「お勤めご苦労様でした」
「とんでもない。ほら、例のやつだ」
玲司がケースを抱えてロビーに入った時、連絡はすでに研究所に入っていたのかすぐに担当の研究員が現れて魔石を受け取っていた。ケースから一旦出してみて分かったのだが鳥丸が発見した時よりも光が濃い。魔獣の勢いも凶暴化していたために何かの変わり目でもあるのかと考えていたが研究所から提示された仮説である満月の日が決戦の時という馬鹿げたような理論を思い出して閉口した。
「この後任務はない。少しばかり休憩させてもらうぞ。どこか空いている部屋などはあるか?」
「部屋ですと……トレーニングルームぐらいですかね。すみません、今から用意しようとなるとちょっと大変なんですよ。なんせ東島班の療養中でもあるんで」
「アイツらか……。何をしている?」
「書庫にいる人や部屋にこもっている人、あとは……あ、一人トレーニングルームを使用している人がいますね」
「先を越されたか……。まぁいい、見に行ってやる」
ケースをその場に置いて手だけ振った玲司はトレーニングルームに向かって歩いて行った。あの部屋は初めて魔装を受け取った際に小手調の訓練として利用した。ボクシングの現役時代をなぞるような練習で魔装をためして担当の研究員からは賞賛の一言をもらえたのを覚えている。新人殺しの誰かが怠けた真似をしていると何か言ってしまうかもしれないが気になる若造を観察するいい機会だった。
トレーニングルームが近ずくと聞き覚えのある音が聞こえてくる。空気を打つようなこの音はジャブの確認でもやっているのだろうか。続いてパシパシと何かを叩く音、これはサンドバッグだ。新人殺しにもそのような人間がいるのだろうか……少しだけ嫌な予感を感じながらトレーニングルームの半開きの扉を覗いた。
見える。自分よりかは圧倒的に若い男が両腕に何かを巻いて必死にサンドバッグを殴っている様子が。玲司から見ればその殴りは不恰好なものだったが喧嘩という目で見るとなかなか強いだろう。どうしようかと迷ったが特に気にせずにトレーニングルームの部屋に入っていった。
「あ? マルスか? ったくまた俺とダンベル耐久レースやろうとしてんのかよ。いいぜ、やってや……」
若造は壁にかけてあったタオルを首にかけて汗を拭いながら振り返っていた。その時に玲司と目があってしまう。黙り込んだのは人違いだから黙ったのではなかった。玲司はそれ以外の何かをこの若造から感じていた。若造は口を震えさせながらタオルをすっ飛ばして玲司のそばまで大股で進んでくるではないか。生意気な態度に腹が立った玲司はすぐに追い返そうと腕を払う準備をしたが予想は大きく外れたのだ。
「え、本物?」
「何を言っている?」
「堀田玲司さん……ですよね?」
「それだと何が悪い」
「うっわ! 本物だ!! スゲェ、まさか俺の元に来てくれるなんて!! え、えぇ!?」
あまりにも予想外の反応を取られると人間誰しもが思考を停止してしまうようで玲司も訳が分からない状況で頷く羽目になった。そんな目の前の若造は飛び跳ねながら「すごーい!」と声をあげており玲司は一旦、彼に落ち着くように言い聞かせる。
「おい、声をあげるな」
「いやだって堀田玲司っすよ!? ライト級ボクサー、国内でもそして海外でも結果残してるし、決勝マッチは父ちゃんと堀田玲司を応援したくらいですから! あ、俺は東島班の宮村隼人です。堀田玲司さん……俺、あなたのファンです」
一体どうしてこの判定勝ちだらけで雑誌からは「金にならない」と言われ、地味だの色々言われた男を応援しようと思ったのか玲司はわけが分からなかった。封印したはずの記憶が鮮明に甦る。運動を始めたのは物心をついてから。母子家庭だった玲司は外や家の中で一人で体を動かすことしか知らなかった。友人はいない。一人で走ったり、壁にボールを投げたり、ただ自分で記録を作ってそれを更新するのを楽しみにする毎日。
ボクシングを始めたのは15の頃、何故始めたのかは覚えていない。ただ己の記録を更新したくて必死に縄跳びを飛んでいたら体力がついた。長距離もなんなく走れるようになっていた。周りからは昔からずっといると言われていたそうだが記録を更新してベルトをジムに持って帰ってくるたびに一眼置かれていたに違いない。その記録更新も徐々にノーリスクの追求へと変わっていき、玲司は効率重視の練習を取るようになっていたのだ。
「やめてくれ。今はもう戦闘員の堀田玲司だ。ボクサーはもう死んだんだよ」
「あぁ、なんかすみません。でもやっと会えたんだぁ……! 実家に切り抜きがいっぱいあります。雑誌、ニュース、なんでもです。突然引退した時はビックリして泣いたんですけどここでまた会えるなんてなぁ……!」
