戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

ペリュトン

公開日時: 2022年1月9日(日) 12:00
更新日時: 2022年1月9日(日) 12:07
文字数:5,536

 吹き荒れる風は街全体を包む。夜空を覆い隠すように広がっていく黒と緑の風の中、ベイルは翼に身を包んだ状態で空を飛んでいた。風が吹いているのはベイルの体からだろか、渦の中心には目のような空間が出来上がっている。マルスはいつの間にか消えていたペリュトンの魔石とベイルに集まっていく光と風を見た。予備さまされるのは記憶ではなかった。空に翼を上げるペリュトンは優雅に飛翔しながら眷属となる鳥の魔獣を生み出していく。そのペリュトンには明確に二つの感情が存在しているのだ。


「魔獣の声だけじゃない……。ベイル・ホルル!! 今ならまだ間に合うんだ! 魔石に呑まれるんじゃない!! お前が信じる神が生むのはお前が望む未来じゃあないんだ!!」


 マルスの叫びもベイルには響かなかった。風の中心で歯軋りにも似た声にならない声を発して翼の間からマルスをギロリと睨んでいる。その目は勇者なんぞ称号が似合う目ではない。支配されて生み出された魔獣の目だ。マルス達、神々によって生み出されることになったペリュトンの目だった。


 マルスの剣が震え出した。戦ノ神もマルスと同じ考えなのだろうか、マルスは鞘から剣を引き抜いて考える。ベイルにマルスの声は届きそうにない。周りの亜人達はベイルの様子を見て何を思ったのか、ジリジリと退散していくではないか。マルスよりも先に気がついた悠人が退散するビャクヤに刀を振るったが返されることもなく、あっさりと受けられて退いたではないか。


「何故お前が逃げる? まだ勝負は終わっていないぞ」


「もう我が出る幕は終わっているのだ。小僧……」


 一歩だけ踏み込まれて悠人は顎先から後ろに退いてしまった。


「その顔と剣は忘れぬ。仇を果たしたいなら我がいつでも相手になろう」


 その言葉をいい残してビャクヤの姿はように消えていった。悠人は一瞬だけ動きを止めてしまい、逃す隙を与えてしまったことを悟る。が、去り際のビャクヤの表情はどこか寂しげであり、視線は悠人ではなく翼に包まれるベイルに向いていた。同じような状態でケラムも地面に潜って退散していく。皆、亜人を止めた方がいいのはわかっているが初めて、湿ったような表情をする彼らを見てしまったようで誰もが反応できなかったのだ。


「なんだよ……。ここまで散々壊しておいてあんな顔して消えられるのかよ」


 隼人の声が尤もであろう。突然現れた亜人達によって失われた民間人の人生は数知れず。出る幕はない、この一言で消えてもいい状況ではないのだ。怒りが込み上げる前に髪が捲り上がるほど風が吹いたかと思えば割れた建造物の窓ガラスが一斉に飛んでくるではないか。隼人の周りは結界で防ぐことができたが離れていたパイセン達は頭を下げながら瓦礫の下に潜り込むことでことなきを得ていた。


「亡霊が……一斉に……?」


 優吾の目には右腕から這い出てくるような半透明の鳥人族や魔獣の影がベイルの翼に集まっていくのを見ていた。ゆっくりと染み込むようにベイルの翼に潜り込んでその色を濃くしていく。誰もが恐れるように立ち止まっていたのでマルスは剣を抜き、飛び上がって翼に包まれたベイルを斬りにかかる。声を張り上げて仲間の意識をも元の場所に帰させながら振り下ろしたが剣が拒むようにして目標の直前で動くのをやめた。剣を握るマルスの両腕には赤黒い血管のような模様が出ている。


「また邪魔をするか……! 戦ノ神!」


 無理をしようものならマルスの腕に締め上げるような激痛が走る。隣に戦ノ神がいてマルスの腕を締め上げているようだった。地面に着地したマルスはあざのような跡が残った腕を押さえながら浮かぶベイルを見ていた。見届けろとでもいうのだろうか。こんな状況にならないように動いていたはずなのだ。マルスは亜人に眠る執念と「復讐」の念の強さをみくびっていたことを知った。相手側が信じる神の象徴を壊したところで相手の執念が消えるはずがない。剣とベイルを見ながらマルスはまた葛藤が始まったことを知った。


 剣の色が落ち着いたかと思えばベイルを包む翼はゆっくりと開いていく。夜を照らす月のように翼の中は光っていた。今までよりも少し大柄の体格、緑の毛色は特に変わっていないが冠羽のような立派な飾りがついた後頭部や鹿のような立派な二本角が生えてマルスが知るペリュトンに近い姿となっている。翼は相変わらずの二対だが無限の彩色を発すその羽に圧倒されていた。


