戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

だってウチ、戦闘員

公開日時: 2021年7月20日(火) 19:17
文字数:3,849

研究所から極東支部に帰還した遠野班。救護所に搬送されたマルス含める人の介護を終えた田村由依は久しぶりに見る元部下、相楽乃絵と再会する。

 その人物がひょっこりと支部から帰って来た時、救護班主任を務める田村由依は驚きでアッと声を出してしまったようなものであった。ドアの隙間から小さな指を見せて顔だけそろ〜りと出しつつ、チラッと中を見るその人物。相楽乃絵を見てた時は。その時田村は研究所のクーデターに巻き込まれた人たちを迎えて部下と共に熱心な看護を行った。ドラム缶に封印されていたと聞くからに精神的にも肉体的にも限界が近い患者が多い。先程全員分の点滴や介護を終えて田村は静かになった救護所の中で寛いでいたのである。


「の、乃絵ちゃん? 乃絵ちゃんなの?」


「あれま、バレちゃいましたね。田村主任、こんなご時世ですが乃絵は無事ですよ〜っと」


 右手で仰ぐような仕草を撮りながら乃絵は無垢な笑顔で田村を見る。乃絵は田村が前から気にかけていた救護員である。田村適合の聖幼虫の羽化した姿である地獄蝶と適合したわけであるが乃絵は治癒能力が高すぎて逆に頭がボーッとしたり、血圧が高くなったりと過剰な反応を示してしまうので支部が乃絵を解雇にしようと動いていたのを必死に田村が止めていたのだ。


 実際、乃絵は働き者であり当時18歳であったが患者とのコミュニケーションも欠かさず行って心のケアもしている優秀な看護師であったのだ。そんな人材を切り捨てるのは田村自身、二つ返事で頷ける内容ではないのだ。乃絵がやめてしまうと患者のケアも十分ではなくなってしまう。乃絵の一番近くで彼女が人を救う瞬間を沢山見てきた田村が思うところであった。


 そんな乃絵であるがとうとう解雇処分を言い渡されそうになった時に意外な方向から待ったがかかる。それは見鏡班から切り離されて新たに新設された遠野班の班長、遠野翔太が自分たちの班のメンバーにしたいと申し出たからである。今まで看護師として働いていた乃絵が急に戦闘員として表に立つのを田村は反対したがあの時の翔太の目に負けてしまった乃絵にそのスカウトを打ち明けた。意外なことに乃絵も拒むことなく戦闘員になり、序列4位の班に上り詰めたと聞いた時は正直田村もギョッとしたものだ。


「まぁ〜……そういえば援軍はアナタ達だったものね。遠かったでしょ? ここまで」


「いいえいいえ、ウチらもここに帰ってくるつもりだったんで。その寄り道に研究所行くことなったらスッゴイのがいたんですけど……。なんですかあの機械のトカゲ……? まぁ、長らく挨拶が遅れましたが乃絵は元気ですよ〜っちゅうわけで」


 伸ばし口調や少々ひねた性格であることは変わらないらしい。ただ戦闘員になって動くようになったからか全体的な筋肉量は立派になっていた。田村は後ろのカーテンが引かれたベッドを見てから乃絵に向き直る。


「ここじゃなんだし、久しぶりにラウンジ行きましょう。今日は私の計らいよ」


「おぉ、ラウンジ久しぶりですね」


 ラウンジとは救護班の休憩スペースであり、各種無料の自動販売機とカウンターテーブルが配置された秘密の休憩場所だ。ほぼ女性の救護班は念のため、とでもいうべきか、あまり目立たないところにその入り口はある。ラウンジに入ると壁一列に配置された自動販売機に合わせてカフェミュージックのような柔らかい音が響くスピーカーが見えるカウンターテーブルがあった。カウンターテーブルは窓沿いになっており、柵で覆われた中での外の景色が一望できるのだ。


 乃絵はメロンソーダを、田村はアイスコーヒーを手に取ってカウンターに座る。無言でコップ同士を合わせて乾杯を取った後にストローでマイペースに吸い込んだ。どちらも仕事の後なので美味しく感じる。乃絵は初めてホッとしたような顔を見せてテーブルに突っ伏した。ラウンジに入ると仕事の上司であったり緊張感などは関係なくなり、素の自分を曝け出してしまうのが乃絵である。


「久しぶりに疲れた任務だわ、ほんと。懐かしい子にも出会えたけど感動の再会にはなりませんし」


「大原君、元気そう?」


「今聞くのは野暮かもですよ? 前からウチが気にしてた通りの男だったけど……今日見た時は少し変わってたかなぁ」


 肩を掴まれて関原慎也の居場所を聞かれた時は乃絵も正直震えてしまった。気迫が異常だったから。乃絵が知っている優吾はどこかパッとしないけどいずれ何かしそうな感じを見せるマイペースな男だったから。カランと氷がなり、乃絵はまたジュースを啜った。


