押し返されて体勢を崩しそうになった翔太は底がすり減った靴の感覚を覚えて嫌な顔をしながらビャクヤと対峙した。民間人と仲間をある程度引き離すためにビャクヤと戦った。鉄パイプ術と太刀術が競り合うとどうも太刀の方に軍極が上がる。向かい風か追い風か、戦闘員を気にするか魔獣を気にするか、様々な要因があるにせよ、翔太一人ではどうも厳しい相手なようだ。
「フゥム……その筋は実に面白い。貴様、流派はなんだ?」
「流派……? 強いて言うなら見鏡流だ」
「存じ上げないな」
「さっき思いついたからよ」
汗を拭いながらせせら笑う翔太に揶揄われたような気がして一瞬だけ毛が逆立つビャクヤ。戒律を嫌う狐人族であるが師匠の律には従って生きてきたために真剣な問いを揶揄われるのは腹が立つのだろう。己の身長とほぼ同じの太刀を肩に置き、遺伝子に刻まれた平衡感覚で姿勢を保っている。筋力は他の亜人よりかは弱いが人間よりかは遥かに強い。狐人族の強みはその平衡感覚だった。高山地帯に里を構える彼らにとって岩から岩への移動は何の其の。太刀を持つなんて朝飯前なのだ。
「元は我らが使っていた魔獣らをこうも使う人間、その独特な思考は評価に値する。それで我の恨みが消えることにはならんが……。半世紀以上も積み上げられた恨みを晴らすために……今ここにいる」
肩に構えていた太刀をスッと背中になぞるようにして移動させて両手で肢をもち、刃を翔太に向ける。相手の目は殺意とそれを遥かに超越した何かによって突き動かされているようだった。翔太は幾多ものの目を見てきたはずだがこのような目は初めてなのだ。人間には分からないのかもしれない。遺伝子として刻まれた種族の力、理性では片付けれない野性としての生き様。翔太もパイプを構え、中央をグリッと捻った。パイプが二本に分かれてそれぞれに内蔵された魔石が光り輝く。螺旋のように風が集まってパイプの先端部に圧力の集合体が出来上がったのだ。翼を広げる蜻蛉のように、小太刀のようなパイプを構えて翔太はニヤリと笑った。
「……あぁ? そっくりそのままお返しするぜ。稲田やレグノスの仇は俺が取る」
翔太はすでに知っていた。あの悲劇のことや後日談、そして研究所にて仇を取ろうとしてくれた若造達と出会うまでの話も。だからこそ、初手でこの相手だと言うことが幸運だと思えるのだ。仇を討つチャンスをくれたと言うことだから。先程は相手の動きが分からなくて先手を取られたが翔太の考えとして死ぬこと以外は軽傷なのでまだ戦える。小太刀を構えながら利き腕の方を振り下ろした。
振り下ろす直前に螺旋の集合体が一斉に放出されて刃のような鋭さを持つ。永続して螺旋を放出すると魔石の力がすぐに弱まってしまう。切る瞬間にだけ螺旋を放出することで持久戦に持ち込もうとする翔太のやり方だった。凪が吹き荒れるように急激な力の増加を感じたビャクヤは流れるように太刀を滑らせながら受け止めた。両手で押すようにして受け止めながらツバ競り合いを制する。そのまま踏み込んで横凪に一閃。飛び上がって回避した翔太は相手の太刀に一旦着地して体を捻りながら飛び上がる。すれ違いざまに背中に斬りつけることに成功した。螺旋に掻き乱されて血が吹き荒れた。
「ウゥ……! あぁ……背中に傷をつけるとは……」
「恥とでもいいたいか? ッケ、奇襲で俺らの仲間をぶっ殺したやつに言われたくないね。稲田光輝……知ってるか? 昔は我先に突っ込むバカだったけど……スッゲェいいやつだったんだ。俺も大概なこと言えねぇがよ。お前はそういう命を奪っているんだぜ? それはお前らが憎む人間の姿じゃないのか?」
「断じて違うな。貴様は無知であることを知るがいい。同じ場で語ろうとするその杜撰な価値観を……、あの時も……いや、あの前からずっとそうだった。何も変わっていないのだな……」
ビャクヤは腹の奥、丹田から全身の呼吸を集中させて吐き出していく。全身の筋肉が一気に引き締められて背中の傷も徐々に塞がっていくではないか。浮き出る血管のような亀裂を出しながら傷を癒す。白目を剥きながら牙をも見せ、肺に体に埋まっているものを全て吐き出す狐人族の呼吸。筋肉が踊るように震え出し、傷口はドンドン塞がっていった。
「化け物め……!」
「フゥ……少々堪えたか」
出会った時よりも遥かに肉付きも顔色も良くなっている。人間にできる芸当ではなかった。翔太は小太刀を相手に向けながら考える。傷をつけても相手は癒す。隙を与えないと一撃が通らない。その隙も通りそうにない。一人でこの相手に立ち向かうのは少々無理があったという事なのだろうか。翔太は認めたくない己の弱さを隠すようにしながら歯を食いしばった。
「どうする……どうすれば勝てる……? 教えてくれよ……稲田、アイツはどうすれば勝てるんだ……?」