「変わってる……。本当にあの亜人なのか?」


「だとしても目つきが違いすぎるだろ……。周りに回って怖いわ」


 その目は空をそのまま移したかのように青く、深かった。真ん中の瞳にいくにつれて人間の目には写せないような色が集まっているのか、暗闇へとひきづり込んでいる。嘴を開いたベイルは翼を広げながら地に足をつけて両手足を軽く動かしてた。その際、嘴を開いて閉じてを繰り返していたが人間である悠人達からすればそれは言葉ではなく、ただ森を駆け抜ける風のような音が聞こえるだけだった。


 その瞬間、握りしめていた右手拳を開いたかと思ば扇ぐように腕を振るって影をそのまま浮き上がらせた刃をマルスめがけて飛ばしてきた。灰を出現させたマルスは剣でそれらを弾くように受け流す。影は大人しくベイルの足元へと戻っていく。まだ彼が亜人だった頃にも見せていた影を浮き上がらせるこの力、マルスはペリュトンそのものの力であることを思い出していた。彼の攻撃を受け流している時、マルスの脳裏にはエデン達、神々がずっと映っている。マルスを取り囲込み、エデンはマルスにある液体を飲ませて気を失わせたあの拷問の時、記憶の中の自分の体からは剣が出している何倍ものの灰が出ていた。


「俺に何を伝えたいんだ……?」


「マルス!!」


 マルスの服を掴みながら上から覆いかぶさるようにして香織が飛び込んできてベイルが再び出現させた影の刃を間一髪で避ける。マルスはハッとして香織を見ると香織は安心しながらもどこか彼を怒るような眼差しで見ていた。


「どうしたの? 今日のマルスはどこかおかしいよ? もしかしてまた……?」


「もう同じ過ちはしないさ。すまん、香織。みんな、もうベイルに何を言っても無駄だ。アイツの意志は魔石に呑まれている。夜のうちに倒さないとコイツは残りの亜人が都合よく使う可能性が高い。わかりあうことはもう無理だ。悠人……いや、どうする班長?」


「決まってる。みんな、今夜最後の任務だ。ベイル改ペリュトンの討伐だ!」


 悠人の言葉に頷いた新人殺しの班員達。目の前の哀れな亜人の戦いを終わらせるためにも、シェルターで夜を越えることになった民間人の夜明けを守るためにも体の限界を越えたとしても戦わなくてはならないのだ。ただ一人、マルスは己の記憶とも戦うことになっている。エデンが液を飲ませて意識を消してからは人形のマルスをマルスとして拷問し続けていたわけだがなぜ彼らはマルスの代わりの戦ノ神を作ることもなく、人形として劣ったマルスを作っていたのか。今更になってそこが引っかかって仕方がないのだ。


 だとしても今は目の前のペリュトンを倒さねばなるまい。人間として、戦闘員として。そうだとすれば神であるマルスの戦いはいつになれば終わるのだろうか。それは戦争の神自身も分からないことだった。種族の情に流されて信じていた神はマルスの目からすれば狭い世界の中だけで信じられている獣にしか見えない。が、この獣を見るとマルスの記憶はひっきりなしに動き出す。己の失われた記憶と関係があるのか。今は分からなかった。その言葉で片付けるしかなかった。


 悠人に続いてマルスはペリュトンに剣を振るう。ペリュトンの両手は影に包まれて黒く光っていた。その手で剣をお互いに受け止められて目を見開いたマルスと悠人。また嵐のような音を発しながらペリュトンは影の両腕を二人めがけて振るう。そのときに浮いた両腕を掻い潜って蓮のナイフと優吾の弾丸がペリュトンを襲った。空を切る二種類の弾はペリュトンの懐に刺さるはずだったのだが突如として浮き上がった球体の影が飲み込むようにしてナイフと弾丸を包み込む。


 声を上げて驚く二人の目の前に球体は出現して吐き出すように蓮にナイフを、優吾に弾丸を発射するではないか。加速させた優吾が紙一重で回避に成功したが蓮は至近距離で避け切れる力を持たず、背中から倒れて回避しようとしたものの頬を深く切ってしまって顔の一部が血まみれとなってしまう。ナイフの勢いに負けて体をひねるようにしながら倒れ込んだ蓮は切ったナイフを引き寄せて頬を抑える。彼が想像する以上に傷は深かった。


「あぁ……! 今までの瞬間移動とは何かが違うな……。イッデェ……」


 しゃべろうともすれば傷が広がるようでベルトのポケットから包帯を取り出し、勢いで口おも固定するように包帯を巻いていった。滲む包帯は気になるがこれで出血を止めるしかないのだ。勢いでは攻めることができないとわかり、パイセンとサーシャも動きを止めた。針を打とうとしていた慎也も役に立てそうにないので指の間に仕込むだけにしている。


