「罠です!! 逃げてください!!」
ハッとした玲華の真上から降ってきたのは糸であった。天井から揚げ束のようになった糸が降り注ぐ中、玲華は飛び上がりながら剣を下から振り上げて真っ二つに焼き裂いた。裂ききったところで一回転し、糸を振り払う。
振り払った際に何かに当たったらしく、金属質な音が周囲に響いて這うような音が辺りに響いた。吹き飛ぶ糸の狭間から見えるのは巨大な蜘蛛。アラクネの登場だ。暗い洞窟の中で過ごしていたのか、タールのような黒い色に合わせて赤い八つの目、しなやかで動きやすい脚と動きが制限される洞窟の中でも素早く動けるような仕組みとなっていた。
「やっと出てきましたね」
ベースとなった魔獣の二回りほど大きいその姿。顔を正面に向けているアラクネは人間である玲華を遥かに上回る体格を誇る。後ずさるその動きから玲華の距離感も全て察せられているかのよう。ドーム状のこの空間で巨体で動く様は不気味であった。足元を見るとさっき砕いたものが目に入る。
「これは……鋏角。切れてよかった」
「すっ……ごい……」
玲華はここで人をおぶさっていたことを思い出し、少し急ぎ足で降ろしたあとに出口へと指をさした。
「そこを出た先にお仲間さんが待っています。本当は送り届けたいのですが、行けますか?」
「は、はい」
「では先に。坑道の外で待っててください」
女性戦闘員はお礼を言いながら驚異的な逃げ足で去っていった。その速さに少しだけ目を向けながらアラクネへと戻る。アラクネは動かずに欠けた鋏角を仕舞い込みながら玲華の動きを伺っているようだった。
「しかし、動きませんね。私を警戒してる? そうだといいんですが……。とりあえず動きましょう。ここで払った糸が邪魔ですし」
剣を構えて、その先が少し動いた時相手が先に動いた。糸束が勢いよく射出されてきたのを咄嗟に避ける。ただ相手は糸を当てることではなく、その後ろが目的だったらしい。鋏角に引っ付いた糸はそのまま糸車のように前足で巻き取って回収された。
「なるほど、それが狙いでしたか」
相手の糸に粘着性があるということは、さっき救出した繭が浮かんでいたのも納得である。さっきまでは玲華がいたから鋏角を回収できなかったようで丁寧に糸でくっつけている様子は魔獣にしては器用に見えた。
巻き戻した際に少し動いたのと玲華の立つ位置が変わったことでアラクネの全貌が見える。巨大な蜘蛛の体に合わせ、二、三メートルほどの女性の上半身のような部位が頭の上にあるのだ。下の蜘蛛と同じく、甲殻で覆われているようだが女性の部位は無数の人の腕に抱かれているようでシルエットしか分からない。左右に見える三本ずつ計六本の可動腕も見えた。
「不気味な見た目です。早く終わらせましょう」
その声に合わせるようにアラクネは糸を発射。可動腕に絡め取られて糸束となりながら飛んでくるのを玲華は斬ったり避けたりしながら前に進んでいた。実はこの時、玲華は相手以上に敵の動きを見抜いていたのだ。
彼女の予想通り、粘着性の糸は通常の糸とは違い、少し湿っていたのだ。一瞬だが付着すると切れ味が下がる粘着性の糸は切りたくない。通常だと硬いらしいが自分の剣だと何の問題もないそうだ。
無限に射出される糸を剣でなぞるようにして斬りながら走り抜ける玲華。粘着性だと避ける。通常だと確実に切って分散させる。この調子で着実に接近していくとアラクネが腕を上げて全ての糸を振り上げた。しかし、玲華には意味がない。次の瞬間、蜘蛛の部分が鋏角を広げ、挟み込むが既に読んでいた玲華がタイミングを合わせて飛んだ後だった。
そのまま閉じた鋏角を足場に大きく飛び上がり、それに焦ったアラクネは腕を振り下ろすが間に合わない。空中で玲華は振り下ろされた腕を利用して流れるように下と真ん中の腕を肘から切断する。剣を沿わせるようにして一気に斬り裂いた。薙ぎ払うように切ったあとにその体制のまま、つば辺りについた引き金を引く。
「爆針千本」
振動は収まり、回転しながら変形する玲華の剣。今度は海に棲む爆弾魔の出番である。前傾姿勢となり、アラクネの頭上から上の両肩を射撃。そのまま逆さ向きに背後から後頭部に射撃。一回転してアラクネの背後に着地した玲華は炸裂弾を発射して最後の腕を吹き飛ばした。
一気に火薬の匂いに包まれた坑道の中は弾けた腕と潰れた顔を見せるアラクネと様子を伺う玲華だけが残る。少しだけ離れたあとに元の剣の姿に戻すと振動によって明かりが戻ってきた。さっきよりも鮮明に見えるアラクネの潰れ具合に自分の判断が合っていたことを察して一瞬だけ安心する。
上に視線を誘導して死角から本命の攻撃を与える。策としては素晴らしいし、魔獣の身でよく判断できたと褒めてやりたいが未来予知をメインに戦う未珠の指導を受けてきた玲華にとってこけおどしにもならなかった。普通の教えとは違う分、身につけると動きが人間離れするのが未珠の教えである。
「目で糸の動きを追っていると危なかった。未珠さんに感謝ですね。しかし、嫌な感覚です。まるで本物の人間と戦っているよう……。この様子なら本体は蜘蛛でしょうか?」
本能で動く魔獣ではなく、どこか人のような知能や動きを見せるアラクネは不気味に映る。一体蜘蛛と何を掛け合わせて生み出されたのかと不思議に思っていると急にアラクネが叫び声を上げだしたのだ。死にかけの虫があげるような金切声であり、鋏角を振り回しながら攻撃するが玲華に簡単に弾かれ、根本から叩き切られた。恐れか、後退しながら再び叫び声を上げる。
今度は虫のような金切声ではなく、人間の女性が複数悲鳴をあげているかのような声だった。全く声量の違う女性が数人悲鳴をあげている。ドーム状の坑道に不気味に響くその音に合わせて細かく震えるアラクネ。何をしようと察した玲華を置いてアラクネは動き出す。
「なっ!?」
蜘蛛女は目を覚ます。
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