班長会議から帰ってきた悠人は屋敷のリビングに寄った時にマルスがいないことに気がついた。朝食の片付けを終えた慎也曰く、マルスは少し気分が悪いので部屋に篭っているとのこと。短い鼻息を吐いてから悠人はリビングを出て階段を登っている最中だった。
あのマルスがふて寝であろうか、だとすれば珍しい。本当は放っておく方がいいのかもしれないのだが蓮と優吾が珍しく出かけており、パイセンは一般装備の修理、隼人はそもそも話が合わないということもあり悠人はマルスの元へ向かっていた。暇つぶしではない、悠人は心配なのだ。思えば悠人自身もどこかマルスに依存しているところがあったのかもしれない。彼との絆も大事だが……彼は悠人自身以上の危険の中で生き残ってきたのだ。大和田と香織を守りながら。
マルスの部屋の前に着いた悠人はフーッと息を吐いてから軽くノックした。返事はない。悠人は「入るぞ〜」とだけ言ってマルスの部屋に入っていった。扉が開かれた先には機能性重視の家具と壁一面に並べられた本棚が印象的な書斎兼マルスの部屋が広がっていた。思えば彼の部屋に入ったことはない悠人はなんとも言えないような気持ちを抱いていた。
彼の視線の先にはベッドに仰向けに寝転ぶマルスがいる。特に何も考えていることのなさそうなポーカーフェイス。感情の起伏が見えない無機質な顔だ。こういうところはどこか人間らしくないと思えてしまう悠人である。
「眠れないのか?」
「2週間も眠っていたんだ。冴えすぎて目に沁みるほどさ」
目を一瞬閉じてから反動でスワッと起き上がったマルス。半身だけ起こして部屋に保管していた補給液をコクンと飲んでいた。まだ補給液を飲まないとどこか苦しいようで悠人は目を細めてしまったがマルスはチラッと彼を見ただけで何も言わない。とりあえず悠人はマルスのベッドに座って息をついた。
「まだ補給液が欲しいのか?」
「まぁな。おいしいと感じてしまうのは欲しいからだろう……。任務は?」
「当分ない」
フンスと鼻息だけが聞こえる。それ以外は何も喋ろうとしない。話したくないのであろうか? そうだとすればマルスは部屋に入れないはずだ。妙に緊張する時間だけが過ぎていく。悠人はなんとかして話題を引き出そうと奮闘した結果、「そうだ」と通信機を起動した。
「そういえばお前が眠っていた間に田村さんが検査してくれていたんだ。体に異常がないかのな」
それを聞いた瞬間にマルスの目はクワッと見開かれ、ギョロリと向ける。正直面を食らってしまった。ここまで瞳孔が開かれる……というか動揺するのを見たのはなかったほど。
「お前は見たのか?」
今までなかったとされる感情の起伏は漏斗状に盛り上がった。悠人はコクコクと頷いてマルスを安心させようと通信機に送られている結果を見せた。
「あ、安心しろよ……! ほら、何にもなかったぜ? 臓器も血流も異常なしだ。変なバイ菌もない」
マルスはその検査結果をジッと見た後に何故か安心したような表情で息をついた。その後にまたいつものトーンで声を上げる。
「大和田はどうした?」
「あぁ、大和田さんは田村さんの治療を受けて回復したよ。っても……車椅子移動だけどな……。今は研究班の方に行って立て直し中らしい。研究所は2週間の間に復旧がかなり進んでるらしいがまだまだ。研究員も大方四分の一が改造魔獣の製造、材料の捕獲、そして地下でお前に銃を向けた者だったそうだ」
「そうか……。亜人は何の関係があったんだ?」
「特に荒らすようなこともしてなければ亜人による犠牲者もゼロ。せいぜい無力化だけ。これで終われば意味不明だが……コンピュータの履歴にダビングされたデータがあったらしい」
「ダビングされたデータ? 亜人はそのデータを欲しがっていたと言うことか?」
「おそらくな……」