 下手に出る行為はやめようとしていたがすぐさまペリュトンは弱っている蓮に襲いかかる。転がり込むように隼人が結界で剣のようなものを作り出してペリュトンの爪を受け止めていた。重みが一気に隼人の腕にのしかかる。アーマーを一気に右腕に纏わせた隼人は身体強化を集中させてペリュトンの爪を弾くことに成功した。大きく後ろにそれたペリュトンだったが翼を広げて足を浮かせ、滑るように飛行しながら体勢を整えている。その後ろに回ったのはサーシャだ。指揮棒のように自在に槍を振るっていくがペリュトンにその槍が当たることはなかった。一突きに力を込めようものなら球体の影が槍を飲み込んで見当違いな方向に瞬間移動させてしまう。


 サーシャの槍から逃れるために飛び上がったペリュトンは拳を握り、嵐のような咆哮をした後に勢いよく空を叩いた。影に覆われた腕は空に触れるが否や割れたガラスの破片が落ちていくかのように影を発生させるではないか。空がペリュトンの拳によって破れたかのようなその一撃、あまりにも現実離れした攻撃にマルス達は動きを止めてしまった。流星のように襲いかかる影を防ぐ隼人の結界だ。一気に広がった碧色の壁は降り注ぐ影の一撃を少しの間だけ防ぐことがでいた。間髪入れずに結界を亀甲のようにばらけさせてペリュトンめがけて一斉放射する。攻撃を防ぐために影を正面に集中させたペリュトンは無傷だったが少しだけ戦い方を理解できたようである。


「そんな技いつできるようになったんだよ?」


「さぁな。昨日まではできなかった。それしか分からん」


「動かしているのはアイツの影か……。アイツが元々見せていた瞬間移動の芸当の上位互換だらけ。影が便利すぎるぜ……」


 ご苦労という代わりに隼人の背中を叩いた悠人は初めて戦った時のことや優吾から聞いた古代の魔獣の話などを思い出していた。それと、ペリュトンは鳥人族が信仰していた祖先の魔獣ということも。


「ペリュトン、鳥人族が信仰していた古代の魔獣。いや、古代というより始祖の魔獣だ。……始祖?」


 マルスも研究所の書籍で色々と調べたのをしっかり覚えていた。人間や亜人が記録した書物なのでマルスから見れば間違いな部分もある。今空を飛んでいるペリュトンは本物のペリュトンではない。本物は既にその力を失い、魔石として現世に残っていた。当然の疑問だがペリュトンだけが始祖の魔獣とは考えにくい。マルスはペリュトンよりも強大な何かを忘れているのだ。その何かを思い出そうとすればどこかが引っかかるようで。頭の中の釣り針を持て余していた。


「悠人、夜明けまで後何時間だ」


「ざっと二時間だ」


「それまでの時間があれば完全に魔石がベイルの体を支配する」

 

 相手に聞きたいことは山ほどあった。それに一連の攻撃や様子を見て魔石はまだベイルの体を侵食していないことに気がつく。このペリュトン、マルスが知っているペリュトンとは遥かに違っていた。マルスの中で一匹の魚が釣り針にかかってくれたのだ。


「やつから魔石を引き抜けば全てが終わる。いいか? 今やつは覚醒魔獣との戦いの際に倒れた俺と同じ状況だ。もしそうなら……魔石が完全にやつの一部となっていないんだ」


「どうしてそれがわかるんだよ……。マルス、さっきからどうした? 何かが変だ」


「それは後でいい。本当にやつがペリュトンに侵食されればこんな争いはしていない。ペリュトンは……あぁ見えて静かに生きたい魔獣なんだ」


 訳もわかっていない様子の悠人はマルスを引き止めようとしたが肝心のマルスがそれを聞かなかった。ペリュトンはマルスをぐっと見ている。マルスは剣から大量の灰を出現させてペリュトンを見ていた。ペリュトンの目からは驚きのような感情が見て取れる。マルスはペリュトンを知っている。それにペリュトンもマルスを知っていた。灰を見せるマルスの姿を見てペリュトンは背中を曲げながらぐぐもった後、頭を奮って稲妻が走るような声をあげ始める。


「……支配されることを恨んでいたんだな。ペリュトン」


 マルスの呟きを聞き逃す者はいなかった。どこか悲しげに、そして何かを思い出すように噛み締めるマルスの様子を普通ではないと思ったが剣をゆっくりと構えるその様子は戦闘続行合図だろうか。ペリュトンは吠えながら影を一気に空中に集め、マルスめがけて放り投げた。巨大な球体の影をマルスは避けることも受け止めることもせず、ただいつものように剣を振るって待つだけだった。


「マルスッ!!」


 思わず叫んだ香織が見たのは研究所で、覚醒魔獣の時で、そして庭先で髪を切った時に初めて見せたあの虚な瞳と表情だった。

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