その夜はずっと香織と過ごしていた。ソファに座った香織の膝枕を受けている。ただ、頭を優しく撫でられて体の全てを香織に任せる。心地がいいと思えるのは人間らしいからか。少し前のマルスだと嫌がっていたはずだ。この際、神がどうこう関係ない。自分を必要としてくれる人が目の前にいる。それこそがマルスにとって欲しかった居場所ではなかろうか。
時たま、頭の位置を変えると香織がキュッと足を動かして「もうっ……」と笑う。マルスは本心から可愛らしいと思えた。その夜はこのような形で香織の膝枕を受け続ける夜となり、徐々に暗闇から朝にかけるぼんやりとした明るみが空を覆うころに彼女は帰っていった。香織が変えるとマルスは急いで着替えてシャワーを浴びる。
服を脱いだときによほど香織といることが嬉しかったのか下半身が元気だったことにマルスは「マジかよ……」と声を上げながらもシャワーを浴びた。もう、マルスも女という存在を理解した瞬間である。心地の良いシャワーと香織に買ってもらった洗顔用具で身も心もサッパリにしてからマルスはソファに座った。ドフッという音を立ててマルスを受け止めるソファ。ほんの少しだけ香織の甘い匂いがして少しだけ胸がキュゥとなったがマルスは気にしなかった。
現在は朝の6時前。おそらく今日は集合がかかることはない。臨時の休みが来るはずだ。この数週間の思い出からマルスは休暇を悟る。今までの狐の騒動は全てあの狂人、ビャクヤの仕業だったことに気がついたときはもっと早く動いておけば……! と後悔した物だ。しかし、マルス一人が動いても解決できる問題ではない。これは戦闘員全体の問題だった。マルスの気分が落ち着いた今、レイシェルとも真面目に話していきたいものである。頼れるべき人間はまだいるのだから。ここは人間らしく、協力しあってやり遂げなければいけない。
「ひでぇ1日だった……」
マルスはボソッと呟く。二回戦で戦った月輪も、準決勝で戦ったギーナも、施設で共に戦ったエリーも双葉も失った。自分のせいで周りの人物が不幸になることを見たマルス、これは一生のトラウマであった。魂の抜けたような表情をする佐久間を見た時や包帯でグルグル巻きにされたルイスと大渕を見た時も背中に寒いものが走ったのも事実。おかしな話だがマルスは戦ノ神として沢山の人を殺してきたはずなのに死んでからはどこに魂が行くのかなどといったことは一切分かっていなかった。争い事を起こすことは彼にとっての作業に過ぎなかったのだ。そのせいか今回のショックが大きい。
立ち上がってベランダの窓を開けて外へ出る。少しだけ洗濯物を干せる程度の小さなベランダだがマルスは結構好きだった。ゆっくりと登っていく朝日を見ながらマルスはホッと息をつく。こんな状況なのに太陽が綺麗に見えるなんて……とマルスはフッと笑った。そしてあることを決める。自分は人間としてこの戦争を終わらせると。人間と亜人が行う未来をかけた戦争、第二次人魔大戦なることが起きつつあるこの世の中で自分はどうして剣を振るうのか……。死んでいったレグノスや稲田達の仇を取るためにも……この悲しみの連鎖を人間として止める。
決心したマルスの朝の心地の良い風が吹く。通信機が着信の音を立てたことでマルスは部屋の中に入って行ったのだった。
「……阿呆か」
暗い集合部屋の中でクレアから怪我の治療を受けながら歯痒い表情をするビャクヤとケラム。ルルグはこれだけ準備をしてもなお人間に負けたというビャクヤとケラムを見て鼻で笑いながらリンゴにかじりついた。
血で自分の白髪が染まらないようにクレアはロングの白髪を束ねてビャクヤの血潮を拭き取って包帯を巻く。クレア自体もビャクヤとケラムに言いたいこともあったが予想を超えてくるのが人間なので何も言わなかった。しかし、普段は髪に隠れているクレアの顔の左側にできた亀裂のように引き裂かれた後の大きな傷が目立ってソッと目を逸らすビャクヤ。
「……弁解するつもりはない。我もケラム殿も遊び過ぎた」
「調子に乗りやした。すんません」
やっと耳鳴りが治ってルルグの声を聞き取ることができるようになったケラムは耳のありがたさとリザードマンの自己治癒力にありがたみを感じながらペコリと礼をする。ルルグは不満げな顔で椅子に座った。
