コツコツという足音、岩壁に少しだけ擦れて金切声をあげる剣の音、それに合わせて足元には微かに流れる水の音だけが響く中を歩く一人の女性がいた。背中の銃剣を抜いた八剣玲華は全神経を集中させた警戒体制で移動しており、呼吸を整えながら歩き進める。
会議の時点で久しぶりに再会した新人殺しとタクティクス。レイシェルが決めた班わけに玲華と戦ったマルスという新人は馴れ馴れしい言葉遣いで自分に対して心配をしていたが玲華は満更でもない様子で言葉を返したのを思い出した。決勝戦を終えた後も思ったがあの新人は経験と力の差が離れすぎていてどこかおかしい。だが何度も亜人との対戦や改造魔獣の中でも最強格の蛇足型を倒した異例の新人だ。玲華は少し面白がって話を聞いていたのを思い出した。
目的地は光の届かない洞窟であり、目に広がりつつある闇は玲華の不安を大きくしようと潜り込んでくるが銃剣の振動による発光で明かりを作りながら足元に気をつけて歩いていた。水が流れているところは非常に滑りやすい。玲華はふと移動中の会話を思い出す。
「状況は?」
「それが……先ほどから現地班との連絡が途絶えておりまして不明です。対象は旧坑道の最新部から動いてはいないようですが……」
「現地の情報は!?」
「えっ? ですから不明だと……って何してるんです?」
玲華は走行中の車のドアを開けて剣を起動させた後に、キッとした顔で運転手を見た。こんな非常事態に迷惑などなんぞ考えられない。足場に気をつけてから玲華は声を上げる。
「ちょっと私、先に行きます!!」
「え、え? いや……あの……! ……!? キャッ!」
玲華は走行中の車から大きく蹴って地面を駆けていった。土埃が舞う中で走り抜けていった玲華を見送る運転手。まだ魔装を半分も起動していないのに走行中の車を雄に超える速度で走っていった玲華を見て格の違いを思い知らされたのだった。
そんなことを思い出しながら歩いていた玲華は今更になって運転手のことを心配していたようだ。薄暗い洞窟の中で口を一瞬だけとんがらせながら独り言をぼやく。
「少し悪いことをしたかもしれませんね。危険に瀕しているとなると……先行してしまうのが悪い癖だと未珠さんからもよく言われるのに、反省反省」
誰も回収するものがいないから故の独り言。心の中でぼやく玲華の心境といえば一種の責任と不安だった。不安の種はもう目の前にいるのかもしれないと気を引き締める。
「しかし、本当にこれ道合ってるんでしょうか? さっきから景色も変わりませんしまっすぐ行けば着くとは言われましたが、そもそもまっすぐってどっちなんでしょう」
暗い洞窟には上と下はあれど左右前後は存在しない。滴る水が生んだ苔の匂いの中で玲華は言われたことだけを信じて歩き進めた。不意に、何かの波をキャッチした剣が細かく震える。道が合っていたことを確信して玲華は腹を括る。
「……どうやら合っていたようですね」
足を早めて小走りで進む。水が滴っているからか少し滑りやすいし、音も不気味に広がる。匂いも苔が増しているのか生臭くなっていくようだ。敵の匂いかは分からないが緊張感だけが高まっていく。その時だ。奥に光が見えた。玲華は足を止めてゆっくりと近づいてから一気に飛び出して銃剣を構えた。
その先にいたのはターゲットの魔獣ではなく、男女二人だったのだ。玲華が飛び出しても気が付かないほどの激しい言い争いをしている。女は抑える男に肘をぶつけ、必死に振り解き、飛び出そうとしていた。男はなおも捕まえる。
「離して!! あの子のことを見殺しにはできない!」
「落ち着いてくれ! お前がいってもどうしようもないんだ。それより早く連絡を……」
玲華は只事ではないと察して銃剣をしまい、彼らに声をかけた。ようやく玲華の存在に気がついた二人は一瞬だけ安心したような表情を取る。その表情に合わせて玲華は落ち着かせるように距離を詰めていった。
「現地班の方々ですね? ひとまず状況を……」
「八剣班長! どうか、どうかあの子を助けて……!!」
泣きながらまた男を振り払って玲華のドレスアーマーに縋る勢いで掴みかかった女は涙を流しながら声を搾り上げる。玲華はなんともいえない顔で頭を撫でた後にゆっくりと顔を上げさせた。戦闘員にしては純粋すぎる。そうは思ったものの、今は状況報告が大事だと判断して声をあげる。
「もちろん、助け出します。状況を教えてくれますか?」
女を預かりながら状況を教えてくれたのはさっき肘で打たれていた男だった。
