目標地点へと向かうルートはチームメドゥーサとほぼ一緒であったマルス達。彼らはビジネス街、自分たちはメインストリートの担当なので並走してターゲットから見つからないように移動した後はそれぞれ別れることになっていた。マルスは車の中から見える流れるような景色を目で追っているだけだがどことなく心細い。序列一位の班に期待をしている自分がいるらしい。
チーム「アジ・ダハーカ」のメンバーはマルス、香織、そして福井班のルイス・ラッセルだ。マルスの隣に香織が、その正面のルイスは座っている。特に景色を目で追うような真似はせず、鞘に仕舞われたレイピアを杖のようにして体重を預けているだけなのだ。この男とマルスはほぼ初対面。演習では隼人が相手をした戦闘員だった気がする。適合は虫型魔獣の必殺蜂、レイピアに刺した物質を分子構造まで分解するとんでもない能力を持った戦闘員だ。
何か話しかけようかとも考えたがマルスが口を開く前にルイスは心の中の誰かと会話をしているようで少々不気味。絶えず口を動かす様は異様だった。
「見ててください、稲田班長……。私はもう同じ過ちは繰り返しません……もう無駄な犠牲は出しません。……負けません。どうか、どうか見守っていてください……」
祈りを捧げているようだ。稲田、マルスはあの悲劇の時に胸を撃たれた稲田を思い出した。あの時の怒りがマルスの剣に新たな力を授け、その力が濃くなっていき魔石は動き出した。仮にマルスの魔石が特殊だとしても魔石というものはただのパワーアップアイテムとは考えない方がいいのだろう。
険しい顔をしているからか、隣の香織は尚更心配していそうな表情だ。香織から見てもマルスはまだ病み上がりの状態。うまく戦えるかは分からないし、またあの時のような出来事が起きるかもしれないと考えるとなんとも言えないような気持ちになる。できることが増えるのはいいことなのだが魔装に関してだと今までの度重なる現象を思い出して複雑な気持ちになってしまうのだ。ルイスの祈りをBGMに考えるものではない。空気は一層重くなる。流石に気がついたルイスは顔を上げて正面に座る若人二人にさわやかな笑顔を作った。北欧出身のルイスらしい、とんがったような笑みである。
「君達、暗いな。緊張はしなくてもいい。私は先輩だが今回は共に戦う仲間だ。あまり緊張しすぎると作戦に支障をきたしてしまうぞ」
それはマルスも十分承知だ。ただ相手が勘違いしているのは別に先輩だから緊張しているということではなく、小声かつ早口で独り言を羅列する男を正面にして話しかけるようなことはできやしない。だがこのルイスという男、今まであってきた戦闘員の中ではまだ社交辞令もマシな方に見えた。
「は、はい。ありがとうございます」
必要最低限の社交辞令。香織は少しだけオドオドしながらペコリとお辞儀をした。マルスも別に気にしていないと目伏せをする。ルイスは二人の返事を見て満足したかのように頷いた。変な話だが戦闘員という界隈に染まっていたマルスはマトモに見える人物を変な奴と認識するような脳になっていたらしく少し顔に出ていたそうだ。香織が肘でごついて険しい顔を解除させる。ある意味で箱入りになっているマルス。慣れというものは非常に恐ろしい。このまま黙っておくのも良かったがそれは目の前の人間が許さなかった。指をパチンと鳴らしてBGMを変え、マルスに話しかける。
「アイスブレイクでもしようか、マルス君。実を言うと君に一つ、聞きたかったことがあってね」
「なんだ? 俺が答えれることなら」
「聞いたところ。君は出身が北欧らしいじゃないか。私も同じ地域出身で興味があった。この機会をお借りしてどこの地方出身か教えてほしい」
声を上げそうになったのは己の過ちを悟ったからか。言われるまですっかり忘れていた小さな嘘。初めてこの戦闘員の世界に飛び込んだ時、マルスはどこ出身かと言う面倒な情報を顔の形や風貌から適当に北欧と書いていたのだ。それを知ってこのルイスという男は同郷の者がいると喜んだに違いない。てっきり隼人の話でもされるのかと予想していたマルスは己が巻いた種が芽吹いたのを見てしまい、頭を抱えるハメになってしまったのだ。神であることや風貌の違いを自然にするための嘘がここで仇になるとは。マルスはチラッと横を見て香織に助けを求めたが香織本人も「そう言えば」と手を叩いてどこか期待した目で自分を見てくる。完全に囲まれた。
この状況をどうすると考えているとマルスは遠い昔の記憶を思い出す。まだ神だった頃にマルスはある国で戦争を起こした。その戦争の国には名君と呼ばれた王が存在しており、マルスはその王を楽しみながら俯瞰していたのだ。この下界の国なら自分はしっかりと知って入りではないかとマルスは安心しきってルイスに向き直った。
「バルト帝国だ」
