銭湯に行くというわけでマルスの部屋には香織がやってきていそいそと準備の手伝いをしてくれている。ナップザックと呼ばれる紐付きの袋の中にマルスは服を詰め込んでいた。流石にもう自分の下着を香織に見られるのは勘弁である。長袖長ズボンと下着一式を入れて香織から言われたバスタオルと普通のタオルを入れる。そして大事な通信機をポケットに入れた。これは後払いをする際のカードの代わりとなるからである。
「あー……石鹸とかは向こうで買おっか。一回きりのパックが売ってるわ」
「お、おう……」
マルスは未だに銭湯のことがよくわかっていない。この用意だと風呂に行くのか? どうして大人数で行く必要がある? と思っているマルス。何故かはわからないが小銭も用意しておけと言われて香織に買ってもらった小銭用の小ちゃい財布に10円玉と1000円程度を入れるマルス。えぇっと……と困惑するマルスを見て香織は色々と手伝ってくれる。マルスにとって香織は異性として意識を始めた存在であり、何故かはわからない。わからないのだが彼女の吐息が後ろですると振り返ってしまうようになりつつある。
「これで準備完了ね」
「香織、何入ってるか確認してもいいか?」
マルスは自分の入れているものが間違ってないか心配だったので香織のナップザックを開けようと腕を伸ばしていた。その瞬間、マルスの脳天に凄まじいゲンコツが落ちてくる。思わず声を上げて頭を押さえるマルス。
「っデェ……!」
「バカ……! 変態! 何考えてるのよ!」
「俺の下着は勝手に見たくせに」
「小学生か!」
香織が顔を真っ赤にしてナップザックを彼女のナップザックをムギューっと抱くようにして守っている。忘れ物を確認するのはダメ……いや……何かが違う気がするとマルスは違和感を覚えたがとりあえず、香織の荷物はあまり確認しないほうがいいということが分かったのだった。
「魔装でチャチャっと行くから。剣も持ってね」
「は? 大丈夫なのか?」
たしかにここから街へと行こうとすると魔装の身体強化で走れば手短につくが……とマルスは考える。民間人の前で物騒の剣を背中にかけて歩いてもいいのだろうか? 魔獣が来たと勘違いされるかもしれない……と。
「いいの、街で魔獣が現れた時は警報がなるようになってるから。それに魔装は戦闘員の身分証明となってるからね。街の人も戦闘員かって思うだけ。それに……街で通信機のカード使おうとしてもアレじゃん? 魔装があった方がそれっぽくなるし」
「戦闘員はそんなに肩身が狭いものなのか?」
「いやそういうわけじゃあないと思うけど……。魔獣との戦いを知らない人が多すぎるだけよ」
これが……人間でいうところの平和ボケという現象か? とマルスはさらに人間の危機管理能力のなさに驚く。だから亜人との戦争が起きるんだと思ったが面倒ごとは避けたいのであえて魔装を持っているほうがいいのかもと理解する。背中に剣を背負ってマルスは香織と共に部屋を出た。事務局の門付近に残りの全員が集まっていた。
「じゃあ、行くか」
マルスと香織がやってきたので悠人達は魔装を起動させて疾走を開始。いつもの任務の時と同じように木々の間を素早く抜けていく。木漏れ日から差し込む光がマルスの目をついたがさわやかな風が自分の首筋を拭うように吹いてくるので気持ちが良かった。少しの間走った後に森の木々が少なくなってきており、その代わりに高層ビルが見えてくる。街の入り口付近で魔装を解除したマルス達はそこからゆっくりと歩き始めた。全員、久しぶりに街へ行くというのもそうだが銭湯自体が本当に久々らしくワクワクした様子である。街に着くと戦闘服ではない、今の自分達がきているようなラフな服をきた民間人が道路に沿って歩いていた。車やバイク、自転車が行き交う大通りである。
「香織、市街地で魔獣が現れた際はどうするんだ?」
「非戦闘員の警備班の人達がすぐにシェルターへ誘導するわ。街にはさまざまな箇所でシェルターを作るように義務付けられているの。さっき言ってた警報がなったら街に待機してる警備班の出動がかかる感じ」
「戦闘時には民間人はシェルターにいるってことか。なるほどな」
これはDBCが義務付けた対魔獣避難プランとされるもので全世界共通の法令である。極東支部の場合は各所の市、区に配属された非戦闘員、日本では警備班と呼ぶグループが民間人をシェルターへ避難させる。日本各所に設置されているので極東支部から遠く離れた地域では魔獣が街に降りてくる様子が少しでも見られれば戦闘員を派遣して最悪の事態を防ぐ、通称「遠征」が行われる。警備班の人達が魔獣の動向を戦闘員の調査をもとに監視しているのだ。
