戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

私を信じて

公開日時: 2022年3月4日(金) 19:50
文字数:3,661

 事実を知ったばかりの時は周りが見えなくなって右も左も分からなくなったマルスだが時間が経てば左右の判断もつくようになっていた。自分がなぜ天界から追放されるようなことになり、エリーニュスとこの世界で出会うことになったのか。それが特に気になっている。


 エリーニュスにアリバイというものは存在しない。不自然に消えた彼女こそが怪しいのは明確だが盤を操れるのはマルスだけという認識でいたのだろうか。牢獄のようなところで体罰を受けていた思い出がフッと蘇って頭を振ったがそれは戦ノ神の思い出であったと思い出してため息をついた。マルスとしての思い出はこの下界に降りて人間のフリをしている時の思い出しかない。神と名乗るのは少々無理があるほど、マルスは人間に染まっていた。


「どっちともつかずは……ダメだよなぁ」


 できればそれがいいが中途半端に生きたくはない。ベッドに寝転がりながら、マルスは本当のことをいつ話すのかという考えから自分はどうしたいかを考えるようになった。どうせこの先、任務や何やらでマルスの素性は隠せなくなっていく。エリーニュスの存在が知れた今、失われた記憶の一部がまた戻りつつあることからマルスの思考は別の方向に進んでいた。


「マルス? 入って良い?」


「構わないぞ」


 扉を開けたのは香織だった。黒っぽいシャツとスウェットを履いた部屋着、ベッドで寝転ぶマルスを上から見るようにそばに座っていた。マルスは特に声を上げることもなく、香織をじっと見る。彼女は首を傾げていた。


「すまん、取り乱して」


「あぁ……マシになったのね。よかったわ。そういうのはパイセンに言った方が良さそうよ? 彼が良く相手してくれてたんだし」


「パイセンか……。わかった、後で言っておく」


 しばらくの間、無言の時間が過ぎていった。お互いに話したいことは山ほどある。面白い話なんぞ聞かなくてもいいし、言わなくてもいい。何かを話したいのだが二人は無言の時間に甘えてしまったようでずっと黙っていた。マルスがベッドから半身を起こして香りの顔をじっと見るまでは。


「香織、お前に散髪してもらった時、覚えてる?」


「もちろん、マルスあの時は驚くほど伸びてたからね」


「あぁ、いやそういうのじゃなくて。香織が……俺のことを聞いてくれたこと」


「あぁ……そういえば」


「みんなの話は聞いてばかりでさ。俺の話は一切みんなにしていなかった。ずっとそれでやってきたけど、もうそろそろ限界なんだろう? ……その、少しだけなら話せるかもって」


 ハッとしてマルスに顔を向けて前から聞きたかったことを口々に出そうとしたが香織の喉元でそれらの言葉は突っかかってしまった。心の中でマルスに対して思いたくもないような感情をうっかり吐露してしまうかもしれない。あったばかりよりも今はマルスに対する信頼というか、気持ちが少し薄れていることに。


「……私のこと、信じてるの?」


「え?」


 予想外の言葉をもらって明らかに戸惑うマルス。目をゴシゴシと擦って二度三度瞼を開け閉めしてから香織の顔を見ていた。香織は香織で自分でもなぜこんなことを聞いたのか良くわからないでいる。ただ、今まで隠し事をマルスに対してしてこなかったのにマルスは自分に対して隠し事だらけなことに気がついてしまったからか。自分の思いはただの一方通行でマルスから見れば香織は信頼に値する人間じゃないのか、それが不安になったのかもしれない。


「あなたは私のことを知ってても、私は……あなたのことを何も知らない。ねぇマルス、私は……私のことは……どう思ってるの?」


「……俺は」


 香織はそのまま立ち上がってドアの側まで言ってしまった。マルスは急いで立ち上がって香織の腕を掴んで引き止めようとするがその手を弾かれてマルスは初めて人に対する恐怖を得る。香織の顔はどこか泣きそうな具合なのだがマルスは香織に何の危害を加えてしまったのか、良くわからなかった。


「香織……! 俺だって怖いんだ。話すのが怖いんだ……! もし話したとすれば……俺はお前と一緒にはいられなくなるかもしれないんだ……。俺だって……好きでこうなってるんじゃない」


「じゃあすぐに答えて欲しかった。怖いのはみんな一緒、事情はそれぞれ違うけど……。ごめんなさい、少し頭を冷やさせて」


 そのままマルスを振り払ってドアを閉めて去っていった。廊下に響く足音も、階段を降りていく音も、マルスの耳には全て聞こえていた。その音が少し強かったことも。マルスはドアに額をぶつけてため息をつく。今まで嘘をつき続けたツケが回ってきたのだろうか。本当はエリーニュスのように一人で戦い続けるべきだったのだろうか。仲間を得たことは間違っていたのだろうか。


