「おばちゃん? 俺だ、翔太だ」
レイシェルは出撃命令を出してから長く、そして緊迫したある一種の退屈さをずっと感じていた。通信機の前に座りながら覚醒魔獣の現場報告を順々に聞いて地図にマークして警備班に司令をする。ただひたすらそれの繰り返しである。翔太からの通信や他の遠野班との通信も同じ。気を抜くことはできやしない仕事であることは分かっているが最小限の犠牲で済まそうとするためにはこのような心境も耐えないといけない。上に立つとはそういうことであった。
そして何度来たか分からない翔太の通信。通信機を起動させてレイシェルは応答する。
「私だ。翔太、どうした?」
「終わったぜ」
「何? もう一度言ってくれ」
「覚醒魔獣は全て討伐完了。街やなんやらは被害に遭ってボコボコしてるが出撃した班員、警備班、そして民間人は犠牲者なしだ」
それを聞いた瞬間、ドット吹き出した安心によってレイシェルは椅子に深く腰掛ける。早期対策をすればここまでいい結果として帰ってくる。次も気が気でないが今行うべきことをしっかりと成し遂げたレイシェルは班員や翔太達への感謝が溢れ返していた。
「ご苦労だった。みんなは無事か?」
「あぁ、全員生きてる。でも田村さんへ伝言だ。あのマルスって新人にやった時みたいな用意をしておいてくれないか? マルス合わせて五つだ」
「何があった?」
「……魔石が侵食した」
それを聞いてアッとした反応を取ったのはレイシェルだけではなかった。隣でレイシェルが出していた地図やなんやらの整理をしていたグスタフもである。冷や汗のようなものを垂らしてレイシェルは目伏せで催促。グスタフが急いで準備に向かった。見送った後に通信機に戻る。
「この期になって魔石が侵食……? 一体なぜ……」
「おばちゃん、俺よりも五人が目覚めた時にしっかりと説明してやってくれ。オタクの研究員の大和田が全部知っているはずだ。俺はもう研究所の件の時、ちょっと聞いてる」
息を呑みながらレイシェルは承諾し、翔太達に解散命令を出して通信を切った。その後に警備班に覚醒魔獣討伐に成功したことを伝え、民間人の解放、そして被害にあった建築物修復のための企業へ命じ、通信機を切った。静かになった部屋の中でレイシェルはもう一度だけ深く椅子にかけて大きな息を吐く。
「この時期に発動したか……」
ただ気は抜けなかった。翔太からの報告が本当なら、大和田と共にまた動かなくてはならない。すぐに対応できるようにベッドの準備はあの研究所ということにしてレイシェルは話を進めていった。魔石が動き出したとなると活性化はさらに進んでいるということになる。とうとう魔装の副作用的な現象が発動したことに圧倒する何かを感じるレイシェルなのであった。
翔太が気絶をして眠るパイセンを乗せて研究所についた頃には遠野班の仲間達や他の眠る新人殺しを乗せた車が一斉に研究所に集まっている様子だった。翔太は車から降りて目伏せで悠人にパイセンをおぶさってもらい、その輪の中に入る。ベッドの上に寝かされる優吾達を見た悠人はまたもアッと息を呑んだ。
「そんな……優吾やサーシャに隼人、そしてマルスまで……」
「今は疲れて倒れただけだ。大丈夫、君の友達はしっかり返すと約束するよ」
ベッドを部下に命令して運ばせていた現在の研究所のリーダー、大和田は車椅子に乗りながら悠人を出迎えた。悠人としては初めて対面する新しい研究所のリーダーである。ずっとドラム缶の中に封じ込められていたのだが田村達の健診な介護によって回復したが足の筋肉が弱ってしまい、車椅子移動となってしまっていた。現在は部下と一緒にマルスに起きた現象を解明しようと魔石についての研究をしているようである。
「あなたが大和田さん……」
「君の話は聞いている。覚醒魔獣との戦いもご苦労だった」
パイセンをベッドに寝かせてジッとその顔を見た。特に苦しそうな顔をしていることはなく、ただ静かに眠っている。運ばれていく仲間を見送りながら悠人は短いため息を吐いた。そして紅い刀を優しく撫でながら翔太に向き直る。
「二度も見たくなかった」
「そうだな」
見送りが終わり、翔太が神妙な顔つきで悠人と研究員を交互に見ている。人は簡単には成長しないがそんな説を裏付けるかのように過酷なことが起きている。若かりし翔太を思い出して本人もどこか複雑そうだ。何も言わずに車に乗った悠人を見ていた翔太はふと肩を叩かれて振り返った。
