戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

お出迎え

公開日時: 2022年4月25日(月) 18:58
文字数:3,191

 太陽が地面と垂直になりかけている昼間、いそいそと畑仕事をする男が一人いた。その男は頭にタオルを巻きつけて滴る汗を受け止めており、種芋をうえて上から米ぬかをふりかけて水をやっている最中だった。柔らかく降り注ぐじょうろの水を見ながら今日すべきことを思い出しているとバスケットを抱えてやってくる女性が一人。


「豊さん、時間そろそろじゃない?」


「もうそんな時間か」


 新島豊は汗をぬぐいながらバスケットの中にある水筒の蓋を開けて豪快に飲む。山間部のわびしい村に住み、民宿を営みながら隠居生活をする五十代。若いころに身を粉にして働いたせいか、つつましく生きれば困らない程度の貯金があった。民宿には修学旅行でやってくる学生や登山家が利用してくれるので運営も問題ない。


 バスケットを抱える妻の小夜子は山菜取りから帰ってきたばかりでズボンに植物の種がついていた。本当はこのまま妻と二人でゆっくりと老いを迎えていきたかったのだが新島には捨てがたいある情報が送られてきたのだ。


「悠さんの息子が戦闘員になってこっちにやってくると聞いたもんだから情けを出してしまった……。本当は面倒ごとになると思って断ろうとしていたんだ。でも、悠さんには恩があるし、未珠の姉さんもやってくるとなればまた話が別だ。はぁ……困ったなぁ」


「私は賛成ですけどねぇ。最近はニュースの影響あってか学生さんも利用することがなくなってしまいましたし、久々に若い子を見れるとなると楽しみだわ」


「そんじょそこらの若いのとはわけが違うんだ。出迎えの用意をしないといけない。今日は少し早めに準備をしておいてくれ」


 妻の小夜子は楽しみで仕方がないのか、ニコニコしながらうなずいて出迎えの準備に向かった。結婚をしたのは仕事から降りた時だった。生まれ故郷には帰らずに田舎に引っ越して培った体力と地形測量を糧に生活をしていたころに知り合った。それ以来はずっと若いままでいてくれる妻には頭が上がらない生活をしているわけだがため息はぬぐえなかった。もう関わることがめったにないと思っていた戦闘員の世界からは抜け出せないような気がしてならない。クワを見ながらタオル越しに頭をかいた新島は道具をしまいに倉庫に向かった。


「俺に似合うのはクワより刀か……? 笑わせる」


 倉庫の端にしまってある己の魔装を見つめている。





 さてこちらはマルスが乗っている車両、車酔いの件があってから窓を開け閉めできる後部座席に移動。一番後ろの席には慎也が座ることになっていた。ギリギリでパーキングエリアに到着したマルス一向はそのままトイレに放り込むようにしてつれていき、外で待っているとスッキリした表情のマルスがやってきてホッとしたものだ。念のため酔い止めを購入して車に戻ってきたところだった。


「にしてもマルス君が車酔いに弱いとは……。もう少し早く伝えてほしかったよ」


「本当に済まない」


「いや、そんなに謝らなくても結構さ……」


 ヒヤヒヤしたあとで方で大きく息をするルイスと大渕に対して申し訳なさそうな顔をする優吾と慎也。あの時は本当に危なかったようで彼らの顔を見るだけでその気苦労が幾分か見て取れた。マルスは少しだけ反省しながら解放された窓から見える山を見る。白く、そして剣のような山だった。時折、雪解けしているのか山肌が見えているところもあり、何かの模様にも見える。


 山間部に生息する魔獣は山の中だけで食物連鎖が成り立っており、滅多に人里に降りてくることはない。人間もそれを理解しているので麓に町を作り、山には極力触れない方向で発展させていったそうだ。魔獣も干渉のこない人間に何かを思うこともなく、平和に過ごしている様子。そんなところに疫病神のような形で戦闘員がやってくるのに歓迎してくれるとはマルスは俄に信じられなかった。平和になれてしまったが故に何かが見えなくなって歓迎してしまうのだろうか。


