戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

おぞましき漆黒

公開日時: 2021年7月14日(水) 19:38
更新日時: 2021年7月15日(木) 09:49
文字数:3,878

 その場に倒れ込んだマルスを見た香織は急いで彼の元に駆け寄る。息はとても荒く、顔は血の気が完全に無くなったかのように青白い。全身から脂汗が滝のように噴き出ており、肩を大きく震わせて洗い呼吸を続けている。足は小刻みに震えて明らかに異常だ。これは演技ではない。


「マルス? ねぇ、マルス! わかる? 声、聞こえる!?」


 肩を叩いて香織が声をかけるがマルスからの反応は全くない。ただ、マルスの口から何かの呟きを聞いた気がした香織は口元に耳を近づける。ただ、聴こえてきた声は人間の耳では感じることのできない不思議な音だった。どことなく耳がむずむずするのはわかるが声、いや、音とも感じることのできないような不気味な印象を見受けられる。


「謌代?窶ヲ窶ヲ謌代?謌ヲ繝守・槭↑縺ョ縺??√??縺ゥ縺?@縺ヲ縺昴%縺セ縺ァ莠コ髢薙′螂ス縺阪↓縺ェ縺」縺滂シ√??」


「ま……マルス……?」


「縺ゅ?譎ゅ?√お繝ェ繝シ繝九Η繧ケ繧定ィ弱※縺ヲ縺?◆縺ッ縺壹□?√??縺昴l繧定イエ讒倥?窶ヲ窶ヲ?」


「どうした……の?」


 香織はゆっくりとマルスの口元から顔を離す。何を言っているのか全くわからない。そうであってもかなり早口で、長いことしゃべっていることはわかる。香織は初めて、信頼を許した男に恐怖を感じることを知った。立ち上がってヨロヨロと足取りを崩して自分も尻餅をついてしまう。その時だ。


 マルスの腕付近から黒いへドロのような形状をしたものが食い破るように出現し、そのうちの半分がマルスの剣へと戻っていったのだ。そのヘドロのようなものは魔装へと戻っていき、半分はまたマルスの腕から掻い潜るように侵入していった。もしかしてマルスの体にはあのヘドロが入っていたから恐怖の姿になっていたのだろうか? だとしたらあれは演技ではない……? 香織の脳裏に疑いが生まれた時にシェルターの扉が勢いよく開かれた。


「ッ!? 香織ちゃん!」


「サーシャ……?」


 ゆっくりと振り返った香織の目には槍を持ちながら走ってくるサーシャが見えた。香織の姿を見た途端にサーシャはぎゅっと香織を抱きしめる。香織は一瞬わけが分からなくてキョトンといった表情をしてしまうがポロポロとサーシャの顔から涙が落ちているのを見てハッと気がついた。そう、香織とマルスはサーシャと全く連絡を取っていない。心配するのも当然だ。


「よかった……ほんとによかった……」


 そういいながら香織よりも背の高いサーシャは離そうとしない。香織がもう大丈夫であることを伝えようと肩をポンポンと叩く。それに気がついたサーシャはゆっくりと胸から香織の顔を離すが回した腕は外しそうにもない。


「怪我はないよ、大丈夫。サーシャも無事でよかった」


 そんなことを言う香織に微笑みかけようとするサーシャだったが遅れて入ってきたパイセンと蓮、隼人が倒れるマルスと取り押さえられている小谷松を発見して勢いよく滑り込んでくる。


「マルス!? 畜生、やられたのか!!」


 今まで見たことのないほどのギラギラした目で小谷松を睨むパイセン。大和田に取り押さえながらさらに怯えたような顔をする小谷松。そんな彼にパイセンは拳をゴキゴキと鳴らしながらゆっくりと歩み寄る。


「おいオッさん、好き勝手やってくれたようじゃないか」


「や、やぁパイセン君。ご機嫌は……」


「罪もない魔獣を勝手に兵器へと変えて機嫌……? テメェ取り消せよ!!」


 拳を振り下ろそうとするパイセンだったがその拳を止めた者が一人、隼人だ。いつもはお調子者を演じる彼であるがもう今の彼は何かに疲れ切っているのか、そもそも暴力が好きではないのか、あるいはその両方か。少々老けたような顔つきでパイセンの拳を止めていた。


「なっ……隼人……!?」


「もう……手を出すな。俺は馬鹿だから……詳しいことはしらねぇ。けど……コイツは法で裁くことができる。そうだろう?」


 隼人からそのことを聞いたパイセンはググッと歯軋りをしてゆっくりと握る拳を開いていった。パイセンだけではない、みんなが同じような思いを持ってる。証拠として研究所の実験ファイルデータをコピーしていたパイセンはもっと。改造されている魔獣の映像は見たくなくなる程非情で悍ましく、そして愚かだった。


「ありがとな……お前のおかげで……心が冷える」


 パッと隼人の腕を振り切って背中を向けるパイセン。任務時の魔獣であっても駆除への姿勢は忘れなかったパイセン。魔獣だって戦いたくて戦ってるんじゃない。彼が一番わかる。生きていく上には仕方がないから縄張り争いだってするし、食料を求めて暴れるのだ。みんな生きたい、それはよくわかっていた。パイセンはさっきの戦闘で死んだ改造魔獣のオイルや血を拭った布をギュッと握った。