「心配なの?」
「まぁな。アイツの気持ち、ちょっとわかる気がする」
振り返った先にいた蛍原紅羽に目伏せをしながら腕を組んで何かを考える翔太。今回の覚醒魔獣の騒動で動き出した魔石は全て新人殺しの魔装である。他のどの班よりも激戦を積んだ魔装、覚醒魔獣との戦いの際に何があったかは分からないが引き金となる何かはあったはずなのだ。魔石を動かす、人間の何かが。
「所詮は借り物……か。魔装だって生きているもんな」
「珍しいわね。翔ちゃんがそこまで他班を心配するなんて」
「アイツらは他とは別だ。稲田やレグノスが認めた奴らだぜ? どうして認めたか、今やっと分かった気がする」
気がつけば紅羽の周りにも仲間が集まっており、任務が終わったことにホッとしたような顔をしている。ジワジワと近づいてくる仲間に目を一瞬吊り上げて口をとんがらせた翔太はあることを思い出して指をパチンと鳴らした。
「早々すまんなお前ら。俺は東島達を送っていかないといけないから別行動だがこれにて解散とする。事務局へ戻ってくれ。颯太、お前の報告がなかったら間に合わなかったかもしれなかったんだ。ありがとな」
「速く動けることが僕の取り柄だから。あ、それと翔ちゃん」
「ん?」
「久しぶりに会いに行ったら? 副班長も」
今までずっと心配しててくれたようだ。紅羽と翔太は顔を合わせながら声を上げて笑う。一年の中でお盆以外は出かけている仲間の家に遊びに行こうというわけで翔太は紅羽も乗せてそのまま事務局へ帰っていった。見送った後の颯太は一人でホッとしたような表情をとる。
「ずっと心配しとったんかいな」
「まぁね。ほら、翔ちゃんああ見えて泣き虫じゃん。そろそろパンクしそうだったもん」
「翔ちゃんがいないと毒舌になるなんて。ま、黙っておいてあげますわいな」
車を見送る颯太、大智、乃絵の表情はどこか爽やかであった。
そのまま見送られた後、チームコロッサスの一同は頭に包帯を巻いた張、帰った後どうするかを考える大渕、そして仲間のことが心配な悠人に分けられていた。行きよりも帰りの方がソワソワしている悠人に運転している翔太はあえて何も言わない形で鼻息を吹かす。
「素直なのね」
静寂を切り裂いたのは紅羽だった。彼女の視線が自分に向いていることに気がついた悠人は慌てるように刀を撫でるのをやめて紅羽に向き直る。その後すぐに咳払いしていつもの真剣な表情に戻したところで紅羽はクスクスと笑っていることにも気がついた。
「そんなに気になさらないで。序列なら私の方が下よ」
「い、いえそんな……」
「その性格は誰に似たのでしょうね。あなたのお父様も礼儀正しかったと聞きますわ」
「親父が……ですか?」
「えぇ、先生がそう言っていたわ。どこか似ているって」
遠いような目をしながら窓の外を見る紅羽。夕日に照らされるその姿はとても美しいと思えた。グッと喉元を鳴らして悠人はもう一度紅羽に向き直る。
「でも俺は親父とは違う……。今度ぶっ倒れるのは俺だけであってほしい。パイセン、痛そうだったんです」
「そうね。でも若さからくる自信は私たちが持つ自信は別物よ。そこのところをよく考えなさい」
そのまま悠人は黙り込んで紅羽とは視線を合わせようとはしなかった。空気を読んで今まで黙っていた大渕であったが少し厳しいような紅羽の言葉に耳を向けながら悠人に微笑みかけていた。いつのまにか、車は倉庫の中へと納車され、極東支部に到着する。
「んじゃ、これにてチームコロッサスは解散だ。おっさん、おつかれ」
「今日飲む酒は美味くなりそうだな。遠野君、また今度」
大渕と共にお辞儀をする張、彼ら二人はそのまま歩き去っていった。その後に悠人が黙って降りる。辛気臭い顔をする悠人を見て少しカツを入れようと勢いよく背中を叩いた。
「うっわ!? 遠野班長!?」
「湿っぽい顔すんじゃねぇ。死んだ後みたいなことしやがって。先に帰ってお仲間を待ってな。玄関開けてお前がそんな顔でいてみろ」
「……失礼します」
歩いていく悠人を見送って彼の影が消えた頃に翔太は大きな伸びをした。気負う必要はないと言ってやりたいがここは自分で考えないと歩き進めれない気がする。それに翔太がいうよりもまた班の仲間の誰かが言ってくれるかもしれない。新人殺しは仲がいいのだ。
「紅羽、行こうか」
「ほんとに昔の貴方とは大違いですわ」
「うっせ」
