あれから時間が経って屋敷にはマルスと慎也と悠人だけでカレーを食べる少々珍しい光景が繰り広げられている。漬物をガリガリ噛む音とカレーを頬張る音だけが響いて他は何もなかった。悠人はマルスに食欲があったことで一安心し、テレビをつけて垂れ流しにしている。お昼のニュース速報はもっぱら戦闘員に関することだった。
前回のベイル襲撃の顛末は戦闘員が街を襲った主犯を討伐した、とのことで世間には通っている。が、今まで混乱を起こさないために隠されていた亜人達の存在が明るみになり、今はレイシェルが至る所で記者会見を開いている状態だ。亜人によるパニックを少しでも下げ、戦闘員達の権利を守るために行う順当な会見のはずだがニュースに移るものはそんな優しいものではなかった。
「隠していたことで犠牲になった人にはどう謝罪するんですか?」
「戦闘員には十分な教育を受けていない若者が沢山いますがまさか彼らもこの戦いに送られたのですか?」
「亜人という存在が今後その他民間街を襲った時、避難勧告はどうするのですか?」
「民間人を守ることがあなた達の役目ではないのですか? 国家予算の一部にもなっているあなた達が」
「それだけでなく、魔獣の目撃証言もあります。今後犠牲者を出さないためのプランを聞きたい」
悠人はテレビを消して二人に謝った。本当ならあの記者会見の場に行って棒か何かで記者の人間を一人づつ叩いてやりたい気持ちもあるが我慢するしかないのだ。マルス達が血眼になった守った人間の姿はあの有様だった。誰かを敵に仕あげて集団で暴力的なことを行う人間が、その責任は一切取らない人間がマルスが希望を抱いた種族の姿なんだろうか。エリーニュスが守りたがった亜人は過去の恩を決して忘れない。彼らの方が聡明ではないか。その葛藤で悩み続け、己が剣を抜いて戦ったことは全て無駄だったのだと言われたようである。エリーニュスの目的、そしてマルスの目的、それらを成し遂げても下界の種族が変わらない限りまたマルスの代わりが現れて地上で大戦争が起きてしまう。マルスの戦いは一生終わらない。
「犠牲がどうのとか言ってるけどさ。俺らがいなければもっと死んでいたぞ……?」
水を飲み干して頭を抑える悠人、夜通し戦った後、事務局に到着した際、全員の口座に特別手当が振り込まれていた。今まで頑張っても貰えなかった特別手当、ただ貰えても嬉しいということはなく「そういうもんじゃない」という虚しさだけであった。世間が発する戦闘員に対しての想いは強者が弱者へ向ける視線と似ている。口で優しいことを言っていてもそれは弱者を憐れんでいるだけであり、それを望んでいるわけでもないのだ。
「しかも……各所で嫌がらせ……か。サイレン付近で落書き、謎の団体を立ち上げて『未成年戦闘員を救いたい』だのどうの。僕たちを守りたいとか言うなら帰る場所を作って欲しいですよ……!」
「慎也落ち着け。親父が戦闘員やってる頃から世間の目なんてそんなものだ。俺の家にも嫌がらせが来た。自転車の籠にゴミが捨てられてたよ。……学校が全てじゃないことは俺たちが一番知っている。いや……俺たちが出ないといけないほど……今は魔獣の数が多いんだ」
「と言ってもですよ? もし、もし魔獣の数が落ち着いて亜人の戦いも終わって平和になった時、僕らはどこに帰るんですか? 学力なんてない。資格もない。一度道を逸れた時点で一生戦闘員は続きますよ? みんなが通る道を一回でも外れてしまうと一生放ったらかしな世の中なんですよ?」
「でもある意味世間は平和なのかもな……。なまじ冷たい平和でも、それを守るのが俺らの仕事だ。任務は当分ない。俺はちょっと部屋で休むよ。マルス、たまには陽の光に当たれよな。じゃ」
悠人は皿の後片付けを行った後に部屋から去っていった。窓から吹き込む風が冷えてきたので慎也は窓と薄いカーテンを閉める。マルスも完食したが調子は依然として悪そうだった。このご時世、気晴らしに出かけることも無理そうだ。そもそもマルスはどこからきたのか、慎也は知らなかった。
「マルスさん、晩御飯まで好きにしていてください。お水は?」
「……貰おう」
コップに水を注いで貰ってからマルスは一気に飲み干した。目の奥が濁ったマルス、よほどショックが大きかったのだろう。マルスにとって守りたいものが全て打ち砕かれたのだから。でもそれを思うきっかけになることやマルスの出生、今まで何をしてきたのかは一切知らない。おかしな話だった。誰も追求はしないでいたがそれも言いたくない過去があるからだと割り切っていたからだ。慎也がわざわざそれを崩す必要はないが気になることは事実だった。
「大丈夫ですか?」
「あぁ……うぅん、そうとも言えない。俺が守ろうとしたもの、守ってきたもの、これから守るものが分からなくなっただけだ。何か言われるとうるさいから俺はもう出ていくぞ」
ガチャリと扉を閉めて屋敷を出て行ったマルスを見送った慎也は知らない秘密を持っている相手が身近にいることを不思議に思ったが他人との境界線が自分にないことも同時に考えていた。マルスの真意なんて慎也が知るはずもないし、知る必要もない。他人に何かを求めすぎていたのかもしれない。
