「さっきは『そうかもしれん』と言ってしまったが……」
一ヶ月前の出来事を思い出していた私は、マドック先生の言葉で、現実に引き戻されました。
「……ウイルス・ポーションは、即効性じゃないからな。いくら今日が冒険日和だとしても、あまり客足には影響しないだろう」
窓から青空を見ていたはずの彼は、いつのまにかカウンターの近くまで戻ってきていたのです。
「ああ、そうですね。でも普通のポーションを買いに来るお客さんもいるでしょうし……。そのついでに『次に使う分のウイルス・ポーションも買っておこう』って人、いるかもしれませんよ?」
回想に耽っていたことなど微塵も感じさせないように、私は普通に、マドック先生の言葉に対応しました。
「うーん……。俺としては、ウイルス・ポーションは、あまり買い置きとかして欲しくないんだがなあ」
話をしながら、開店準備の続きです。
作業をしながら、少しだけ私は、先ほどの『回想』の続きもしてしまいます。
この一ヶ月の間。
マドック先生がウイルス・ポーションを作る時、私は必ず立ち会うことになっていました。
無菌箱の滅菌係という仕事だけでなく、組換えウイルス作製を実際に目にすることで、どうやったら魔法で同じことが出来るのか、二人で検討するためです。
しかし、所詮わずか一ヶ月。とりあえず今のところ、大きな進展はありません。魔法では、ヒトの細胞から目的の遺伝子を取り出すことも、そもそも冒険者のステータスに関わる遺伝子を探し出すことも、まだ成功していません。
「でも、お嬢ちゃん。この世界では、魔法でモンスターのキメラを作る研究があるのだろう? だったら魔法でも、俺の世界の遺伝子工学に相当する技術があるはずだ」
これがマドック先生の持論であり、その点に関しては、私も「そうかもしれない」と同意しています。
それに……。
もしも私が『冒険者のステータスに関わる遺伝子を組み込んだウイルス』の作製に成功したならば。
同じ技術で、マドック先生が言っていた――あちらの世界で作っていたという――『免疫系の遺伝子を組み込んだウイルス』も作れるはずですからね!
魔法を活かした医療士を夢見る私としては、そちらを作ることに、むしろ心惹かれるのです。『免疫系の遺伝子を組み込んだウイルス』は、医療学的にも意味のある、素晴らしいウイルスワクチンになりそうですから!
そんな気持ちで、マドック先生と一緒に、ここで頑張っている私です。
話をしながら、そして、これまでのことを少し思い出しながら。
テキパキと手を動かして、開店準備も終わりました。
「では、お嬢ちゃん。そろそろ今日も、店を開けるか」
「はい、マドック先生!」
地方都市レナトゥス、その北地区の繁華街。大通りから東へ一本入った裏通りに、街の人々から『ウイルス堂』と呼ばれるお店があります。
白い壁と赤い屋根が目印の、小さなお店。マドック先生と私の、二人きりのお店です。特殊なポーションの専門店ですが、私の提案で、最近は普通のポーション――回復薬とか解毒薬とか――も、少し取り扱うようになっています。
そうこうしているうちに、お店の扉が開きました。
店の奥に設置した魔法ベルも、軽やかな鈴の音を鳴らしています。
本日のお客様、第一号の来店ですね。
いつものように私は、出迎えの意味でカウンターから出て、お客様に向かって挨拶しました。
「いらっしゃいませ! ようこそウイルス堂へ!」
(『こちら異世界ウイルス堂』完)
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