居住区へと続く道を歩き進めながら強ばる心臓を握るような仕草を取って翔太は息を整える。横で歩く紅羽は翔太ほどではなかったが多かれ少なかれの緊張はあった。久しぶりに会う姿が墓石というのは残酷な現実だった。居住区から少し離れた壁側沿いにあるその墓石は彼らが思っている以上に大きなものだった。それもそうだろう、ここにはあの亜人によって死んだ者達全員が眠っているのだから。自分の身長をゆうに越える墓石を見てフッと笑った。
「なんだ、思った以上にいい家貰ってるじゃねぇかよ」
そんな翔太の後ろでお辞儀をした後に手を合わせる紅羽。見上げたまま動かない翔太を抜いて持ってきたお土産の品である饅頭やら何やらを供えていく。
「お腹いっぱい、食べてちょうだい。これ、月輪ちゃん好きだったでしょ? ギーナちゃんも」
「こっちはこっちでお前らの残した後輩の世話で大変だよ。演習の時、俺は先生にやられてたがお前らはあの東島達といい勝負してたんだろう? ハハッ、久しぶりに会えると思ったらこんな姿になりやがって……」
「なんじゃ、東島にあれだけのことを言うておったのに。おぬしも変わらんの」
後ろから声がしてハッと振り返った翔太と紅羽。その先にいたのは二人がどうしても会いたかった、そして謝りたかった恩師の姿であった。ちょうどチームベルゼブブも先程帰還したらしい。その帰りに見えたのだ。
「先生……!」
「翔太は移動の手前で会ったな。紅羽、その姿を見るに元気で何よりじゃ。翔太の世話は行き届いてるようじゃの」
「先生こそ……とんだ戦いの後でお綺麗な姿を見れて光栄ですわ。翔ちゃんったらずっと先生のこと心配して私に通信機で連絡かけてきたんですよ?」
「はぁ!?」
「ハッハ! 翔太、妾は見えとるぞ?」
片目を閉じながらニヤリと笑う未珠、隣で笑いを堪える紅羽。そして一瞬だけ恥ずかしそうな顔をする翔太。翔太はグッと立ち上がって目の前の背の低い恩師に近づき吠える。
「アンタ何かとあればすぐ人の心読んで楽しむな! 昔っから変わんねぇよそういうとこ! 年寄りのボケには乗り切れねぇわ」
「翔ちゃん」
「イデェ!?」
腰を突かれて倒れ込む翔太に未珠に微笑みかける紅羽と微笑みで返す未珠。未珠はそんな二人の間を抜いてゆっくりしゃがみ込んだ後に手をゆっくりと合わせた。
「えらく遅くなったの。もうここでゆっくり休むが良い。その墓はみんなの家じゃ」
淡々とした礼拝であったが肩が少しだけ震えているのを翔太と紅羽は見逃さなかった。土を払いながら立ち上がった翔太は大きな欠伸をしてから用意していた紙袋をゴソゴソといじる。興味が湧いたようでその翔太をジッと見ていた未珠は出てきたのを見て顔を輝かせた。
「おぬし、それは」
「先生の大好きなずんだ餅と酒だ。こんなところであれですけど飲みませんか? 稲田達もいるから賑やかですよ」
「先生、お付き合いしていただけますか?」
陰でひっそりと悲しんだ未珠であったがまだ可愛い弟子は生きていることを思い出して少しだけ嬉しく思えた。八剣班に合わせて今日は弟子がよく増える。今は眠っている優吾に合わせてこの今まで旅をしていた翔太と紅羽。演習が終わった宴の時に見た明るい未来の一節が見えた気がして心が軽くなる。
「今日は付き合おうかの。瓶ごとよこせ」
「じゃあ話が早いや」
未珠には一升瓶とずんだ餅を数個、翔太と紅羽は一升瓶を二人で分けることに。盃もあらかじめ準備していた翔太と紅羽。稲田、円、レグノス、ギーナの分もしっかりと注いで墓石の前に並べる。出来れば生きている間にお酒を交えたかったがそれでもいいと思える翔太。今は先生もいる。頼れる仲間や後輩もいる。そのことを噛み締めながら開会の宣言を発す。
「まぁ、昔から俺は何も変わらんわ。お前らみたいな班長になれるか分からんけどよ。今日は先生もいるぜ? 遅くまで飲み明かそうや!」
乾杯を捧げた翔太達。その時を楽しみながら過去の思い出話にふけいる。墓石はいつもと違って麗しい輝きを見せるのであった。
その班は新人育成のために結成された班であるが新人以上に困った存在なのが班長であった。突拍子でもない訓練で新人を扱きあげる脅威の班長。天下無双への道はかなり険しいものである
「極東支部録」より抜粋 “見鏡班”
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