会議が終わり、静かになった会議室の中にはレイシェル、グスタフ、佐藤の3人が片付けを行なっていた。書類を集めてそれぞれファイリングする。グスタフに負けず劣らず、佐藤のファイリング力は高かった。なに食わぬ顔で自分が処理する書類を集めてファイルにいれた佐藤はレイシェルとグスタフに向けてニッコリと笑う。
「すみません、監視とは言いましたが僕にも仕事があるので少し失礼します。仕事がひと段落つけばレイシェル様の部屋に向かいますので」
佐藤はペコリと一礼して会議室を出ていった。重苦しい扉が閉まる音が会議室に響き渡った後、静かな空気に包まれる。レイシェルはため息をついて疲れたのか、一旦椅子に座った。
「ここまで……管理職が辛いとはな……久しぶりに戦闘員の辛みを思い知った」
「仕方ありません。これ以上犠牲をうまないためにも今は対策、それだけです」
グスタフはファイルとレイシェルをチラチラと交互に見ながら整理していく。グスタフ自体、レイシェルの気持ちも分かる。彼女が戦闘員として活動していたのは昔のことであった。それ故、だろうか。レイシェルの中で忘れられていく戦闘員の感覚。死が近くに迫っている一般人の感覚を忘れていたのは。
「私が失脚になると……次は小谷松がここの所長になるのか?」
「そうですね、小谷松です。最近は連絡をくれないですが……まぁ、彼はいつものことか。研究所つながりで佐藤が監視に来ているとのことですし」
レイシェルの次に権力が高い人物というのは魔研所長の小谷松だった。本部からはレイシェルが失脚になると小谷松が極東支部の所長になり、魔研の副所長が所長へと昇格する。そういう決まりがあったのだ。人員をあまり確保できない役員の選考などはしてる余裕がない。事実亜人の出現によって極東支部は危機的状況である。
初めて会った時から小谷松はどこか気に入らない男だった。表向きでは清楚を装ってるが時たまねっとりしたような視線を向けてくる。気にしなくてもいいような気もするがレイシェルは気になって仕方がない。それに佐藤の変貌も少し違和感がした。
そうではあるが亜人と繋がっている可能性はほぼゼロだ。新人殺し達の報告を聞けば亜人は本気で人間を嫌っている。そんな亜人が小谷松と手を組むなんてことは考えられない。それに亜人にはメリットもないであろうと考えていた。
考えても考えても次に進めない様子のレイシェルは焦りからかポケットからタバコを取り出して火をつける。少し一服してからゆっくりと立ち上がった。
「グスタフ、念のためだ。佐藤を追え」
「やはりでしたか……。彼の変貌はどうも……ね」
グスタフは耳についた紫色の宝石が美しいイヤリングをピンと指で弾く。そうするとグスタフの胸が光り出してそこからニュッと|気龍《スピリッツドラゴン》が姿を現した。全身がモヤモヤと光り輝くオーラのようなもので構成された気龍はグスタフに向き直る。
「バレないように佐藤を追え」
彼の命令を聞いた気龍はコクンと頷いてファッと姿を消し、移動を開始した。
「レイシェル様、どうしますか?」
「部屋に戻って資料を見る。遠征している八剣班達にも連絡だ」
「承知」
レイシェルとグスタフは会議室を出て行く。戸締りをしっかりと行って廊下を歩くレイシェル。彼女の頭の中には情報だらけ。全ての責任と権力は今の私が持っている。そのことを自覚しながらレイシェルとグスタフは所長室へと戻っていくのだった。
「あ、佐藤さん」
研究班の部屋に戻った佐藤は早速一人の研究員に話しかけられる。佐藤は近づいてくる人物をピッと指で「来るな」と合図し、コーヒーをいれて一口飲んだ。佐藤も少し疲れていたようでカフェインの嵐が脳味噌を目まぐるしく回る。少し目が冴えたところで「どうしたの?」と声をかけた。
「はい、この前から調べていたツタの魔石なんですけど」
