東島班の集合部屋がある三階建ての一軒家。ここの三階部分には射撃場と呼ばれる訓練場があり、お昼時であるにも関わらずリロード音と銃声が鳴り響く。メガネに滴る汗を拭いながら優吾は周囲でレール上を動き回る人形を撃っていた。
実弾でもなく訓練用のゴム弾を詰めての発砲なので物を壊す心配もない。しかし、レール上を目まぐるしく動く人形を回避しながら優吾は引き金を引き続けて早40分。そろそろ知覚速度もままならずに息も荒くなってきた。能力を行使する代償として脳に負荷がかかる優吾の能力。本来は知覚速度を上昇させても感覚だけが一人歩きしてただのゆっくりとした景色になるはずなのだが、魔装の身体強化と組み合わせることで知覚速度についていき瞬間的な移動を可能とする。日々の訓練を積むことでその時間を引き伸ばそうとしてるのだがそろそろ口の中から鉄の味がするようになったので優吾は壁のスイッチを押してレールを止めた。
ガコン! と音がして電源が落ちる。真面目にここを使ったのはいつぶりだろうか……と思いながら優吾は汗を拭って壁にもたれた。この訓練は優吾の気まぐれだ。自分が意識しないところで勝手に体が動き、気がつけばこの射撃場に立っていた。まだ分かっていない戦闘員である理由を探そうとしているのか、理由は本当に分からない。
今、学生時代の友人達は大学へ通って専門分野の勉強をしているんだろう。魔獣や亜人のことなんか考えずに自分の夢のことだけを考えてキャンパスライフを送っているのだろう。もしかすると19にもなれば童貞を捨てた奴もいるのかもしれない。お酒が飲めるのは来年からだがもう既にこっそり飲んでる奴もいるかもしれない。目を瞑ってぼんやり考えていると頭が痛くなってきた。この道で生きていくことを決めたのは自分だろう……と思いながら優吾は舌打ちをする。別に大学の生活が羨ましいと思うことはないが八剣班で採用されて活躍する昇を見ると自分でもよく分からない焦りが芽生えるのだ。
同じ学校で同じタイミングで戦闘員になった昇。苗字で水喰と呼ばれることを嫌い、ブラックコーヒーと一番という言葉が好きな男子高校生が今や世界からも認められる八剣班の期待の新人枠、隊長級戦闘員として活躍してると考えると今の自分がちっぽけに思えるのだ。昇と優吾の圧倒的な違いはその意思の強さだと自覚している。「この世で自分がどの位置にいるのか知りたい」昇と「こんな生き方でもいい」優吾。その違いは明確だった。嫌なことを考えてしまって更に頭痛がひどくなった優吾は本当になぜかは分からないが両腕をガバッと広げて天井を見る。まるで悪夢から覚めて気を紛らわせる時みたいにキレのいい動きで両腕を動かした優吾は自分自身、何がしたいのか分かんなくてフッと笑った。
「何してんだ?」
この声がかかるまでは。
「え……?」
チラリと射撃場の入り口を見ると目を細めて優吾を見る悠人がハハッと気まずいような笑いをして自分を見ていた。さっきの腕を広げて笑う動作を見られていたと気がついた優吾は顔が熱くなるのを感じる。声を上げて入ってきた悠人が優吾の肩をポンポンと叩いて「みんなには言わないでやるよ」と言ってメロンソーダ入りのペットボトルを渡してきた。
「お前これ……」
「優吾好きだろ? 銃声が聞こえたから察して買ってきた。俺の奢りだ」
「どうしてだ?」
「さぁ、俺の気まぐれ」
悠人は壁にもたれかかって自分の分のペットボトルのキャップを開けてグビグビ飲む。悠人はオレンジソーダだった。4分の1飲み切った悠人は「プハーッ!」と吐き出すように声を上げる。優吾はクピックピと比較的ゆっくりとソーダを堪能した。そんな優吾に悠人は話しかける。
