戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

空撃大猿-2

公開日時: 2021年3月26日(金) 18:59
文字数:4,326

「りょうかーい」


 香織は大きくハンマーを振りかざす。香織自身、身動きの取れなくなったこの大猿の顔を少し見てしまい悪い気分になりそうになる。踏ん張って抜け出そうと鼻息を荒くする大猿のことを思うと少し嫌な気分になってしまったがこの魔獣を倒さないと街の人が大変なことになる。そう振り切ってハンマーを力強く振り下ろそうとしたその時だった。


「香織、離れろ!!」


 大猿の様子がおかしくて声を上げた人物が一人。マルスだった。香織の角度からはちょうど見えないのだが少しづつ氷が溶けてきているという現象を発見する。丸太のような腕から溶けた氷を見て寒気がしたマルスはすぐに吠えた。その時である。サーシャと悠人が何層にも重ねるようにして凍った水が腕から砕け散ったのだ。自由になった右腕を香織に向けて照準を向ける大猿。隼人がすぐに立ち塞がって結界を発動させようとするが……間に合わず、香織に衝撃波が直撃した。


 ドパン! という音を響かせて発せられた衝撃波は香織の体全身に響き渡っていく。全身から血を吹き出してながら香織は吹き飛んだ。


「香織!!」


 マルスはすぐに吹き飛んだ香織の元まで走っていく。上位魔獣の適合による恩恵か、それとも衝撃波が当たった所は運良く急所ではなかったのか、彼女の体が弾け飛ぶことはなかった。すぐに彼女を受け止めようとしたその時である。


「ッ!!」


 香織が吹き飛んだ辺りの岩場が衝撃波の影響で崩れ落ちていったのだ。それでもマルスは手を伸ばして香織の大槌を掴もうとした。何がなんでも捕まえると伸ばしたマルスの手だったが届くことはなかった。音を立てて崩れる瓦礫とともに香織は落ちていったきり……見えなくなった。


 マルスは一瞬、何が起きたかを整理しようとしたが湧き上がる感情を抑えることができず、マルスはゆっくりと大猿に向き直る。大猿は体に張り付いた氷を完全に砕き終わった後だった。そして両拳から湯気のようなものが上がっている。それでもマルスはいつもの分析を行うことなく大猿に突撃した。いつもは冷静に分析して慎重に攻めていくのに今は違う。体から湧き上がる感情、これは怒りだった。この大猿は香織をやりやがった。それに関しての怒りが心の奥底から湧き上がる。剣を乱暴に振るったマルスであったが大猿の皮膚には刃が届くことがなく、何度も剣を刺そうとするのに一向に弾かれるばかり。


 大猿はそんなマルスを見て面白おかしいように「ブルル……」と声を上げた後、怒りに任せて攻撃するマルスめがけて拳を振り下ろした。ハッとした頃にはもう手遅れ、マルスは俺は一体……とまで考えたところで死を悟る。しかし、硬いものがぶち当たる音がしたと思えば拳はマルスの元へとくることはなかった。マルスは自分の目の前で歯を食いしばって防御する人物を見る。両腕の関節までアーマーを装着した隼人だった。歯を食いしばりながら大猿の攻撃を真正面から受け止める。正面から受け止めるために大猿の拳の一撃全てが隼人の結界に吸収され、彼自身もかなりの苦痛を伴うが無理に押し切ってなんとか防御に成功した。


「血迷うなよ! ッタク、勝手に突っ込みやがって」


 マルスは初めて、隼人が本気で自分のことを注意したことに動揺を覚える。普段はニコニコして周りの空気を明るくするムードメーカーの隼人が今、目を見開いて肩で大きく息をしながらマルスに向かって吠えている。


「大丈夫か?」


 動揺して動けないマルスを後ろから蓮が声をかけることでマルスはなんとか返事ができるようになっていた。ここでマルスは自覚する、自分は完全に人間になってしまっていると。感情という火種を打ち込まれることですぐに横暴なことをしてしまう人間に、感情に支配される人間になってしまっていることに気がついた。本来ならあの大猿が何をしたのかを冷静に分析して香織の救助を誰かに任せて自分は時間稼ぎとして戦うべきだった。それが……出来なくなっていた。香織が死んだという事実もまだないのに。身勝手に結末を想像して暴走する自分がここにいた。


「あっ……すまない……」


「生きててよかった。後で隼人に礼を言っとけよ」


 マルスの肩をポンポンと叩きながら一旦、後衛に移されるマルス。前衛には悠人、隼人、サーシャ、パイセンがいて中衛に優吾と慎也。そして後衛にマルスと蓮だった。陣形を組んで魔装を構える悠人達。大猿の拳からは相変わらずの湯気が出ていて、心なしか今まで銀色と黒が混じったような色の体が少し赤色に火照ったような色となっていた。


「衝撃波を体に浸透させて筋肉を刺激する……と言ったところか? 発熱させて氷を溶かしやがった。今あいつは『火事場の馬鹿力』状態だ」


 蓮が隣で説明してくれる。空撃大猿にこんな能力はなかったはずなんだけど……と頭を掻きながら少し困惑する蓮。たしかに、衝撃波を体に浸透させて体温を上げるなどかなり細かい微調整が必要になる。


「本来は持ってないはずの能力なら……何かをきっかけに覚えたか……、誰かに吹き込まれたか……になるな」


「それかその両方な」


 香織の死が確定ではないことに気がついてからは冷静な戦い方が可能になっていた。さっきは本当に自分がチェスをしていて見ていた「イカレ将軍」になっていたことに恐怖を覚えるマルス。自分も戦いに混ざらなくては……と前衛に戻ろうとすると崩れた岩場の底を見ていた蓮が「あっ」と声を上げた。