部下の研究員は佐藤にタブレット端末で解析後のデータを見せてくれる。ツタの魔石は新人殺しが討伐した魔獣達に入っていた魔石であり、何やら情報を送っていることは分かっていたが詳細ごとは分かっていなかったので解析を部下に頼んでおいたのだ。
「ほぉ〜……これはすごいな」
佐藤はその結果を見て亜人の技術力に舌を巻く。あのツタが本来の魔獣にはない情報を発信しているということは分かっていたがどうも研究員達には引っかかることがあった。どうしてツタが絡んでいてもショックを起こさなかったのか。
通常、魔獣に含まれる遺伝子情報はその魔獣の物だけ。つまりはそれ以上の能力もそれ以下の能力も滅多なことがない限り発現しない。このツタはその滅多なことを実装しているということになる。
このツタの遺伝子情報と入れ込まれた魔獣の遺伝子情報は大元が一緒という極めて面白い構造をしていたのだ。同系統の魔獣同士の交配でハイブリッドが生まれることはあるらしいが通常は生まれてからショックで死んでしまう。このツタはそのショックを減らすのと同時に新しい遺伝子情報を魔獣に発信するという役割を果たしていたのだ。
「僕も解析を行なってびっくりしましたよ。何度も確かめたんですけどこれが事実です。いやぁ……亜人ってのはすごいものですね。僕たちでできないことをもう実装している」
「そうだね……。あ、すまない」
佐藤のポケットからバイブ音が。彼専用の通信機に着信が来た合図である。佐藤は部下に「今はゆっくり休め」と言った後に急いで研究班の部屋を出て誰もいないであろう倉庫に入っていった。この倉庫は防音性がいいんだよなと思いながら通信機に応答する。こんな時に自分に連絡してくるのは一人しかいなかった。
「やぁ、佐藤君。私だ」
「こんにちわ、小谷松さん。そちらはどうですか?」
相手は魔研の所長、小谷松である。電話越しの小谷松の声はいつも通りの優しい雰囲気の声だったが表情は実にねっとりしてるらしかった。佐藤には分かる。佐藤もねっとりした顔つきで「ハハハハ」と笑った。
「で、佐藤君。レイシェルはどうなってる」
「焦りが見えてるんでしょうね。亜人の対策にも手間取ってますから。言葉選んでちょっと遊んじゃいました」
「いけない子だねぇ。まぁ、私たちもそれは変わらないが」
佐藤と小谷松は電話越しで同じタイミングに声を上げて笑った。佐藤はこの時が楽しくて仕方がない。小谷松についておけば自分の昇格が確定事項となる。権力も金も手に入れられると考えるとこれ以上ない幸せが彼に降ってくるのだ。
「あ、そうだ。後で解析結果送ります。これで計画も進めればいいですね」
「そうか、楽しみに待っておくよ。時が来れば……私たちの時代も訪れるさ。その時はあのレイシェルには……分かってるね?」
「もちろんですよ」
「じゃあ、私は切るよ。資料、待ってるね」
プッと音がして通信機は切れた。佐藤はもうすぐ面白いことが起きることを確信して口を抑えながら身をくるめて小刻みに体を震わせながら笑った。そして顎元を指でさすりながら喉を引っ掻き回すような声でさらに笑った。
「同系統の遺伝子を使った魔獣の能力進化……面白い実験だな……。まぁ、君たちの魔獣を利用することは僕らも変わらないんだけどね……」
これからどう面白く事を進めて行くか、佐藤は楽しみで仕方がなく気がついていない。自分の通信機に一瞬だけ輝くオーラが抜けるように消えて行くことを……。
「……だそうですよ?」
気龍とリンクさせてさっきの通話を聞いていたグスタフは一語一句間違えずにレイシェルに報告した。まさかここまで分かりやすいとは……と思いつつもレイシェルに報告するとレイシェルは組んだ手の力をさらに強めて舌打ちをする。
「上等だ」
戦争はもう始まっていた。
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