「はい。つい先程、発見以来ずっと繭の中に閉じこもっていた対象が突然、飛び出して……彼女へと襲いかかったのです。それを近くにいた他の班員が庇い、結果として彼女は助かりました。しかし、庇った班員の安否は不明。ひとまず撤退したものの、彼女が助けに行くと言い出しまして……。あとはご覧の通りです」
この班は戦闘員としての序列は下位。玲華はそれしか知らなかった。名もなき戦闘員の訴えを聞いていくうちにどことなく、自分たちとは違う仲間意識を感じる玲華。複雑な気持ちは拭えなかったが玲華は何も言わなかった。
「あの子、まだ二年目でうちではまだ新人なんです。後輩が出来たら先輩みたいに指導しますねって。不器用なのに素直でいい子で……。だから、だからどうか……助けてください」
男の説明の後に女は泣きながら玲華の足元に崩れ落ちた。玲華からすれば範疇の対象も、彼らからすれば脅威そのもの。ただ戦闘員というのはそのような界隈なのだ。力がなければやられる。そうであるが玲華だって人間だ。最初は弱い。まだ未珠に教えられてまもない頃を思い出した。初々しい自分と彼女の涙はどこか重なるものがあったのだ。
玲華はしゃがみ込んで女を無言で抱き寄せた。ゆっくりと頭を撫でながら耳元で声をかける。
「あなたの大切な後輩は私が守ります。あとは任せて……逃げなさい」
「お願いします」
丁寧に頭を下げた女にフッと笑みを浮かべて玲華は全力疾走を開始した。初めの頃は玲華も見たこともない世界でやっていける自信がなく、泣き出すこともあった。それでも未珠は裏切らなかった。自分の頭を抱いて喝を入れたり、日々の支えになる言葉をかけてくれていたものだ。だからこそ守りたいものがある。玲華の守りたいもの。それだけを守る。そのためには狩も必要なのだ。
今までツルツル滑る湿った地面だった足場が急にヌチャリという音と共に重くなり始めた。足元を剣身の振動で照らしてみると糸の束を踏んでいたことを知る。
「糸? そういえば。蜘蛛型でしたね。今回の相手は」
玲華はそう言いながら魔装を起動させた。剣身に赤い光が纏われる。足元の糸を難なく切った玲華は剣身を寄せてジッと観察した。
「よかった。問題なく切れましたね。この手のは切れにくかったり、刀身にまで引っ付いたりするのですが……」
自分の想像以上に敵は弱いのだろうか? 玲華はそう考えながら地面だけでなく、目の前に張り巡らされる糸の壁を切りながら進んで行った。溶けたバターを切るよりも楽に切れる糸に不信感を得ながら進む。
その先に行くと開けた所に出ることができた。明かりは一切ないが振動による発光で十分補える。辺りを見渡すと視線の先に割れた繭と糸で吊るされた楕円形の球体があった。困る玲華。
『どう考えても罠ですよね? これ、どうしましょうか。とりあえず声をかけてみますか……? いやいや、もし返事が返ってこなかったらどうします? あんなにカッコつけた手前、手遅れでしたとか言えませんよ。そんなこと言ったら八剣班……いや、全戦闘員の恥晒し。同じ支部の仲間も守れないなんて……。とりあえず、生きていると仮定しましょう。そうしましょう。どうやって助けるかですが、うーん。……ダメですね。一般教養と戦術においては自信があったのですがこういう頭の柔らかさを問われる問題は苦手です。そういえば、未珠さんがたまに持ってくるIQ診断テスト。あれ一問も正解した試しがありませんね。やっぱりこういうのは未珠さんや駿来さんの得意分野です。仕方ありません。出たこと勝負でやってみますか』
この間、わずか2.5秒。無駄のない無駄な問答をとてつもない早さで終えた玲華はすぐに切り替えて剣を向けた。
「中の人、聞こえますかー? 聞こえていてもいなくても返事しないでくださーい。今助けまーす」
走り出しながら剣を起動させた玲華は1発目で弾丸を発射、球体を吊す糸を切る。2発目で踏み込んで加速、球体の真下まで走る。落ちてくる球体を銃剣の剣先で割り出てきたものを受け止めた。すぐに中身を確認する。糸で腕を胸の前に、脚を体育座りで拘束され、口も糸で塞がれた一人の女性がいた。
「とりあえず、生きていて何よりです。これ取りますね」
器用に剣で口輪のような糸を切った玲華。口輪から解放された女はすぐに声を上げた。
「罠です!! 逃げてください!!」
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