皿を洗いながら黙々と考えていたが何も答えは浮かばず、綺麗になった食器だけが並んでいる。違う、そうじゃない。慎也の頭の中ではそれだけがぐるぐる回っていた。逃げてきた慎也が本当に欲しかったものはお金でもない、家族でもない。安心できる家が欲しかったのだ。
「求めてばかりで……何も返せてないや。……僕だって戦えるのに」
〜ーーーーーーー〜
部屋にある小型テレビの電源をつけてニュースを見ていた悠人は被害を受けていない街の中にある戦闘員募集のポスターに酷い落書きをしたり、破り捨てられている様子を特集した番組を見ていた。書かれてある落書きには無責任な悪口が多かったのだがその中の一つに「娘を返せ」と書かれたものがあり、どこかの任務で殉職した戦闘員の親なんだろうと考えていた。
「ハッ、冗談キツいわ……」
頭を押さえながらニュースキャスターやインタビュアー、一体戦闘員の何を知っているのか分からないコメンテーターの話に耳を傾けながら小さい頃の記憶を思い出している。悠人の父は立派な戦闘員だった。どこかの班の班長を務めている戦闘員、序列もそこそこ良かったそうで悠人と死んだ姉である楓には何不自由なく暮らせるほどの収入を送金されていた。
学校では単身赴任で父が働いていることだけを認知されており、剣道の道場に通いながらそこそこの成績を残す少年。が、父親が殉職した際にニュースでそれが大きく取り扱われた。「ベテラン戦闘員、小さなミスで命取り」この見出しを悠人は一生忘れることはないだろう。昔も今も変わらず、戦闘員は必要な職業であるにも関わらず、誰からも尊敬されない仕事だった。駆除される魔獣が可哀想、犯罪者まがいの野蛮な集団、ニュースで東島家が取り上げられたことにより、特定されたのは時間の問題。そこそこ珍しい名字だった悠人は一度引っ越しを経験している。
新たな引っ越し先では自転車のカゴにゴミが入れられていたり、落書き、騒音、無言電話、思いつく嫌がらせは殆どされた。当然、学校でも格好の的にされてはいたが悠人と楓はめげずに登校を続けることで一種の仕返しをしているつもりだった。それでも嫌がらせは終わらなかったので教師から「別室で授業を受ければ嫌がらせを受けなくても済む」と提案をされたのだが悠人と楓はそれを拒否。何故されている側が隔離されて悪さをしている人間がのうのうと教室で授業を受けることができるのか、訳が分からなかった。
その結果、楓は父の死は無駄ではなかったこと、戦闘員は立派な職業だと証明するために戦闘員の道を志し、悠人は父と同じような過ちを繰り返さなければ周りも認める戦闘員になれるはずだと考えて親の反対を押し切り、戦闘員の道を進んだ。果たしてそれは正しかったのだろうか。父と同じ過ちで大切な家族を失い、今も父と同じような嫌がらせは続いている。己がやってきたことは無駄だったのだろうか。
なまじ冷たい平和が続いていることは悠人も知っているし、認めている。亜人が吐き捨てるのも理解できるほど人間は綺麗な存在ではない。ベッドに寝転びながら悠人は考えた。このまま行くと自分は親不孝者になってしまう。残った母親を悲しませるだけの親不孝ものに。
「なるほど、世間で戦闘員は偏見とも取れる評価をされていることが分かりました。この件のついてどう思いますか?」
テレビのニュースキャスターは理路整然とした口調でキャスターの仕事を全うするがこの仕事のせいで何人の戦闘員が犠牲になったのか、悠人は不貞腐れた顔でテレビを見ていた。うすら禿げた解説の男はメガネを光らせながら記事らしき紙を持って発言している。
「彼らがいるから今の私たちが平和でいれる。そんな意見もありますが、彼ら戦闘員の経歴を調査しますと犯歴を犯した者も存在するんですね。社会で馴染むことができなかった、そうせざるを得なかった者が目指す場所、それが戦闘員。その評価が出ることは当然とも……」
「お前に何が分かるんだ!! 声だけデカくしやがって!!」
テレビに向かって吠えた悠人はコンセントごと引き抜いてクッションをテレビ画面めがけて投げつけた。肩で大きく息をしながらマルスにアドバイスできるほど健康な心ではないことを悠人は知る。倒れたテレビに縋り付くように悠人はへたり込みながら一緒に倒れてきた楓の写真を悠人は抱いた。人前では恥ずかしくて決して見せれない涙を流しながら悠人は悔しくて床に拳を叩き続けている。ずっと変わらない。ずっと嫌われている。痛い思いをして助けてもコレ。戦闘員でいるための自信が消えそうになる悠人はただ心残りの楓の写真を見ながら額縁に額を押し付けた。
「ちょっとでもいいじゃん……。お世辞でもいいから……『お疲れ様』って言ってほしいよな……。『ありがとう』って言ってほしいよな……! 嘘でもいいから……偽善者って言われてもいいから……俺たちを……労ってくれよ……」
特別手当では埋まることのない悠人の思い。他の班長はこの報道に関して何を思っているのか気になったがハキハキと相談できる相手が思い浮かばずにそのまま疲れて眠ってしまった。
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