研究所を出たマルス達は二手に分かれることになった。サッサと戦闘員事務局に帰る組と街で買い物をしてから帰る組だ。マルスは勿論街に残る組に入った。すぐに帰りたかった東島、蓮、隼人、サーシャ、優吾は帰って行く。その場に残ったのはマルスとパイセンと慎也と香織だ。
「とりあえずマルスさんの日用品を買いにいきましょう。香織ちゃん、この辺に雑貨屋さんあったっけ?」
「んと……、こっち」
東島達を見送った慎也がマルス達に振り返って香織に話しかける。慎也が唯一敬語を使わない仲間である香織は信号機を確認して歩き始めた。マルス達もその後ろをついていく。
戦闘服のまま街を練り歩くことになっているがまぁいいだろう。香織の先導で雑貨屋さんに向かうマルス。マルスは一応マントを腕にかけて歩くことにした。パイセンは袖を通さずに平然とした態度でバットを変形させて作ったプレートメイルのような腕につける端末を見ている。
「それ……、魔装のバットか?」
「そうだ。このバットは道具さえ取り込めば形もその道具を真似るからな。普段はこうやって俺の腕になってる」
「何を見ている?」
「何か買うものあるかなぁと思ってメモを覗いてただけ。街に行くなんて一ヶ月に一回だから。買い溜めは大事。事務局でも通販で取り寄せれるが手数料が高いんだよ」
少しうんざりした表情で端末を操作するパイセン。こんなに魔装を日常的に使う人物はパイセンぐらいだろうな……。マルスは変に感心してしまった。今は歩道を通っているがその隣は自動車が音を立てて移動していた。これが人間の交通機関……。マルスは知らないうちに発展していた人類を見て「神も発展してくれ……」とうんざりした。
「ここよ」
香織が指したさきには無駄なデザインを省いた無地が主流の雑貨屋があった。早速店の中に入る。マルスはまた自動ドアに遭遇して気をつけようとゴクッと唾を飲んでいると慎也が入ろうとした時にドアは動かなかった。
「慎也、このドア手動なのか?」
「…………」
「影うす……」
香織が前になると問題なくドアは開く。慎也はかすれた笑みを浮かべながら店の中に入っていった。パイセンも少し気まずい表情。人間と判定されなかった慎也を不憫に思う空気でいっぱいになったが香織が何とか軌道修正する。
「マルス、日用品を買いたいんでしょ?」
「あ、あぁ……」
「手伝ってあげる。そこのカゴ持って」
マルスが茶色のカゴを持つと香織は案内を開始した。慎也はパイセンと行動するのでマルスと香織の二人きりになる。自分より背が低い女性に案内されるのは変な気分だな……。マルスは目の前の黒髪の少女を見てそう思った。
「マルスってお肌弱い?」
「肌……? わかんねぇ」
「一応、弱酸性入れとくね。こういう洗顔用品は自分の肌に合ったのが一番だから」
カゴにシャンプーとリンス、洗面具、歯磨き粉、歯ブラシをポンポンと入れていく。マルスは次第に重くなるカゴを必死に持っていた。自分にはマントもあるというのに……。マルスは必死で追いかける。洗面具を入れ終わると何枚かのタオル、下着をカゴに入れて行った。男性の下着コーナーで堂々と女子がカゴに下着を入れていく光景は少しシュールである。
「香織……、それは俺がやるよ」
「いいよ。私……弟の下着とかよく買ってたから」
「そういう問題か? それにしてもよくこんなに品の良さそうなものばかりを選べるな……。種類はたくさんあったのに……」
「お母さんが美容師だから。そういうのは知ってるの」
「びようし?」
「髪を切ってオシャレにさせる仕事。私も美容学校行ってたからたまに班員の髪を切るの。マルスもいつか切ってあげるね」
「あ、あぁ……」
返事をするので精一杯だったがマルスはある思考にたどり着く。身長が慎也と同じくらいのちびっこだったので同い年かと思っていたが専門学校生となると……。
「お前、年上?」
「……? 今更?」
「えぇ!? 本当に年上なのか!?」
「静かに」
自分は17歳という設定だ。その設定上の自分に年が負けていた。予想外の年齢で人間は見た目で決めるものではないということを知った。どうりで口調も班員の中で一番大人びているものだ。副班長のサーシャと比べればその差は歴然。
「お前、しっかりした性格だから副班長とか向いてそうだけどな」
「ダメダメ、私は実力で言えば中の上辺りだから。上位魔獣の適合でも使いどころがなかったら私はただの人だもん」
「ただの?」
「もう一人の私が……教えてくれるわ」
それだけ言って何着かの服をカゴに入れて「会計に向かいましょ」と言って肩を叩く。マルスは頷いてレジへ向かった。どうやら戦闘員はデバイスをレジの人に渡してコードを読んでもらえれば事務局外でも後払いが適応されるらしく、マルスはそれで会計を済ませる。店員から「袋はいりますか?」と聞かれ少し困っていると香織が「いりません」と答えてどこからか布製の大きな袋を取り出した。
会計が済んで袋詰めスペースで香織はもう一つ、袋を出して半分の荷物を入れて渡してくれた。香織曰く、慎也とパイセンから連絡が来てもう用は済ませたから事務局に帰ったそうだ。時計を見ると長い間ここにいたことがわかる。マルスは香織と二人で袋を持って店を出た。