「みんな、まずは小谷松をグスタフさんに出すことと……マルスの運搬が大事だ。えっと……そこで小谷松を押さえてる……?」


「大和田だ」


「大和田さんの保護も」


 思考が停止しかけだったパイセン達に告げる蓮の言葉。一周回って感情が吹き飛んだ彼は冷静に考えることができた。パイセンのバットから拘束具を出して小谷松を拘束し、運搬。大和田は隼人がおぶって運ぶことに。倒れているマルスは蓮がおぶさることになった。


 シェルターを出て暗い廊下を歩くサーシャ達。香織はふと気になったことを先頭を歩くサーシャに聞く。


「そ、そういえば……。どうやってここまで?」


「私たちも改造魔獣に襲われたんだけど……援軍の遠野班の人たちが助けてくれて。その人達が地下に香織ちゃん達がいることを教えてくれたのよ。今頃彼らは地上にいる悠人君達と合流してドラム缶に閉じ込められてた研究員の治療をやってる。地下に倒れてた人たちは?」


「あぁ……あれは……敵」


「じゃあ後で事務局の人が回収しにくるわね」


 エレベーターに乗って地上へ上がる。手錠や鎖や口輪で完全に拘束された小谷松はもう絶望で何も動く気力がないのか涙を流して固まるばかり。鎖で引きづられるようにしてパイセンに運搬される彼に同情も何も起きない。全ては小谷松の私利私欲のために生まれた災難なのだ。


 地上へ到着すると遠野班の人たちと治療に専念してた慎也が手を振って場所を知らせてくれた。多少の怪我はあっても無事に帰ってきた仲間を見て慎也は泣きそうな顔で出迎えてくれる。がしかし、青白い顔で意識がないマルスを見てギョッとした表情を取った。


「え、え!? ま、マルスさん!? どうしたんです!?」


 慌てる慎也に近づいてくるのはニット帽を被った女性だ。白のロングヘアを短く束ねており、お団子にしたのをニット帽にうまい具合に入れ込んでいる。前髪に紫色のメッシュがあり目も少し細い中に妖しく光る紫色。


「あなた達のことは聞いてますよ。ウチは遠野班所属の相楽乃絵。年は19だからみんなと近いかも……ですね」


 乃絵はテキパキとおぶさられるマルスと大和田をブルーシートの上に寝かせて足を鎖で少し縛って魔装を起動させる。マルスと大和田の身体中に紫色の光がまとわりついたと思うと大和田の方は幾分か体が軽くなったのか、半身を起こした。


「あ……あぁ……。噂に聞いていたが……この魔装の性能。さすが元救護班の戦闘員だね」


「いえいえ。あ、大和田さんはドラム缶生活だったのでもうちょっと措置が必要ですね。局長が来たらベッドの準備を田村主任に伝えます」


 精神的にも肉体的にもボロボロな大和田は田村のミノムシ療法が適応されるそうだ。これが終わったとしても当分大和田は車椅子生活になるそうで事務局によっての保護を受けることになる。隣のマルスは乃絵の回復をされたとしても目が覚めることはなかった。汗や震えは消えたが意識が戻らないということは変わっていない。脈拍や体温を測った乃絵は特に異常がなかったことを少々不思議に思っていた。


「すみません、この子はどういう経緯で気を失ったんです?」


 ここでのマルスを知るのは香織だけだ。香織は起きたことを詳しく話そうと思ったがどこかマルスに対して自信が持てなくなっていた。何が本当で何か嘘かが分からない。何をいえばいいのか分からなくなった香織は声にもならない声を出してからゆっくりと口を開く。


「多分……魔装の連続使用です……」


「連続使用ですか……。彼も事務局で詳しく検査する必要がありますね」


 検査……、このことを聞いた香織はもしもこの検査をしてしまうとマルスがマルスでないことが証明される。演技であることが嘘になってしまうことを思い、「あの!」と声を上げた。


「……はい?」


「えっと……大丈夫な気がしますよ……? その……彼も無理しただけです……。検査なんて……検査しなくても……」


「でも……そうしないとカルテが書けませんから。心配しないで。彼の元気な姿を見せるのが救護班の仕事です。あ、私は遠野班ですけど」


 テヘッと微笑んでメモ書きする乃絵を見ながら香織はヨロヨロと後退してしまう。すかさずサーシャがキャッチ。


「香織ちゃん!?」


「あ……ごめんなさい」


「相楽さん、ちょっと水分補給液とかありますか? 香織ちゃんも……」


「そうですね。関原君、持ってきてくれますか?」


「は、はい!」


 急いで補給液を取りに行く慎也。小さくなって消える慎也の影を見送りながら香織は「検査」という文字が頭の中を駆け巡っていた。さっきの近くできないマルスの声、神という言葉、圧倒的な力。この検査でマルスの正体が人間でないとしたら……彼は亜人なのだろうか? だとしたら何故彼は人間の味方になっているのか……? 今の香織に知ることはできない。


(マルス……行かないで……)


 香織の言葉も届きやしない。



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