戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

ギリギリ

公開日時: 2021年6月12日(土) 19:09
文字数:3,860

 生臭い。最初に思えたことはそれだった。唸り声とまではいかないがその気配の持ち主は「ルルル……ピンポーン……」と言った電子音のような音を発しながら歩行をしている。部屋のライトは特についていない中でわかるのは微かな光をも反射する腕についた刃のような物、やや前屈姿勢な体型、尖った口吻だった。


 デスクの影に研究員と香織を隠すようにしてマルスは接近して確かめようとするが研究員がマルスの腕を掴んで首を横に振った。マルスは表情で「なぜ?」と問いかける。限界状態に陥った人間はどうにか意味を分かろうとするものか、同じく表情で返した。「死ぬぞ」と。


 そのシワの寄った眉間や希望の見えない表情から察する。奴は相当危険な存在らしい。それもそのはず、さっきまでいるはずのなかった存在であるこの気配が急にした時には流石のマルスも恐怖を覚えた。マルスの両肩を掴んで隠れる香織のメンタルが心配だが今は保留。


 この研究員は奴のことを知っているのかもしれない。そう感じたマルスはどうにかして意思疎通をしようと手段となるべく物を探していた。通信機のメモ機能を使った筆談もいいが画面の明かりで存在がバレるかもしれない。ライトはなるべく使わないほうがいい。冷静に考えるマルスだったがそれがいけなかった。


「ルルル……?」


 あまりにも長くその場に良すぎたためか、あるいはマルス達を探知できる何かがあったのか。声がした方向を見ればその怪物がマルス達が隠れているところを上から覗き込んでいたのだ。マルスはここで怪物の目が妙にギョロギョロとしたガラス玉のような不自然な目をしていることを知った。


 間近で見えた顔は猿のような尖った口吻であり、歯は細いナイフのような形のものが密集している。ベロはそれなりに長く、体には深緑のラインを持った金属の両肩、左胸、肝臓付近の腹が特徴的だった。そこだけが機械で構成されており、後は魔獣の肉体のようである。


「な……な……!?」


 人間は自分の想像を遥かに越える脅威に出会った場合、立ち向かうか逃げるかの選択を余儀なくされる。その選択肢が出るまでの数秒間が獣が人間を喰らう絶好の機会というわけだ。無言で振り下ろされた怪物の右腕をマルスはすかさず剣を抜いて迎撃した。金属音と火花が散らされてマルスはハッとする。この怪物は武器を持っていた。よく見ると右腕にアーマーが覆われており、そこからサーベルのようなものが射出している。その腕は猿にしては頑丈で爪が鋭かった。


 マルスはガラ空きだった怪物の腹を蹴って後退させる。その間に研究員を香織と共に背中に隠して立ち塞がった。香織も戦わないといけないことを自覚して生唾を飲み込む。マルスは背後の研究員に尋ねた。


「おい、研究員。あの怪物は一体なんなんだ?」


「アイツは……一部の研究員が作った改造魔獣の一体だ……」


「改造魔獣だって?」


 もっと問いたかったがその改造魔獣はマルス達に襲いかかってくる。関節付近のアーマーは柔らかい素材らしく見た目以上に軽やかな動きで襲いかかってくる。バネのような構造になっているであろう足は俊敏な動きを可能にしているようだ。光がない暗闇での戦闘。油断はできない。


 今度は斜め下に振り下ろされたサーベルをマルスは剣身を少し左にそらすことで受け流し、なんとかして隙を作ろうとしたが相手の技量は中々で尻尾を使ったバランス調整をしながらすぐに立ち直るという技を目の前で見せられて眉間のシワがよる。マルス一人だとどうも相手をしづらかった。


「香織! 牽制は俺がやる。隙を見てやつの顔面を叩いてくれ!」


「ダメなの……マルス」


「どうしてだ?」


「魔装が……起動しないのよ……」


「はぁ!? ……うっわ!?」


 一瞬振り向いたマルスの隙を見てサーベルを突っ込ませる怪物。マルスは剣の形状を盾のような形に変形させて香織と研究員を包み込むようにして迎撃した。その後に無理やり押し出すようにして怪物を吹っ飛ばす。壁に吹き飛ばされた怪物は「ルルル……」と相変わらず気持ちの悪い声のような物を発している。


「君たち、この部屋には地下に続く緊急エレベーターがあるんだ。そこに行こう。私の研究室がある。頑丈な作りだし、通信機もあるぞ!」


「それは本当か?」


「間違いない。内情はその移動時に話すよ。あの改造魔獣のことも……彼女の魔装のことも」


 罠かもしれない。マルスは知識は偏っていたとしても勘だけは誰よりも鋭かった。このエレベーターにて避難すると仲間との合流はほぼ不可能になるはずだ。助けは来ない気がする。そうであってもマルスはこの研究所の秘密を知るにはそうしないといけない気もするのだ。


