食堂でパイセンが蓮を椅子ごと蹴り飛ばしていた時、極東支部八剣班の屋敷ではいつも通りの夕ご飯を終えた直後だった。駿来と紅音で夕ご飯の片付けをする傍ら、二階のベランダで夜風を浴びるのは班長、八剣玲華。持ち込んだカップにコーヒーを注いで一人で飲んでいる。
あの任務以降、玲華はずっと考えていた。亜人は滅ぼすものだと自分に言い聞かせて任務に当たっていたがあの最前列で戦っていた新人殺しは亜人さえも救済の余地があるとして救おうとしていたこと。玲華の真正面に立って吠えた新人、マルスや何かを諦めたような涙を流した大原優吾を見た時、玲華はハッとしたのだ。自分にはない経験を彼らは積んでいると。
玲華は誰かを守りたいやら、果たすべきことがあるとの理由で戦闘員になったわけではない。ただ、市民のために武器を奮って戦う戦闘員がかっこよく見えたから目指そうとしたのだ。両親は玲華の決意に最初こそ乗り気ではなかったが簡単には折れない玲華を知っているからか最後の方は諦めて荷造りの許可を出してくれた。
そんな英雄思考を持って事務局のドアを叩き、筆記での確認や適合検査を受けた時から玲華の天下無双への道はもう始まったも同然。玲華は序列一位の班を任せられる戦闘員にするべく必死の特訓が始まったのだ。それなりの苦労をしてきたと自負していたがその苦労を簡単に乗り越えれるほど玲華の潜在能力は未知数だった。いつしか見鏡未珠が班長の座を降り、玲華の手助けをしながら運営する八剣班が誕生して長い時間が過ぎていた。班員も強力であり、それぞれ事情を持っている。玲華は自分がかっこいいと思えた戦闘員を目指せるように活動を続けてきたわけだが……前回の任務でそれが少し、分からなくなった。
「今日で何回目じゃ? 宴はまだ終わっとらんぞ?」
「未珠さん……。今日は……お酒、結構です」
「ほぅ? 酒で忘れることさえも嫌がるのか? その様子じゃと、あの新人や優吾のことでまだ悩んでいるようじゃの」
「私は……市民から見て英雄であろうと剣を奮ってきました。市民の平和を脅かす魔獣、そして亜人を討伐することこそが戦闘員の、英雄らしき姿だと思っていた、それを信じて今日まで極東支部の代表として積み上げてきたんです。あの時、私は下級の班員に初めて反感をかいました。あの新人、マルスという名の戦闘員は本気で私を罵倒した……」
「……ふぅむ。お主に降りかかる困難は大抵、お主自身の力で突破できるものばかりじゃったな。それほどの器量を身につけてはいても……亜人による戦闘の経験は彼奴らの方が濃いの。これは妾のミスでもある」
「そんな……! 未珠さんは何も悪くありません! 私は未珠さんに数えきれないほど沢山のことを教わり、導いてもらいました。剣を振るうことも、長として皆をまとめることも、誰かの憧れになることも……! これは私の傲りです! 未珠さんは……!」
未珠はスッと手を突きつけて玲華を黙らせた。玲華よりも一回り小さい身体の未珠だがその威圧感や風貌には玲華でさえも逆らえない何かを纏っている。未珠はベランダ近くの椅子にスッと座ってから膝の上に手を置いてフッと息をついた。
「妾もお主と同じように誰かの上に立ち、経験を積み、誰かを導いてきたつもりじゃ。じゃが……妾がこの世界に来た時は今よりも世界は荒れていた。それはそれは大変な思いをしたわい。じゃから、お主には踏んでほしくなかった経験、時が早すぎて己の真意さえ置いていってしまうようなこの世。残念ながら、今の世は早すぎる。それを教えることを後伸ばしにしすぎた」
玲華はあえて聞いていない。何故未珠が戦闘員になったのか。そして未珠の存在が他の支部の事務局を動かすほどの権力を握ることになったのか。未珠はヤケに年齢を聞かれることを嫌がる。極東支部だけでなく、世界中の支部でも語られるほどのタブーなのだ。玲華のその言いつけをずっと守っていた。守っていたからこそ気になるのだが、未珠はそんな玲華を見てフッと笑う。
「妾の生い立ちが知りたいとな? そう早まらんでももうじき分かる。玲華、お主が願ったその戦闘員の像。市民の一人でも、そう思ってくれる人がいれば妾達は救われる。現に東島の奴はそのことで悩んでいるようじゃからの。じゃが、この世界に入ってきたなら憧れの像に無理やり押し込もうとするのは……愚かじゃ。あの時のマルスの叫びはそんなお主への説教にも近い。亜人と妾達の関係、もう少し学んだ方が良さそうじゃ。果たしてお主は同じことが言えるかの? ゆっくり考えろ。そろそろ任務も近い、その時までに」
やはり心を読まれていた。玲華は頭を垂れながら学が足りない己を恥じている。新人殺しが行く度の亜人戦で何を見い得たのか、探らなくてはならない。頑固なところが災いして大きな亀裂を生むところだったと怖くなったのだ。力だけでは解決できないが力を求められる界隈だったせいで何かを忘れているような気分にもなったのだ。
