矢の雨の中を担がれて未珠と共に逃げてきた翔太は自分を呼ぶ声にハッとして目を開けた。返り血と傷だらけの翔太に鎖を巻く乃絵と翔太の肩を抱きながら安堵の声を上げる紅羽だった。紅羽の後ろには八剣班に翔太の救援を頼んだ颯太が肩で大きく息をしている。
「みんな……すまんな……」
「翔ちゃんが死んだら何もならないでしょ!? 光輝君になんて顔をするつもり?」
落ち着いてはいるが怒りを隠せていない紅羽。翔太はバツが悪そうな顔をしながら謝る。昔の翔太なら一切謝ることはなかったが今は違う。真っ正面から翔太を見る未珠に鎖を巻いてある程度の治療を行った後、まだ塞がっていない傷口にガーゼを巻いている乃絵や魔獣が他に来ないかを警戒している大智と颯太。翔太は見えないところで感情に支配されていたこと、そして誰かに迷惑をかけていたことを知った。
「情けねぇ……。みんな、本当にすまない。俺で勝てると思ったのは……俺のミスだ」
「もうこれ以上は鎖を巻けません。気をつけてください」
「翔ちゃん、今度は間に合うか分からないよ?」
「せやな。きぃつけとき」
グッと何かを堪えた顔で頷く紅羽に目伏せしながら翔太は立ち上がった。そして未珠に頭を下げる。
「助けていただき、ありがとうございました」
「礼なら仲間に言え。お主はほんと、いい友を持った」
未珠は紅羽に目伏せで任せた後にそのまま去っていった。八剣班の仲間と合流すべく動いたのであろう。仲間全員に頭を下げた翔太は状況整理のために班員に現場を聞く。翔太がビャクヤと戦いに行った時以降は周囲の幻狐の討伐に遠野班は精を出していたらしい。稲田達が遭遇した時よりも遥かに強くなっているらしく、中には紅羽の火球に耐えたものや大智の重力波にも数秒耐えて襲いかかってきた個体がいたということ。敵の成長は翔太の予想を遥かに上回っていたそうだ。
「僕が民間人の女性をシェルターに送った時、八剣班と合流できたんだ。見鏡未珠副班長が翔ちゃんのことを聞いてきて、僕が亜人との交戦に入ったところを伝えたら目の色を変えて『ついてくるのじゃ!』って。他の八剣班のメンバーは魔獣討伐に向かっているよ」
「となるとあの矢は坊ちゃんが撃ったな……? ハァ……アイツにまで借りを作ってしまった」
八剣班班員、明通歩夢。実家は企業グループ、明通商会の産みの親の家系。その次男坊として生まれた歩夢のことを翔太は「坊ちゃん」と言っている。彼に借りを作ると後々面倒であることは承知済みであった。パイプを杖のように使ってバランスを取りながら翔太はこれからどうすべきかを考える。翔太自身、戦えないことはないが少しだけ傷が痛んでしまった。ハンデを負った状態での思考は少々精神を喰ってしまうが未珠に鍛え上げられたその心持ちが折れることはない。
「鳥丸や堀田はどうしてる」
「鳥丸君なら民間人の救出や魔獣の位置の情報提供をしているはずよ。堀田君は遊撃と救出をしていると思うわ」
「そうか……。東島は?」
「東島君達はさっき全員合流できたみたい。翔ちゃん、まだ戦えるの?」
「あぁ……夜はまだ始まったばかりだしな。まだまだお仕事は継続ってわけだ。ここからは固まって移動しよう。鳥丸達に俺らはつくんだ」
班員全員が頷いて翔太達は移動を開始した。まだ夜は始まったばかりだ。長い長い戦いの夜はまだ終わりそうにもない。
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「おいおい、大丈夫かい? 翔太君」
矢を空めがけて一斉に放っていた歩夢は片目を閉じてメガネと魔装の力に頼りながら遠視を続けていた。歩夢は生まれつき左右の視覚のバランスがおかしい。左目だけ著しく悪い彼は時計屋さんがつけるような片眼鏡を常時付けている。それをスコープがわりに使って遠距離から狙撃を行った彼はビルの屋上を転々としながら移動をしていた。
「歩夢、よくやった。妾も脱出ができたぞ」
「ホッ、副班長のことだから死ぬことはないって思ってましたよ。それじゃ、ここから僕は遊撃ですね?」
「あぁ、そうじゃ。また何かあれば連絡しよう」
未珠との通信を切った歩夢は遠くの景色の中で仲間に介抱されている翔太を見ていた。元々見鏡班でエリート扱いをされていた歩夢、翔太は未珠の弟子、歩夢はエリート。全く違う世界で生きてきたような仲だが今でもそこそこ交流がある。弓に手をかけて矢を装填しながら歩夢は先ほどまでのことを思い出していた。