何のおふざけもなしに放たれたマルスの言葉に頭を傾げる香織。何も言わないルイス。無の時間が数秒訪れたことでマルスの体も凍りつく。アイスブレイクする前にどうやら分厚い氷が更に覆い被さったようだ。また何かやってしまったのだろうかと心配になっているとルイスは声をあげて笑った。戸惑うマルス。
「ハッハッハ! なるほど、スウェーデンだね。私はフィンランドの生まれだから同郷の身ではなかったようだ。しかし君もこの国になれるのが早い。でもまだ違いで戸惑うことも多いと思うから遠慮せずに私に聞くといいよ」
「え、あ……」
「マルスってボケたりするんだね」
「あ、あぁ……ハハッ」
成功だろうか? チラチラと周りを確認するとある程度の氷は砕けたようで喋りやすくなったのか、マルスを差し置いて香織とルイスが何やら楽しそうに雑談をしていた。バルト帝国……今ではスウェーデン。どうやら空白の記憶はかなり重要な歴史を間に挟んでいるようだ。魔石の自分も知っていたかどうかも分からない。
とりあえず、うまくいったと思い込んでため息をついたマルスであるが突如、車が大きく揺れ出して危うく椅子から転げ落ちそうになってしまう。すぐに武器を手に取って運転手に吠えるマルス。
「おい、何があった!?」
「この辺りはもうターゲットの魔獣がナワバリにしているようで、もう近いと思います。対象は強酸性のブレスを吐くと報告がされており、その影響でナワバリ付近の地形はこのように変化しています……。残念ですが、これ以上は進むことができません」
「充分だ、ありがとう。回収地点で待っていてくれるか? マルス君、一瀬君、行こう」
ルイスが先に車から降り、その次にマルス香織と続いていった。着地したのはいいものの想像以上に地面は穴ぼこだらけとなっており、目の前の景色を見て息をはっと飲んでしまう。研究所まで行く際に自分たちが見ていた街がアリの巣のように抉られ、デコボコとした地面や大穴の空いて今にも倒壊しそうなビルなど奇妙な景色が一面に広がっていたのだ。
「あ、銭湯まで……」
香織が指差す先にはマルス達が演習終わりに行って楽しんだ銭湯が跡形もなく破壊されていた。一瞬だけ息苦しくなる。過去は振り返りたくない主義のマルスであるが思い出はいくらでも振り返りたい。もう思い出の中だけの存在となった銭湯は遥か郷愁の先へと行ってしまった。
「これが街だったなんて……」
「ひどいな……」
「全くだ。住民の避難が間に合ったのが幸いだな」
鞘からレイピアを抜き出したルイスが先導して歩き出した。マルスはそれを追いながら声をかける。ルイスの実力判断のために彼に全てを委ねることにした。
「ルイス、どうする?」
「そうだね。とりあえず、対象の所在を探ろう。ただ、離れないでくれ。私が前に行くから二人は後ろを。左右の警戒は任せた」
マルスの意図を察していた香織は目伏せで「どう?」と聞いてくる。マルスは頷いて安心してもいいことを伝えて歩き始めた。そんな様子を見て察したルイスはまた笑う。
「ハハッ、演習では君達の現状経験では先輩だよ。それに……もう不覚は取らない」
進行方向に視線を向けてグッと握る姿を見たマルスは稲田のことで冷静さを欠けてはいないと安心した。この男、想像以上に戦士気質なようである。これなら彼に命を預けることができるのだ。
ルイスが言った隊列で左右に警戒しながらマルス達は歩き出した。破壊された街というのはどうにも奇妙なもので今にも倒壊しそうな建物の間を掻い潜るように抜けるのはある程度の度胸を使う。
それに合わせて会議で写真を閲覧したアジ・ダハーカ。神の時代にどこかで見たことがあるような既視感を感じたのだ。この既視感の存在はよくわからないがまたいつかハッとされる時が来るのかもしれない。そう考えた。
歩きにくさが徐々に上がる進路に気を引き締めるマルス達。不意にルイスが歩みを止めた。
「どうした?」
「しっ、静かに。そこの曲がり角の先をよく見て」
マルスと香織がそっと覗くと巨大な三又の首を掲げる4足歩行の龍がトグロを巻くようにして居眠りをしている最中だった。香織からすれば大きさも桁違いだし、こんな魔獣は今まで見たことがない。隣のマルスはまた違う意味での仰天だ。
「何故……何故この時代にコイツがいる……?」
一瞬、マルスの脳裏に燃え盛る下界のある島の映像が流れたところでルイスから肩を叩かれ現実に帰還した。人差し指を口元で押さえてるポーズから、少し声が大きかったのであろう。マルスは頭を下げた。
「あの場所はここの裏道を通ればバレずに近づけるはずだ。近づいて、眠っているところを一気に叩こう」
「了解」
空白の記憶はマルスの脳裏で踊り続ける。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!