「えーっとぉ……ここに確かぁ……」
ゴトゴトと台所の棚から音がする部屋。木製のテーブルと椅子、整えられて無駄な装飾のないシンク。全体的に一切の無駄を省いたかのような機能性を重視した集合部屋のある一室。音を出してる人物はお目当ての物を見つけて微笑んだ。
「あったぁ〜、ホコリついてないよね?」
慎也は台所の棚の奥にしまってあった密閉できる瓶を取り出して中を覗き込んだ。瓶の中にフーフーと息を吹きかけた。ここは慎也の一室である。彼自体装飾というものはあまり好きではなく、殆どが文字すらも書かれてない無印の雑貨ばかりであった。彼の着ている服も赤色のシャツに半ズボン、もちろん柄はない。
今日は任務がない日、つまりは非番だったので買いだめしてた食材を使ってある物を作ろうとしていた。慎也自体、料理は得意ではないのだが大味にならないような工夫はできる。最近、作る時間がなかったので久しぶりに作ろうとその容器を探していたのだ。
「久しぶりに渡したら優吾さん喜ぶだろうなぁ〜。あ、もしかしたら新しい体術を教えてくれるかも! いや……でもそんなにチョロいもんじゃないか……。一年は柔軟って言われたし……、まだ半年を越えたばっかしだしぃ……。でもこれは作って損じゃない。うん、絶対そう」
人前では絶対に行わない慎也の独り言。家でもずっと一人でいることが多かったので慎也は独り言をブツブツ呟く人間になっていたのだ。誰と会話してるのかは分からないが時折慎也はブツブツと会話まがいのことをしてしまう。任務中や会議中は滅多に独り言は行わない。理由はみんなの邪魔になっちゃうから。こうやって独り言を呟いてるということは慎也は心のそこからリラックスしてる証拠。
最近の優吾を思い出してみるとどこか焦りが見えるというかどことなく暗い顔をすることが多くなった。本人に直接聞いてみてはいないので想像でしか補えないがおそらく決勝戦のことだと思う。彼の相手だった見鏡副班長は人を見る目がいいと慎也は思っていた。初対面では優吾の弱点を見抜くことはそうできない。「あの見鏡という人物絶対に古株戦闘員じゃん」と慎也は察した。
優吾の弱点であるメンタルの弱さ。問われることに躊躇してしまうガラスの心は彼の隣にいる慎也にはよくわかっていた。そうであっても戦闘なんてしたことがなかった自分に体術の基本を教えてくれる優吾は師匠でもあり頼れる兄貴でもあるのだ。そんなことを思いながら慎也は冷蔵庫を開ける。白色の少し小さめの大きさの冷蔵庫には野菜や調味料が沢山、週に一回行う慎也の料理はタレだった。ご飯やおかずに合う何種類かのタレを作ってお裾分けするのが非番の日の楽しみでもある。この前、集合部屋まで瓶詰めしたタレを持っていこうとしていると偶然レグノスに出会った慎也はネギ塩ベースのタレをお試しで渡したことがあった。
オレンジ色の髪を持った軍服姿のレグノスが怖かっただけなのだが彼は慎也のタレを非常によく気に入り「酒のつまみに使わせてもらう」というお褒めの言葉をもらったのである。悠人にそのことを話すと「レグノスさんは厳ついけど話しやすいよ」と言われてその通りだと思った慎也。できれば新しいタレをレグノスに渡したいが序列3位の班員が暮らす屋敷に自分一人で行くのはちょっとなぁ……と困っているとノックの音が。
「あ、はーい! 今出まーす」
慎也は手にとっていた野菜や調味料を冷蔵庫に入れてしっかり閉めたことを確認するとエプロン姿のまま、ゆっくりとドアを開けた。開けた瞬間に日光が入ってくるはずなのに大きな影ができていることに彼は「え?」と声を上げる。そしてその目の前にいたのはまさかの人物だった。
黒色ベースの少しボサボサした髪ではあるがオレンジ色のメッシュを入れた頭。無機質な黒色をした厳つい目、筋肉はビキビキしてるナイスな肉体は黒色タンクトップに隠されている。そして迷彩柄のズボンを履いた男性だった。
