戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

落ちぶれた始祖

公開日時: 2022年10月31日(月) 22:24
文字数:3,893

 もう沈みかけている夕日を追いかけるようにしてマルスは走る。暗がりが後ろから追いかけて来る中、マルスは今まで溜め込んでいた感情が一気に溢れているのを感じた。いつかはこうなると思っていたのだ。人間の世界に身を置けなくなってしまうということはすでに分かっていた。それでもマルスが人間の世界に居続けたのはエリーニュスのように冷酷になれなかったからであろうか。どれだけ抗っても自分は人間に堕ちてしまったのだろうか。

 エリーニュスは人間を捨てた。人間の下で動き、そして人間を捨てたのだ。何故彼女が一度人間の社会に潜んで戦闘員の姿を取っていたのかマルスは理解ができなかった。彼女の神々への復讐心は太古から続くものだったであろう。マルスは彼女のように感情や考えをひっくり返すことができないのであろう。


 一度、立ち止まって大きく息を吸った。自分は何故走っているのか、知りたかった。背中にある剣の柄をぎゅっと握ると聞き馴染みのある声が聞こえる。マルスは耳を澄ませた。


『ようやく気がついたようだな』


「戦ノ神……、知ってどうになる」


『ずっと剣としてお前を観察し、我も人間を理解しようとした。エリーニュスと同じように』


 夕日に照らされるマルスの影が動いたと思えば戦ノ神のシルエットとなって自分を見つめている。影はマルスと同じような動きを取りながら声を送り続けた。沈む夕日に追いつくようにマルスは走りながら戦ノ神の声にも耳を傾ける。


『分かろうとしたが我も不可能であった。人間は複雑怪奇、魑魅魍魎、分からないものだ』


「それでいい。人間は分からないものなんだ。戦ノ神、今は黙って見てるがいい」


 息を切らして辿り着いたのは昼間の任務で訪れた廃棄都市の入り口、巨大な壁の麓である。見上げれば越えていける気がするがそれは不可能。魔獣の脱走を防ぐために防護バリアが張っていることをマルスは知っている。目を凝らしてみれば薄い緑の光が飛び交っているのが見えるのだ。あれに触れれば細切れになってしまう。


 マルスは体内の魔石を無理やり押し出すようにイメージしながら胸から右腕へと力を込めた。魔石が反応して赤黒い灰を放出しながら移動していくのを感じる。魔石を無理やりに動かしているので肉をかき分け動かすたびに痛みが激しい。が、身体中の汗を拭いながらも動かした魔石は右腕に移った。

 体内の魔石を急激に活性化させて戦ノ神の力を引き出した後、必ず意識が飛んでしまう。体全体に無理をさせるなら体の一部だけを無理をさせればいい。痛みに鈍感なマルスだからこその変身である。マルスの体から滲み出る灰は密集していき、赤黒い鎧と化した。


 その鎧の手を入り口近くにかざし、意識を集中させた。右手から発生した灰は壁の隙間から侵入していき、魔石で構成された壁の入り口を無理やりにこじ開けた。壁の中に一人で入ったマルスは目の前で待っていたある人物を見てグッと睨む。


「来てくれると思ったわ、マルス」


「お前の仲間になりに来たわけじゃないさ」


「なら、私と戦いに来たのかしら? フフフ、人間に見捨てられ、私の下になることは耐え切らないから死にに来たと言うわけね。なんと情けない。勇ましい戦ノ神はどこにいったのかしら?」


「情けないのはお前も同じだ。俺たちはたしかに神々との戦いに負けた神龍テゥポンの成れの果てだ。エデン達から見捨てられた存在だ。だからといって神々と同じようなことをして理想郷を作る? お前も堕ちたな、エリーニュス」


 エリーニュスは喉から発する笑いを隠さずにマルスに見せた後、空中に発生した光のカーテンの狭間から白い槍を飛ばした。剣で難なく弾いたマルスは明らかにエリーニュスが動揺していることを悟って不敵に笑う。


「傲慢なエリーニュス、お前の光もまた……命を消すことしかできないようだ」


 エリーニュスは合図を出すかのように指を鳴らす。いつのまにか沈んだ夕日の影から隠れていた魔獣や亜人が一斉に出現した。エリーニュスもマルスが仲間になるとは思っていなかったようだ。


「孤独なあなたと違って私には部下がいるわ。さぁ、どうする?」


「……徹底抗戦さ」


 右手の鎧から発生させた灰を全身に纏わせたマルスは簡易的な鎧を作って剣を構えた。最初にせめて来たのは人狼の亜人、クレアだった。研究所で戦った亜人との再会であるが相手の顔から感情は見えない。両手に構えたナイフを牙のように扱いながらの連撃、鞭のように腕を振るう先にあるナイフ。マルスは剣の重さを軽くして受け止めることだけに専念する。相手は本気で殺しにかかっているのだ。

 肩から斬るように腕を振るったマルスであったがその死角を縫って光の刃を飛ばすのはルルグだった。心なしかルルグの攻撃はあくまで様子見のようなものであり、復讐対象というよりかは面白い見せもののような目でマルスを見ている。クレアのナイフを弾いたその時に蛇腹状に剣を伸ばした瞬間とルルグの攻撃の瞬間がうまい具合に重なってなんとか受け止めることができた。