 マルス達は亜人の防衛をするためにこの研究所にやってきた。それなのにその亜人は自分たちと戦う素振りを見せなかったのだけを覚えている。これは何か妙だった。殲滅以外の何か、目的があったに違いない。その目的の全責任者は小谷松だ。判断の責任はマルスに委ねられた。上に立つ者は多くの責任と決断を委ねられる。レイシェルも同じ気持ちだったのか? と思いながらマルスは香織と研究員に向き直った。


「時間は俺が稼ぐ。おい、研究員。エレベーターは嘘じゃないよな?」


「あぁ、もちろんだ! この部屋の隅、あそこにあるのがそうだ!」


「香織、研究員を連れてそのエレベーターに乗っておけ。俺が合図をしたら閉めるんだ」


「え、ちょ、マルス!?」


「いけっ!!」


 マルスの気迫に押されて香織は頷き、研究員の案内に従って移動を開始した。怪物はギョロリと視線を変えて香織達に向き直るがその背後で明かりが灯ったことに注意を惹かれる。その灯り、マルスの剣に赤黒い亀裂が発生し、その亀裂からモヤが溢れ出ているあの形態だ。暗闇の中に一瞬だけ映るマルスの鋭い視線に首を傾げる怪物。


黒戦剣ソウルキャリバー……これは名付けて黒鎧灰シュバルツェスアッシュ……だな」


 灰の如く蔓延するマルスのモヤ。即興で名付けたような力だがこれが相応しい。同じようにサーベルを振り下ろした怪物だが明らかにマルスのスピード、パワーが違っている。この力を発動させているときは更に身体能力が上乗せされることがわかった。ビャクヤとの戦いの時は必死すぎたために気がつくことができなかった。


 一方的にその怪物のサーベルを弾き飛ばし、床に思い切り刺さったのを見てマルスは十分に時間を稼げたと悟る。見るとエレベーターに香織と研究員は乗り込んでいた。マルスは叫ぶ。


「閉じろ!! 俺も間に合わせる」


 マルスが全力疾走するのと同時に香織は言われたとおりにエレベーターのボタンを押してドアを閉めていく。徐々に閉まるドア、マルスの全力疾走。振り向く怪物。その時、怪物から「カシュー……」となにかを絞るような音が発せられる。それを聞いた研究員はハッとして声を上げた。


「避けろ! それはレーザーの照射音だ!!」


 マルスが剣を盾にしたのと怪物の右目からマルスめがけてレーザーが発射されたのは同時だった。一方通行に照射された熱波は本来なら剣とマルスを貫いて急所を撃ち抜き、焼死させる代物だがマルスは戦ノ神だ。人間ではない。アッシュの影響あってか、深い衝撃がマルスの体を襲っただけですみ、その衝撃で吹っ飛んだマルスは見事エレベーターに潜り込むことができたのだ。


「ッグ!!! ……あぁ……」


「マルス!! 大丈夫!?」


「あぁ……助かった……」


 その場に倒れ込み、肩で大きく息をするマルス。空気を必死に貪ろうと肺が求めるわけだが返ってむせてしまい、マルスの息苦しさは変わらない。体が必死になりすぎていたのか、彼の片目から涙が垂れていた。それを拭き取ってから肩を抱く香織。


「もう怖いのはいないよ? 落ち着いて」


「ハァー! ハァー! あぁ……うっ! うぅ……あぁ……」


 マルスの呼吸もようやく落ち着いて最後の咳き込みを終えた後は嘘のように空気が巡りに巡り、一瞬だけ眠たくなったほどだ。香織もホッと息をついた。すみで座り込む研究員もホッとしたような顔だ。


「いやはや……君たちは東島班か……。噂には聞いていたけど無茶なことをする……。でもおかげで助かったよ」


 マルスと香織は初めてその研究員の顔をジッと見る。初老の男性だ。髭は全体的に伸び切ってはいるがそれもドラム缶の中に封印されていたからであろう。癖っ毛なのか前髪は曲がり切っているが全体的に敵対すべき印象は見えなかった。頼るべき人物が彼しかいないという事はあるだろうが今は彼から話を聞くしかない。


「俺だって驚いてるくらいなんだ。お互い様さ」


「地下に着いたら水やタオルもある。研究所の地下は倉庫とシェルターと研究室かまたあるんだ」


「地下にも研究室だと?」


「そう、危険な研究は地下で行んだ。あ、私はこういう者だよ」


 マルスは研究員から服のポケットに入れてあるキーカードを受け取る。そのキーカードは一種の名札のようにもなっており、このエレベーターもキーカードで動いた代物だった。名前には「大和田」と記されている。その隣にはなんと研究所の副所長との肩書があったのだ。


「副所長……だと?」


「こう見えてね。事務局は本部から派遣されたものしか所長職につけないから副所長は存在しない。研究所は作ろうと思えば副所長を作れるんだよ」


「それはそうと……何故お前はドラム缶に入ってたんだよ。それとさっきの怪物はなんだ?」


「そうだね……まずは怪物の話しをしようか」


 大和田は体力も尽きかけているはずなのに冷静にマルスと香織に話し始める。


「アレは特殊な魔石を核に作られた魔獣の改造体だ。その特殊な魔石は……君たちからもらったものだよ」

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