「銃の精度はどうだ?」
「いつも通りさ。やっぱり実戦で撃ち続けた方が精度も上がる」
腰に下げた二丁銃に目をやりながら優吾はメロンソーダを飲んだ。悠人は指に引っ掛けるようにジュースを持って話しかける。
「そういえば……お前と二人で話すのって久しぶりだな」
「思えばそうか……。安藤班との演習の時はそんなに話せてなかったし。正直……対人関係は苦手なんだよ」
音を立ててソーダを飲む音だけがその場に響いた。悠人は横目で優吾を見ながらソーダを飲んでいく。東島班最年長である優吾は滅多に笑顔にならない。いつもポーカーフェイスというかシナっとした顔をしている。感情の起伏が少ないことは理解してるのだが悠人は静かすぎることに気になってしまいまた話しかけた。
「やっぱり気にしてるのか?」
「……お前もかよ」
「は?」
「変に心配されても迷惑なんだ。副将戦のことはよ」
悠人はペットボトルに視線を戻した。見鏡未珠とは何を会話しているのかよく聞き取れなかったが会話を抜くとあの試合は一瞬で終わっていた。それほどの力量さを誇る相手と優吾は戦ったのであるから負けても誰も攻めなかったわけであるが優吾がどこか萎んでいる。紙切れを擦り合わせたような声を悠人は今だに覚えている。どう話を切りだろうか迷っていると優吾から声を出してくれたようだ。
「見鏡さんが言ったんだよ。俺が引き金を引けなくなる理由、急に怖くなって弾丸が作れない理由は俺に『戦闘員である理由』がないからだって」
「……」
「悠人は昇が相手でも勝てたじゃあないか。迷わずに自分のプライドを押し付けることができた。サーシャや隼人やそれに、マルスだって……。俺は……曖昧なプライドであの人に挑んだんだから負けるに決まってる」
「おい優吾……」
「同級生の昇はあれだけの才能に恵まれて活躍してるけどよ……俺は……」
ここで優吾は話をやめた。自分の左足を悠人が踏んづけている。痛みに気がついた優吾は怪訝な顔で悠人を見る。彼は少し不機嫌そうな顔をしていた。
「あの水喰ってやつに俺がどうして勝てたのか……。今考えたら何となく分かるんだ」
悠人はベルトにつけている青と赤の刀の柄頭を優しく撫でて微笑む。
「あいつは……能力に頼りすぎている。たしかに意思の強さは俺も驚くほど強かった。でも本人の技量で見ればお前の方が上だ。あいつは魔装の性能に依存してるからな。素手で殴り合ったらお前が勝つんじゃあないか?」
昇の動きはどこか大振りで隙も大きい。ソードブレイカーを武器とする昇に悠人は迂闊に近づけないでいたがそれは折られる可能性があるからであり、決して昇の動きについて行けていない訳ではなかった。むしろ冷静に昇の動きを悠人は読んでいた気がする。だがしかし、昇は慢心ゆえの油断により、悠人の二本目の刀のことをすっかり忘れていたのだ。大きな隙を狙って悠人は一気に切り込んだ。
「見鏡副班長にそんなこと言われてたかぁ〜。現実を知ったら恥ずかしいっていうか暗い気分になるよな、俺もそうだった」
あの二回戦、マルスによって気づかされた無意味な新人イビリのことを思い返して悠人は人差し指で頭をクイクイと掻く。あの時は興奮状態だったので戦闘に集中できたがその夜、マルスとの会話が終わって部屋に帰った悠人はとてつもない恐怖を感じたのだ。今まで無意味なイビリのせいで何人が死んだだろうか……と考えると怖くて仕方がなかった。その日は悪夢のような気持ち悪い空気感で夜を過ごす。楓だってこんなことは望んでもいなかったのだ。そう考えると悠人は戦闘員以前に人殺しである。これまでに何人もの人を見殺しにしてきたクズとなる。