「悠人、出来上がってるぞ」


「……そうか。おい、マルス」


 急に呼ばれて少しビクつくマルス。大猿の衝撃波を隼人に防いでもらいながら悠人は夜叉の冷凍を駆使して少しだけ時間を稼ぐようにしていた。体温が上がった強化状態でも悠人の低温は少し効くらしい。


「慣れないかもしれんが……受け止めてやってくれ」


「は? 何を言って……」


 マルスがそれを言い終わると自分の前をなにかが通り過ぎた。ビュッと風が吹いたと思えばその何かは大猿の眼前に飛び上がっている。黒ベース黄色の線が光る大槌を持った少女、香織だった。やっぱり生きていたか……と思うマルスだったがさっきのことを思い出す。風のように通り過ぎるほどの身体能力だったか? と思っているとここで違和感は確信へと変貌した。


 香織の目を見てみると普通じゃない。本来、白目の部分が黒色に染まり、茶色いはずの瞳が琥珀色に輝いている。そして人間とは思えないほど鋭くなった犬歯をのぞかせながら片手で大槌を振りかざす香織。限界まで蓄積された苦痛が香織を鬼へと変える。眼を見開き、犬歯を見せながら唸る香織の姿は野生そのものだった。


「キュルルルルルルル……!」


 歯軋りともなんとも表現し難いような音を口から発して横ナギにハンマーを振る。片手で振るわれたハンマーは大猿の顔面に激突。硬い皮膚を眼前に打ち砕いて顔面の形が凹んだ大猿がいる。その形はまるで凹んだドラム缶のようだった。頭を押さえて声を上げながらフラフラする大猿の腹めがけてハンマーを連発させる。マルス自身が剣を振る速度よりも速く巨大な大槌を振り回す姿にマルスは驚愕した。


 いつかの雑貨店での買い物で香織が言った言葉をここで思い出す。


「もう一人の私が……教えてくれるわ」


 意味がわからないがなんとなく覚えていたその言葉。そして「極端なパワーアップ」の意味が今ここで分かった気がした。これが香織のもう一つの顔であると。これこそが適合、巨獣アトラスの力であることをマルスは知る。そんなマルスを無視しながら繰り広げられるのは一方的な香織の乱舞。踊るよいうよりかは狂っているの表現の方がよく合う。香織からは想像のつかないほどの乱暴な一撃を叩き込み続けていた。グシャァ! と血を吹き出して潰れる大猿の顔。ピクピクと動いていた両腕はとうとう小刻みに震えるだけとなり、動かなくなった。返り血を大いに浴びて大槌についた血を振り回して飛ばす。放射状に広がった血を見ながら香織はゆっくりとマルス達の元へと振り返った。


「今まで隠しててゴメンね」


 それだけ言ってその場に倒れる香織。今度はマルスがしっかりと受け止めることができた。肩を抱くように受け止めたマルス。よほど敏感になっていたのか、香織の息遣いが肩から抱える腕に伝わってきた。疲労が溜まっている。それに先ほどまで出血していたはずの香織の傷は全て塞がっていた。どうやら暴走状態になると筋肉が発達するようでその過程である程度の傷を修復できるようである。言わば超回復。だとしてもマルスの心配は拭えない。


「ふ、お気楽に寝ているな。今は寝かせてやれ、マルス」


「だ、大丈夫なのか?」


「いつものことだよ。暴走したら強力だけど怒りの対象を倒すと寝ちゃうんだよ」


 フッと笑いながら悠人が説明してくれる。本当に極端な能力だ。そうだったとしてもこの力は強すぎる。力を使うたびに体は持つのかどうかという疑問が生まれるがマルスは木陰に香織を起こさないように運んで寝かせることにした。それを見届けた悠人が手を鳴らして合図する。


「よし、解体だ。パイセン、今日は魔石を頼む」


「はいよ」


 木陰に寝かせた香織をチラチラと見ながらマルスは大猿の死体まで近づいていった。血が吹き出しているのでその臭いも凄まじい。パイセンのバットがカシュン! と音を立ててペンのような形になった。


「まともに解体するのは初めてでしたね、マルスさん。普段はこんな感じにしてますよ」


「まぁ、解体できるのは俺だけだから後は荷物持ちだな」


「あぁ……そっか」


 アハハと笑う慎也に戦いが終わったことに安心したのか微笑みながら解体を続けていくパイセン。丁寧に線を描くようにレーザーで皮膚を剥がしていく。血は吹き出さないのか? とマルスは疑問に思ったがペンのような形のパイセンのバットからレーザーが出ているので焦がしながら切断していることを知る。


「レーザーまで出せるのか? どうして戦闘で使わない?」


「これは強力だけどリスクも高いから。無闇に出しすぎないように研究所の解剖用具であるレーザーメス、カセット式のお古をもらったんだ。バッテリーは自分で充電したし、また充電すれば使えるんだぜ? お前らに当たったら枕元に化けて出てくる気がしない。お守りあっても無理だよ」


 パイセンの冗談に全員が笑う。対して意味もわからなかったがマルスもつられて笑ってしまった。木陰で寝ている香織も少し笑ったような気がしたが気のせい。


「よし、後はここをゆっくり剥がせば……」


 パイセンはレーザーで魔石を傷つけないようにゆっくりと繊維を剥がしていった。そうして現れた魔石を見て全員が「……はぁ?」と声に出す。女の子は入っていなかった。ただ、大猿の魔石である銀色の拳大の結晶に絡み付くようにしてあったのは明らかに植物のツタだったのだ。

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