戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

憶えているかい?

公開日時: 2021年5月26日(水) 18:59
文字数:3,001

「レイシェル様、ご苦労様です」


「……あぁ、グスタフか」


 所長室に入ってきたグスタフは丁寧にお辞儀してレイシェルに挨拶する。元々グスタフとレイシェルはDBC本部で働いていた戦闘員、グスタフが上司だったはずなのに今や彼は忠実な部下として働いている。歳の差も大きいグスタフとレイシェルだったが今でも信頼の関係は変わらない。腕のいい秘書であり、戦闘センスも老いた体に似つかわしくないほど残っている。年の功とは亀の甲とでもいうものか、年々グスタフの適合、気龍スピリッツドラゴンの戦闘力も上がってきているのだ。


「何か考えことでも……?」


「少し……」


 ずっと窓の外に写る居住区を眺めていたレイシェルは視線を落として自分の椅子に座った。ギィイ……と音を立てて座り、お気に入りの葉巻を取り出して吸う。煙を吸う少しの間、今までの出来事が鮮明に頭の中を走り去っていく。心の中に返しがついた刃が引っかかっているかのような、そんな感覚だ。別にあっても困らないが不意に痛む。


「東島達の様子は?」


「新しい屋敷に引っ越しても元気そうでしたよ。今日は彼らにとって初となる3位の任務ですからね。出動は魔獣の動きが活発になるお昼頃でしょうか」


「……そうか」


 深く座って瞳を閉じるレイシェル。あの時の光景を思い出していた。いつもは無機質な反応ばかりで周りを困らせる新人、マルスが瞳に涙を浮かべながら拳を振り下ろそうとしてきたあの日。正直、レイシェルはあそこまで感情をむき出しにしたマルスを見たことがなかったため、面をくらってしまった。振り下ろされる速度がもう少し遅ければ顔に出ていたほどだ。夜眠ろうと思っても最近はよく眠れない日が多い。自分の行動が遅いと、無駄な犠牲者を増やしてしまったという事を思い知らされた瞬間でもある。


「気になるのですか? やはり……」


「久しぶりに……私の心も戦闘員に戻ってきた……か」


 レイシェル自身が戦闘員として活躍してた時は魔獣による犠牲者などの規模が大きかった時期のことである。一つの小さな村を壊滅させたこともあったような時代で生き延びたレイシェルは犠牲者を見てあの時のマルスのような顔をしていた事を思い出した。バーチャルウォーズなんてする必要があったのか、対応があまりにも遅く、本来であれば稲田班を見送る際にもっと心配をした方が良かったのではないか。現実を押し付けられて黙る反面で本部からもお怒りが飛びレイシェルは失いかけた上司の意味をもう一度手に取ろうと必死であった。


 それに佐藤の事も現在進行形で調べてある。どうも研究所が怪しく小谷松の動きも奇妙な方向に走り続けていることが分かりレイシェルも困惑していた。研究所が魔獣の研究のために捕獲するということは珍しくないのだが最近はその頻度がかなり多くなっている。それも活性化が進んでいる魔獣限定でだ。様々な課題が一斉に入ってきてレイシェルの頭を悩ませるのだった。


「このご時世、色々と移り変わるものなんでしょうな。昔は問題児だらけだった東島班も今では極東支部を代表する戦闘員への仲間入りを果たしています。生存している亜人がいたという事も。『死ぬことよりも生き延びることの方が難しい』、一昔に見た映画でそんなセリフがあったような……。こうも関連付けられるとは……ですね」


「分かっている。ただ……」


「ただ……?」


「このような悲劇を起こした私が……もう一度彼らをまとめて指揮することができるだろうか……、少し見失っている」


 レイシェルだって人間だ。当然、責任を感じる。重みを感じる。涙を感じる。そして自分の過ちを知る。その時に這い上がれるかはレイシェル自身の問題であるが今は見失っていた。所長としての存在理由を。自分がここにいてもいいという確証を。犠牲は最小限に、レイシェルとしてのプライドは少しだけ揺れ動く。現場で戦っていたのは昔の話。今の東島達の力になるにはまた違う力が必要なのだ。


「レイチェル……憶えてるかい?」


 ここで急にグスタフが口を開く。それは昔に本部で戦闘員をしていた頃、まだグスタフが上司でレイシェルが部下だった頃の呼び方と一緒である。あまりに突然なことでレイシェルはたじろいでしまったが一瞬考えた後でゆっくりと口を開いた。


「……なんでしょうか」


 おかしな感覚だと思った。ただどこか懐かしい。


「所長に選ばれた時、君は何を誓った?」


 所長への任命は本部が行う。レイシェルはその時のスピーチの内容を必死に思い出していた。若かりし頃の自分は一体何をスピーチで言ったのか……ジックリと考える。戦闘員として活躍していた時、任命された時……、今につながっているかどうかを。


「もう……誰も傷つかせない……」


 本部周辺の魔獣は特に強敵が多く、民間人の犠牲者も多かった。目の前で民間人が魔獣に喰われている光景なんぞ何回見たのか分からない。親を食い殺されて泣き叫ぶ子供を何人保護したのか分からない。下級魔獣と適合したレイシェルは魔装に頼らなくても立派な戦闘ができるように鍛錬を積み続けた。危険察知を行えるだけの能力をいかに上手く使うかを探究し続けた。そしてその功績が本部から認められ、極東支部の所長を命じられたのだ。新天地へ行くと言うことでレイシェルはその想いを会場で語ったのだ。


「日本の魔獣は本部の魔獣と比べて対処がまだ楽だった。それで忘れていたのかもしれない。そうであっても……君は所長だ。昔の君のような悲しみを背負った若人がここには沢山いるんだ。上がそうやって揺れ動いているのはただの自己陶酔だよ。今の私の立場で言うのもおかしいことだが……君は上の立場だがどの立場でも凄みのある職である。このことは忘れないで欲しい」


「リーダー……」


「すみません、ちょっと遊んでしまいました。ですが……所長である現状に慣れきってしまうのはいけませんね……。今、不安になれるのは積み上げてきたものがあるからでしょう。私はあなたの裏でお手伝いをするのみです」


 グスタフは昔から切り替えが早い。レイシェルは一瞬だけジト目になってしまったが懐かしい上司のイメージを思い出した上でいつものように腕を組んだ。その瞳には何かを決心したかのような心が燃えている。静かに、熱く燃えるのは青の炎。燃え盛る赤い炎とは一味違う。管理職の賜物である。


「わかっている、グスタフ。今日も調べるぞ、佐藤が来る前にな」


「はい、レイシェル様」


 もう誰も傷つかせない、この短い言葉に込められた想いは大きい。昔の自分と今のマルスが重なったということはどこか親しいものを感じたということ。それなら、そんな若人のために自分が先導になって動くしかない、この変わりゆく時代の中で。熱意のこもった指でコンピュータの電源をつけた。


「最近はイビルタイガーの他に魔猿デビルズモンキーが捕獲……一体……」


「研究班の者に話も聞くと一般装備の製造も同時に行ってるようです。元々は対人武器のような一般装備を今更作る……曖昧な部分が多すぎて私はなんとも言えないですな」


「そうだな……」


 研究所が何か都合の悪いことを考えていることはもう事実に近い。あの会議から佐藤の通話を気龍を通じて盗み聞きして録音してるわけだが相手の目的はレイシェルの失脚、それしか分かって無かった。レイシェルが失脚すればあの小谷松所長が極東支部の所長へとなる。どうやって……?


 その答えがわかったのは東島班が任務へと出動してすぐのことだった……。

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