「八剣班は今遠征中ね。序列1位の班はかなり忙しいそうよ」
「だろうな」
そんな会話を続けていると隼人が「見えたぞ!」と言って指を指した。その先にはデカデカと「湯」という文字が書かれた看板が見える。マルスは「ゆ?」と声に出した。
「湯ってことは……やっぱり風呂か」
「それ以外に何があるのよ……」
「……あぁ、そうか」
少し溜めた後のマルスの返答に香織は「えぇ……」と声を出すのと同時に悠人達も「ぎこちねぇ……」と少しだけ空気が悪くなってしまう。しかし、隼人が「ほぉらぁ! 早く!」と声を出すのでそっちに惹かれて銭湯へと入っていった。広々とした駐車場を渡って施設内に入る。そして全員が靴を脱ぎ始めたのでマルスも真似るように靴を脱いだ。そして目の前に見える下駄箱ならぬスペースの扉を開けて靴を入れて扉についた鍵を引っこ抜……けなかった。
「あれ?」
マルスは声を上げて何度も引っ張るが鍵は一向に抜けないそのことに困ってると横から慎也が「あぁ……」とちょっと笑いながら声をかけた。
「10円玉、持ってきました?」
「えっと……これ」
「それをここに入れるんですよ」
慎也が指差す先には縦に細い穴が。マルスは10円玉を縦にしてみるとピッタリ入ることがわかり、入れてみる。カチャンという音が響いたと思えば慎也が「これで大丈夫」と言ったのでマルスは鍵を引き抜いた。引き抜く力がさっきと変わらなく、しかも鍵はスルッと抜けた物なのでマルスは大きく体勢を崩して尻餅をついてしまった。それを見たパイセンと隼人が声を上げて笑う。
「おいおい……マジか!」
「これがあの八剣玲華に一太刀入れたやつって……」
「うるさい」
尻餅をついてしまったことにマルスは少しだけ恥ずかしいと思いながらもすぐに立ち上がって悠人達のもとへ。受付で全員後払いで入浴を選択、そして全員一回きりの洗面具を購入した。受付をしてくれたのはおばさんと呼ばれる年代の女性であり、通信機を見せて後払い宣言をした悠人達を見て「へぇ」と声を上げる。
「あなた達、まだ若いのに戦闘員なのね」
「あぁ……よく言われます」
「その刀で戦うのかしら? 学校は?」
「中卒で戦闘員なので……」
「あらそうなの? フゥ〜ン……。あ、他のお客さんがそんな刃物見たらビックリすると思うからサッサとロッカーにしまいなさいな」
悠人の腰にかけた二本の刀を見ておばちゃんはコインロッカーを指差す。今思えば少し周りからの視線を感じるマルス達。やっぱり民間人にとって魔装は物珍しい物だそうだ。受付さんにお礼を言ってロッカールームへと移動するマルス達。ロッカーの鍵を開けた時にため息をついたのは蓮だった。
「中卒の何が悪いんだよ中卒の。俺らだってしっかり税金保険金色々毎月払って生活してるっての」
「蓮、落ち着けよ。そもそも銭湯に魔装はちょっと場違いだったかもしれねぇじゃん」
「あ〜、もういいよ」
蓮の言葉を聞いて隼人もすかさずフォローを入れるがどこか気まずいような表情をしていることからか刺さることがあったのだろう。この新人殺しの班員は普通の人生を送ることは出来ていない。それだけを民間人は知っている。戦闘員のおかげでなまじっかな平和が成り立っていることを知らないでいるのだ。そう思えばマルスもどこか気まずく思えてしまった。
「ハイハイ、悲しいことを感じるのはもうやめにしましょ。そんな気持ちもお風呂でサーッと流さないとね!」
蓮の肩をポンポンと叩いてフォローを入れるサーシャ。その通りだと思うことがあった蓮はフンスと鼻息をしてロッカーを開けるのだった。700円程度のロッカーに悠人とマルスの魔装をしまう。香織、慎也、優吾、蓮、隼人は500円程度のロッカー。香織は太鼓のバチ程度に縮小できるので問題なし。ただ、問題はサーシャの槍だった。彼女の身長よりも長い槍を直すことはできないと思われたがなんとパイセンのバットがサーシャの槍を飲み込んで解決。
「一体どういう原理だよ……」
「いつでも吐き出せるから飲み込んでも問題ない。列車砲まで取り込んでるんだからな、このバット」
パイセンが700円ほどのロッカーにしまっているのを見て改めて恐ろしい能力だとマルスはバットを見ていた。
「さ、入るとするか。上がったらそこの休憩スペースで待っててくれってことで」
悠人の言葉に全員がうなづいて男、女と分かれて行く。銭湯……、また初めて体験する人間の文化である。この国の文化はどこか変わっており、どこかしら面白い。興味深げに暖簾を潜るマルスであった。
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