「でも、結構強い人間もいたんだね。興味が湧いたってことと……僕の出番がそろそろっていうことがわかったかな」
「ルルグ、お前は思い上がりすぎだ。ビャクヤとケラムでもこうなったんだ。お前が行っても返り討ちにあったら終わりだぞ? それに今回の行いで人間も本気で私達のことを警戒するはずだから」
比較的冷静なクレアは自分の分析を踏まえながら人狼族特有のモフモフしたケモ耳を撫でる。これがクレアの癖だった。何故かはわからないが耳が無事かどうかを定期的に確認する。ケモ耳があることはルルグも一緒なのだがクレアの気持ちは一切分からなかった。ルルグは治療が終わってホッとした顔のビャクヤを見て考える。もうイリュージョンフォックスの在庫は予備用の3匹しかいないようだ。ルルグ自身の配下の魔獣もいるがそれだけだとビャクヤと同じような結果になりそう。ここまで考えているとルルグはあることを思い出す。
「そうだ、僕の魔獣が森で面白いものを見つけたんだ。きてよクレアちゃん。立てるんなら二人も来な」
ビャクヤは部屋に残り、ケラムとクレアはついていくことになる。廊下を渡ってルルグの配下の魔獣が待機する倉庫を抜けた先にある一室を指差した。そこは誰も使っていなかった倉庫の拡張版のようなところであった。ルルグがドアノブを掴むと蝶番がキィキィと音を立てる。
「ここ、適当にぶち込んだ」
ニッコリ笑顔でルルグがある扉を指差している。クレアとケラムは「やばそう……」とかなり警戒しながらもゆっくりと扉を開ける。ギィイと開かれた先にあったものを見てクレアとケラムは「なっ……!?」と声を上げた。
そこにあったのは裂かれた腹の中にある一部の臓器抜き取られたルルグ配下の魔獣、邪虎の死骸だった。中の肉全てを抜き取っているわけでなく、一部の臓器だけである。消化管や肝臓などがなくなっている。中途半端な解体をされた邪虎の死体が3匹も入っていた。
「とりあえず、見せるために保存してるから後で捨てにいく。心配しなくていいよ」
そこを心配してるんじゃない……と思いながらもクレアはルルグに質問した。
「これは……?」
「さぁね。僕の邪虎は散歩させないと機嫌悪くするから。交代でで外に出してたんだよ。そしたら戻ってこない3匹がいてさ。みんな賢いから人間にバレることなく散歩していたはずだ。それがこれさ。後日違う邪虎が森で倒れているのを見つけて持って帰ってきてくれたんだ」
おそらく人間の仕業である。こんなことをするのは。どうして中途半端な臓器だけを抜いているのか……そう思っているとルルグは「まだあるよ」とその死骸の横に置いていたあるものを取った。それは血で汚れたネジだった。
「ネジ……ですかい?」
「そう、これは邪虎の腹から見つかった。飲み込んだなら抜かれてる消化管にあるはずだよね?」
ルルグが説明する事実に冷や汗を少し垂らすクレア。人間はとうとう魔獣にも手を出したのか? と思うのと同時にそもそもそんなことを戦闘員という団体はしていたのであろうか? と困惑する。ビャクヤの狐の報告も度々聞く機会があったがこんな情報はどこにもなかった。
「クレアちゃん、戦闘員のこと思い出してるよね?」
「そうね……。こんなこと、いつしていたの?」
「僕もね、それは思った。だから考えたんだよ」
錆びて茶色になりかかったネジを見ながらルルグは顔を歪ませてネジをグギギ……と握る潰す。彼の怪力があればネジはポロポロと崩れてく。その歪んだ笑顔を見たクレアは「始まった……」と少し身構えていた。
「敵はまだいるよ……、僕たちの敵になる存在は……。僕らの計画の邪魔をする存在は……。面白いなぁ……! 誰かはまだ分かんないけど……受けて立つよ。負けた方が、害獣さ」
甲高い声を上げて笑うルルグを見たクレアは計画のねじれを感じて不安になると同時に自分も出ないといけない時がくるのかと思って覚悟を決めるのだった。
戦争はもう始まっている、衝撃に備えよ。
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