「急ぐ用はないからゆっくり帰りましょ。普通に歩いていたらいずれ着くから」
香織はマイペースな人間で歩く速度もゆっくりだった。このままいけば日が暮れてしまう……、そう思ったマルスは何か話す題材はないかと考えた挙句、香織に話しかける。
「なぁ、香織。さっきお前美容の学校行ってたって言ったよな?」
「言ったよ」
「どうして戦闘員になったんだ?」
香織は少しの間、空を眺める。口をモゴモゴと動かしている様子を見て一瞬聞いてはいけなかったか? と怖くなったが香織は少しだけフッと笑ってマルスを見た。
「心配しなくていいよ全員何かしらの事情があるから戦闘員になってるの。私は……」
そこから香織は話してくれた。
香織の家庭はごく普通の四人家族だ。母、父、5年歳が離れた弟、そして香織。幸せな日々を過ごしていたのだが不慮の事故で父親が帰らぬ人となったそう。済んでいた家を売ってローンを返した後、アパート暮らしになったそうだ。それが香織が高校に入学した辺りの頃だったらしい。
弟は当時小学校五年生だったので香織は必死にバイトをして家族のために頑張ったらしい。そのおかげで弟には宿泊学習に行かせることができたし、母と一緒に助け合いながら高校生活を送っていた。友人関係にも恵まれてそれは楽しい高校生活だったそうだ。そしてまた悲劇が起きる。
香織が高校を卒業し、母に憧れて美容学校に進学した。弟のためにバイトにも明け暮れる日々だったのだがある日、弟から自分あてに電話が来る。「母さんが知らない人と遊びに行った」、香織は学校の時間だったが早退をして家に帰った。すると弟の顔には殴られたかのようなアザがあったのだ。
その時に母親が見知らぬ男と共に家に帰ってくる。そして一言、「この人が新しいお父さんよ」。どこを見て好きになった? と思うほどのチャラい印象の男に肩を抱かれている母親に弟の傷のことを尋ねると「反対してうるさかったから殴り飛ばした」と男が自慢げに言ったのを見て香織は異変を感じざるを得なかった。
その日から家にいる弟は両親のサンドバックになることが多くなったそう。そのたびに香織は家に早退して弟を酒に酔いつぶれた両親から庇っていたそうだ。早退を繰り返して単位が取れなくなったこと。両親が働かずに遊んでばかりなので学費が払えなくなり学校を辞めた。
帰り道にトボトボと家に戻る香織の精神はもう限界を超えそうになっていた。父親がいなくたって彼女は家族のために必死に頑張った。憧れの母に近づくために必死に頑張ったのに……。大好きな弟をサンドバックにして高笑いをする両親が憎くなる。怒りに染まった精神は香織を狂人へと染めていく。
「キュルルルルル……!」
その時の香織は歯軋りの音が耳に聞こえるほど精神も化け物のようになっていた。家につき、扉を開ける。
狂気に染まった香織は無言でそばにあった花瓶で母を撲殺した。飛び散る返り血を浴びながら薄ら笑って弟に手を出していた男を殴り殺す。その時の自分は今思い出しても信じられないくらいの力を出していた。
弟が通報した警察官の声で我に帰った。弟を見ると壁の隅っこで蹲って泣いている。返り血を浴びてせせら笑っていた香織を見て怖がっていた。弟を救うため……と思いながら辺りを確認する。血だらけで割れている花瓶、壁一斉にかかった血潮……。
そして自分の眼下にあるボロ雑巾のようになった二つの死体を見て彼女は発狂した。警察に連行されて取り調べを受けた時、偶然にも取調官が戦闘員とつながりがある人物だったそう。香織の事情を知った取調官はある提案をした。
戦闘員として働くなら刑は免除する、弟の権利も守る、という提案。香織は迷うことなく戦闘員の道を選ぶ。罪を償う気持ちはあまりなかった。ただ弟を守りたかった。身勝手な怒りで人生を狂わせた弟への声に出せない謝罪である。
「……で、今に至るわけ。犯罪者から戦闘員になった例は稀らしいよ? 私はそういう経緯なの」
マルスは森の中を歩きながら「そうか」とだけ返事した。
「何か……悪かったな」
「いいよ、気にしないで。久しぶりに話したら何だかスッキリした」
フフッと相変わらずの笑顔でマルスをみる。その時に風が吹いて香織のボブショートは大きく揺れた。マルスは自分の荷物をギュッと握りしめながら質問する。
「弟さんは今、何を?」
「今は中学生よ。元気にしてるみたい。たまに手紙が来るの。『姉ちゃん、俺は大丈夫だから。姉ちゃんも怪我しないでね』って。今は私の叔母さんの家に引き取られてる」
「そう……、大変だったんだな」
「まぁね、そんな弟に私がしてやれることは入試の送金と『風邪ひかないでね』って手紙に書くことぐらい」
微笑みながら話す香織、戦闘員の門が見えてきた。これからは無闇に人の内情を聞くのはやめよう。マルスは袋をつかむ手をギュッと……握りしめた。足取りは幾分か重い。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!