マルスは人狼の亜人、クレアが話していた「準備」と言うワードを思い出した。準備、破壊が目的ではなく研究所には準備のために来たと言う彼女のメッセージ。そのデータの奪還によって生まれる何かがあるとでも言うのだろうか……。亜人は一体何をしようとしているのかそこだけがまだマルスには分からない。あの悲劇の時は特に計画性があったと言うわけではなかったので押し切ることができたがそれ以降の亜人の動きはどこか保守的だ。
「そのダビングされたデータは……改造魔獣のデータとあるが詳しいことは俺にもわからない……」
「そうか……」
「まぁそういうことだ。お前も気にせずにゆっくり休め。じゃあ、俺は失礼するよ」
悠人は手をヒラヒラと振りながらマルスの部屋を出て行った。扉をゆっくりと閉めてからあまり音を立てないように動いて自分の部屋に入る。悠人の部屋にはベッドとテーブル椅子、テレビと言った一人暮らし部屋のような雰囲気で楓の刀や家族の写真を立てかける棚を用意しているほどであった。
「ただいま楓〜」
楓の写真に向かってただいまをいう悠人。コレは彼のルーティンである。写真棚には幼少期の悠人と楓がケーキを食べていたり旅行の時に一緒に撮った写真であったり、剣道での写真も色々ある。
悠人は部屋にある小型冷蔵庫からストックしておいたオレンジサイダーを取り出してキャップを勢いよく開けてグビグビと飲み干していった。体によく染みるサイダーだ。上着を脱いでシャツとズボン一枚になった悠人はそのまま椅子の背もたれに体重を預けた。ギィイと受け止める椅子。
サイダーを飲みながら悠人は「それのしても」と考える。マルスの動揺具合に驚いてしまい肝心の検査結果を細部まで見せることができなかったということ。救護班主任の田村から渡されたデータ。臓器などには異常なしの健康体なのだがそのレントゲン写真はどこか白と黒が混じったような奇妙な写真が撮れていることが告げられたのである。その部位は心臓。本来なら黒く映るはずの場所に白い模様……何らかが浮き出ているような奇妙な写真だった。
彼が眠っている間に詳しく検査をしてみるとその模様の正体は魔石だったのだ。明らかにおかしい。魔石が体の中にあるなんて。しかもマルスの体の中でその魔石は浸透している。全身に行き届いた魔石によってマルスの体には変化が起きていたらしく、犬歯が鋭くなったり、少したくましくなったり、ついには声色や肌の質感まで変わっていたというのだから驚きである。研究員の大和田に聞いたところあのマルスは地下で何らかの異常事態になったらしく性格が豹変したとか……。
「魔石の融合……。そもそも魔石が一人でに動くとでもいうのか? いやでも……?」
あの初任務。猫との戦いの時にマルスは絶体絶命の窮地に立たされた。その時に突如としてマルスのポケットから石が飛び立ち、その石が纏わりついて剣になった。彼の魔装が生まれた瞬間を思い出していた。となると……マルスの魔石がマルスに入ったということは彼はもう魔装と同じような存在になったとでもいうのだろうか? バカバカしい理論に悠人は首を振った。確証もないのにそのようなことを考えるのは危険すぎる。自分はその瞬間を見てはいないのだ。彼が豹変した地下シェルターでの出来事を。
もしかすると魔装にはまだ研究員にも自分達にも分からない秘密が隠されているのではないか? 所詮魔装は魔獣の死骸から作られた武器だ。今まで気にも留めていなかった身体強化もその魔石との融合が鍵になっているのではないのか……? 悠人は壁に立てかけてある二本の刀をジッと見つめた。どこか恐ろしくも見えるその刀は妖しく光った気がしたのだ。
「もう……これ以上は悪くならないはずだ。うん」
サイダーを飲み終えた悠人はゴミ箱にボトルを捨てて逃げるように部屋を出て行ったのだった。できれば今日だけ、魔装は見たくない。
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