八剣班がサイレンの音と共に街にやってきたのは少し前だ。それまでは民間人の救助やシェルター付近の魔獣の殲滅をして鳥丸班や堀田班の救助活動の時間稼ぎをしており、目に見える範囲での魔獣を屠っていたのだ。作戦は順調に進み、新人殺しやタクティクスが待つ地点へと向かおうとしたがそのシェルターにやってきた遠野班の班員、日暮颯太の発見によって全てが変わった。返り血を浴びた女性を背負って単身、路地を使いながら走ってきた彼はシェルターに女性を預けた後に何があったかを事細かに説明した。狐の亜人に翔太が飛び込んでいった、これらを聞いた未珠が一瞬だけ思い詰めたような表情をして歩夢に同行を頼む。そして歩夢の射撃や牽制の中を未珠が突っ切って翔太を助けにいったのだ。
「血を啜ることで力を得る……それがあの亜人の力。だとしても霧のような力は聞いてないぞ……。僕の弓も怯えたような様子を見せた」
魔装が怯える、これは道具としてあってはならないことではあるが朧気ながら魔装についての考えを持っていた歩夢は少し物思いに沈んでいた。弓を叩きながら精を出させて放たれた矢の雨によってあの亜人から逃げることができたようである。
「貸し1だぜ〜……? 僕がいなければ翔太君もパーだったからさ」
歩夢は通信機を起動させながらビルの屋上をひらりと飛んでいい射撃場所を探している。隠れやすく、もしもの時は移動しやすく、そして撃ちやすく。ちょうど良さげなオフィスビルを見つけて歩夢は着地した。そのまま屋上のダクトの近くに隠れて通信機に応答する。
「カケル、君は今どこにいる?」
「歩夢か? 俺は紅音と一緒に新人殺し付近の場所にいる。敵が近い」
「カーッ、こんな時でも紅音と一緒なのね。もしもの時は僕も近いから助けに行けると思うよ」
「お前の心配なんさ無用だぜ」
そう言って通信機を切られてしまった。歩夢は舌打ちをした後に立ち上がって空を見る。月の光は徐々に青くなっていくようだった。それでいて明かりが付いているところは燃えた後があるからか赤く見える。不思議な夜だった。歩夢の魔装の力によって暗い夜でも昼のように明るく見える。それに合わせて広く見渡せる視力と望遠レンズのような遠視までついた狙撃にはもってこいの性能であった。
弓を精一杯引っ張って一瞬だけ目を閉じた。歩夢の後ろにはどこからともなく毒怪鳥がやってくるのだ。振り返って弦から手を離す。空を駆けるように飛んでいく矢は一斉に分散を開始して緑色の閃光たちが毒怪鳥を串刺しにした。嘴から縦に貫かれたものや羽根を何度も射抜かれて地に落ちるもの。ある程度の鳥を撃ち落とした歩夢は転々とビルの上を飛んで移動する。ついでに逃げ遅れた民間人がいないかなどの気配りも忘れない。高層ビルなど特にだ。
「ほぉ〜……人影がいないや。ここら一帯は鳥丸班だったから……やるなぁ。5位は伊達じゃないな」
現実味がないと思えた。都市を戦場としているのに人影がいないだなんて。屋上で相手をしていてもあまり成果を出せそうにないと判断した歩夢はビルからビルへと跳ねるように飛び移って地面に着地した。コンクリートが少しえぐれており、墜落した魔獣の死骸でいっぱいだ。歩夢は頭を掻きながら辺りを見渡していた。
「ひどいな……どこもかしこも死体だらけだ」
そこにあるのは魔獣の死骸だけじゃない。犠牲者となってしまった者達もいる。歩夢は目を瞑りながら移動していると前方に誰か人影が見えるじゃないか。ギョッとして目を凝らしてみるとスーツのような服をきた中肉中背の男が一人いる。男は呆然と辺りを見渡している様子だった。
「民間人か!? おーい! アンタ! 怪我はないか! 今助けに行くぞ!」
手を大きく振りながら歩夢は近づいていった。瓦礫を飛び越え、死体を飛び越えして近づいていくとまたもギョッとしてしまった。男の顔からは生気というものを感じることができなかったのだ。黒目が白目に面していない、白眼の空間の中をボォっと浮かぶようにして映っている黒目、動くことのない口、人形のように白い肌に合わせて何故か血で濡れている右手など。歩夢は背負った魔装に手をかけながらゆっくりと近づいた。
「怪我は……ないようだな……。周りに魔獣も……いない。……良かったぜ」
歩夢が助けにいこうとしたその時、男の腕に出ていた切れ込みから刃が飛び出して歩夢を貫きかかったのだ。瞬時に構えていた魔装を起動させる。弦はプツンと切られるようにして収納されて歩夢の弓は瞬時に棒のように細く鋭く変化。その棒で男を突きにかかった。男は何食わぬ顔で歩夢の棒を受け止める。それも手の平で。歩夢が力を入れる度に男の手のひらに刺さった棒はグリグリと食い込んでいった。それを抜いてから男の顔面を蹴って歩夢は距離を取る。
