何もかもが燃え尽きて灰が積もる大地の中心、輪を作るように集まった者達が何かを話している。話すといっても相手には聞こえないようにしていることが丸わかりだ。上から覗き込まれるような形で囲まれ、ザワザワと話している様子をただひたすらに見ていた。隣に誰かがいたはずだがその誰かは引き離されて別の場所で囲まれている。
一糸纏わぬ体からポロポロと溢れるのは灰だった。呼吸をするように赤黒い体の模様が光って灰がポロポロと吐き出されていく。囲む者たちの足の隙間から外をみるがそこには何もなかった。あるのは死体と錆びた武器だけ。結局、囲いの者たちが手を差し出して顔を覆うところで意識は遠のいていった。
意識が遠のく中で誰かが自分の名前を呼んでいる。女の声だった。必死になって名前を呼んでいて、自分自身もその名前を叫んでいた。首筋に何か衝撃が加えられたかと思えば本当に意識は消え、その先にある冷たい無意識の中に飛び込んでいく……。
「マルス!!」
「……ッハ!? え……? あぁ……蓮……」
マルスは被っていた布団を乱暴に蹴り上げて跳ね起きた。掛け布団が蓮の顔から上半身にかかって少し不機嫌そうに布団を取る。時計は昼の11時。時計を両手で持って振るような仕草を取るマルスに呆れたような顔で蓮は時計を奪い取った。
「壊れてなんかねぇよ。あれからお前寝すぎだろ……。頭痛くなっちゃうぜ?」
「もう痛い……。すまん、夢を見ていた」
「夢? あぁ、お前うなされてたよ。それに……ちゃんと寝てるのに目にクマができてる」
目の下は真っ黒、十分な睡眠を取っているのだが睡眠の中で脳髄がマルスを起こそうとしてくる。寝ている暇はないのではないか? 己にはやることがあるのではないか、と。鳥人族、ベイルが死んだあの瞬間、マルスの中に眠っていた記憶の一部が一気に網に引っかかったような気がしていた。鮮明に思い出せなかった映像が急に細かいところまで綺麗に見れる様になったとでもいえばいいだろうか。あの時の会話など全てを思い出せるようになっている。それも白子、エリーニュスの存在が明らかになってからだ。
「……マルス、お前エリーって奴が生きてたことに一番ショック受けてるようだったぞ。あれからの任務でもお前らしくない、ずっと何かに追いかけられてるみたいな顔をするじゃないか」
「誰だってショックを受けるだろ。お前は面識がないかもしれないが俺は演習の時もその後の任務でも一緒に戦った相手なんだ」
「それもそうか。もう昼ごはんもできる。さっさと着替えろ?」
蓮はそれだけ言って部屋を出ていった。マルスはため息をついてから薄い寝巻きを脱ぐ。華奢で白くて肉が引き締まった体を見るが心臓部はいつだって黒く濁っている。体に力を加えれば赤い筋が走る。姿見に映る像の背後にうっすらと覗く戦ノ神を見てマルスは相手をすることにした。
「何用だ。あの時もお前が相手すればよかっただろうに……」
『それはお前の意思に反している。お前はあの時、神でいることを誓った。我の憶測通り、エリーニュスが生きていて、彼女が原初の戦争を繰り返そうとしているのなら……お前にできることは神の責務を全うすることのように思えるが?』
「それはお前が勝手に思う責務だろう。今現在、戦ノ神は俺だ。人形と言われようが俺なんだ。原初の戦争で生まれたのはお前だ。そして人魔大戦で生まれたのは俺、これからのことは俺が決める。これは俺の責務なんだ」
まだ神々がこの大地で生きていた時、神と名乗っていなかった時代、そしてそれが終焉するきっかけとなった大戦争、その結果生まれたのは双子の概念だった。戦場に灰を撒き続ける争いの概念、もう一つは争いを起こす意思、反逆の精神を持つ純白の存在。それが誰なのか、マルスからすれば簡単な問題だった。
『身勝手に我とエリーニュスが生まれたことが、この戦争の発端だ。亜人だって生まれることも本来なかっただろう。エリーニュスがやろうとしていることは至極当然……』
「それが間違っていると思うからこそ、俺はここで戦うんだ。あるものを壊せば元に戻る、その考えは空の上にいるエデンと同じだ! エリーニュスだってそれは分かっている。……分かっていてほしいんだ」
姿見に崩れたマルスは鏡を拳で叩きながら目から涙を流していた。地に堕ちた頃は素直に流せなかったこの雫。戦ノ神は鏡の中で何かを考え直すような表情を取ったがマルスを見る目は冷ややかなものだった。