頭を下げる玲華を横目に未珠は満足そうに微笑みながらベランダを後にした。玲華の姿が消えたところで未珠は身体の底から襲う痛みに耐えかねて床にうつ伏せで倒れてしまう。玲華は駆けつけてこない。当然だ。玲華や周りの班員からは気づかれないところまで耐えていたのだから。
「それよりも……妾の敵は摩耗か……。この身体もガタがきてしまうかも知れぬ……。せめて……せめて……任務まで待ってくれ……」
体を抱くように押さえてぐぐ持った声を発する未珠、酒を飲んでいる時だけほんの少しマシになる身体の痛み。長年押さえていた身体の一部がそろそろ爆発しそうな勢いなのだ。今はまだ耐える時、玲華や翔太、そして東島達が無事に任務を遂行するまで耐える時。その後のことはその時で考えようと思っている。なんせ、もう先の未来は見えないのだから。
〜ーーーーーーー〜
「ウェーイ、イェーイ、昇〜、ほぉらー、飲めよ飲めよ〜。ヒャッハー!」
「歩夢さん……だから……誕生日近いから我慢してって……」
「歩夢、勘弁してやれ。全く……お前はどうして落ち着いて酒が飲めないんだ」
その頃リビングルームではお酒を飲んでハイになった八剣班、明通歩夢が相変わらずの酒癖の悪さでお酒を強要。拒否する昇にショットグラスをぶっかける勢いで押し付け、昇の服は濡れて台無しに。グラスを仕舞ってから歩夢の胸ぐらを掴んでギラギラと輝かせた目を見せて殴りかかろうとしていた時に未珠はちょうど戻ってきた。
「場所を間違えておるぞ? ドヤ騒ぎは外にお行き」
「は、はい!」
震え上がりながら訓練場まで走っていく昇と歩夢。その後で屋敷全体が揺れるほどの大戦闘が始まろうとしていた。
「ほんっっと、あの二人って進歩しないわ……。誰よ、歩夢と昇なんて名前付けたの」
「もう『立』と『止』って名前でいいじゃんね?」
苛立ちを隠せない様子で頭を抱える紅音に同じく呆れる駿来、その間で静かにお酒を嗜む藍。
「そういえば……玲華さんは?」
「玲華なら上のベランダで考え事じゃ。妾が少し相手した。もう放っておいてやれ」
「考え事……ねぇ」
一階に残っていたこの班員達は前回の任務でのダメージは少なく、むしろ手応えのある獲物が出てきてラッキー程度に思っていたのだが、世間が出すニュースや専門家らしき人物の演説を見ていると違う方向での不安が拭えないでいたのだ。
「近いうちに亜人関連はどうかしないと俺たちの存在が危ういですね。こんなに不安を煽る報道ばかりじゃあ……いずれ全国民同意の戦闘員罵倒が始まってもおかしくない」
「その可能性もあるし……私たちへの資金援助も減るかも……。私たちは蓄えがあるからいいけど……下級戦闘員達はどうするのかって考えたらね」
「でもまだ私たち、亜人のこと何も知らない。会ったのはあの鳥人だけ」
藍の一言に頷く駿来と紅音。八剣班は市民の誘導と魔獣の討伐両方を担当して成果を収めていたが、肝心の亜人は夜明け前の全員一斉攻撃の際しか見れず。亜人を全員殺せば解決する問題とは思えなかった。夜明けと共に現れたエリーニュスというあの女の存在が気になって仕方がない。
「まぁ、それでも俺は紅音がいれば生きることができるさ。こんな物騒な世界でも……」
「駿来……!」
お酒が回った二人を他所に一人落ち着いている藍は晩酌をとる御霊に近づいてその隣に座った。藍の存在に気がついた未珠はお酒を止めて藍に顔を向ける。
「なんじゃ?」
「お酒飲んだままでいいよ。未珠さん、次の任務で亜人の拠点を潰せたとしても……戦いが終わるとは限らないと思う。まだ魔石に関することが残ってるから。新人殺しのあの子達や魔装はこれからどうするの? もう平和になったから用無しっていうのは……間違ってる」
「……そうじゃの。次の任務で全てが終わればいいのじゃろうが……。妾はそうは思えぬ……。あのエリーニュスが亜人のなんであろうと背後で何かを動かしているのは確か、また大きな戦いを残そうと裏で暗躍しているようにも見える……」
「もしかして……人魔大戦みたいな?」
「そうかも知れぬの。二度目の人魔大戦が起きようが……妾の使命は何も関係のない民を守ることじゃ。そのための準備は必要かも知れぬぞ?」
後ろでちちくりあっている駿来と紅音も未珠の言葉で酔いが覚めて真剣な顔でソファに座る。魔装に終わりがあるのか、この戦争はいつになれば終わるのか。犠牲を如何にして減らすのかが鍵だろう。
未珠は一人、酒を嗜みながらあの新人殺しのマルスの姿を思い出して頭を押さえている。とんでもない鍵がこの中に紛れていたのかも知れない。もう隠しようがないほどの激動の大戦がやってくるかもしれないと。
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