この現象、普通じゃなかった。それにこの男は人間じゃない。歩夢は夕方に読んだ記事を思い出す。屋敷で極東支部の任務録を読んだ際に鳥丸や東島が遭遇した通称「人形」と呼ばれる魔獣個体の写真を見ていたのだ。正確な見分け方や挙動について記されていたので興味深く思い、内容を暗記していた。この男と出会って様子を確認していくと詳細が合致していき、極め付けは血で濡れた右手だった。拡大して物を観れる歩夢だからこそすぐに気がついた右手の切れ込み、人形の写真にも同じような切れ込みがあったのである。
「思えば不自然だ。民間人が道路の真ん中で突っ立ってるわけないよな? お前……亜人によって作られた人形だな? その血……もう誰かをやったのか……」
皮が捲れるように顔が歪んでいる人形は捻るようにして顔を掴み、元の形に修復していった。傾いていた首を音を鳴らしながら修正させて歩夢に向き直る。この人形が街にいるとなればまだ多くの人形がいることになる。中には民間人のふりをしてシェルターに侵入してしまった個体もいるのかもしれない。そうなると無駄な犠牲を増やす羽目になってしまう。歩夢はすぐに通信機を起動させた。
「玲華さん! 今すぐ伝えることが……!?」
歩夢の首めがけて刃を振るった人形。紙一重で避けてから距離を取るようにして歩夢は走る。玲華は歩夢の状況に心配したようで今すぐ向かいにきそうな雰囲気を出していたが歩夢は断った。
「これは不味いことになったよ。人のふりをしている魔獣がこの街にいるんです。人形、玲華さんも資料を見たでしょう?」
「人形、あの空っぽの体に魔石が入っていた人のことですね? となると!」
「さすがお気づきが早い。付近のシェルターに急いで人を送ってくれ。福井班にレーダーを使う奴がいたはずだ。彼に連絡を入れれば動きが速くなる」
「ご報告感謝します。歩夢さん、そちらに応援は……!」
「結構結構、ここは俺一人で倒せるさ」
玲華に礼を言って通信を切った歩夢はビルの壁を跳ねながら追いかけてくる人形目掛けて矢を発射した。初めは一本の矢を見て颯爽と避けた人形だが歩夢の調節したタイミングで一斉に増えていき、人形の額に矢が突き刺さる。半分貫いたような串刺し状態で墜落した人形は血のような黒い液体を垂らしながら歩夢を見ていた。遠距離から攻撃を仕掛けようとしても歩夢に手を出すことなんて出来やしない。
「話し合いじゃすまないでしょ? あと一回撃てば君の体は限界に達するはずだ」
矢を向けて威嚇する歩夢であったが相手に恐怖心というものはなく、ゆっくりと矢を抜いてその場に投げ捨てた。タールのような黒い液体は止まることを知らないように流れていく。人形は己の刃を額に突き刺して顔面に縦の切れ込みを入れた。動揺する歩夢を無視してその切れ込みに右手を当て、指を入れ込んで皮を一気に剥ぐようにしてその中の姿を見せる。まるで卵が割れるように皮を破りながら中から出てきたのは一つ目の怪人と言ったような不気味な魔獣だった。ギョロリと動く一つ目に青黒い肌、口はない。人のような姿でありながら生殖器などのものは一切なく、ただ一つ目でタールのような液を被った人間のような不気味な姿をしていた。その腕から刃が伸びている。
報告から聞けば中には何もなく、魔石だけが心臓部にあったはずだ。あれから今夜にかけてこんなに短い時間で強化をさせたのだろうか? 歩夢は刃を振るいながらやってくる一つ目の怪人に矢を放つことしかできなかった。一斉に数を増やしたが今度は高く飛び上がることで避けられてしまい、急降下するようにして襲いかかる。
「速さが段違いだな……! 枷を外せてラッキーかと思ったか?」
弦を弾く歩夢に舐めかかって刃を振り下ろす怪人だったが歩夢は足元の血溜まりを利用して背面越しに地面を滑り、弓矢から即座に棒に変形させて着地してきた怪人の股をすり抜けることに成功した。背後に回った瞬間に心臓部を突き刺してグッと力を込める。怪人はジタバタと体を動かしていたが歩夢の力に負けてそのまま動かなくなった。棒を体から引き抜くと黒い液体でめいいっぱい汚れている。少し嫌な顔をしながら片マントを脱いでそれで弓を拭いた。マントをその場に捨てながらある程度綺麗になった弓と白眼を向いて倒れている怪人を見てため息をつく。
「久しぶりに焦ったよ。帰ったらまずは魔装の掃除だな……」
屋上で狙撃をする方が楽だということに気がついた歩夢はビルを蹴って夜の闇に溶け込んでいくのであった。
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