『青二才だな。お前が好きな人間の真似事か?』
「お前に何が分かるっ!!」
我慢ができなかったマルスは姿見を両腕で持ったかと思えば次の瞬間、勢いよく背中を向けている壁目がけて投げ飛ばしていた。大きな音を立てて割れる姿見。破片から何人にも分裂したかのように見える戦ノ神は諦めたように消えていった。ここまで戦ってきたマルスだが真実を知ったその瞬間に折れそうになったことは誰にも家なかった。理不尽な運命ならがってきたその原因がエリーニュスという女神の個人的な怨みからだったとしればどうゆるせばいいのかわからなかった。
鮮明に思い出す記憶も原初の戦争によって生み出されたマルスとエリーニュスの記憶、戦争が終わった頃は神の責務として下界の様子を見ることになってから今までのことが鮮明に思い出せる。利用されるだけの命だった。まだ思い出せないものもたくさんあるがいい記憶ではないだろう。このまま何と戦っていくのは見えているが何のために戦うかは見えていなかった。
「おいマルス!! お前……」
破片に囲まれた状態で崩れ落ち、手元は切れて血が出ているマルスを見て真っ先に部屋に入ったパイセンは固まっていた。何やら本当の弱者を見てしまったかのような目をしてしまい、パイセンも頬を叩いて落ち着いてからすぐに破片からマルスを引き上げて肩を掴んだ。
「お前最近変だぞ!? 何があったんだよ?」
「お前に言って解決するような問題じゃない」
「任務が終わってからずっとそうだ。お前はそのセリフを繰り返す。俺体がそんなに信用できないのか? うん? 答えてくれよ……」
「尋問する前に早く血を止めないと! マルス、染みるけど我慢してね」
パイセンに続いて到着した香織が消毒液をガーゼに染み込ませてマルスの手を拭いた。後から続いて駆けつけて来てくれた悠人たちもマルスを見る目は少し変わっていた。素性のしれない何かを見るような目で、それでも見捨てることはできない複雑な表情だった。マルスが発狂するのもこれが初めてではなかった。事あるごとに何かと会話して発狂するの繰り返し。手を包帯で巻き終わった香織はマルスを起こして一階のリビングへと連れていった。
上の服を来てソファに座ったマルス。食卓にはマルスの分の昼ごはんが先に用意されていた。食事を取るのも無理そうで慎也が冷蔵庫に閉まっている最中、何があったのかを聞こうと香織は先程のパイセンと同じような質問を繰り返した。それでもマルスが答える言葉は「何でもない」「お前に解決できる問題じゃない」のどちらかだった。それでも香織は粘る。根気強く質問をしたがマルスが真実を話すことはまるでなかった。
「マルス、何もないなら鏡なんて割らない。鏡に返事なんかしない。正直、今の貴方は異常よ? 何をそんなに怖がっているの? 何にそんなに反抗しているの? 教えて……貴方は人の話を聞きたがるのに……自分のことは何も話さないじゃない……」
「何もないんだ。もう放っておいてくれ」
香織の顔からスーッと感情が消えて行き、頭を押さえてからそのままリビングを出た。外で待っていた悠人が期待の目を向けようとしたが香織の表情を見て無駄であることが分かった。それ以前にマルスに対して何の感情も示さないような香織を見て話しかけてはならないと警報が鳴る。マルスが発狂してからは香織が話をするようにしていたが香織だって人間だ。我慢の限界はある。夜通しかけてベイルと戦ったあの任務が終わってから人が変わったように何かに怯える素振りを見せるマルスに悠人も手がつけなくなっていた。
「香織……」
「もう話しかけないであげて。……マルスのこと、嫌いって言いたくないの」
リビングにいたマルスはこうなることを知っていてわざとエリーニュスが姿を現したようでその考察にさえ苦しんでいた。どうにかしたいがどうすればいいのか分からない。心が知らないところに行ってしまったかのようで思い通りに操ることができない。誰と戦うべきかと考える以前にまずは自分に勝つところから始まらないといけないのかもしれない。
慎也もリビングからいなくなり、ソファに倒れ込むマルスはただひたすらに己が人間に染まってしまったことへの自問自答をするだけであった。今まで戦ってきた思い、自分を突き動かしていた信念が消えたようで。
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