先ほどまで思っていた人間性の甘い者が東島班には多いという持論が揺れかけている。封印したボクサーの記憶ではあるがここまでよく言われると流石に揺らぐ。そうではあるがボクサーである理由は一生帰ってこないだろう。そんなことだけを胸に秘めて玲司はベンチに座り込んだ。
「んで? 聞きたいことがあるがお前は東島班だろう? お前のどこかには魔石が埋まっていると話を聞いた。支部で東島が必死に弁論していたが俺は信用していない。単刀直入に言う。俺は化け物になってしまうような人間のことは信用できない。いいな? たとえお前が俺のファンだったとしてもだ」
「……それを言われるのはキツイなぁ」
流石の隼人も苦い顔をするしかなかった。それについての話は昨日パイセンが拗らせていたので隼人も何も言えないのだ。悠人が通信の時に課題だと言っていたのはこのことだったのかと隼人はすぐに理解したのだ。
「たしかに俺の体の中には魔石がありますよ? いつもここでどうやったら魔石がある中でうまく動けるか考えてて。俺はみんなの盾だから傷つけたくないし……」
「傷つけないという保証は生まれないだろう」
「その通りですね。でもできる限りのことはしたいんですよ。俺は……遠く離れた地域に母ちゃんと父ちゃんが住んでます。二人とも錆びた蝶つがいみたいに体が動かないんです。鉄工場で事故したり、そのあと無理に働いて体を壊したりで……。長男ってことで俺が今度は役に立とうと遥々ここまでやってきてみんなのために戦ってきました。しつこいかもですけど俺はそんな時に堀田さんのプレイを思い出して頑張ってたんです。自分よりも強い外国人にさえ勝てたのは何故か? ゴングがなるまで諦めないその姿に俺は感動してたからですよ。体がこんなのになってもできる限り俺は人を助けたいんです」
嘘は見えなかった。玲司は自分のファンだと名乗るこの若造の目をさっきから見ていたが純粋そのもの。宝石のように輝きを失わないその眼に圧倒される。それは記録を追いかけていた玲司自身の幼少期とどこか似ていた。昔の思い出を再生した後に玲司はため息を吐いて隼人を見返す。
「こんなに純情なやつは初めてだ。今まで血に濡れてきたのによくそんな考えに行き着くな」
「俺、少年の心は決して失わないんっすよ」
笑いながら頭をかく隼人。玲司はふと自分がこの若造達に思っていたことを思い出してフンスとため息をついてからベンチから立ち上がった。そしてかけられたサンドバッグと隼人を見て指を指す。
「ここ、がむしゃらに殴るんじゃない。お前が右利きなら左腕を電話を取っているようなイメージで顔に寄せろ。そんで……」
シュッと玲司の右ジャブがサンドバッグに炸裂し、大きく退けぞったではないか。隼人のジャブとは音も威力もまるで違う。
「この間に残した左もバネのように伸ばして打つんだ。相手の間合いの確認やらで使える」
見よう見まねで隼人もジャブを決めてみた。さっきよりかは手応えを少し感じるような感じないような微妙な結果になったがファンから指導をもらえたことに本人は舞い上がるような気持ちになったのだ。サンドバッグと玲司を交互に見て顔を赤らめて叫ぶ隼人を見ながら玲司はふと聞いてみる。
「にしてもこんな物好きがいたとはな……」
「いやぁ、とんでもない。本当によかったです。憧れに会えるなんてそんなこと滅多にないっすからね? 父ちゃんに自慢しよ」
「やめてくれ。……いいな、お前は。父さんがいてさ。俺は母さんだけだったからそういうのは知らない」
「あぁ……でも堀田さんを産んでくれたんだったらとってもいいお母様なんでしょうね。俺はそう思います」
この男、どこまで純情なんだろうか。玲司も25を雄に越しているが照れで顔を隠したくなるくらいに褒め言葉を投げてくるではないか。新人殺し、たしかに甘い人間が多い。が、その甘さとはいったい何なのか考えさせられる羽目になる。本来ならここで現実を教えようとしたのだが目の前の若造の目からはそんなこと必要ないくらいに輝きを出していたのだ。
「……お前、宮村隼人か?」
「はい、宮村隼人」
「……また何か分からないことがあればいつでも連絡してくれ」
玲司はそれだけを言い残して手を振り、トレーニングルームを去っていった。一瞬ポカンとした隼人であったが事の真意を知ってその場で叫びながら倒れてしまう。自覚してないだけあってとんでもない治癒力を持っている隼人なのであった。
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