「え、バレちゃった」


「遊びじゃないぞ、ルルグ。最初から全開でいけ」


 相手は戦いに慣れている。それもずっと人間への復讐を夢見て力を溜めてきた者たちなのだ。それを阻止しようとするマルスをも復讐対象のように見て全力で排除に向かっているのであろう。


「旦那、隙が多いですぜ?」


 その思考の隙がいけなかった。ハッとしたその時、マルスの足は地面から這い出てきた蜥蜴人、ケラムの手によって掴まれている。足を掴まれてそのまま投げ飛ばされたマルスは内臓まで届く衝撃に耐えきれずに血を吐いた。反動で起き上がったマルスに絡みつくのは血のような赤黒い触手である。

 振り返るとそこには手首から流した血を触手のような形に変えてマルスを縛る狐人、ビャクヤの姿。血を啜って力を増やす戦い方しか知らなかったマルスは血を流していても戦えることを知って驚いた。


「ビャクヤ……!」


「久しいな、人間……いや、神よ」


 触手は朽ちた建造物の壁へと絡みついていき、マルスは完全に貼り付け状態となる。この姿はマルスは知っている。それも思い出したくもない姿だ。


「やはり貴方はこの姿がお似合いね」


「エリーニュス……!」


「私が貴方を神々に差し出したのは彼らへの恨みを作るためだった……。それが生への執着を上げるだけで私の言う通りにはならなかったのは残念ね」


「それはそこにいる亜人もそうじゃないのか!? お前が彼らの平穏で幸せな生活を奪ったも同じ! いらぬ不幸と悲しみを背負わせて戦いだけの未来にしたのはお前だ!!」


「いいえ、マルス。それは神々が神龍を倒した時から既に決まっていたの。それに……神々の戦争によって生まれた亜人への一種の責任で私はこの戦争を起こしているの。ずっと虐げられてちゃかわいそうでしょう?」


「生まれた……?」


「何も知らない貴方に教えてあげる。亜人はね……人間よ、それも古代の。神龍によって統治されていた時代に生きる人間が神龍の魔石の余波を浴びて慣れ果てた姿、それが亜人なのよ」


「……なら隼人達が魔石に覚醒したのは」


「原理は同じ。私が亜人にいらぬ不幸を背負わせているのなら……あなたのせいで新人殺しの人間は亜人への一歩を進んだことになる。あなたのせいで人間としての生活を捨てることになったというわけよ!」


 興奮するエリーニュスの笑い声を聞きながら細かく震える心臓と体によって呼吸を一瞬止めるマルス。研究所で泣いていた隼人の姿、魔獣のような体になったことで他の班長達に頭を下げて協力を頼んだ悠人に、一瞬だけ怯えたような顔になった香織の姿を思い出す。

 大和田が亜人の骨格や身体構造が古代より出来上がっていたと研究結果を話していたことに対し、今になって理解できることが多々あった。今いる魔獣や亜人の大元は神龍である。そして今いる人間は慣れ果てた亜人の変わりに神々が作った手駒に過ぎないということ。そんな手駒が太古に発生した亜人のような順路で奇怪な姿になっているのだとしたら、悲しい未来をマルスは作ってしまったということなのだ。彼らに接触することがなければ発生するはずもなかった未来である。


「マルス、平和やその未来を思っているのはあなただけよ。あなたが思う以上に人間の命は短い。そんなこと考える前に何かで死んでるわ。……最後に聞きましょう。そんな無駄な人間に投資するのならこの亜人や魔獣達と一緒に新しい未来を作る?」


「そんなことは死んでもやらん。神々風上にのしあがってたまるか!」


 腹に鋭い痛みが走った。不意にエリーニュスが抜いた剣がマルスの腹に刺さっている。エリーニュスの表情に色はなかった。


「ルルグ、彼を地下牢に閉じ込めて。好きにしても構わないわ」


「了解です」


 ルルグはマルスの顔に一発拳を叩き込んでから口笛を吹いた。


「俺らが憧れていた始祖様はこの程度だったのね。なぁんか拍子抜けだなぁ。ねぇ、始祖さん?」


「……知るか」


 腹を抱えて笑うルルグはマルスを担いで暗闇の中に消えた。エリーニュスは本物のバカを見たかのような眉を顰めた表情で消えるマルスを見てからため息をついた。


「ヴァーリ」


「ハッ」


 エリーニュスの目の前の空間がガラスのように割れたかと思えば中から龍人、ヴァーリが姿を表す。立派な衣と鎧を装着したヴァーリはエリーニュスの目の前に跪いた。


「計画通り。基地の整備をしておきなさい。おそらく、奴の仲間はここに来る。ビャクヤ、ケラム、いいわね? 貴方達の夜刀怪ヤトノケ、デゥランダルはそろそろ覚醒の時期だから」


「へぇ……」


「ハハッ」


 同じく跪くケラムとビャクヤ。幾千年を超えるエリーニュスの計画が動き出す。宣戦布告ももう近い。

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