え、誰? とその場で固まる慎也。こんな人と僕知り合いだっけ? と慎也は頭の中で思い出を再生していくがこんな人物と関わった思い出は一切なかった。
「あのぉ……どちら様で……?」
相手は「あ、そうか」と言ったように目を少しだけ開けてズボンのポケットから通信機を取り出す。そしてそこに書かれた名前を指差した。
「レグノス班、エークス……あ、あぁ! パイセンさんと戦った人ですよね?」
相手はコクリと呟いた。慎也は1日に何回かは班の人から話しかけられる一種の相談係のようなポジションに立っている。どうして自分に聞いてくるのかはわからないのでサーシャに理由を聞いてみると「安心するんだよねぇ」というお言葉をもらった。そういえばこの前パイセンさんが話してたシールドの……と思い出していると岩のように動かなかったエークスの唇が少し動く。
「……っす」
「え? なにか?」
「かたっす……」
「あー、もうちょっとで聞こえる」
「うまかった……」
うまかった……? 慎也はこの気まずい空間を切り裂くかのように発せられたエークスの低くて小さい声をなんとかキャッチする。だがしかし、相手が何の話をしているのかはいまいちわからない。もう少しだけ話を広げる。
「何が美味しかったのですか?」
「班長と食ったつまみのタレ……」
慎也はここで理解した。このエークスという人物は自分のタレを食べてくれてたんだ! 序列が一個上かつ戦闘員キャリアを積んだ大先輩に自分が作ったタレを食べて貰えてて嬉しくなった慎也はニッコリと笑顔を作る。その慎也の笑顔を見たエークスも唇を「フッ」と動かして笑みを作った。しばらくその状態が続くというさっきよりも気まずい空気感が彼らを襲う。慎也は僕のメンタルがぁ! とエークスに話しかけた。
「タレを食べてくれたことは嬉しいんですけど……。そのお礼にわざわざ来てくれたんですか?」
エークスは首を横に振ってからまた一言。
「レシピ……あるか?」
あ、マジすか? 慎也はポカンとした顔をしてしまう。わざわざ自分の部屋までやって来てレシピを教えに来てもらったのか? とあまりのギャップに慎也は吹き出しそうになったが喉元でグッと抑えてドアを全開にした。
「ちょうど、タレを作ろうかと思ってました。手伝ってくれますか?」
「いいだろう」
エークスは靴を脱いで慎也の部屋に入る。エークスは慎也よりも身長が遥かに高く。普通のシンクなのに体格のせいでおままごとセットの前に立ってるかのような違和感がくる。エプロンを渡そうか迷ったが丈が合わないのでそのままにしてもらった。
「ネギ塩ダレを作ろうかと思ってたんですけど……」
「かまわない」
「じゃあネギを微塵切りにしててください。僕はニンニクを擦りますね」
長ネギ一本と包丁、まな板をエークスに渡していざ調理しようかと思ったが慎也は少し狭かったので彼はリビングのテーブルにナフキンを敷いてニンニクをする。冷蔵庫から取り出したニンニク一欠片の皮をめくって擦り下ろす作業をする慎也。エークスは大丈夫かと確認すると微塵切りに苦戦してほぼ輪切りになってしまっていた。
「あ、切り込みは僕が入れますね」
慎也は包丁をエークスからもらってサクサクとネギに切れ込みを入れていく。斜めに入れられた切れ込みによってはるかに微塵切りがしやすくなったネギを見て「ほぉ」と声を上げるエークス。
「東島班の最年少は器用だって副班長が言っていた」
副班長という人物は知っている。アサルトライフルを掲げて炎をバックに瓦礫の山のてっぺんにいた姿を思い出して少し震える慎也。慎也は怖い系の女の人は苦手なのでギーナと話が合うかはわからなかった。
「副班長はギーナさん……ですね。 器用とはよく言われますが実力につながるものではありませんし……」