「そう、みんな……見ない間に大きくなってるのね」


「主任のお胸で泣いていたあの子がたった一人で改造魔獣に立ち向かっていたぐらいですからね」


「あらまぁ……。関原君、怪我はない?」


「ウチが治して起きました。致命傷だったので」


 田村は脇役のようなものだ。怪我してきた戦闘員を治療してまた元気な体へ戻す。その体でまた死地へ出向いていく若人や戦闘員を沢山見てきた人間であるが故にもう昔のようには戦えないことを田村は思い知らされた。佐藤を縛り上げた時は何もなかったがあの毒怪鳥コカトリスの時は迷惑しかかけなかったから。


「遠野君は元気?」


「そりゃあもう翔ちゃんは元気ですよ。今日知り合ったばかりの東島班と距離詰めようとしてたんですから。バカってなる時もあるけど……あの明るさにウチは救われたんだから何とも言えないです。翔ちゃんがウチを雇った理由知ってます?」


「ん、なぁに?」


「なんか……『治癒係の中でお前が一番変なやつだから』だなんて……。失礼しちゃいますわ」


 田村はその言葉を聞いて思わず吹き出してしまった。ジト目で見る乃絵に構わず笑ってしまう。バカだ、明らかに選び方はバカであるがどこか翔太らしい。笑い終えた田村は喉が渇いたのでまたコーヒーを流し込む。その間に乃絵はジッと外を見て何か考え事をしているようだ。田村がコップをカウンターに置いたのを見計らって声を上げ出した。


「翔ちゃんのことをバカバカって言ったのはいいけど……。正直、ウチって何も守れてなかったのかもしれないって思うんですよね。世間の反応だとウチらは悲劇や研究所のことあって落ちてきています。それでもあの子……新人殺しやタクティクスは任務に励んで戦えない人たちのために戦ってる。それに比べてウチは……って思うと。あ、すみません。湿っぽい話は今やめといた方がいいですよね」


「乃絵ちゃん……」


 元々新人殺しというあだ名は汚名であった。入隊した新人が初陣で死んでしまうような班という不吉極まりない名前だったのだが一人の新人のおかげあってか立て直し、あの八剣班と肩を並べて戦える班に成長、成果も最近は新人殺しの方が上。それに比べ、遠野班は遠征でこその結果は出せているので新人殺しを軽く見ていた人間側であったのだ。そんな人たちがグングン上がっていっている姿を見ると本当に褒められる存在は誰かと思い知らされることになる。


「ウチらはあの時、毒怪鳥の時に臨時収入を貰いました。でも亜人と戦った新人殺しは何も貰えなかったそうですね」


「そうねぇ……」


「数なんてモノがあるから正面っていうのを人は忘れるんです……。ウチは競走は苦手。ほら、だってフワフワした性格だし……。あの研究所だってやり方は間違ってるけど……やってることをウチらと一緒。大きな数を追いかけてるだけ……。なんか最近はそれが頭の中をグルグルしてるのよ」


「そうねぇ……。でも乃絵ちゃん。数がどうであれ、アナタは今救われてる立場なのよ? アナタを必要として拾い上げてくれて……そしてアナタも立派に生きてるじゃない。そうでしょ?」


「主任……?」


「たしかに数を追い求める所もあるけど……その過程で新人殺しが強くなっていったのだとすれば悪いこととも限らないじゃない。見ない間にちょっとナイーブになったかしら? アナタは相楽乃絵なのよ? この救護班で実力を上げて戦闘員に昇格した相楽乃絵よ?」


「それは……そうです。あの、主任。主任はどうして折れずに人を救うんですか? どうして折れずに笑顔で介護ができるんですか……? その……」


「だって私看護師じゃない」


 乃絵は黙り込んだ。いつしか初々しい自分を忘れていた時があったのかもしれない。「だって私看護師」、この言葉に含められた意味は大きい。追い求めたくないと言いつつ追い求めてしまっていたのは自分かもしれない。そんな気がする。乃絵は遠野班の班員だ。遠野班救護担当の相楽乃絵だ。決して見失ってはいけない自分の仕事、プロ精神。ハッとされた。


「そっか……。だって私看護師……」


「ちょっと複雑に生きすぎてるのよ。単純でなければならないわ、そうあるべきなのよ」


「はい……」


 ストローで吸い上げられたジュースはもう空になっており、その場に音だけが響き渡った。乃絵の心根には一人の男が映る。あの男、知らないところで自分が思い描いていたことをしていたんだと。あの時の涙と叫びが彼の意思であり、プロ精神であったことを思い出した。ならば乃絵も続かないといけない。「だってウチは戦闘員」、自信を持って答えなくてはならないのだ。


「大原……優吾……」


 氷が溶けて積み上げられたものが崩れて音を発する。窓から見える月明かりの中で乃絵はいつものフワフワした表情からクキッと唇を噛んで外を眺めるのであった。無我で動ける時は来るのであろうか。乃絵が追い求めるべき人に、あの男に届く時は来るのだろうか。見ない間に部下の成長を見ることができた田村といつのまにか、追いつきたい目標ができた乃絵。だって乃絵は戦闘員だから。今夜はやけに眠れそうにないと思える。カランとしていた乃絵の身に、春の季節が訪れる。

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