「俺は何人もイビって見殺しにしたクズ野郎だ。でもあの演習で死んだ奴らに詫びるためには俺が生きるしかないって思ったんだよ。だから亜人のビャクヤにだってマルスと立ち向かえたし……楓からも認められてこの刀も使えるようになった」
赤い刀を優しく撫でながら悠人はフッと笑う。優吾だってそれはわかってる。悠人が何人も見殺しにしたクズだってことも、自分が考え込みすぎて成長できていないことも。そして自分がどうなりたいのかも……。
「技量で言えば優吾の方が上だと思うし、お前の冷静な分析はいつも役に立ってるんだぜ? 聞き上手だし。それに慎也もお前のおかげで立派になってきたじゃあないか」
「まぁな」
「俺はいつだって怖い。18で死にたくはないし、もっと美味しいもの食べたいし、色々な教えも聞きたいからさ。俺も優吾ほど割り切って行動できるようになりたいよ」
「でなきゃ先には進めないだろ。それだけだ」
「お前スゲェよな」
純粋な悠人からの賛辞を述べられ、優吾は一瞬ビクッと体を震えさせてソーダを飲んだ。思えば学生の頃は誰からも注目されないでいた。ただクラスの中にいる人で優吾自身人を避けていることもあり、交友関係も何もない空っぽな毎日を送っていた。この戦闘員という仕事もそういう毎日から抜け出そうとした一種の行動なのかもしれない。非日常や刺激を求めて何か埋め合わせをしたかったのかもしれない。そうだとしても、優吾はアンドレアに対して行ったビルからの飛び降りを忘れることはできなかった。そんな柔な気持ちで高所から自己犠牲として飛び降りることができるだろうか。地面に落ちたあの瞬間、痛かったのを覚えている。全身の骨が折れて潰れる痛みを受けることが分かっていても優吾は飛び降りた。
ソーダから視線を悠人に移す。
「なぁ、悠人。俺って……この班にいてもいいのかな?」
「急にどうした?」
「いや、なんとなく……。たまに不安になるんだよ」
悠人は心配そうな顔をする優吾に笑いかけて肩をポンと叩く。
「いてもいいよ、お前は」
「……何故?」
「新人殺しが大きな一つの人間だとしたら、俺は心臓、マルスは脳みそ、隼人は拳、蓮は肩、サーシャが腰でパイセンは腿、慎也は足で香織が心ならさ。優吾は新人殺しの目なんだぜ?」
「目?」
「あぁ、優吾はいつだって目として俺たちの危険を察知して動いてくれる。優吾の目のおかげで俺たちも色々と救われたんだ。誰か一人でも欠けたらもう新人殺しとは名乗れない。そうだろ?」
おかしな例えだと思った。でもその例えはどこか悠人らしい、若々しい例えである。もうじき20歳を迎える優吾としたは思い浮かぶことができない真っ直ぐな例え。楓の死を乗り越えてマルスを新人殺しに出迎え、仲間として決勝に立ち向かい、そして亜人の悲劇から乗り越えた。それは誰か一人が頑張ったからではなく、チーム一丸となって頑張ったからだということを優吾は知っている。少し考える表情をした優吾を見て悠人はニッと笑った。
「じゃ、俺は引っ越しの整理を行うか。一週間以内で部屋を片付けるなんて無茶あるけどなぁ」
「待て、悠人」
「……なんだよ?」
スタスタと歩き始めて射撃場の入り口に手をかけていた悠人は肩越しに振り返る。
「新人殺しの目は敏感だから気をつけろ?」
その言葉を優吾から聞けて嬉しく思えた悠人は「おうよ」と頷いて階段を降りていった。悠人が去ったのを見た優吾はジャッとベルトから銃を抜いて早撃ちで3発ゴム弾を撃つ。ガウン! と音が鳴って三連続で撃ち込まれた弾は全て人形の眉間にひっついていた。
「やりぃ」
1人になった射撃場の中で優吾はたしかに微笑んだ。
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