「まぁな」
エークスは慎也の言葉を吐き捨てるように返事した後に一言も喋らずにネギを切り始めた。慎也は心の中で絶叫する。レグノス班の人間と慎也はあまりにも場違いなのではないか。そう思ってしまうほどだ。分かってはいたがアレだけバッサリと切り捨てられると慎也のメンタルは消えてしまう。震えるがなんとかニンニクを擦り下ろすのだった。
ちょうどエークスもネギを微塵切りにしおわったのでそれらを瓶の中に放り込んだ。そしてエークスに手伝ってもらいながらブラックペッパー、白ごま、レモン汁の分量を測って全て瓶に放り込んでコチャコチャ混ぜていく。これで慎也特製「ネギ塩ダレ」は完成である。
味見ということで慎也は冷蔵庫からきゅうりを取り出して輪切りに切って小鉢に乗せ、タレをかけてエークスにあげる。エークスは「ありがたい」と一言残してきゅうりを口に運んだ。ガリリ、と噛み締める音が聞こえたと思うとエークスの口角が少し上がったのを慎也は確認する。
「うまいな、これは中々」
慎也は全ての緊張が解けたような気がして「良かった〜」と椅子に座り込んだ。エークスは全てのきゅうりを食べてから椅子に座り込んだ慎也を見てフッと笑う。お客さんも座らせないといけないと思った慎也は椅子をエークス用の椅子を取り出してそこに座らせた。
「エークスさんって、レグノスさんとよく食事をとったりしてるんですか?」
向かい合うように座るエークスは「そうだ」と相変わらずの低い声で話し出す。
「班長は俺の最初で最後の尊敬するお方だ。あの人の力になることができればいい。うまい飯を持っていくのも俺の役目だ」
エークスは元々目指す人物などを考えないで戦闘員になったのであるが配属されたレグノス班で班長であるレグノスの人情あふれる統率を見てから心に思うところがあった。自分に最前線で仲間を守るという重大な役目を与えてくれ、この前の演習でもしっかりと仲間一人一人に仕事を与えていた彼の姿はエークスにとってカッコいいでは済まされないほど尊敬すべき人間なのだ。
そのような話を聞いた慎也は見た目は怖いけど中身は自分と似ているところが多く、感慨深くなった。慎也が目指している人物は優吾だ。彼には借りがある。家から飛び出して逃げた慎也を助けてくれたという。そして自分に体術を教え、時に叱り時に優しく慰めてくれる優吾は尊敬すべき師匠でもあるのだ。
「エークスさん、僕思うんですけど……そういう上司にできることって何がいいんでしょうね? 答えがない問題であることはわかってますが……」
「尊敬する人がいるならその意思を継げ。そしてなんとしてもその人を守れ。死なせるわけにはいかない。副班長から聞いたことだが……お前は窮地に陥った時は誰よりも強い勇気を絞り出す。全身の関節にヒビが入ってるような状態で立ち上がり、副班長に一手を打ったらしいな。その勇気を普段から出せるようにすることだ」
勇気……、正直言って慎也自身はその感情の存在はよくわかっていない。勇気なんてものは一種の綺麗事なんじゃないか? と思ってしまう時がある。そんな綺麗事にもなってしまう勇気をどう絞り出すか……。考えれば考えるほど沼にハマる課題だった。エークスはそろそろ帰るということで慎也はドアを開けて彼を見送る。大事そうにタレの入った瓶を抱えて一礼して去っていくエークスの背中を見た慎也は「あのぉ!」と声を上げた。
「今度は二人でレシピから考えてみませんか? レグノス班長の舌を驚かせましょうよ!」
それを聞いたエークスはフッと笑ってうなずき、その場から去っていった。先輩から認められることは嬉しかったがその分、自分に大きな責任があることを知ってこの先の覚悟を決める慎也なのだった。
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