「なんって面倒なんだ……、理性ってやつは」


 そのまま腰から崩れていってマルスは荒い息を整えていった。今まで香織に幾度となく怒られてきた気がするがあの顔を見せた香織が一番怖かったと思っている。その怖さは恐ろしいものではなく、自分が今まで築いていた何かが一気に崩れてしまったという絶望だったのかもしれない。もう誰とも離れたくないマルスだからこそ、自分を守るためについてきた嘘だったが誰かを傷つけることしかできない。それがなんたる複雑なことか。人間として生き続けるには重すぎる。


〜ーーーーーーー〜


「香織ちゃん、マルス君は……」


 リビングまできた香織の肩を叩いて出迎えたサーシャだったが泣きそうな香織の顔を見て頬を引きつかせてその先を言うのをやめた。食器の洗い物がちょうど終わった慎也はタオルで手を拭きながら目のサインでリビングから出ると送ってソロっとサーシャと香織を二人きりにする。


 気が効く慎也に感謝しながらサーシャは香織をソファに座らせてパックのジュースを手渡し、その隣に座った。受け取った香織はクッションに顔を押しつけて涙を拭いてからストローを突き刺して飲み始めた。


「……思ってた答えは出なかった?」


「……んっ。期待した私が馬鹿だったのかも……」


「まだ話してくれなかったかぁ……」


「それはいいわ。私だって……自分の過去を話せるようになるために一年もかけたんだし。ただ……マルスは私のことを信じてくれてなかったみたい」


 香織が人間関係を構築するにあたって重要とするのは信頼だ。期待していた何かに裏切られたからこそ、香織は戦闘員の道に進んでいるのだから当然だ。香織は人を全てを信じたがる。その気持ちを汲んで考えてみるとマルスは何か答えに詰まっていたのだろうとサーシャは考えた。


「私が何かを聞けばマルスは口を濁してばっかり……。それに気がついてから……なんだか今まで感じていたマルスへの何かが壊れてしまったのね……。人の話は聞きたがるのに自分は何も言わないのよ? 狡いとは思わない?」


「そんなところもあるわね……。基本、パイセンもそうだけど損得でばっかり動くんだもん。今悠人君が悩んでるのも同じかな……。みんなそうなのかな? 男は」


「……さぁ」


 いつもよりも飲み干すスピードが圧倒的に速い二人。同じタイミングですっからかんのパックを勢いよく机に叩きつける。二人とも別々なものに対するため息を吐いてからサーシャが口を開けた。


「不器用なのね、イライラしちゃうくらいに。マルス君、ほかになんか言ってた?」


「怖いってずっと言ってた。何に対してかは教えてくれないけど」


「怖い……ねぇ。戦いに関することではなさそう。最前線で毎回戦ってるからね」


「ねぇ、サーシャは……サーシャはパイセンのことどう思ってるの?」


「あたし? ん〜……アホで機械バカで神経質だけど……ついていきたくなる何かがある」


 少しだけニヤリとしながら香織に振り返ったサーシャ。悪い顔をしていた。香織はその顔を見て笑った。


「なにそれ」


「さぁね〜……。演習の時とかは喧嘩ばっかりだけど……徹夜で私の魔装を点検してくれたり、いっぱい食べ物買ってきてくれたりしてたら喧嘩なんてどうでもいいやって思った。もちろん今でも言い合いするけど、どれだけ言っても分かんないところなんていっぱいあるし。そういうところはお互いスルーしてる。こうやって外に愚痴ったりはするけど」


 サーシャがいつも余裕を持ってパイセンや他の人に接しているのは何故だろうかと香織は考えてみたことがある。元来の性格故か。それとも誰かのおかげでそうなったのか。あるいはその両方か。声を上げて笑うサーシャを見た後にさっきのマルスと自分の会話や今までのことを思い出していた。


 初めて一緒に話した雑貨屋でのこと、エリスが帰っていった時に声をかけてくれた時、演習の最後で思わず抱きしめてしまった時、初めて膝枕をしてあげた時、改造魔獣の脅威から助けてくれた時、命を捨てる覚悟で覚醒魔獣から守ってくれた時。今までを思い返すとマルスが香織を助けない時などなかったし、どれだけ無謀な状況でもマルスは香織を見捨てなかったと思う。


「でも……今は喋る気にはなれないわ」


「それでいいんじゃない?」


 その後が大事だけど、サーシャはグッと言葉を堪えて香織を見ていた。



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