ビャクヤの全身には血流の流れを示すかのような亀裂が見える。その輝きは夜によく似合っていた。が、翔太はそれを見たくないと思う。ビャクヤの亀裂からは霧のような血が噴き出るようにして翔太の視界を奪っていった。振り向くところ全てが紅い霧。完全に相手の姿を見失ってしまったのだ。
「しまった!?」
「遅い!!」
背後から振り下ろされたビャクヤの太刀を倒れ込みざまに翔太は受け止める。口元にまで垂れてくる誰のかもわからない血は翔太の精神をドンドンと蝕んでいった。足で押し返すようにして太刀をのけぞらせ、すぐに起き上がって小太刀の螺旋を増幅させる。一直線に打ち出された嵐。周囲の霧をも巻き込んでビャクヤに襲いかかった。
数歩下がって太刀を両手に構えるビャクヤ。閉じられた瞳がカッと開かれたその時、ビャクヤの額が光を帯びたのだ。内側から裂けるようにビャクヤの額から姿を表したのは血のような紅の石だった。魔石のような輝きを見せるが魔石ではない。色の濃さが翔太の知っている魔石ではないのだ。その石は額から浮き出てきた目のように翔太を正面から見ていた。
「霊液を宿す我には勝てぬ。それが例え汚辱でも……怨を断つ!!」
振り上げられた太刀から発せられるは咆哮のような甲高い音、それは女の叫びのような不気味さと神秘さを掛け合わせたまるで見たこともない光景だった。風の螺旋はその咆哮によって消え失せている。血の霧を割るように襲いかかってくるのは手のように凝固した血流だった。
「万事……休すかよ」
己の最期を悟った翔太。かつて死んだ稲田やレグノス達も同じような思いだったのだろうか。だとすれば自分はその同じ道を辿って死ぬだけではないか。掠れた笑みの翔太に向かう血の手。瞳を閉じようとしたその時、周囲を切り分けられていた霧が一斉に晴れていき、自分に襲い掛かろうとしていた手が怯えるようにして消えていくではないか。訳もわからない翔太とビャクヤ。翔太の前にある人物が立ち塞がっていたのだ。
「先生……!」
「お主はいい友に恵まれておる。彼らがこのことを言わなければお主は死んでおったの」
振り返って血だらけで渇いた翔太の頭を弱く叩いた未珠は鞘に刀を仕舞い込んでビャクヤを見た。ビャクヤはスッと目を肉の中に埋め込んで未珠を見る。人間だということは分かっているのだが何かが違う気がしていたのだ。あの手や目が一瞬だけ怯えの色を見せた。それと一瞬だけ、刀に手をかけたのをビャクヤは目にしたのだが手に何をしたのかはブレたところまでしか分からなかった。いや、見えなかった。長年剣の道で生きてきたビャクヤであったがこの女の剣筋は一瞬だけ見えなかったのだ。
「貴様は……」
「見鏡未珠……、仇討ちとなれば名を名乗るのが礼儀じゃろう。そうでないのか? 妖狐の子よ」
この藤のような色を出す目の相手、ビャクヤは久しぶりに種族の名を問われたような気がして口を閉じてしまう。妖狐の子など何年ぶりに呼ばれたであろう。それは狐人族から古く伝わる己ら種族の呼び名であった。
「ほぉ……この時代にまさか貴殿のような博識な人間がいるとは驚いた。さよう、我はビャクヤ。妖狐の子なり。先ほどの腕前は驚いたぞ。敵であることが惜しい……ほど」
「お主の腕は人伝に聞いておる。じゃが……血を霧として発するその力は聞いておらんの……。妾の倅がお主と会っている。お主、ひとつだけ聞こう」
「なにか?」
「お主は妾達に怨を感じておるのじゃろう。それもしごく当然のこと。先代達が行った罪は大きい。じゃがお主も同じく罪を重ねておる。それは分かるかの?」
「分からぬわ。我のクニでは敵討ちは合意の元。殺すものは殺される覚悟を持って行う。それがなにか?」
未珠は悲しそうな表情をした後に草履をカッカと鳴らして翔太に合図する。この動きの意味を知っていた翔太は動く準備をしていた。未珠は鞘から剣を少しだけ抜いて右目を光らせる。何かを呟いた後に右目を元に戻して口角を少しだけ上にあげた。
「世を照らす蕾を踏んだ罪は重い……。もう……お主にわかって貰わなくてもよいわ」
その瞬間、ビャクヤの周囲に矢のようなものが降り注いで後方に避けていく。雨のように降り注ぐ矢の中を動きながら未珠達の元にまでたどり着いたと思えばもうそこに広がるは夜の闇だけだった。逃したことを悟って犬歯を覗かせるがもう何も起きなかった。垂れた血で出来た溜まり場のみ。太刀をその血溜まりにつけると太刀から登るように血が這い上がり、ビャクヤの手首から染み込むようにして消えていった。
「汚れている……」
ビャクヤは一旦仲間の元に合流すべく動き出すのであった。
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