「いらっしゃいませ!」
鈴のなるような声に迎えられて弘斗は店の中に入った。花の香りに包まれた店内はもう11月だというのに暖かい。無表情のまま店内を一通り見渡したあと、声を掛けてきた女性に目を向ける。
「弘斗さんが来たってことは今月ももう終わりですね。」
自分はこの子にカレンダー代わりにされているのか、と思ったが言葉にはしない。
代わりに、「いつも通りにお願いします。」
という言葉と一緒に財布の中から5000円札を1枚取り出し、カウンターのトレイの上に置いた。笑顔で返事をした舞咲は弘斗が出した金には手をつけず、カウンターから新聞紙を取り出して、店内を埋め尽くす花の中からいくつかを選び、慣れた手つきで花束を作り始めた。
それを待つ間、弘斗はスーツの胸ポケットから
取り出したスマートフォンに目を落とす。
弘斗がこの店、「時の季」に通い始めてもうすぐ2年が経とうとしていた。自宅から1番近くにある花屋、と言うだけで選んだ店だったが、弘斗はこの店が気に入っていた。自分と同い年の息子がいるという店主の出水は、客のほとんどが女性の花屋に若い男が定期的に通ってくることを喜び、花について全くと言っていいほど無知な弘斗に、季節ごとにおすすめの花を教えてくれた。それを聞いて弘斗は毎月勧められた通りの花を買っていた。
だが弘斗は、出水の話を熱心に聞いているようで、実際のところあまり花に興味はなかった。
弘斗から出水や舞咲にする注文は1つ、
「カスミソウを入れてくれ」というものだけ。
そんな注文の仕方を2年も続けていると、最初の半年を過ぎた頃からは、今日のように「いつも通りに」と言うだけになった。そうすると彼らが勧める花にカスミソウを合わせた花束を作ってくれるのだ。
昨年の春からここでアルバイトを始めた大学生の舞咲は、三白眼に銀縁の眼鏡のせいで初対面の相手には怖がられることの多い弘斗にも臆することなく話しかけてくる。腰まである長い茶髪を花柄のシュシュで1本にまとめた姿の似合う、弘斗の思う「今どきの若い女の子」という風体の女性だった。9月の末で28歳になった弘斗と舞咲では6つ、年の差がある。弘斗にとっては大きく感じるその差が、どうやら彼女にとってはそうではないらしく、いつだったか歳を尋ねられた際に、「あ、意外と近いんですね!」
となぜか嬉しそうにしていた。
知り合った当初こそ誰に渡すのか、彼女はどんな人かと興味を示していた舞咲だったが、あからさまに答えにくそうにしている弘斗の態度を察してか、その手の質問をしてくる事もなくなった。その時は自分の思っていたよりも人の顔色を窺うことの出来る子なのだと、印象を改めたものだ。
「はい、お待たせしました。今月はダリアをメインにしてみました。寒くなってきましたけど秋らしいお花がいいかなと思いまして。」
舞咲に声をかけられてスマホから視線をあげると、オレンジ色の花を中央に置いた花束が出来上がっていた。注文通りのカスミソウも寄り添うように包まれている。ここでのアルバイトを始めた頃から、花を選ぶセンスは良いと出水が褒めていたが、この1年半程の間に大学の勉強と並行して、自主的にカラーコーディネーターの資格をとるなど、努力を重ねていることを、
出水から聞かされて弘斗は知っていた。
「ありがとうございます。」と丁寧に礼を言って、受け取った花束を左腕で抱える。表情を変えずに花束に目を落とした弘斗の顔を覗き込むように、舞咲が視線を合わせた。
「もう!せっかく頑張って作ったんですから少しは嬉しそうにして下さいよ!待ち合わせ場所でそんなムスッとしてたら彼女さん、声掛けてくれないですよ。」
その物言いは、弘斗のことを心配しているのか、それともからかっているのか。そんなことを考えながら弘斗はため息を一つ吐いた。
「大丈夫ですよ。彼女から声を掛けてくることなんてありませんから。」
「あれ?もしかして弘斗さん、彼女さんより後に着いちゃう人ですか?ダメですよ、女性を待たせたら。」
よく頭と口の回る子だ。それに女性を待たせてはいけないなんて、男女平等を教えこまれている若い彼女たちとしては古風なことを言う。
スマホをジャケットの胸ポケットにしまい、もう一度深く息を吐き、舞咲に背を向けて出口へと歩を進める。
「じゃあ、これ以上待たせないようにこれで失礼します。」
その弘斗の背に向かって舞咲は深々と頭を下げ、見送りの言葉をかけた。
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