弾丸を発射し、羽根を撃ち抜いた。
「魔装を起動させろ!! それなら奴を切れる!!」
羽根を撃ったのはそういうことかと理解した咲は少しだけ考えた後にチェーンソーのエンジンに手をかけた。ここまでつないでくれたのだ。彼の覚悟を認めることにしよう。いつぞやのひよこ弁当を思い出しながら優吾の成長を感じつつ、エンジンを思いっきり引っ張って起動させる。
「笛蛇!!」
咲の声に合わせて起動したチェーンソーは刃を回転させる。そしてあの不気味な駆動音が辺りに響き渡るのだ。少し遠くでハエの喉元にナイフを突き立てて掻っ切った慎也は身震いをするような動作を見せるがギュッと目を瞑ってすぐに立て直した。周りの兵士も動きを止めて小刻みに体が震えている。
それは優吾も同じだった。二回戦、準決勝、そして決勝と自分の無様な姿が浮かび上がってくる。そして楓が死んだ時の無機質な行動まで。嫌いな自分が浮かび上がってくる様子に震えながら優吾は歯を食いしばった。
(もう乗り越えたと思ったが、まだトラウマになっているのか)
そんな優吾を放っておいて咲は間髪入れずに『ハエ』に接近する。突き立てたチェーンソーをいつものように防御しようとした『ハエ』だったが表面から木っ端微塵となる自分の腕を見て驚いたのか一歩二歩と後ずさる。だがしかし、咲の刃がその喉を貫く方が早かった。貫かれて体液を巻き散らかす『ハエ』の体を内側から縦に引き裂く。
優吾はやっとのことで立ち上がり、霧島咲の強さを思い知った気がした。やはりこの女は2位に相応しい戦闘員だ。曝け出される腹や肋についた体液を拭き取ってチェーンソーについたのも振り払っている様子を見てそう思う。
「案外、呆気なかったわね」
ショックを起こして墜落する兵士を見ながら慎也は咲の言葉を反芻していた。あまりにも呆気なさすぎる。慎也の鳥肌は依然として元に戻っていないことが不思議だった。優吾に声をかけようと振り向いた時にその異変に気がついて慎也は声を張り上げる。
「咲さん、危ない!!」
「えっ?」
咲が振り返ったのと、さっきの大型の『ハエ』とよく似たハエが腕を振るっていたのは同時だった。慎也の叫びを聞いて銃口を向けていた優吾が発砲して腕の軌道を逸らし、間一髪で咲を救う。
「大丈夫か!?」
「えぇ、ありがとう」
「しかしまさかな」
「そのまさかです」
優吾が迎撃した方を見ると先程撃破した『ハエ』が迎撃分合わせて四匹、円を描くように飛んでいる。ゆっくりと、まるで何かの飾りのように。これだけでも奇妙であるがその奥にハエがベースではない人間寄りの顔と体を持ったハエがこちらをジッと見ていたのだ。
「アレが女王蝿……」
「これは思った以上に厄介だな」
全員が身構える中、瞳孔も色もない緑色の目を向けたベルゼブブは優吾達に向けて指を指した。人間のようであり、陶器のような灰色を見せる指。
優吾が発砲したのとベルゼブブがその弾丸を仰ぐように弾いたのは同時。空はまだ黒い中、ベルゼブブとの決戦が始まろうとしていた。
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