「……俺たちがきたことでここが標的になってしまわなければいいんだが」


「そう思ってたんだけど、新島さんは受け入れてくれたんだ。結構顔が広い人だから話も伝えてくれているはず」


「それは新島という人間を過信しすぎなのでは?」


「こういう誘いを断ってきた人だからこそ、信じるものがあるんだよ」


 マルスは新島という男を知らない。悠人の親父の班の副班長でもう戦闘員の座を降りていることしか知らない。今まで遠征の度に断ってきたのなら戦うことが嫌になっている人間に違いないとマルスは思った。戦ってきたからこそ争いには巻き込まれたくない人間がいるということ。


 山の景色からチラホラと家が見えるようになってきた。車の窓には一面の畑や花畑が見え、今まで鉄筋コンクリートの街にいたマルスからすればなんと原始的な光景だろうと少しだけ驚いた。同時になぜか懐かしくもなったのだ。目的地はもう近い。それ故に緊張がマルス、優吾、慎也の三人にピリリと走る。


「そろそろ着くはずなんだ……。えぇっとぉ〜……あ! あれだよアレアレ」


 運転しながら軽く指で示した先には三階建ての小さなマンションのような建築物が待っていた。遠くから見れば細長いが近くで見るとそうでもない。全体的に広がった四角柱で窓がそこらに空いており、風がよく吹き込んでいるのかカーテンが揺れていた。少々広めの対向車線まで整備された道路沿いにポツンと一軒建っているので不思議な感覚を覚える。


 車は建物の横にある駐車場のようなスペースの一つの囲いに停車した。大型車両まで一つは入るであろうそこそこ広い駐車場だった。大渕とルイスが連れて車外に出たことからマルス達はハッとして車を出る。マルスは既に感じていたが空気が澄んでいた。味なんか感じないはずなのに支部の居住区の空気とはまるで違う。大きく息を吸ってもどこか満足感がないような感覚、空気が薄いのだろう。


「新島さんを呼んでくるよ。ルイス君、荷物の振り分け任せた」


「了解です。さぁ、俺たちは荷物を車から出そう。慎也君、そこ退いて」


 車のトランクを開けて荷物を取り出し始めたルイスを手伝うようにマルス達は己の荷物とその他の荷物を取り出した。最後に魔装を背負ったり、ベルトに引っ掛けたりしている時に後ろから声がかかる。


「今は任務時じゃあないだろう? 閉まってくれ」


 ドキッとして振り返ると大渕の隣に見慣れない男がいた。シワがれた顔に長年使っているのか変な色になっているタオルを首にかけている。作業着のような頑丈そうな服から覗く腕はコケた色をしているが巨木のようにガッシリとしていた。身長はそれほど高くなく、大渕の背よりも低かった。平均辺りだろう。目だけをキョロキョロ動かしてマルス達を見た男は短い鼻息を吹く。


「悠さんの息子はここにいるか?」


「豊さん、ここにはいないよ。もうすぐ彼が乗っている車が来るはずだ」


 悠さん、一瞬誰か分からなくなったマルス達だったが悠人を探そうとしているに違いなかった。


「もしかして……あなたが?」


「……あぁ、忘れてたよ。俺は新島豊、もう戦闘員の職務は捨ててこの民宿の館長をしている。君たち、長い間疲れただろう? 荷物をまとめて中に入りなさい。遅れてやってくる友達の相手はまた私がしよう」


 思った以上にキツい性格のものではなかったことにマルスは何故かホッとした。ここの生活に長いこと染まっているせいで初対面の戦闘員が何者かを観察しているうちに変な壁が出来上がることがある。八剣玲華に関しては壁ができているであろう。この新島という男、近寄りがたいが話せない人間ではないと見た。


「さ、入ろう。慣れない高所にいるんだ」


 ルイスの案内もあってマルス達は自分達の荷物を背負いながら建物の中に入っていった。新島が先頭にマルス、優吾、慎也の順に縦に並びながら歩いている。マルスは新島の大きな背中を見ながらどこか疲れ切った様子を感じ取り、複雑な気持ちになるのであった。

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